傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 77 [ 2009年3月 ]

Street Musicians
Photo by Y


top


2009年3月3日(火曜日)

ボストンのラッパ(元ソロモン・バーク、トランペット)を吹く企業弁護士、ビッグ・ダンのユニットで、久し振りの老舗クラブ、"B.L.U.E.S."。

狭いステージに総勢6名は上れる分けもなく、オレはフロアーに。耳栓をするのが嫌なため、ステージの脇に置いた自分のスピーカーの大音量で、未だに耳鳴りが止まず。


2009年3月7日(土曜日)

今晩(明日の未明)から夏時間。

ロブ・ストーンの勤める私立ハーパー校(幼稚園から高校まで)の新しいホールのこけら落としと、建設への寄付を兼ねたプライベート・コンサートに、何とシェリル・クロウが呼ばれた。チケットの最高額は$2.500。その前座をロブと演る。

学校の設備とはいえ、黒Tのユニフォームに身を包んだ7.8人の屈強な男たちがセッティングする照明や音響によって、(音楽の種類を無視した大人の言葉を使えば)ホールは本格的ロック会場と化している。ステージ脇には彼女のギターが20本近く並び、まるで楽器屋の店先だった。

黒Tは、そのほとんどがシェリルのクルーなのだろう。特に音響係の音決めの鋭さやローディの素早さに、「メジャー」の力を思い知る。ロブらメンバーからモニターの返しへの注文はほとんどなかったし、45分のステージを終えたオレたちの機材は、ローディがあっという間に片してくれた。

ウチらのサウンド・チェックのときにシェリルが顔を覗かせたらしいが、前座終了で即座にSOBの待つローザスへ移動せねばならないオレは、結局彼女の姿も見ず、声さえ聴くことはなかった。それを残念に思う気持ちと、一日に2本の仕事のある幸せとが交錯するが、憧れの人を観るのならまだしも、目線はサポート・ミュージシャンと重なるだけで、その人たちと自分との力量を無意識に計る窮屈さを感じないだけ、次の仕事へ急かされる方がましかも知れない。

来月はデレク・トラックスとエタ・ジェームスの前座が入っている。どちらも演奏後即移動の2本立てとありがたいが、エタくらいは会場に残って観たい。


2009年3月14日(土曜日)

ビリー総大将が単独でスイスへ行く(それも土曜のみの一本のために)のを前から知っていたので、SOBのスケジュールに縛られることなくスイングバンド・SP20sの宴会仕事を引き受けた。インディアナ州の田舎町までの遠出(片道約80キロ)だが、今日だけで週末マインズ2本分のご祝儀が頂けるとあっては、弁当と自家製アイス・オーレを伴った楽しいドライブなのである。

華飾に彩られたイタリアン・レストランの会場で、楽しい演奏を淡々と終え機材を片付けていると、「アリヨ、久し振り。ボクのこと覚えてる?」とケータリングの若い男性が話し掛けてきた。んん!?・・・おお、キミは確かリトル・ジョー君。ボーイッシュな可愛い彼女と一緒に、アーティスやローザスでよく見掛けた。軽やかなテクニックでドラムを叩いていたよね。何でまたこんな田舎でウエイターをしてるの、と問いかけて止めた。

大昔、Kさんが日本何とか大賞を受賞したとき、トロフィーを持って舞台裏を通ると、目つきの鋭い大道具係が金づちを手に近寄って来て、突然「良かったやんけ」と祝いの言葉を述べたという。Mさんがそのテレビ局の下請け仕事をしていたことに、Kさんは気付いていなかった。オレが高校生の頃、部屋に貼っていたポスターにはKさんとMさんの名前が連なっている。Mさんは大晦日に裏方の仕事をしながら、元同僚の晴れ姿をどんな思いで見ていたのだろう。

幸いオレは周りの環境にも恵まれ、生活のために音楽を中断しなければならなかったことはない。人にはそれぞれ事情がある。音楽に夢を託し、頑張っていても、年月だけが徒(いたずら)に過ぎていくのを知るのは悲しい。ジョーと最後に話した数年前、彼女と別れたことは聞いていた。車で僅か一時間余りの町だが、ここではバンドをしようにも、クラブどころかミュージシャンさえ見付からないだろう。距離以上にシカゴが遠い場所へ身を置いた彼の選択と、少し頭の毛が薄くなり始め、若さに陰りを見せる表情が重なって映った。

