2007年1月1日(月曜日) 大晦日も正月の今晩も、アーティスでビリーたちと・・・。 昨日はオーティス・ラッシュ夫人のマサキさんが顔を見せてくれて、ビリーは大喜びだった。オレたちの演奏の善し悪しはともかく、いつも明るく楽しんで観てくれるマサキさんには励まされる。 そして今日は正月なのに雪もなく寒くもなく、街は普通の休日の一日として過ぎゆく。オレたちは淡々と演奏をして、年越しの感慨も何もく、おまけにオレは抱負までなかった。それでも毎年願うこと。 争いのない平和な世界に子供たちが安心して暮らせますように。 2007年1月2日(火曜日) 新年早々からの古い友人の訃報に、何かの気力は殺(そ)がれてしまっていた。10代の頃の想い出ばかりが蘇ってくる。 ブルースからポップスまで、何でも器用に弾きこなすギタリストで唄い手のMさんとは、行きつけの楽器店で紹介された。彼は大学生でオレはまだ高校2年生のギター小僧。Mさんが定期的に演奏する小さな喫茶店で、人より少しばかり指が速く動くことを鼻にかけた糞生意気なガキは、弾き語りでいい気になっていった。女子大生たちからチヤホヤされ、いきって(息巻く)いても所詮は高校生。保護者なしでは生きていけない子供に過ぎないオレを、Mさんをはじめ周りの大人たちは、よく懲りずに遊んでくれたものだと思う。とはいっても、彼らも学生であったり20代のフリーターだったから、それぞれに子供だったのかも知れない。 そういう若者特有の将来への漠然とした不安は、進学や就職といった具体的な目標を越えて、「生きること」「生き方」への自問と懐疑に反映され、ときとして暗い心と向き合うことになる。Mさんが暗い性格の人だったとは思えない。オレをよく笑わせてくれたし、彼が皮肉を言っても人を嫌な気にさせることはなかった。それでも彼の遺した作品に、行き場のない当時の共有された思いがあった。 闇夜に光る白い影 長い髪のお前はまるで 後段がサビの部分で、二番もあったが忘れてしまった。「悲しい」という言葉が散見するのは、オレの記憶が曖昧なせいで、特にサビの二箇所には「悲しみ」しか思い浮かんでこない。Mさんの詞を不完全な形で紹介するのは失礼なことだが、僅か二十歳そこそこでここに至った彼の才能を知って欲しかった。 オレが高校を卒業する頃には、Mさんはもうこの曲を歌わなくなっていた。受験に失敗して通い始めた予備校が彼のアパートの近くだったため、その後もギターを教えてもらったりしたが、朝早くから彼の私生活に土足で上がり込んでいたことを今考えると恥ずかしい。『ボクもうバイトに行かんならんし、アリヨも早よ授業行きいや』と言いながらも、『あのフレーズはなぁ、こう』『こんなアルバムあるでぇ』と人の良さを見せてくれる。ちっとも成長しないオレはいろんな人に迷惑を掛けていたに違いない。 渡米前までMさんと一緒に活動した奇妙なポップスバンド、「スカンク」のリーダーだったAさんも若くして亡くなった。オレの青春の小さな「欠片」を暖かく持っていてくれた人との別れは、好きな人を失った以上に切ない。その「欠片」を集めても花火のように儚く消えゆくことを知っているだけに、とても切なく悲しい。 2007年1月6日(土曜日) バディ・ガイズ・レジェンズにて、バディ・ガイの前座。 昨日SOBマネージャーのM女史から連絡があった。 『アンタ明日のレジェンズだけど招待客いる?』 今日、気になって受付に友達の名前があるかどうか確認すると、無かった。慌てて招待客の名前を告げる。そしてM女史とテレビ局のおばはんの姿は、最後まで見なかった。 2007年1月9日(火曜日) 何かの販売や契約の勧誘を目的に、知らぬところへ電話セールス(2004年2月5日・17日参照)することを禁じた、"The Federal Trade Commission (FTC)"(連邦商業委員会)管轄の "The National Do Not Call Registry"(掛けてくるな登録)をして以来、プライベートなひとときを邪魔する「プルルル」はなくなった。 『Citi Bankの??