WARでの活動の傍ら、多くのJamセッションに参加し、研鑽を重ねる仲村哲也のJam日記です。
アメリカに渡ったミュージシャンの日記としても楽しめますが、ミュージシャンとして学ばされることも数多くあります。

今後も随時更新していきますのでお楽しみ下さい。

- 江戸川スリム -

第1回

第2回

第3回

第4回

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第7回

第8回

第9回

第10回

第11回


第1回「海を渡ったハーモニカ吹き」

みなさん、こんにちわ。
私はアメリカ音楽に憧れ、その土地で活動しようと渡米したハーモニカ吹きです。一般
的にハーモニカの武者修業と言うと、シカゴ、ニューオリンズ等のブルース/ファンク/R & B (黒人音楽) 路線か、ナッシュビル、テネシー方面でのカントリー・アンド・ウェスタン/ヒルベリー (白人音楽) 路線と大きく分けられますが、私は何故かLAに拠点をおく事になり、既に11年目に突入しました。
渡米当時、右も左もわからず、英語力もままならない私に出来ることは、ただナイトクラブへ出向き、気にいったバンドに飛び入りして人脈をひろげると言うことでした。とりあえず、どんどんシーンに露出しなければチャンスもめぐってこないだろうと思い、オープン・マイク (Jamナイト) と聞けばどこへでも参上し、セッションしまくりました。

セッションと言ってもその内容は様々で、音楽のジャンルはもとよりミュージシャンの質もピンキリですから、どういった場所が自分に合っているかを探索しつつ、何かのキッカケを待ち望んでおりました。私の狙いはとりあえずその様なJamでメンバーを見つけ、バンドを編成し、クラブGIGや各種パーティーGIG等で、「小銭を稼いでとりあえず生計を立てる」と言う事でした。パーティー好きのアメリカ人の事ですから、わりとすぐGIGにありつけるとタカをククッテいましたが、なあに、現実は甘くない。バンドが演奏出来てもギャラが極端に少ないのは当たり前。
「ギャラの金額はプレイヤーのレベル」だとむりやり自分自身に言い聞かせ、「技術向上に精進するしか道はないゾ」と思い知らされました。
半年後、暗中模索のすえ、徐々にレギュラーのクラブGIGが入る様になり、待望の小銭を稼ぐようになりました。
そんな私のJam日記、しばし、お付き合いください。



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