傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 81 [ 2009年10月 ]


The meeting on the stage. "Ariyo-C" at Hyde Park Jazz Festival. Sumito Ariyoshi-Piano, Charles Mack-Bass, Pooky Styx-Drums.
Photo by Y


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2009年10月13日(火曜日)

地域間の距離が次第に縮み、別離の象徴となった場も「港」、「駅」、「空港」と変遷している。慌ただしくも楽しかった日本滞在は、成田空港に着いた時点で既にシカゴの住人へと気持ちが沈み始めた。

次の帰郷がいつになるか分からず、例え早く実現したとしても、旅行者であることに変わりない切なさは、芭蕉の「奥の細道」の無常観と重なる。(帰国目的であった)実家で自分の荷物の整理をしていたときに蘇る、子供時代からのオレの歴史の一つ一つが、今に連なる「時(とき)」としての懐かしさではあっても、終(つい)の住処(すみか)を決め得ない浮き雲のような境遇に、「行きかふ年」と共に永遠の旅人にはなりたくないと強く願うからだ。

特に今回は思わぬ旧友の来訪が多く、また、いつもにも増して色んな人の世話になっただけに、離日は感傷的だった。シカゴで活動しているとはいえ、ローカル・ミュージシャンであることに変わりなく、どこでも周りに支えられているのだと改めて実感する。

地元の京都、大阪を始め、高松、東京、横浜でお世話になったみなさん、そして拙い演奏を観に来てくれた方々には、この場をお借りして深く感謝申し上げる。
ありがとうございました。


2009年10月16日(金曜日)

SOBでのキングストン・マインズを終えると、日当を頂いたら手ぶらで速攻のお帰り。明日もあるので機材を搬出する必要がない。終演から僅か7分後には、車に向かっていた。

マインズ横のディスコ付きメキシコ料理屋の角を曲がると、上半身裸の男が仰向けに倒れて歩道を塞いでいた。心配気な、そして迷惑気な店の従業員らしき者が数名、微妙な距離を保って取り巻いている。摂氏4度で冷たい雨がしとしと降っていれば、相応の酔いなら醒めそうなものを、よっぽどのテキーラだったのだろう。

オレは男の腹の辺りで一瞬立ち止まると、彼を跨いで過ぎ去った。シカゴの日常が固着してゆく。


2009年10月17日(土曜日)

日米移動の時差(夏時間で14時間)ボケはないのかと問われるが、無い!

今日の模範的で規則正しい生活サイクル例。

午後12時30分:就寝。
午後8時15分:起床。シャワーを浴びて朝食を採り、出掛ける用意をする。
午後9時25分:自宅を出る。
午後10時:現場入り(昨日に続いてキングストン・マインズ)。10:30pm-11:30pmと12:30am-1:30amの2セットの演奏。
午前1時半過ぎ:控え室にて持込みの弁当を食べる。2:30am-3:30amの演奏後、機材を片付け車を取りにいって搬出。
午前5時前:帰宅。
午前5時半:シャワーを浴びて夕食。

現場によって起床時間などは少々早くなるが、レギュラー出演するアーティスやローザス、毎月複数回あるハウス・オブ・ブルースを含め、ほとんどのクラブの入りが午後9時前後なので、上記のスケジュールとは一時間程しか変わらない。
注目すべきは午後・午前の表記。これを逆にすると、普通の勤め人、それものんびりと窓際で過ごす上級サラリーマンと変わりない。

「午前・午後を逆転表記」
午前12時30分:就寝。
午前8時15分:起床。
午前9時25分:自宅を出る。
午前10時:出社(現場入り)。
午後1時半過ぎ:昼食。
午後5時前:帰宅。
午後5時半:夕食。

はいはい、そこ、定時退社出来る日本人がどれほどいるかと突っ込まない。ほいほいそこで、ドアからドアの通勤時間30分の労働者がいかほどかと責めない。また、出社時間が遅すぎると涎を垂れない。なるほど、こうしてみると、拘束時間の長いマインズの仕事でさえ、この午後・午前逆転スケジュールは会社役員クラスか。いやオレの言いたいのはそうではなく、時差!この時間表を日本時間に当てはめると:

「日本時間で表記」
午前2時30分:就寝。
午前10時15分:起床。 
午前11時25分:自宅を出る。
午後12時:現場入り
午後3時半過ぎ:昼食
午後7時前:帰宅
午後7時半:シャワーを浴びて夕食。