と申しますが、スミトさんはいらっしゃいますか?』 くそっ!自分が会員である団体などはセールス許容内のため、クレジット会社の当該銀行からは顧客に対し、堂々と電話営業する権利があるのを忘れていた。 『それでですね、今、当銀行で・・・』 ねぇちゃん、嫌がらせか?途中からまた超早口なっとるやんけ。その上、そんな巻き舌で、やっぱり原稿を棒読みしてたら、アメリカ人でも分かり難いん違うんか?オレは、ヘッドセットを装着した若い金髪の馬鹿っぽい女性を思い浮かべていた。 『せっかく何かを読まれているのに申し訳ないのですが、アナタの言葉で分かり易く、もう少しゆっくりと説明してくれないでしょうか?』 2007年1月10日(水曜日) 『もししもし、スミトさんはいらっしゃいますか?』 フロリダの田舎の土地を売りつける商売だと、知り合いみんなが口を揃えて忠告した。 2007年1月12日(金曜日) 実は急な話ですが、N氏の6年越しの企画が実現し、2月14日に大阪府枚方市で講演をすることになりました。それに続いて15日大阪千里ホンキートンク、 16日京都RAGでも演奏します。 講座「生きること」 *既に申込者は半数を超えているそうですので、興味のある方はお早い目に 2月15日(木曜日) 2月16日(金曜日) 2007年1月15日(月曜日) 久し振りに普段のシカゴの冬の天候。昨晩から断続的に降り続いた雪も、積もったのが5センチ程なので大したことはないが、夕方から冷え込んできたので出発には気を付けねばならない。それは車のドアが凍り付いて開かないこと。 つまり昼間は温度が高いので、雪も融けてドアのゴムパッキングなどの間に入り込みやすい。そしてそのまま冷え込むと凍り付いてしまうことが稀にある。今日はマイナス10℃近いから可能性はあった。 付属品も含め25kgほどのキーボード・ケースを担ぎ、キーレス・エントリー(遠隔施錠・解錠)でマキシマのロックを解除しておいて、左後部ドアを開けると、僅かに抵抗感はあったが開いた。ケースを座席へ放り込み、そのドアは開けたままで運転席側のドアを開けてみる。うう、やっぱり開かない。助手席側とその後ろも凍り付いていた。とりあえず雪を払わなければならないので、後部座席から上半身を乗り出してエンジンを始動させ、ヘラ付きのブラシを取り出した。 オレのキーボードは安物だが88の鍵盤が揃っていて、結構な長さである。だからラグジュアリィのマキシちゃんでも、少し斜めに置かないと入らない。その斜めも不安定なので、たまにずり落ちてドアに閊(つか)えることがある。何となく アリヨ、仕事間際の厳寒の駐車場で閉め出しを食らう・・・。 2007年1月18日(木曜日) 歯の定期クリーニングの日。T医師から初めて褒められる。 『すごい綺麗になってるやん、やったなぁ。頑張ったなぁ。総入れ歯間違いなしと思ってたけど』 症状を心配してくれていた助手の方も出てきて、『良かったですねぇ、頑張りましたね』 別の助手の方も出てきて、『良かったわねぇ』 W女医も出てきて『Wonderful!』 受付の方も『良かったですね』 何をそんなに心配してくれているのかって・・・歯は無保険のオレの高額治療費。 2007年1月19日(金曜日) キングストン・マインズでビリーたちと週末の演奏。 午前3時半の鐘の音・・・なんて無いけれど、終わった終わったっと、さぁ、今晩の日当を頂いて。明日もあるから、今日は機材置いたまま手ぶらで帰れてらくちんラクチン。 マイナス10℃は大丈夫だけれど、風が吹くと当たったところの肌が痛い。さすがにシャツと外套だけでは辛いので、Tシャツを着込んでいた。でもマキシちゃんに乗り込めば、座席ヒーターが直ぐに利いてきて、エンジンが温まるまで待つのも苦にならない。 ゲロっ、上着も持たず薄手の長袖シャツのみで歩いている酔っぱらいがいる。さすがシカゴっ子、って、お前死ぬぞ。 2007年1月20日(土曜日) マインズ二日目。SOBの控え(ジャイルズ)の控えギターである、ココ・テイラーのところのヴィーノが、ビリーの出番前のオープニングでソロを取る寸前、真横に座るオレを見てニヤリと笑った。