傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 37 [ 2005年11月 ]


Night view from John Hancock
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2005年11月3日(木曜日)

ロザのドアマンのジョーが、『最近のアリヨは、いつも疲れてるように見えるね』と言った。

10月の休みは7日間あったが、もうすぐ切れるビザの更新手続きに翻弄されていた。その上、毎週のように来駕する個人的な客の相手などで、一日は瞬く間に過ぎていく。日記で伝えたいことは山ほどあるのに、筆(タイプ)が進むどころかメールの返信さえ滞りがちで、マックの前に座ること自体が苦痛になっていた。

MLBのシカゴ・ホワイトソックスの快進撃にも、去年のボストン・レッドソックスのときのような、劇的な心の震え(2004年10月28日参照)は感じない。我が阪神タイガースがロッテに"Sweep"(ホウキでさっと掃き去られるように、一度も負けず全勝すること)されたからかも知れないが、市民の様相とは温度差がある、どこかチグハグなマスコミの報道に醒めていたような気もする。

2年前のシカゴ・カブスの悪夢(2003年10月15日)は、街全体が盛り上がっていたからこそ、それが「祟り」として人々の俎上に載る。やはりシカゴは「カブス・タウン」であり、ホワイトソックスが「第二球団」の観は否めない。確かに上辺はホワイトソックス一色だったが、大半はオレのような俄ファンに過ぎず、単に地元への親しみから応援していたのだろう。球団の本拠地である、サウスサイドの小さなスポーツバーを取材する光景も、そこへ集うファンの人数が侘びしく、伝える言葉と映し出される質量感のギャップが浮き彫りにされてしまう。

ヒューストン・アストロズとの最終戦の日はジェネシスで仕事をしていた。勝ちが見えた午後11時、オーナーはバンドの演奏を止(と)めさせ店を暗くする。プロジェクターから映し出された大きなスクリーンで、いつもより少ない20人ほどの客たちと一緒に、最後の瞬間を楽しんだ。しかし、人々の大きくも短い拍手は、予定調和の結果に安心した程度の反応としか映らない。

もっとも、その頃ロザには4人の客しかいなかったらしいが、この日ばかりはどこかでテレビ観戦をするというのは、歴史的瞬間を確かめたいという物珍しさの意味合いが強そうだ。

2時間後には、帰り道であるソックスのホーム(U.S.セルラーフィールド)沿いの高速を通っていた。敵地での優勝決定という喜びのハンデはあるにしても、88年振りの優勝を祝って通りに繰り出す人々は、意外なほど少ない。

地元TV局の全てが中継した二日後のパレードも、夜の仕事を気にしながらずっと観ていた。セレモニーが催されるダウンタウンは、さすがに人の波が押し寄せていたが、発表された人出が20数万人とは寂しい限りだ。パレードのコースの近所に住む歌手のアル・トーマスは、カメラを持ち沿道で待っていたらしい。そして出迎える人があまりにも少ないためか、選手たちを乗せた2階建てバスはあっという間に走り去って行ったと言う。

アナウンサーの誰かが、85年シーズンのNFL(アメリカン・フットボール)シカゴ・ベアーズの優勝パレードは、マイナス20℃の寒風の中、65万人が繰り出したと言っている。あのときは本当に街中が沸いていた。美術館前の大きなニ体のライオン像の頭には、ベアーズの特注ヘルメットが被せられていたし、当時所属していたバレリー・ウェリントン・バンドも、試合が終わるまでは演奏を始めなかった。マイケル・ジョーダンが初めてタイトルを獲得したバスケットのブルズの優勝時は、暴動になりかねない人出だった。

日本人スポーツライターのひとりが、『ホワイトソックスは、全国的な人気が出ないんですよね』と言っていたのを思い出す。それは日本のマスコミに対しても同様なのだろう。スーパースター不在の地味なチームで、まだセカンドに井口がいるから日本へも詳しく報道してもらえるが、ソックスファンの掲げたボード、"Sweet HomeChicago"をもじった、"Sweep Home Chicago"を説明した日本のマスコミはあったのだろうか?

「井口ありがとう」と日本語で記されたボードが映し出される。アナウンサーは、『なんと書いてあるのか分かりませんが、ナンバー15だからタダヒトのことには間違いありません』と紹介した。井口の「井」の下に小さく15の数字が見える。井桁はアメリカ人にナンバーの略と読み取れるから、それを掛けた人はエライと思うが、日本のマスコミはトピックスとして拾ったのだろうか?