ねっ!多少夜型ではあるが、自由業の方にはありがちな遅い目の昼食を始め、怠惰すぎるほどの生活サイクルでもないでしょう?帰国中は大体こんな時間帯に寝起きしていたし、こちらに戻れば昼夜逆転なので、いつも時差はない。えっ?!実労時間が少なすぎる?そ、それは、病院などに非常勤のお医者さんの診療時間と同じで、その他の時間は実演準備・研究や自己の能力向上の研鑽に充てている次第で・・・。


2009年10月18日(日曜日)

日本で買った万城目学の「鴨川ホルモー」(今年映画化された)を読了。

K大学の学生である主人公が、吉田神社を拠り所としてK大界隈を舞台に成長する青春物語。知的用語が頻出する割には内容に深みがなく、難関大学の学生、或はそこを目指す受験生のブログで見掛けるような上滑りの文体なのだが、背景のほとんどが、否、すべてがオレには馴染み深いので、描写は細部までリアルに映像化される。

オレが育った京都の実家は吉田神社の参道の隣で、K大学の塀まで数十メートルの距離に在る。本殿の裏山には秘密基地(「20世紀少年」参照)があり、毎日のように境内では三角ベース(少人数での二塁のない野球。いつかの日記で、後にメジャーの投手となるアディと喧嘩する原因にもなった)や鬼ごっこ、缶蹴り、かくれんぼなどをして遊んだ。神社付属の幼稚園へ通い、長じても通学路であり、トレーニング・コースであり、デート・コースであり、結婚式まで挙げた場所が小説の重要な起点となっている。

東一条(K大の玄関)、今出川、丸太町(K大学の周辺道路)、百万遍(K大角の交差点で学生街。ほとんどの店を利用したことがある)などは、小学生の頃には既に陣(縄張り)となり、河原町や木屋町、鴨川岸の有名繁華街はいうまでもなく、三角州(加茂川と高野川が合流する地点)から下鴨神社・糺森にかけては、中・高生女子の口説きの定番コース。祇園祭のようなイベント事(神事としてではなく、若者が街へ繰り出す夏の風物詩)に心躍らぬ京都っ子はおらず、主人公らが集う喫茶店の"ZACO"(かつてブルース・レコードの在庫枚数が日本一を誇ったブルース喫茶)のマスターは良き相談相手で将棋敵でもあった。

k大は、吉田グラウンド(教養部側。少年野球や11月祭でうろつく)や農学部のグラウンド(一年だけ在籍した鴨沂高校陸上部が練習場として借りていた)を始め、構内を知悉している。オレは立命館大学(京都産業大学、龍谷大学と共に登場)へ聴講で一年間(これも一年かと突っ込むなかれ。他大学で足りなかった教職過程の単位を取得した)通ったが、進行のほとんどは左京区内であり、K大出身の作者の学生時代の行動範囲と、青春時代のオレの生活圏がピタリと重なっている。そして、それがどこか腹立たしい。

合格に見合う努力を怠った己と向き合えず、意思を継続出来なかったことへの負い目がコンプレックスとして沈着し、いまだその名前にひれ伏してしまうオレに腹が立つのだ。

その大学名を目(耳)にすると、恋愛や趣味にうつつを抜かしたキリギリスの受験生が現れる。他人にとってはどうでも良いことであろうが、いまだ引きずることへの仕返しは、趣味が大成(あえてこう呼ぶ)してもなお果たし得ぬ、人生の、小さいが唯一の遺恨なのだ。

「鴨川ホルモー」は一部を除いてすべて実名で書かれているが、だからこの日記ではK大としか記せない。たまにこんな拗ねた感情がもたげる度に、今からでも遅くない、受かりゃ解決すると夢想してみるが、そんな僅かな屈折を矯正するためだけに、この歳で生活を一変させられるはずもなく、また、「絶対受からない」と考えないところに屈折の屈折たる所以がある。


2009年10月21日(水曜日)

H.O.B.(ハウス・オブ・ブルース)でスィング・バンドのSP20sと早い目(午後6時-10時)の宴会仕事。

駐車係員(Valet Parking)のアホ、機材搬入に3往復する間、オレの車を動かすなとあれほど言ってたのに、初回のキーボードを運び終えたところで玄関に戻ると、マキシちゃんの姿はなかった。こらぁっ!駐車責任者を呼びつけ、「早ょ持ってこい!今直ぐもってこい!速やかに持って来い!」と叱りつけるが、その甲斐なく 10分以上も待たされる。 

