2010年1月1日(金曜日) 謹賀新年 大晦日は"Blue Moon"だった。実際に月が青く見えるのではなく、同じ月の二度目の満月をそう呼ぶようになったとテレビニュースはいっていた。次回シカゴでブルームーンが観測されるのは2028年だとも伝えていた。暦から考えるともう少し間隔が短い気がするが、青い月を観ることができないのならどうでもいい。ただ、「シカゴの"Blue Moon"」という素敵な響きには惹かれる。 10数年振りに大晦日の仕事がなかったので、超久し振りにおウチでカウントダウン。 昨晩はABCテレビを観てビックリ。メイン・キャストの後ろにステージがあり、マジック・スリムが演奏していた。おお、オレたちがこないだ出たばかりの、バディ・ガイさんの「レジェンズ」でカウントダウンの中継かぁ?そういや一昨年の大晦日は、ウチらSOBがマジック・スリムの前座をレジェンズで演ったのだった。普段は自分が演奏している時間帯に人様が働いていると、嬉しかったり羨ましかったり。 見慣れたキャストの進行で、有名ホテルの大会場の著名っぽいロックバンドの演奏や街角の映像など、カメラは頻繁に切り替わる。バディ・ガイさんはビデオ出演。 オレやロザのトニーのルームメイトだった、ギターのジョン・マクドナルドが、カメラのフレームに収まろうと、マジック・スリムの後ろへと移動していく。ベースのアンドレアはスリムの真横へすり寄っていた。君ら動ける人はいいけれど、先に演奏していたジョン・プライマーの映像では、オレに懐いているキーボードのデイブなどは移動できず、自分のソロ中でさえ映してはもらえない。そしてソロもないハーモニカのオマー(アフリカ系)を映し過ぎている。はいはい、デイブは白人だからねと、アジア顔のオレはおもいっきり突っ込んでおきました。 気が付くと2009年も残り一分となり、キャスターはステージへ上がって、マジック・スリムと共にカウントダウンは間近。いよいよ画面に数字が現れ・・・えっ!?おいおい、表示(正確)とキャスターらのカウントダウンがずれている。かくして、テレビにもかかわらず、レジェンズでは年明け2秒前に年は明けた。こんなこと、日本人(と多分ドイツ人)しか突っ込まんだろうが。(2007年12月31日参照) 世界のすべての子供たちが 今年もよろしくお願いします 2010年1月3日(日曜日) 京都の武道系アホ仲間から、新年の挨拶がメールされてきた。 「今年も残すところ後362日となりました! 去りゆく2010年を惜しんで、残る362日を充実して過ごして下さい!それでは良いお年を363日後にお迎え下さいませ!」 2010年1月4日(月曜日) 年越蕎麦にお雑煮を満喫し、今年の幸せを祈願する。 ハーモニカOのレコーディングに、ベースのボブ・ストロジャーやドラムのケニー・スミスらと。ローザスの近所に在るスタジオ集合が午前11時。プロデューサーからのメールでは12時だったのに、眠ぅ。 大体、録音のセッティングというものはドラムに時間が掛かり、同じ頃に集合すると必ず待たされる。昨日、電話でケニーが「僕も11時に居るから、11時にね」と言っていたので、時間を読んでウチを出た。11時半にスタジオ入りすると、ハーモニカを含めた全員が「待ち」だった。何故かは知らぬが、みんなセッティングは11時(!)に終わっていて、それは「オレ待ち」だった。 そういや、こないだ(2009年12月8日参照)も「オレ待ち」だった。あの時は時間通りに現場入りしたが、遅刻してないのに気を遣ってしまった。 新年の挨拶もそこそこに、急いで自分の準備をする。誰からも文句は出なかったので、何の言い訳もしなかった。楽しくセッションをした2010年の仕事始めだった。 2010年1月7日(木曜日) 大雪警報は明日の昼まで。ニュースでは最大30センチの積雪を予測していた。ロザのトニーに今晩の確認をしようと、早い目の目覚ましをセット(午後7時)して寝ていたら、夕方には彼から臨時休業の連絡があった。嬉し、悲しのお休み決定。 いつもは店へ着いている9時過ぎにふと思い付いた。ジョン・プライマーのとこを辞めてから毎週のように来ている、ハーモニカのMにも知らせておかないと。 「M、今日、ロザはお休みになったんだけど、一応連絡しとこうと思って」 ん!?何か前にも同じ場面があったような、それも複数回。 「それで、タクシーは?」 