オレとジョーは、KさんとMさんの関係とは違う。それでも「準備中からアリヨが居るのは知ってたんだけどね、仕事があったから」と、声を掛けることを躊躇っていた様子は、夢の途中に在るオレへの羨望と自らの境遇、シカゴへの懐かしさに消えぬ音楽への思いなど、ジョーの胸中を推し量らせた。

オレは努めて明るく彼をメンバーに紹介する。別れ際「またクラブへは顔を見せるから」とジョーははにかんだ。そしてオレは「楽しみにしてるよ」と心から言った。

*こんな、二ヶ月も遅れて日記かよ!とご立腹のこととは思いますが、更新が滞っていることをお詫び致します。(5/25記)


2009年3月20日(金曜日)

スミマセン、欺瞞の日記(もうこりゃ「追憶」)です・・・(7/8記 アリヨ)

SOBでキングストン・マインズの週末。

オレのお気に入りドラマーの一人であるPは、遊びに来ると、背後から突然手を伸ばして鍵盤にちょっかいを出す。こっちは演奏中だが、中央で懸命に励む大将を気にしながら適当に相手をする。

Pがステージを囲う木製の柵に手を掛けたとき、緑色の紙片がぱらぱらとこぼれ落ちた。Pは一瞬キョトンとした後、慌てて拾い集める。お札じゃないか。一部は傍のゴミ箱の中にも入っていった。粗相をしてバカなヤツ。「お前、何で金をバラまいてるんだ」と笑ったら、プルプルッと首を横に振った。そして彼は急に落ち着きがなくなり、辺りをキョロキョロし始めた。

直ぐに休憩となったオレをPは店の隅に連れて行き、「この金はお前んか?それとも、誰のか知ってるか?」と目を泳がせながら急くように問うてきた。どうやら現金は最初から柵の上に置いてあったらしい。それを気付かず彼が手で触れて落としたのだ。己の頭から右斜め後方50センチのところで視界に入っていたはずなのに、まったく気付かなかったオレもヌケている。ニヤケながら、「幾らある?」とだけ応えた。

Pはポケットに手を突っ込んで、二つ折りだがきちんと重ねていないドル札を出すと整理し始めた。いつものPの格好とはいえ、上がタンクトップ(店内は暑い)に下がジャージなので、大昔の日本のヤンキーが懐かしい。やんちゃそうな見た目と違い、気の小さい彼は、出所の知れない金を一度でもポケットへ入れたことが不安で堪まらない様子だった。

「えっと・・・この札は俺んで、こっちがっと・・・」
「お前が拾ったとこ、誰かが見てたと思うか?」
「えっ?あっ、多分誰もこっちは見てなかった気がする」
「だろうな、ビリーが一生懸命ソロ取ってたもんな」
「・・・$60だな・・・アリヨの取り分は半分でイイか?」
「おいおい、オレを共犯者にするつもりか?第一、知ってる店だし、そのままネコババするのも気が重いだろ。酔っぱらいが忘れていったのならイイけど、ちょっとオレが当たってやるから待ってろ」

大体が、現金を人が出入りできるところへ置いたままにしておくこと自体、落としたに等しい。ましてや休憩時間となっても持ち主らしき者が現れないのなら、そのまま誰かに取られても文句は言えまい。それでもステージの柵の上というのが気になって、セキュリティやSOBのメンバーらに訊ねたが、結局分からなかった。

最後にPの慌て振りを大笑いして聞いていたドラムのモーズが、急に思い付いたように真顔となり、「そういやアリヨ、そこの柵の上に名刺が置いてなかったか」と訊く。いや、オレが話してたのは名刺じゃなくて現金で・・・モーズ、どういうこと?

前のセットが始まる寸前にモーズの知り合いがCDを買った(モーズが物販係)が、現金がないので後払いにすることで話がついたらしい。そこでその知り合いは、自分はもう帰らねばならず名刺をそこ(オレの真後ろの柵)へ置いておくが、もし誰かから借りられたら、金も一緒に置いておくということだった。その知り合い、オレへひとこと言ってけよ。それからモーズ、のんびりし過ぎ。

少し離れたところで固まっているPを呼びつけ、札と一緒に名刺が落ちてなかったかを問う。Pは諦め顔でゴミ箱を漁り一枚の名刺を取り出した。お前、名刺も落ちてたこと知ってたな。オレはモーズへ向かって「CD代は幾らだった?」と声を張り上げた。「$60」。顔をほころばせてPに説明すると、彼は一旦困った顔をしてからモーズを指差し叫んだ。

「モーズ!お前はクビだっ!」

捨て台詞が「クビ」って・・・。