突然、硫黄のように強烈な臭気が襲ってきていたのだ。最初は人が発する物質とは想像ができなかった程の臭気だが、直ぐヴィーノの訴えに気付いた。 しかし、これはただのオナラにしては臭すぎる。ましてや臭いがいつまでも残っているのはおかしい。誰かが、その熟した実の顔を覗かせたのだろうか?それにしても平気な顔でソロを奏でているヴィーノ・・・うっ、貴様かっ根源は!?そのときオレの傍らにある出入り口の扉が開いて人が入ってきた。それと共に外気も入り込み、何を喰っていたのかという内蔵の吐き出す黒い雫はどこへともなく去っていった。 『お前、よくもオレのソロを見計らって放ってくれたな!』 とヴィーノ。顔はニタついたままである。まさか彼がオレを疑っているとは夢にも思わなかった。育ち良く、人に知られるような放屁は腹を痛めても堪えるのに、ましてや、自分の食生活の概念を越えるレベルの仕業ができようはずもない。慌てて首を横に振り、お前じゃなかったのかと言ってはみたものの、人間ではない別の原因をまだ疑っていた。 『オレはてっきりアリヨだと思ったんだがな』 ヴィーノの顔を見ているだけでは、本気か冗談かが分からない。少し離れたニックやモーズのところからは、やはり実が出ていない限り臭いは届かないだろうし、ましてや臭いの元もなくならない。客席は少し離れているので、他に被疑者は見当たらなかった。 「言い出し屁」はバンコク共通なのかも知れない。 2007年1月23日(火曜日) 白タップのロブ・ブレインと再びマインズ。北側のセカンド・ステージなので終わるのは午前2時半と早いが、今日は週に二日ある午前9時から午後6時半までの子守りの日で、オレにとっては普通の人の夜勤明けに等しく、演奏が始まる頃にはふらふらの状態だった。 それでもベースはジェームス・コットンんちのチャールズ君だったので、楽しい。ステージが狭くキーボードをチャールズと対面に置くが、演奏中彼が面白顔で笑わせてくれる。時折ロブもオレの方を向き、ニタッと笑う。初めて一緒になったチップという若い黒人ドラムだけが、緊張した面持ちで叩いていた。 一時間もある休憩中には斜向かいの店、ブルースへ連れ立って遊びに行く。白人ギター、ルークの仕事にヴァアレリー時代の僚友ブレディがドラムを叩いていた。ベースのアンドレィやキーボードのジョンも親しく、オレたちが立ち寄ったことで場は盛り上がる。 ジョンは新しく持ち込んだレズリー・スピーカー(オルガン専用の高価なレア物)をオレに褒めて貰いたくて、『どう、この音?ほらっ、こんな音?そしてこんな音まで』という目配せをするので、彼からは顔を背けられない。この人は歳上なのに、オレと会うとどうして憧れの眼差しを向けるのだろうか。 二度目の休憩(24:30-25:30)のブルース入店時は、直ぐにオレとチャールズがステージへ上げられた。ジョンの高価そうなキーボードは73鍵でタッチが軽く、見知らぬスイッチやボタンが一杯付いており、ピアニストのオレには苦手な機材である。また、高い設置でほとんど立ち弾き状態なのには閉口したが、出演者や観客が喜んでくれているのを知ると、知り合いミュージシャン訪問も気分が良い。まだ若く無名のルークは『一緒に演奏してくれてありがとうございます』と、オレたち年長者に礼儀を示した。 最近ローザス・ラウンジの木曜ジャムに通いだした、ドラムのパピィやハーモニカのレッドを知り合いに紹介し、入り口近くで『シロブタ』『クロンボ』と言い合っている、ロブとハーモニカのオーマー(2004年4月29日参照)にじゃれつかれ、ドア横で目を光らせている熊のようなドラマーでドアマン兼セキュリティのビッグ・レイにグタグタしていると、瞬く間に休憩時間は過ぎていった。 最後のセットで、ロブは最初からゲストを飛び入りさせた。マインズの名物MC兼キーボードのフランクは、まるで子供が指をくわえて何かを欲しがっているようにこちらを見つめているので、これ幸いとオレも席を譲り、全員が別の者に順次入れ替わっていく。 