2010年1月9日(土曜日) 毎年恒例、バディ・ガイの4週に亘(わた)る16日間公演の前座を、今晩はSOBが務める。 あんなぁ、誰とは言わんけど楽屋のトイレ、大っきいほうしたあと、全部流れてるかちゃんと確認して出てくれへんか?水槽に水の溜まるのが遅くて直ぐには流せない。 他人のソレを見ながら用を足す侘しさよ。 2010年1月15日(金曜日) 朝の早くに、歌うハーモニカの歴史教師のRから携帯とマックにメールが入った。「今晩ハウス・オブ・ブルースで演奏できる?」 おお、この週末は空いていたのでラッキー!早速電話をして入り時間を確認し、日用品の買い出しなど、ウチの用事をすべてキャンセルして床に就いた。 爽やかな夜(朝)の目覚めから、シャワー、夕(朝)食、身支度、キーボードの積み込みと思考なく体は流れて、気が付くとハウス・オブ・ブルースに着いていた。駐車場係に「機材を搬入するから、終わるまでは絶対動かさないでよ」と注文して、重いキーボードをガラガラ(新しいケースは車輪付き)と引っ張り店へ入る。顔見知りの従業員と何人か挨拶をしたが、見知らぬミュージシャン風の黒人が不安げに寄ってきた。 「あの、アンタ、ビリーのとこのピアニストでしょ、誰の仕事で?」 階上に大きなステージを持つHOBの音響係は延べ5.6人ほどいる。そしてオレがここで演奏するのも延べ4バンドだったので、どのオペレーターとどのバンドで一緒になったのか、互いに覚えてなかったりする。 「えっ?僕はDだって聞いたけど、君は彼とじゃないの?あっ、あそこにDがいるから訊いてみて」 自分の演奏をオレが観に来たと勘違いしたDは大笑いした。 第一感は場所違い。携帯のメール履歴を調べると、やっぱり"Tonight, House of Blues"とあった。電話をしてもRには繋がらない。意を決して駐車場へ戻り、係に訳を説明して車のキーを受け取る。そこへちょうどギターのルークの車が入って来た。 「おっ、アリヨ、俺たちと一緒かい?」 オハヤイオモドリ・・・。 HOBの敷地を出たところで、慌てた様子のRから連絡がきた。 「ホントにホントにゴメン、朝から学校の会議とかで相当混乱してて間違えちゃったんだ。明日の土曜日のことだったんだ。こんなことは初めてだよ、許して、貸しにしといてよ、ゴメンね」 おお、この週末は空いていたのでラッキー! 「オッケーです」 2010年1月16日(土曜日) 昨日の仕切り直しでハウス・オブ・ブルース。 さすがに昨日の今日なので、駐車場係はオレの失態を覚えていた。 「今晩は大丈夫なんだろうな、ケラケラケラ・・・」 何故か彼もRも憎めず、店内でいつものメンバーを見てほっとしたのみであった。 2010年1月19日(火曜日) 日本の有名楽器のお偉いさんが来駕。メーカーの現地駐在の方と後輩キーボードのTも同席し、夕食をごちそうになる。 郊外に在る「三九(サンキュウ)」は日本の居酒屋で、小鉢の突き出し、刺身の盛り合わせ、牛たたき、カキフライなどをオッサン4人がつつく様は、どうみても日本であった。おまけに、板張りに敷かれた座布団であぐらをかいてたし。 しかし何故か店では、この板の間を「座敷」と呼んでいる。板敷きに対して畳敷きを「座敷」と呼ぶと思っていたが、板張りに座るための敷物(円座や畳)を設けたのが「座敷」の語源らしいから、まんざら間違いでもなさそうだが、違和感はぬぐえない。 ふうむ、普段の日記では、こんな言葉の由来などにこだわったことを記さないが、饒舌というよりも駄弁を弄するオレは、この夜もひとりでしゃべっていた感があり、それはきっと演奏にも反映されているに違いなく、もっと人の話を聞いて(人の音を聴いて)態度を改めなくてはならないのかも知れない。 2010年1月23日(土曜日) ローザスでSOB。 9時過ぎに到着したときは、クラブ前にほとんど車が停まっていなかったのに、演奏の始まる10時頃は通路も立ち見客で一杯になるほどの盛況だった。そして今晩の聴衆の拍手は力強く、州外へのツアーの如き熱狂振りが嬉しかった。 深夜を過ぎても目立った人の退(ひ)きはなく、むしろ新たな客の来店が続いて驚いた。オレたちはいつからそんな人気バンドになったのだ。 ゾラ・ヤング、ノラ・ジーン、シャーリー・ジョンソン、L・V・バンクス、マシュー・スコアラー、カルロス・ジョンソンらが顔を見せる。