ようやく最後のスピーカーを二輪の手押し車に積み込んでいると、入口でしょんぼり立っている顔見知りのトイレ係員(利用客にペーパー・タオルを手渡したり、液体石鹸やコロンを振ったりする係)のオッサンに気が付いた。

「アンタ今日は宴会用の演奏かい?おれは、パーティだって知らなかったんだ。トイレに人は要らないってさ」。丁度迎えに来た車に乗り込みながら、小柄な老黒人はオレへ向かって気丈に手を挙げた。H.O.B.とオッサンがどんな契約をしているか知らないが、せめて必要のないときは連絡してやれよな。いや、それも何か腑に落ちない。いつもオッサンを見かけるのは週末なのに今日は平日だし。そういや、オッサンが焚く香(こう)やコロンなどは持ち込みっぽい。考えてみれば他所のクラブのトイレ係員も、それらを自前で揃えてる。ひょっとしてあなた方、飛び込みで仕事を取ってるのか?そうならもっとチップをあげないと。

ダラダラの4時間が過ぎると、10時半からの一般客用のバンドが待っていた。おおっ!ジョアンナ・コナーズ。ジョアンナ・バンドのドラムのランスやベースのヴィックが、「アリヨ、パーティ仕事で儲けて(一般用より割が良い)早帰りかい、イイなぁ」と恨めしそうにセッティングするのを尻目に、「オホホホ、お先に失礼」と朗らかに退出した。


2009年10月22日(木曜日)

鴨川ホルモー(2009年10月18日参照)をネットで鑑賞。

原作通りの風景が続く中、んっ、主人公の下宿!?内装に見覚えが・・・これ、銀月アパートじゃないか!この日記にもたまに登場する旅行業のNを始め、かつては学生時代の音楽仲間たちが延べ7人も住んでいて、オレは毎日のように銀月へ通っていた。懐かしぃ。

岩倉に住んでたはずの主人公の仲間はK大の百万遍寮に?おいおい、吉田寮でしょ、そこ。中学校の向かいにある吉田寮へは、卓球をしによく忍び込んだ。な、懐かしい、昔と全然変わらんボロさ。

ブルース喫茶のZACOは?ザコ・マス(マスター)は出演しているのか?鴨川ベリの古いカフェっぽいところでのシーン。はぁ?何やら遠くでブルースが鳴っているが、ここがザコの替わりぃ?って、オレの通った高校の近所の喫茶店「リバーバンク」。

100年以上の歴史を誇る京都府立鴨沂高校は変わっていて、公立だが私服の自由な校風で、年度始めに教科を選択(午前中は4コマの二教科。大学並み)してカリキュラムを自ら作成する。授業毎に教室を移動する学級を超えた枠組みのため、ホーム・ルームでしか会わないクラス・メイトも多かった。休講があると家へ帰ったり、御所(寺町通りを挟んだ向かい)や鴨川へ行ったり、喫茶店でお茶したりした。だから荒神橋のたもとに在る「リバーバンク」でも、特に昼はよく利用したし卒業後もちょくちょく立ち寄った。

ここまでくると、懐かしいにも程がある。木屋町の怪しげな居酒屋(新しいので知らない)を除けば、この映画のロケ地のすべてをオレは知っている。原作でさえ関わりの多いところが、映画版変更後も尚、オレの生活圏(単に知っているのではない)だった場所で撮影されていた。

そして吉田神社は・・・全裸踊りのシーン、よく神社が許可したなぁ。もうここは、実家の敷地内に等しい(家の前は吉田神社の私道であるが)。ただ、時代劇の銭形平次の冒頭シーン(オリジナル版)でも登場する、鳥居をくぐった階段の上からの映像。オレの家が、あと僅かのところでフレームに入り切らなかった。さすがに惜しい・・・。


2009年10月23日(金曜日)

静かな静かな未明に日記を書いていると、そとでドンという音がした。瞬間、車の衝突と思ってブラインドを上げると、銀色のRVが路上駐車された乗用車に衝突している。

西行きと北行きの各一方通行の道は、両脇に駐車された車で狭まり、もし二重駐車されていたらすり抜けられるかどうかの道幅しかない。銀色RVは、その四つ角の西行き一通の西南側の道端に駐められた車の右後方に追突していた。北行き一通を逆行して来て右折(西行き)しきれなかったのは明らかだ。

慌てて逃げ出すだろうと思ったが、しばらくじっとしている。悪いヤツじゃなく、自分の情報を記したメモでも置くのか?それとも警察を呼ぶか?そして・・・やっぱり逃げた。


2009年10月26日(月曜日)