Nの訥々(とつとつ)過ぎるギターと、ねっとりした音外れの唄は気持ち悪い。戻った彼に、立派な胸で色香に惑わす彼女が『アンタの演奏、最高ね』と寄り掛かっていた。女性の肩へ腕を回しふんぞり返るNが哀れでならない。若くて男前なのだから、もっと謙虚に切磋琢磨すれば良いものを、娼婦が言った営業用の褒め言葉を信じていい気になる場面を想像する。 オーマーは、曲を知らないバックから"Nobody knows you"(Bobby Womackバージョン)をマイナーのストレート・ブルースにされたが意に介さず、レッドは一本調子の棒唄いでマディを平凡に演奏した。ハーピストはもっとコードを勉強して、少なくともサポートの人を引っ張れるだけの音楽性を持って欲しい。 人を刺してお務めしてきたQは、相変わらず暑苦しいパフォーマンスをする。しかし唄もギターも野太いので、音だけを聴いていると案外楽しめる。ふと、彼のズボンのチャックが開いていることに気付いた。眠っているかのように演奏するフランクのソロの間、Qを手招きして教えると頷いたが、どこか恍惚状態の彼はチャックを閉じない。妙なドラッグが効いている最中なのか、元々確信犯的に変態なのか、やっぱりアホなのかが分からなかったので、それ以上の深入りは避けた。 結局、元のメンバーが再び上がることなく、こちら側のステージのセットは終演する。汗だくのQに『お前チャック開いてるって教えたのに』と言うと、下を向いてようやく気付きマジ顔になって恥じらった。『一枚しか持ってなかったギター・ピックを演奏中になくしてしまって、焦ってたんだよぉ』と答えるが、適当に頷いてしまったのは、ステージで舞い上がっていたからに違いない。 長い一日を乗り越えてアパートへ戻ったが、身体の疲れに反して気持ちは爽やかだった。合計2時間もあるマインズの休憩を、退屈することなく誰かと遊んでいられたからだろう。見た目は静かに見えたかも知れないが、若い者たちと同じ目線ではしゃいでいた。 自分の演奏も含め、このクラスのこのレベルでいつまでも燻(くすぶ)っている分けにはいかない。それでも、シカゴのブルース界の中心クラブであるマインズ、ブルース、ロザ、レジェンズなどに居場所があることを、ありがたく思っている。 2007年1月26日(金曜日) 老舗ジャズ・クラブのアンディズで、名前すら知らなかったカート・クランデールってハーモニカの人と仕事。最近、自らのジャズ・トリオで忙しくご活躍中の後輩ピアニスト、Tからのおこぼれを頂戴する。ありがたや、ありがたや・・・。 休憩中に外で電話をしながら煙草を吸っていると、知り合ったばかりのバックの連中が戻ってくる。ギタリストのFがオレを見付け、『アリヨが吸うことを知らなかったんだ。誘わなくて悪かったね』と親指と人差し指をくっつけ、自分の口へ寄せると吸い真似をした。へっ!?ああ、マリワナね、『ありがとう、でもオレはヤラナイから』と礼を言う。 葉っぱやクスリと呼ばれるものを経験したことはない。良い子ぶっているのではなく、それらの語感からくる「怪しげな倦怠」が性に合わないだけで、こちらへ来てから過剰摂取した者を見たり想像したときの嫌悪は増したが、オレに迷惑の掛からない限り、人が何をしても文句は言わない。仕事でも私生活でも、巻き込まれなければということだ。 昔、ジョン・リトル・ジョンという人のツアーでは、本人も含め、オレ以外の全員が「好き」だった。ツアーバンが州間高速道路に入ると、誰かが直ぐにマリワナの葉を取り出して、タバコ専用の紙に巻き始める。衣装がスーツでコートは持たなかったから、秋か春先だったかも知れない。とにかく、車の窓は閉め切られていて、オレは不本意な受動喫煙をするはめになった。隣の席のヤツが、『最後の最後は手元が熱くなるので、クリップで挟んで吸いきるんだ』と訳の分からない自慢をしている。頭がクラクラしてきた気がして、窓を開けて外の空気を吸っていると、みんなから笑われた。 運転中のジョンが『アリヨは真面目だな、"Snow"もしないのか?』と訊ねてくる。『はっ、スノー?』