二セット目はバンドだけで2曲、ビリーが数曲演った後、すべてのゲスト・ミュージシャンが代わる代わるステージへ上がった。 遊びに来た知り合いを大切にするのはイイことだけど、ウチを観に来た客にとってはどうなのだろう。料金も含めて週末なのだから、もう少し考えないと。 2010年1月24日(日曜日) リビングのソファでうたた寝をしていて、暑くて目が覚めた。Tシャツ、短パンの身なりで汗をかいている。スチームが効き過ぎて室内は28℃になっていた。故郷の京都よりはるかに厳しい冬も、外出しない限りこちらの方が断然過ごし易い。たまにコタツが懐かしいが、風呂やトイレなど、利用するときの腰の軽さは通年変わらない。ただし、窓を開けてタバコを吸うときだけは、トレーナーの上下でも着けなければ凍えてしまう。 2010年1月25日(月曜日) ウチのドラムのモーズに若手最注目株のロニー・ベーカー・ブルークスと某女性客の、3組合同誕生パーティがアーティスで催された。当然ながらの大盛況。 デンマークから短期で遊びに来ていたギターのMは、オレと挨拶するなり「今日は僕にとってアーティス最後の夜だけど、演奏できるだろうか」と訊いた。MCはモーズだが、誰を上げるかの最終的な決定は、他のメンバーの進言なども考慮して大将がする。ましてや自分のパート以外のことなので責任は取れず、「ビリーやモーズに言ってあげるけど、君からもちゃんと挨拶しといてね」と確約はしなかった。 こんな混んでる日の大将は方々から声が掛かり、舞い上がってしまって覚えてないことが多い。ロザ常連の高校生ギタリストのAが初めて来ていたし、バディ・ガイのバンドからはティムにマーティにリックが顔を揃え、EやRなどの名の知られた者はみんなギタリストで、何よりロニーの誕生日だから、ビリーの目配りが行き届くはずもない。 Mと同じユースで親しくなった東京からの日本人ギタリストのTは、ちゃんと状況を理解していたし、まだ滞在日数に余裕があるから、誕生会用の無料のバッフェなど宴会を楽しんでいた。しかしMは同じく宿舎で知り合ったという、同伴のアメリカ人女性に良いところを見せたかったらしく、落ち着かない表情で請うようにオレを見詰める。 幸いにもピアニストが3人も居たため、手が空くと直ぐにビリーへ詰め寄った。「おお、分かった、次そいつを呼ぼう」。そしてMの名が告げられると、いつ呼ばれてもいいようにダンの側に陣取っていた18歳のAが、勘違いしてダンからギターを奪った。既にマイクを持った某女性歌手が曲を始めさせている。ダンがオレに向かって肩をすくめ、Aは緊張した面持ちでギターを抱えた。 「Aは横から『いつ僕をよんでくれるの?』って、ずっとうるさかったんだ」とダンは言ったが、「最後の夜」というデンマーク人とは「演る」意味が違う。ロザでもAはトニーに「いつ出してくれるの?」オーラをまき散らしている。こういうときは「押し」の強い人間の方が得をするが、オレが彼にアーティスを紹介した弱みもあった。 中盤にもう一度ビリーに「Mの最後の夜だけど、彼が演奏する可能性はありますか」と訊いた。「おう、そうだった、出してやれ出してやれ」。しかし、こいつが歌うとあいつが一緒と、Mがアナウンスされる機会は次々と潰れていく。 閉店まで残り30分。似非ティナ・ターナーのM女史が上がると、当然のようにEが付いて来た。珍しく察しの良い女史は一曲で終わったが、イケイケのEも歌わせろと長引いた。ほれ、モーズ、Mを呼んだらんかい。残り15分、ようやくMの名前が呼ばれた。 勇んで登場したMがギターのストラップを肩に掛けようとしたとき、「もう一度ロニーを観せてぇ」と叫ぶ声が聞こえた。うう、いらんことを・・・でも今日はロニーの誕生日。前半に30分以上も熱演した彼が、アンコールに応えない訳はない。ロニーが最後を締めるなら俺が入らないとと、ビリーが腰を上げたのを見てオレはすべてを諦めた。彼ら二人が絡んで15分で終わるはずがない。 女性ファンの多い「泣きのギター」のロニーが颯爽と前へ進む。顔を引きつらせたMは、ロニーに差し出すためにギターを片手に持って彼を待った。その固まったままの5秒余りは、Mにとってもオレにとっても、理不尽な巡り合わせを呪うに充分な時間だった。 2010年1月27日(水曜日) 近所に在るチキンのポパイ キッチンのオッサンは衛生手袋をはめて調理する
|