アパートの駐車場で、二人の男がオレの車の脇に倒れている男を介抱していた。病気や怪我ではなく、酔いつぶれているのだという。昼間から酔っている。不況でレイオフされるかして、ずっと酔っているのだろう。彼らは不法滞在の外国人らしく、警察を呼ばれるのを恐れていた。雨後の濡れた地面に横たわるのは危険だ。車に積んでいるコンフォーター(極薄の上布団)を貸してやる。しばらくして戻ったら、コンフォーターは綺麗に畳んで置いてあった。

アーティスへの出勤途中、ビリーがラジオに生出演していた。今年の夏、ルリー・ベルやカルロス・ジョンソン、ジョン・プライマーらと出したCDのプロモーションが主のようだ。番組終了まで残り数分になって、ウチのライブ盤からもインスト曲がちょっと(1分程度)かかった。シカゴのラジオから自分のピアノがちょろちょろ流れるというのは、考えようによっては素晴らしいことなんだろうが、オレの参加していないCDのおまけのように扱われるのが悔しい。

最後にDJのトム・マーカーが、鈴木楽器との契約話をビリーに振る。そして大将も自分が製作に協力したハーモニカの"Manji"の宣伝を始めるが、台本通りなのか、時間に余裕がないのか、「マンジ、これはイイぞ!」という中途半端な決め言葉で締めてしまった。オヤジ、ウチのCDと鈴木楽器のプロモーションを、別の機会にもう一回ちゃんとやれ!といっても、ライブ盤は日本のみ発売で、こっちは未定。USA発売に向けて誰か動けよ!それなのに今週末のロザで CDリリース・パーティって・・・。

オヤジは久し振りの生出演で景気付けに飲んだのか、遅れてアーティス入りしたときには酔っていた。後半など最初から参加している(いつもはバンドに数曲演らせてから上がる)くせに一曲も唄わず、メンバー全員に唄わせようとしていた。

ギャラの支払いが少し多い。こんだけ多いぞと言うと、いいから取っとけ、お前にはそれだけの価値があると肩を抱き寄せる。おいおい、多いといっても$5(今は¥500にも足りない)ばかりなんだが。 


2009年10月27日(火曜日)

スイング・バンドのSP20sでダウン・タウンのマティーニ・パーク。

マティ・パは終演が午後11時と早いので、相談があると言うチャールズ・マックと帰宅前にロザで落ち合う。

チャールズ君、相談ってなぁに?えっ!?君の録音を聴いて欲しい?1曲目と12曲目にボクのピアノを入れたいの?どれどれ・・・うっ、アコースティックなフォークソング・・・。

えっと、君のお父さん、ブルース・マンだったよね。そして君は6弦ベースを華麗に操り、ジェームス・コットンやラッキー・ピーターソンらのサポートもしてたよね。その上、季節限定ジャズ・トリオ(2009年10月写真参照。時にカルテット、2004年10月15日参照)の「アリヨ・シー」のオリジナル・メンバーでもあるよね。えっと、ブルージーでジャージーなチャールズ君だよね。なになに、このデモCDを聴いて、感想も聞かせて欲しい?

チャールズ君が制作中のオリジナルCDは、全編ノン・ブルースの世界だった。そういやオレも大昔は、ギターの弾き語りや、ポップなバンドでピアノを弾いていたわ。別種の音楽を聴きながら客層が一世代は若返ることを想像して、チャールズ君には一杯感想を伝えようと考えていた。


2009年10月28日(水曜日)

元シカゴの住人でサム・レイバンドだったサンディエゴのクリス・ジェームスとパットが、彼らのCDが何とか賞にノミネートされたという記念ライブ(他に何バンドも出演)でシカゴに来ている。

そういや、明日レジェンズに出てくれって誘われてたが、一旦は受けた(ロザのトニーはオレの立場に理解があり、木曜の休みを得るは容易)ものの、ビリーと北の郊外の大学で仕事が入っていたから断ったてた件だ。

そのクリス&パットと、唄ってハープを吹きまくる歴史教師、ロブ・ストーンの学校で朝から催し。ロブの学校の生徒達は健やかに育っていて、校内の真新しい劇場(2009年3月7日参照)は喝采の嵐。何度も思うけれど、一時間とはいえ、本格的ブルース・バンドを全校生徒で観賞するってどうよ。