と問い返すと、彼は振り返り、右手の甲の親指の付け根辺りに乗せたコカインを突き出した。『いえ、どんなモノにも手を付けたことはありません』と応えると、助手席で次の紙巻きを作っていた奴が、『俺ぁそんな人生、面白くねぇなぁ。してみたいと思ったことさえないのかぃ?』と不思議そうな顔をする。面倒なので『宗教上の理由なんですよ』と説明する。敬虔なクリスチャンやイスラム、ユダヤ教徒の多い国だからか、無信教のオレの言い訳を一同は納得してくれた。 マリワナとコカインでは、どちらが不法所持(使用)の罪は大きいのか知らない。あるいは同罪かも知れないが、何らかの容疑で車内を捜索されると、オレはどうなるのだろう。シカゴ市内ならまだしも、州外をツアー中に拘束されることは煩わしいことこの上ない。それを考えるだけで落ち着かなくなっていったが、一番の懸念は、クスリが効いてきたのか、時折車線を跨いで走るジョンの運転だった。 『あの、ジョンさん、車線に沿って真っすぐ走っていませんね』 目的地に着いて、紙巻き係がオレに囁いた。 『ジョンは運転が怖ぇえ』 2007年1月27日(土曜日) 現場入りが4時半と、冬なのに、まだ外が明るい間に出勤というのは嬉しいものだ。 サウス・サイドの湖畔に建つ「科学産業博物館」のいたるところで何バンドもが演奏する、黒人クリエーターのための巨大パーティ。ウチは毎年出演している(2004年1月31日、2005年1月29日参照)気がするが、出る度に演奏場所がしょぼくなっている気もする。 今回はPA(音響機材)持ち込みなので、ビリーから、少し早い目に着いて運ぶのを手伝ってくれと頼まれていた。 搬入場所はこれまでと違うから気をつけるように告げられていたが、前回停めた屋外駐車場にモーズのドライバー付き機材車(要するに、車のない彼が友達に頼んで運んでもらっている)を発見したので近寄っていくと、運転手のハワードが『今モーズが搬入場所を訊きに建物の中へ入ってったとこだ』と言う。『でもビリーから教わったのはココじゃないよ』と彼に説明していると、従業員入口からモーズが姿を現し手招きした。モーズに同じことを繰り返し伝えると、『セキュリティがここだっていうから俺に任せておけ。とりあえず機材を運ぼう』と強引である。 裏口の保安員は、関係者の出入りをチェックするのが役目で館内に詳しい分けではない。彼女から入館許可ステッカーを受け取りながら、ビリーの指示した駐車場とオレたちが演奏する予定のホール(大広間)を訊ねると、『アンタの言う駐車場はどこだか知らないけれど、そのホールならここからでも行けるよ』と中途半端に答えてくれた。 オレたちがバタバタする間にも、PAやアンプ等が予め用意されている大きな舞台で演奏するのであろう、楽器だけを持った別のバンドのミュージシャンや、タキシードを身に着けた配膳係たちが受付を済ませて入っていく。 モーズが場を仕切りたがったり、人をリードしたいのではなく、たまに間の抜けることはあるが単なる世話好きなのを良く知っている。彼がどこからか見付けてきた大型のキャリアー(荷台車)に積み込めば、ハワードもいることだし一度に運べそうだった。時間もなくなってきたし、遠回りを覚悟で彼に従うかと機材を降ろし始める。 キーボード用スピーカー(30kg)、PA用スピーカー(20kg)2個、PAスタンド(10kg)2脚、ケーブル類バック(25kg)、キーボード(25kg)、キーボード台と椅子、アンプ、ドラムセット、マイクとマイクスタンド(5組)。 結局全部は荷台へ載らず、それでも3人掛かりで何とか一度に運ぶことが出来た。ただし数百メートルの距離と、建物の2階分を下って・・・。 途中まで別の係員に誘導され、ギャーギャー言いながら狭い通路の壁のあちらこちらに機材をぶつけ、ようやく目指す広間へ辿り着くと、すでにビリーたちは待っていた。そして、かの駐車場(地下二階)は真ん前にあった。 車を移動させるために連れ立ったハワードはモーズへの愚痴をこぼすが、目は笑っている。オレもモーズを責める気は更々なかった。
|