熱狂的なカブス・ファン(2004年10月28日参照)である、老舗クラブ "B.L.U.E.S."のオーナーのロバートに『今年はさすがにソックスを応援したでしょう?』と訊いてみた。ホワイトソックスのワールドシリーズ進出が決まったとき、ファンのひとりが取材のテレビカメラに向かい『ようこそカブス・ファンのみなさん』と言っていたからだ。いつもと変わらぬ穏やかな笑顔でロバートは応じた。

『いいや、逆にヒューストンを応援していたよ。というか、シリーズには興味なかったね』
『えっ!?そうなんですか?』
『純粋なカブス・ファンはそういうものだよ』
『なるほど。でも去年がボストン(86年)、今年がソックス(88年)と、長く優勝していないチームベスト3.2位が続きました。順番でいけば来年じゃないですか?』
『ふふふ・・・そうかも知れないが』
『カブスは何年優勝してないんでしたっけ?』
『あっ、それは数えたくないの!』

オレより年上であるロバートは、その人生でカブスの優勝を祝うという経験をしたことがない。筋金入りのカブス・ファンであるロバートはファンとしての誇り高く、静かに待っている。彼には「いつか来るお祭り」を待つ楽しみがあるのだ。

85年の阪神タイガースの優勝をシカゴに住んでいて見逃したとき、生きている間に一度は目の当たりにしたいと願っていたら、一昨年、今年とリーグ優勝をしてしまい常勝の勢いではないか「阪神半疑」と揶揄された頃が夢のようだが、オレはいまだに「祭り」を体験できないでいる。今の生活を考えれば仕方ないにしても、何かに熱狂できるロバートが羨ましかった。

スポーツ少年だった頃の面影はなく、最近は棋友を失って以来将棋にも情熱をなくし、時間と金に余裕がなく旅行することもままならず、目は悪くなり本を読むことが億劫で、歯が悪くなって食べ物が制限され、そして肝心の音楽が「お仕事」になってしまっている。疲れや何かを言い訳にしてはいないだろうか?去年の同じ頃の感動を忘れてはいないだろうか?2004年10月28日の日記が再びオレに問いかける。

『お前はブルースが大好きで、演奏を本当に楽しんでいるのか?』


2005年11月4日(金曜日)

久し振りの3連休の初日。所用から戻り、近所の韓国食料品店で買った安物の「ポッカ」缶コーヒー(約70円)を右手に持って、のんびりと車から降りた。あんなに気を付けていたのに、ドアを閉めようとした瞬間、身体に帯電していた静電気が放電し、反射的に左手は20センチほど飛び跳ね、反動でポッカ缶を持つ手も震えた。そしてオレは顔から肩、胸、腕にかけて茶色い液体を引っ被っていた。


2005年11月10日(木曜日)

マネージャーのM女史から渡されていたSOBのスケジュール表には、今日の昼過ぎより、ダウンタウンの湖沿いに在るWBEZ(91.5FM)のスタジオで、チャンネル11用の撮影と録音とあった。「白いものや反射しやすいものは着用しないこと」との註から、撮影に重点が置かれるのは間違いない。いよいよ例の番組の録(と)りかと喜んだ。

オレたちがホストバンドをする予定のチャンネル11の番組、「ビリー・ブランチのブルース・ジャム」は、スポンサーが付かず一向に始まらなかった。オープニングに流すジングル(テーマ曲)作りをビリーから急かされ、ドラムマシン以外のすべてのパートをオレひとりで演奏し、CD録音(カラオケ)したのが今年の3月。ところが彼の唄録りすら終わっていない。ほとんど寄付だけで運営する弱小テレビ局なので仕方がないが、NHK第二のように一定の公共性があるのだから、視聴率は悪くとも自治体がもっと補助するべきなのだろう。

FM局入りして広いスタジオへ通され顔を傾げた。スタインウエイのフルコンサート用グランドピアノがあるのは嬉しいが、レコーディング用に配置(輪になる)されていてテレビカメラが見当たらない。いや、隅にビデオカメラが一台置かれている。ふむ・・・ワタシ、今日はワックスを多い目に頭へ塗り付け、髪の毛をビンビン立てて来たんですけど・・・。

M女史の説明はいつも足りないのだ。番組を始められないことに業を煮やしたプロデューサーのシルビアは、公共ラジオ局を巻き込み、そのスタジオで先行録音して寄付金募りに役立てたい、つまりはラジオでのプロモーション録音だったようだ。そしてビデオでドキュメンタリーにするという。

