傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 72 [ 2008年10月 ]


Pistol Pete, Harley Davidson Party / Rockford
Photo by Y

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2008年10月2日(木曜日)

ああ、レギュラーの月・木以外に演奏のない今週は暇。ロザも最初は暇だったが、途中からオランダの観光客の団体が数十人入り盛況となる。

昨日の未明に、「ミュージック・マガジン」の電話インタビューがあった。といってもオレに関する取材ではなく、特集企画である甲本ヒロトに関するものだ。

インタビュアーのKは京都の有名大学卒で、同じ大学出身の芥川賞作家H氏とは、オレの馴染みの店のバイト仲間でもあった。確か工学部だったKは、卒業後は S社に入社したが、H氏がS社にデビュー作を持ち込んだとき、すでに社を退職していたので、H氏の偉大さの実感が湧かないのだろう。

それに比べて三文私大で近代日本文学を専攻したオレは、純文学の旗手としてのH氏を、年齢の差を超え敬拝している。将来は近・現代文学の世界で学問的研究の対象とされるやも知れず、そうとなれば、彼とのメールのやり取りも作家論に必要な第一級資料となるのだ。学生時代、筒井康隆を卒論に取り上げようとした同級生は、担当教官から「大衆文学だから」との理由で却下されてしまったが、S社が三島由紀夫の再来と謳うH氏は、誰もが認める純文学の作家なのだ。

それらを懇々とKに説明すると、彼は神妙に「じゃぁ、Hのあんな話も、こんな話も、研究対象になる可能性があるのですね」と海を越えた電話口で頷いた。「うむ、オレの知るこんな話やあんな話も、書簡(メール)となって残っていれば大切なのだ」と応えたが、はて、最近はH氏の名聞に気圧されメールを出していない。H氏とのやり取りが一番面白かった頃のマックがクラッシュしてしまい、証拠となる、いや、資料となるメールはほとんどないのではないか。

いやいや、そういうことではない。ヒロトやH氏に限らず、知り合いの著名人よりも、表現者としてのオレ自体が評価対象にならなければいけないことに気が付き、しばし虚しくなって電話を切る。

インタビュー(あくまでヒロト話での)掲載の「ミュージック・マガジン」は10/20発売です。


2008年10月6日(月曜日)

アーティスでビリー(3日)とニック(6日)の誕生会。

主賓の一人であるビリーの姿が見えず、前半はニックのみがバースディ・ボーイとしてもてはやされる。一セット目の終わった午後11時半を過ぎてビリー入店。おいおいおやじ、一体どこへ行ってた!

「へへへ、ファンから誕生日のプレゼントにコンサート・チケット貰っちゃってさ。良かったよぉ」
「誰の?」
「ティナ・ターナーの」
「へっ!?」

大将がティナのショウ・・・。

そういや大昔、シカゴであったティナのコンサートを観に来たデビッド・ボウイが、たまたまヴァレリー・ウェリントンの演奏する"B.L.U.E.S."に姿を見せたこともあった。

そのヴァレリーは「単独の仕事が入ったから」とオレたちを騙し、レギュラー出演していた「ブルー・シカゴ」に代役(ゾラ・ヤング)を立て、当時全盛だったマイケル某を観に行っていた。ビリーとヴァレリーは兄妹のような関係だったので、似たような思考を巡らすのだろう。

しかし、宣言して堂々と遅刻した大将と、こそこそと行ったヴァレリーでは、リーダーとメンバーの力関係は微妙に異なる。ただ、ビリーもバツが悪いと感じたのか、これまた微妙な色をギャラに付けてくれていたのが憎めない。


2008年10月8日(水曜日)

8月のフィルの葬儀(2008年8月26日参照)のとき、声を掛けてきた見知らぬ初老の黒人男性がいた。「私もインディアナでピアノの弾き語りをしてるんだが、君の曲 "Windy City"を唄っても良いかな?」と、とんでもないことを頼む。(たとえ名の知れた人でなくても、オレが書いた曲を気に入って、演りたいと言ってくれたのは嬉しい)と感激したのを忘れていた。

