傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 52 [ 2007年2月 ]


Rosa's Lounge
Photo by Ariyo

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2007年2月3日(土曜日)

ビリーたちとローザス・ラウンジでの週末ライブ。久し振りに自作の"Windy City"を唄う。

♪ミシガンの風ひと吹き 息も凍てつく♪

吐く息がタバコの煙のように白く長く宙を漂う。誰かが『例年のシカゴに戻っただけだよ』と言った。凍てついた深夜の街の温度計はマイナス21℃を示している。そして風の吹いたときの体感温度(Wind Chill)・・・マイナス32℃。


2007年2月5日(日曜日)

今日の最高気温マイナス15℃。息を吸うと一瞬で鼻中の水分が凍ってチリチリする。

全米スポーツ界最大の祭典、スーパーボールの日曜日。シカゴ・ベアーズが85年シーズン以来の進出のため、街は極寒にも包まれ深閑としている。スポーツに、特にアメリカン・フットボールに興味のない人にはチンプンカンプンだろうが、シカゴ在住の者には一大事なのだ。

最初の30分間、どうしても済ませなければならない所用のため、オレは車のラジオで中継を聴いていた。

おお!、いきなりキック・オフ・リターンでシカゴ、タッチダウン!くわっ、マニングはさすがに活躍するなぁ、いきなり返すか・・・んん、キック外させたぁ、エエぞぉ。ええ!?インターセプトぉ?誰がぁ?聴き逃したけど、誰か走っとる走っとる、ゴール数メートル前でタックル、キャアー!次のプレィ・・・おお、タッチダウン・パス!フォッフォッフォオ!早くおウチ戻ってテレビ観たい!

ようやくアパートへ帰ってテレビ前に正座。

おいおい、ぼっちゃんQBのグロスマンよ、すこしはマニングを見習え、へろっ?ディフェンス・ライン何しとる、走られとるやないか、あっ、逆転・・・。

んん、ハーフタイム・ショウはプリンスかぁ。雨に濡れて、ナルシスト振りが際立つなぁ、パープル・レインが似合ってる。それにしても、ブラス・バンドとのリハは誰がプロデュースしたのか、アレンジとか憶えるの大変やったろうな。って、まだまだ2点差、イケルよ、これからよ、これから。

おいおい、グロスマン、何ボール落としてんねん!雨ぇ、ケッ、そんなもん言い訳すんな、マニングは落ち着いとるやん、あっ、こらっ、転けるな!ひとりで転けてどうすんねん、もう、全然イイとこないやん、折角テレビ観とんにゃ、こっちは。そうそう、デフェンス頑張ってる、頑張ってる、って、おいおい、パス・ディフェンス、何そんなショート通させて、もう。そこで1stダウン更新させてどうすんの。よしよし、フィールド・ゴールだけで抑えたから、次オフェンス頑張ってね。あっ、グロ、またボール落とした!ボケェッ!クフっ、まだまだ時間あるよぉ、次ディフェンス頑張ってぇ。そうそう、フィールド・ゴールだけで抑えたから・・・んん、ジワジワ離されとるなぁ、よしグロ、お前捨て身になれ!真ん前オープンやんけ、おのれが走れぇっ、そこで横にパスしてどないすんねん。まぁ、次いこか、次。こらっ、そんな気のないパスでエエんかぁあああって、インターセプト、ほら、止めろ止めろ、止まれこらあっ、あああ、タッチダウン・・・。

ふううう、よしっ、早い目にひとつ返して、気を取り直して、何とか時間は残ってるから。おお、そこで4thダウン・ギャンブルに出るか、おお!パス通った、って何で落とすの、えっ、ターン・オーバーぁ?終わった、はい、もう終わりました。はぁ、まだ早いけど寝よ寝よ。


2007年2月12日(月曜日)

帰国(2007年1月12日参照)のため、もうすぐアパートを出ねばならないのに雪が降っている。予報では数センチといってたのに、もっと積もってるように見える。飛行機、遅れなきゃ良いけれど。

そういうことで来週には戻りますが、更新の進まない日記はもっとゆっくりになりますので、何卒ご理解のほど云々・・・。


2007年2月20日(火曜日)