あの註は何?撮影が重点と違うの?えっ!?何ですか、その大きなヘッドフォンは?それがないと音が良く聴こえない?いえ、だからアタシは今日髪の毛を・・・。

何の用か、3人もいるカメラマンが近くへ寄ってはシャッターをバチバチしていく。そのひとりは、立ち上がった髪の毛がヘッドフォンで帯状に押さえつけられているオレの頭を見て笑う。一台きりのビデオカメラはどこで誰が回しているか分からなかった。

休憩中トイレで鏡を見ると、威嚇する孔雀の後ろ姿が顔面の上方に認められた。慌てて手をネチャネチャにしながら、寝た毛を懸命に起こす。今晩ロザに出演する頃には、きっと中途半端な立ち具合にしかならないだろうと考えると、ひどく憂鬱になっていった。


2005年11月11日(金曜日)

SOBでダウンタウンの豪華なシェラトンホテルの宴会仕事。

ダウンタウンの駐車事情は悲惨で、どこかへ正規に入れると$30近く飛ぶことを覚悟せねばならない。おまけに搬入口から会場まで遠いことも考慮すると、短時間でお金になるパーティだと一概には喜べない。ビリーからは「機材入れの方法はドアマンに訊け」と言われていたので、シェラトンの瀟洒なエントランスへマキシマを乗り付けた。大袈裟な制服を着た初老のドアマンがニコニコと寄ってくる。

『お泊まりでしょうか?』
『いえ、2階の宴会場で演奏するバンドのメンバーですが、搬入はどうしたら良いでしょうか?』
『ああ、ミュージシャンね。駐車係りへ車を預ける(Valet Parking)かい?』
『できれば割高のValetは利用したくないんですが・・・』
『良かったら私が$15で預ってあげるけど、どうかね?』
『えっ!?$15ですか?』
『そう、ワン、ファイブ。ほらっ、そこの車もミュージシャンのだよ』

ほんの入口脇に、ベースのニックのワインレッドのRVが停められている。こりゃ搬入も楽そうだし、$15は割安感がある。

『是非お願いします』
『了解ぃ!機材は多いの?じゃ、カート(台車)を取ってきてあげる』

ホテルの大きなカートならオレの機材が一度で運べる。ドアマンはカートへの積み込みも手伝ってくれた。

会場にはモーズが一番乗りしたらしく、黙々とドラムを組み立てていた。車を持っていない彼は、どうせ友達に送ってもらっただろうから、面倒な駐車のことを気にしないで良い。しかしその分、人に気を遣わねばならないから、モーズはモーズで苦労している。

ニックに『表のドアマンが預ってくれたから、駐車代は$10で済んだ』と嘘を言うと、彼は悲しそうな顔をして『$10・・・』と呟いた。こいつが悲しそうにすると、周りの同情を誘う特別な雰囲気を醸し出す。肩をガクッと落とし、2-3メートル前をぼんやり見つめる表情は、奴隷時代から続くアフリカ系への不条理な仕打ちに、怒りもせず物も言わず、ただじっと耐えて禍(わざわ)いが過ぎ去っていくことだけを待つしか術(すべ)のない、諦めと苦悩に満ちている。ニックがそこまで意識しているとは思えないが、結構運良く生きて来たらしい生い立ちを考えると、アフリカ系特有の痛みがどれほど堆積しているか怪しいものだ。得なキャラクターであることには変わりない。『嘘、アンタと同じ$15。ニックの車、玄関の真ん前に置いてたの見たよ』と訂正すると、嬉しそうに笑った。

間もなく到着した大将は、オレたちに会うなり『お前らみんなドアマンに車を預けたのか?$15なら手頃だな』と言った。続いて姿を見せた丸山さんも預けていた。『ドアマンから内緒事のように、"OK, This is a deal..."って交渉されなかった?』と彼に尋ねると、『いえ、いきなり「$15で預るよ」って言われました。彼のポケットにそのまま入るんでしょう』と訳知り顔で応える。

休憩中にタバコを吸うため外へ出ると、オレの車は車寄せの端の方へ停められているのが見えた。ビリーや丸山さんの車もその近くにある。規則に縛られ、上部に対して盲従しがちな日本人とは違い、自分の裁量で適当に対応するアメリカ人の気質は、利用する側にとっては時に便利だが、何か問題が起り責任が問われると必ず逃げ出す。