終演後、ロブに紹介されたピアノを習ってるという生徒は13歳の中学2年で、オレがちょこっと見せてやったフレーズを、目を輝かせながら聴き込み、指使いを教えると、さっさと吸収していく。ああ、恐ろしや、君ね、そんなに真剣にならなくていいから。おじさんに追いつこうと思わなくていいからねっ。今は黙ってCDでも聴いて音だけを楽しんでなさい。それから、お父さんやお母さんにおねだりして、おじさんのライブを見に来なくていいからねっ。もっと大きくなってから頑張りなさいね。おじさんが引退してからとかねっ。

夜、同じメンバーでHOB。

ドラムのウイリー・ヘイズとベースのパットが、明日打ち合わせをしていた。西海岸からわざわざ来たのはそのためかと、「どこで演るの?」と訊いた。すかさずパットが、「お前が断ったレジェンズじゃ!」と突っ込んでくれた。ん!?オレではなかったが、前にも似たようなことなかったかい(2003年9月20日参照)。


2009年10月29日(木曜日)

随分北の郊外のレイク・フォレスト大学のイベントへSOBで。現場入りが午後6時って聞いたから終わるのも早いだろうと思っていたら、9時前には現場を出ることが出来た。

ビリーが「これからレジェンズへ行かんか」とみんなを誘っていた。ケニー・ニールと一緒に演奏すんだ、と言う。あっ!クリスに断ったやつ、何とか賞ノミネート記念ライブ。「SOBは関係ないですよね、誰がバックするんですか?」「クリスたち」「・・・」。その横でギターのダンが、「ボク、アンプを置きにローザスへ行くから」と言ってから、気が付いたようにオレを見つめた。「アリヨもローザスへ行くでしょ?」。うっ!あのね、先ずクリスが頼んできたからロザは断って、それからウチがここで入ってたからクリスは断って、それから、ええと・・・家族が起きている時間に我が家へ帰れる幸せは・・・お前ら細かいこと気にするな、オレは帰る!


2009年10月31日(土曜日)

今晩未明(日曜日の午前2時が1時になる)に冬時間となった。日本とは15時間遅れの時差。日本時間から三時間引いて裏返せばシカゴ時間となる。

昨日に続いてSOBでロザ。週末のハロウィーンで、両日とも昼は子供、夜中は若者を中心に、街は仮装で賑わう。去年はマインズだったのでオレも茶目っ気を出した(2008年10月31日参照。当時の日記ではハロウィンと表記されているが、ハロウィーンが一般的な発音)が、今年は大人しくしていたら、ビリーが「おやおや、ハロウィーンだというのに、このバンドは誰も何も用意してないのかい」と皮肉った。祭り好きの大将は何か(衣装か被り物)持ってきていたに違いない。ひとりで「いちびる」のが恥ずかしいのか、メンバーに無視されて、それきり扮装ごっこの話題には触れなかった。

一昨年ロザで録音されたSOBのライブ盤が今夏"P-Vine"から発売されたので、CDリリース・パーティ(何度も言うが、どこかこっちで発売せいよ!)と銘打ったせいか、ケニー・ニールやルリー・ベル、ウイリィー・バック、ゾラ・ヤング、キャサリン・デイビス、クリス&パット(2009年10月28日参照)など、多くのミュージシャンらが遊びに来ている。元SOBメンバーで同朋の丸山さんも姿を見せ、観客から盛んに握手を求められていた。

案の定クリスとパットには、「アリヨ、一昨日はビリーの仕事があるからってボクらの依頼を断ったけど、ホントは誰と演ってたの?」と責められる。「ビリーもニックもレジェンズに姿を見せたんだよね。直行で来れば間に合ってたんじゃない?」(2009年10月29日参照)。言葉とは裏腹に、二人ともオレを弄(いじ)っては嬉しそうに笑っていた。

盛況の中にもほのぼのとした一夜が過ぎてゆく。

取材で来駕中の「地球の歩き方」編集部のYさんには、「私のお薦め、シカゴ随一の親しみ易いブルース・クラブ」をお見せすることが出来て、彼女を招待した甲斐があったというもの。

ビリーが終演間際に「大晦日のSOBローザス・年越しライブもよろしく!」とアナウンスする。えっ!?今年もウチらが出演するの?大将が壁に貼られたウチらのポスターを指差し頷く・・・あの、あれは去年のチラシなんですけど。

ビリー、地団駄を踏み荒らす。

帰り道で終夜運行のバスをひとり待つ扮装名人を見掛けた。ハロウィーン祭りの後の寂しさは、笑いを取るために裸になった芸人が、隅でこそこそと衣装を身に着けている侘しさに共通する。

ゾンビの格好で白粉の顔から血を滴らせた怪物は、ひと気のないバス停でどこか怯えて見えた。