僅か一週間だったが、ずっと京都の実家に泊まることができた。

シカゴのアパートを出たときには厚着をしていて、日本へ着くと重いコートが邪魔で仕方ない。成田での乗り換え時に空港の外へ出てタバコを吸うが、そのコートをどこかへ置いていきたいほど祖国の冬は暖かかった。

帰郷の翌日から講演、演奏、レッスンと続くが、その合間を縫っては日用品や服、本などを買い求める。短期の滞在に大型スーツケースを持っていた甲斐があり、出国時には、航空会社の預け入れ荷物重量オーバーとなる買い出しの旅でもあった。

枚方市での講演は、平日昼間で雨にもかかわらず大勢の方が来聴してくださった。自分の生き様と少しの感想を話しただけなのに時間が足りず、後半は端折って話を急進・転させたことが悔やまれる。質問コーナーを含め2時間の間、実演奏は5分だけという、久し振りの「ひとり喋り」の場で時間配分を狂わせたのは、準備不足のせいだけだとは言い難い。シカゴを出立前に慌てて作ったレジュメもほとんど見なかった。壇上の机の上に置かれた水にも手をつけず、ずっと立ちっぱなしで語り続けていたのは、「流れ」を止めたくないというライブ演奏の感覚のまま「講演」に臨んだ、経験不足による焦りが現れている。

それでもアンケートによると、来場者のほとんどの方が楽しみ、満足されていたようで胸を撫で下ろす。6年越しで声を掛け、今回の講演会を実現させてくださった枚方市民ギャラリーの野田さんをはじめ、関係者の方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。


2007年2月23日(金曜日)

世界的な食品会社である"KRAFT"の本社でお昼のパーティ演奏。

午前中の早い時間に、"Blues Hip Hop Experience"(ビリーとその一味に加え、若いヒップホップ・ミュージシャンたちが集うパッケージショウ。オレからすれば、音楽的にかなり無理がある・・・2005年11月10日参照)のグループでリハーサルを行い、その後すぐに本番。

いつものように、チャンネル11のプロデューサーのS女史は、番組制作並み(つまり本番での秒刻みの進行)に神経質な指示を出すが、大将のビリーが他人の曲のコードや進行を理解できないため、技術的なことはオレが仕切らねばならなかったりする。ビリーの名誉のために説明するが、それは決して彼の音楽性を表しているのではない。伴奏楽器ではなくソロ楽器であるハーモニカの特性なのだ。

しかしオレがパスした過日の一回目のリハーサルで、みんなは何を確認(練習)していたのだろう?当日リハでは、音源をもらって譜面に起こしていたオレを頼りに、ステージ隅の奥に引っ込んでいるキーボードを全員が注視する。

大体、人様に自作曲を演奏してもらうのに、譜面のないのは仕方ない(大抵読めないものね)にしても、リードするだけの言葉や音楽的知識すらないまま、ただ歌だけを唄って、これを伴奏せよとは、ほとんど口承文化で、譜面などの必要のないブルースの世界のみで生きてきたウチのメンバーに恥をかかせる気なのか?でもみんなは彼らの「打ち込みCD(コンピューターなどで制作)」を聴いているはずだし・・・。

本番中、オレが渡した簡単なコード譜から目を離さず、それでもとちりまくっていたベースのニックはともかく、どブルース一本やりのこの日のギタリストであった"Doktu Rhute Muuzic"(最近"Roy Hytower"を改名)に、『フラット・ファイブのコードは、こことここを押さえて、いや違う、人差し指はこっちで・・・いや、中指はこっちの弦、あっ、その弦は弾かなくて・・・』と、おこがましくも指導していたオレの奮闘が虚しい。

二本立てとなった夜のサウス・サイドの怪しげなクラブの宴会仕事で、「知ってる」いつもの曲を嬉々として演奏するみんなの姿を見て、オレはいよいよ虚しくなっていった。 


2007年2月26日(月曜日)

歴史教師でもあるハーモニカのロブ・ストーンが勤める高校(2006年1月27日参照)で演奏。ほとんどが早いスイングの曲で、アップライト・ベースもロカビリーで楽しい。

でも朝が早かった(午前10時現場入り)のと、生のグランドピアノなのに大した音響設備がないため叩きまくり疲れた。

昼過ぎには終わり、一旦ウチへ戻って夕方まで寝て出張レッスンのあとアーティスへ。今日もよく働きました。