マキシマのキーを渡しながらドアマンに駐車代を支払うとき、$15丁度を持っていたにもかかわらず、釣りがあるかどうかをわざと尋ねた。彼が即座に『イエス』と応えポケットから現金を取り出したのは、常態化している証明である。ホテル側はある程度黙認しているのだろうが、正規の駐車場に係員も配置された、高級の部類に入るシェラトン・ホテルのドアマンの副業はみっともないことだろう。同じ玄関で待機する駐車係が知らないはずもなく、彼らも分け前を渡されているに違いない。

オレは何も、本来駐車代金として納入される金を横領する背進行為を告発したいのではない。シェラトンの従業員でさえ見せる気安さとしたたかさに、アメリカ人の仕事に対する忠誠心の脆弱さを感じるのだ。

搬出時間には、メンバー各々の車は入口の真ん前に揃えられていた。車上荒らしや接触事故などが起きない限り、ドアマンの所業は表沙汰にならないだろう。もしそうなれば、ホテル側は彼らを切って捨てるだけだ。SOBからだけで$60を得て、愛想良く見送るドアマンに挨拶をしながら、あまり派手に副業を広げないで欲しいと願った。


2005年11月12日(土曜日)

朝から空はぐずつき、SOBが演奏するB.L.U.E.S.へ出かける頃には結構強い風雨になっていた。ダウンタウンではないが、駐車事情の悪いこの地域へ行くときは早い目に出発をする。運良く店から一ブロックのところに停めることが出来たが、あまりにも早く駐車出来たので、開演まで1時間以上も時間を余してしまった。

B.L.U.E.S.や向いのキングストン・マインズなど駐車に混み合う地域では、週末には外注の駐車係員(Valet Parking)が派遣されている。車内で時間を潰し店まで戻って来ると、顔見知りの駐車係りが傘を差して立っていた。来週は寒くなりそうだが、今晩は今晩で雨が強いから大変だろう。ニ度目の休憩中に外へ出ると雨は止んでいた。忙しい谷間なのか、所在なげな駐車係りが寄ってくる。

『調子はどう?』
『良いね、こんな天候の日はみんなValetを利用するから忙しいよ』
『会社自前の駐車場が近くにあるんだろ、でもそこが満杯になったらどうするの?』
『結構広いから滅多に一杯にはならないけど、ここにずっと立ってるから、出ていく車を見付けたら、そこへ車止め(赤い三角錐の物)を置いて確保するね。ほらっ、向いのあれはビリーの車でその後ろがニック。ギターの日本人のトヨタはちょっと離れた所へ停めたんだ』
『えっ!?ギターの車は銀色のホンダでしょ?』
『いや、銀色だけどトヨタだったよ、ほらっ、これが彼のキー、TOYOTAのキーだろ』

メキシカンの彼がズボンのポケットから取り出したキーには、TOYOTAと確かに刻印されている。丸山さんはギリギリで搬入してきたが、事情があって誰かに借りたのかも知れない。

『でも路上に停めてて、車上荒らしとか接触事故とか、何か問題が起きたらどうするの?』
『大丈夫、ほらっ、この預り証に保険が付いてるから、オレたちが自腹を切ることはないよ』

彼は胸ポケットからチケットのようなものを取り出して見せ

『ああ、そういや昨日シェラトンでね(2005年11月11日参照)・・・何かあったときどーするのかねぇ』
『・・・』

ステージ脇で丸山さんに『今日ホンダには乗って来なかったの?』と、係員との会話を説明すると、彼は慌てて人込みをかき分け入口へ飛んで行った。

『あいつ、僕の車と誰かの車を間違えてました。きっとその人にもチケット渡してませんよ』

戻って来た丸山さんが説明する。

『えっ、丸山さんチケットもらってないの?』
『結構チケットなしのとき多いですよ』

そうかそうか、駐車係りの会社の駐車場には別の係員がいて、チケットの半券と共に車の鍵も保管する。彼のズボンのポケットに入っていたキーはチケットなしのキーで、『これがビリーの車の鍵でこれがニックの・・・』と、オレにわざわざ見せた数がそのまま彼の現金収入になるということなのだ。

彼は時給$6で頑張っているが、チップは大抵$1-2なので、クラブが営業している一晩中(6時間)働いても$50に満たないだろう。ここの駐車料金は$8だから、オレと車を持っていないモーズを除くSOB、丸山さんと間違えたTOYOTAで$32余計に稼ぐこととなる。いや、その上まだ別の「顧客」がいたかも知れない。昨日の話をしたときの駐車係りの反応を思い出して、オレは苦笑した。