その人から、"Windy City"のコードを教えてくれというメールが入った。「"Windy City"の歌詞は分からないが、原曲の味を損なわないように仕上げるつもりだから」と言う。おいおい、歌詞の中身を説明させろよ、と大人げない態度は取らず、丁寧に進行を記して返信する。

男性がオレの曲で有名にならないだろうかとか、印税がとか不遜なことは露ほども思わない。ただ、自分の曲をブルースマンがどう演奏してくれるのか、それだけが楽しみである。まぁ、これまでの経験から、その日が来ることも期待してはいないが。


2008年10月11日(土曜日)

キングストン・マインズでSOB。

休憩に喫煙しようと表へ出ると、黒いワンピースの若く綺麗な女性が寄ってきて握手を求めた。傍らには、彼氏らしきスマートな男性が柔らかく微笑み、彼女を誇らしげに見つめている。「あなたの演奏、素敵よ」。本心でもお世辞でも、映画スターのようなカップルと向き合うと気後れしてしまい、そんな言葉は露と消えてしまう。気付くと女性は片手にハイヒールの靴を持ち、裸足であった。

通りの向こうの老舗クラブ、"B.L.U.E.S."へ寄って時間をつぶし、マインズのそばまで来ると、ラテン系の兄ちゃんが壁にもたれて煙草を吹かしていた。彼はオレの反対側に首を少し傾け、「カアァッ、ペェッ!」と痰を吐くと、その反動で振り向いた。その途端、曲げて踵を壁に引き寄せた右足がオレの通行の邪魔になると気付き、「すみません」と言うと、身体と同時に足を伸ばす。外見とは違う丁寧な物言いに戸惑いながら、痰の行方を気にして前を過ぎようとしたら、「キャアー」という嬌声が近付いてきた。さきほどの黒いワンピースの女性が、男性の手を引きあちらから歩み来る。

「また会ったわねぇー」と言われても、オレは休憩が終わって職場に戻るところで、それよりも、彼女がちゃんと靴を履いているかどうかと、兄ちゃんの吐いた痰の位置を確認することで精一杯・・・。

ヌチャッ!

オレの「目」にはそう聞き取れた。


2008年10月14日(火曜日)

去年の夏以来「ばけいしょん」をしていなかったので、月曜のアーティスを休んで一泊二日の家族旅行。シカゴから北へ車で3時間半の所に在る、ウイスコンシン・デルズへ。

先週のマインズでビリーに「家族休暇のため月曜は休みたい」と頼むと、「おうおう、家族サービスは大切だ、是非休みを取れ」と快諾してくれた。アメリカ人にとって家族が一番は、基本中の了解事項。組織優先の日本とは真逆の価値観なのだ。

12月で4歳になる愛息子のためだけを考え、巨大な屋内プール施設を3棟も持つホテルの、暖炉付きリビングにフルキッチンの2ベッドルームを予約した。

この地域には、厳寒の冬でも遊べるように、サーフィンの出来る波や、コースター、回廊、ジャングル、滝など、様々なアトラクションの室内プールを、何種類も備えた巨大レジャー・ホテルが林立していて、どの施設もチェックイン前・チェックアウト後の両終日、利用できるのだ。

そして本格的プールが初体験の我が子は、圧倒する水量に怯え、肩まで浸かることすら拒み続けた。その後の本格的ゴーカートでは、「もっと早く、もっと早く」と、スピン間際までオレを追いつめる。ゴーカートはオレも大好きだけれど、別にここでなくても・・・。希美人君、お父ちゃんの意を汲んで、もうちょっとプールを楽しんでね。


2008年10月18日(土曜日)

敬愛するギタリストの塩次伸二さんが急逝された。先月の飛田さんといい言葉が出てこない。遠いところに居て実感がない分、あとでジワジワと悲しみが湧き出てくる気がする。直ぐにニューオリンズの山岸さんへ電話したが、話が続かない。オレよりずっと衝撃があったはずの山岸さんと、ちゃんとした言葉で向き合いたかったのに、混乱した口から出るのは余計なことばかりで、山岸さんには嫌な思いをさせてしまったと自分に腹を立てた。