しかし、シェラトンのドアマンと週末だけの駐車係りとでは、境遇が違い過ぎる。背に腹変えられぬシェラトンは仕方ないが、たまにはここでもValetを利用してやろうかと考え始めていた。


2005年11月15日(火曜日)

演奏開始が午後7時と早い目の時間に、"House of Blues" でハーモニカのロブ・ストーンとパーティの仕事。いつものように駐車係りへ車を預け、渡されたチケットに割り引き証明となる判子を店の人からもらっていると、ロブが『悪い知らせがあるんだ』と言ってきた。『もう出演者割り引きは効かない・・・』

$10の割り引きだったが悲しい。そして、高だか$10の割り引きに悲しむオレが悲しい・・・。


2005年11月16日(水曜日)

ブルッ・・・ジェネシスの帰り道、街のそこここで見掛ける気温の電光掲示板は、マイナス7℃を表示している。まだ真冬とは呼べぬ、油断していた。今晩のオレは薄いシャツとコートのみ・・・ブルッ。


2005年11月28日(月曜日)

先週は気温がぐんと上がって、昨日など昼間は10℃以上になっていた。今日の夜からまた氷点下へと向かっている。

アーティスからの帰り道のフリーウエイ、みぞれ混じりの冷たい雨が路面を濡らして滑り易い。ダウンタウン近くへ来て大渋滞に巻き込まれた。午前3時にもなってこの混みようは、深夜の工事か事故に違いない。大型のトラックが列をなして動かず、その隙間をぬって少しでも進む車線へ移動する。行く先には何台ものパトカーが停まって出口へと誘導していた。

ようやく狭い迂回路を抜けて、通行止めにされている現場の上を横切る橋へ出ると、数十台の車が腰ほどの高さの水に浸かっているのが見えた。逃げる間もなく身動きできない状態に陥っているのは、川をせき止めている何かが突然決壊したとしか考えられない。今年米南部を襲った大型台風を思い出し、不吉な予感に肌がざわめき始めた。

大通りのアシュランドを北上しても、道ゆく車はほとんど見掛けない。やがて同じフリーウエイに戻ると、緩やかなカーブの先で、壁に対して直角に停まっている乗用車が目に入った。近付くと後部が大破していて、中にはまだ人が乗っている。一瞬速度を落としたが、運転席では携帯を使っている気配がしたのでそのまま通り過ぎた。しかし、髪の毛が逆立ち始める予感をぬぐい去ることはできない。

それでも自宅近くのガソリン・スタンドへ立ち寄った。原油価格が下がり始めたといっても、まだ一リットル当たり$0.6(約70円)もする。大手石油会社のトップが10-20億円余りの年俸をせしめていることを考えると、何とも腹立たしい。少しでも安いスタンドを利用する消費者を慮(おもんぱか)れば、そんな金額を得ること自体、罪悪感が生じようが、彼らはそんな風に育ってはいまい。それは我が祖国の金融相の目指す理想社会だそうだが、日本では巧妙に貧富の差を隠しているので、その極みが歴然とするアメリカの現実に生活していると、坊ちゃん顔の大臣が悪魔か詐欺師に思えてくる。

スタンド内はもとより、カウンターにも人影はなかった。「ハロー」と声を掛けるが、どこからも応答はない。かの坊ちゃんが本当の悪魔なら、ここぞとばかりに獲物を持ち去るだろうが、オレは常識も情けもある社会人なので、防犯カメラを気にしながら辺の様子を窺った。もう一度大きな声で呼び掛けるが、、店内の空気はまったく動かない。そして嫌な予感が、不吉な気配と共に忍び寄ってくる。しらじらしい蛍光灯の灯りが、不気味さを増していた。

オレが現れたことで店員を殺したか拘束した強盗が、どこかに潜んではいまいか?カウンター脇に設置されている防犯モニターを用心して覗き込んだ。画面に不審な徴候は認められない、と思った瞬間、その真下のテーブルに男が突っ伏しているのが見えた・・・。

夜勤の男は大いびきをかいて本格寝していた。

ウチへ帰って早朝のニュースを観ると、ダウンタウンのフリーウエイでは、直径1メートル近い土管が破れて、水が大量に流れ出す映像が溢れていた。