夜のSOBとのロザでの演奏は、オレの伸ちゃんへの想いと、山岸さんとの電話の反省が、二重の重しとなって指の頭(こうべ)を垂らさせていた。


2008年10月21日(火曜日)

スイング&ロカビリーのモリーとSP20sのみなさま、3連ちゃんの美味しいパーティ仕事をありがとうございました。月曜は早い上がりでアーティスにも間に合いましたし、お陰で、私の懐は一杯になりました。


2008年10月25日(土曜日)

昼間、デルマーク・レコードのスタジオで、シロタップのロブ("Rob Bline"2004年4月29日参照)のソロ・アルバム(別にデルマークから出るわけではない)のレコーディング。

カルロス・ジョンソンのCDに参加したドラムのジェームス・ノイールに、2002年のオーティス・クレイ日本公演のベース(元タイロン・ディヴィス)のジュワン。今日は一曲だけだったが、刺激のあるセッションだった。


2008年10月31日(金曜日)

普段は金・土の両日ブッキングされるキングストン・マインズでのSOBだが、何故に今日は一日だけ?そして三週間前の週末にも演ったのに、何故にこれほど間が短いの?それは、今日がハロウィンの日だから。

ローザス・ラウンジから徒歩一分の所に一軒家を買ったばかりで、その後直ぐガールフレンドをふったギターのダン君はクールを装っているのから、多分、何も用意してないだろうし、オレは彼のために大きなウサギの耳を用意していた。

ビリーと彼女は想像通り、何故そう想像したかは分からないのだが、お揃いの海賊船長の衣装をきて現れた。別に、紙袋の中に宇宙人のフルフェイスのマスクも入れていたが、被るとハーモニカを吹けないのは誰もが承知のことなので、誰かにお仕着せようとしていたのかも知れない。

予想に反して、ベースのニックが芸なく手ぶらなのは許せない。マイペースなモーズが何もしないのは分かるが、せっかくオレがその気になったのは、当然ニックも何かしら仮装すると信じていたからだ。

再三の説得にも応じず、結局ダン君はウサギになることを拒否していたから、これでは、真っ赤な上着に真っ赤な海賊帽子のビリーがステージに上がるまでの20分余り、オレだけが「いちびり」になってしまう。

大体、出っ歯のウサギの口元を付けただけで、オレは家人からも嘲笑の的になったため、ハンチングに伊達眼鏡で顔全体を隠す作戦に出た。ところが、ハンチングだけで「おっ、アリヨか、分からなかった。誰の仮装?」とセキュリティに言われ、伊達をかけたら掛けたで、「その眼鏡、よくお似合いよ、可愛い」と常連客から褒められると、普段のオレは一体どう見られているのか不安になる。こりゃ出っ歯も付け時が大変だなと考え、ステージへ上がってから付けることにした。

さて、いよいよ始まる段になると、こういった自己主張する経験があまりない悲しさから、なかなか勇気が湧いてこない。司会のフランクがマイクでがなり出した頃、ようやく意を決して客席に背を向け、こそこそと出っ歯を付けた。そのこそこそさ加減が、われながら侘しいことこの上ない。ところが、マスクに近い変装は、別の効果をもたらした。

おお、こりゃ別人になった気分だ、正に変身じゃわい。これなら裸踊りも出来よう勢いじゃ。口をぱくぱくさせると、それを横目で見ていたダン君が大口を開けて爆発した。顔見知りのカメラマンはさっそく近くへ寄ってくると、パシャパシャと接写の音を響かせた。前列の客も負けじとカメラの放列が続く。

しかしその後は、一度ビリーがちらりと見て微笑んだだけで、誰にも(ステージ上で)触られず、何とか一時間の我慢をしてみたものの、頬を引きつらせるゴムの痕が痛むのみで、もう金輪際このようなバカげたことに手を染めるのはよそうと心に決めた。