傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 83 [ 2009年12月 ]



Kenny Smith & Holly Zar's Wedding
(C) Jim St. Marie

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2009年12月3日(木曜日)

わぁーい、わぁーい、初雪だぁー

・・・春よ来い、早く来い!


2009年12月4日(金曜日)

スイス出身のお金持ちハープ、Cさんのライブのためのリハーサル。ペイ・リハ(練習料金が支給される)なので、4時間スタジオに籠っても文句はない。リズム隊はオレの盟友、チャールズとマークのマック兄弟。

自宅と携帯への電話が急に増えた。自動車保険の代理店やブローカー(仲介業者)たちだ。

ここ数年加入していた大手の保険会社が値上げしたので、他を当たろうと、各社の料金比較をしてくれるサイトにアクセスしていた。無料の見積もりは、個別にすると一つ一つに時間が掛かり過ぎるので、こりゃ、ご親切なことでと利用したのがマズかった。規約には個人情報を第三者に決して売りません、渡しませんとあるが、当然グループ内は適用されず、そのグループに隠れ業者たちが巣くっていたのだ。

経済活動の自由を保つために戦争をも仕掛けるこの国では、営業の獰猛さは凄まじい。違法すれすれのセールス・トークがマニュアル化され、いざ契約時には詐欺まがいの追加料金が派生するのは当たり前だ。一方で民主的な制度も発達しているから、店頭での返品やクーリングオフは、こちらが拍子抜けするほど容易である。肝心なのは商品を買い手に知らせることで、無差別の絨毯爆撃の如き営業・宣伝が氾濫していた。

そのため誰もが売り込みの出来るよう、商品説明を棒読みするだけの単純作業となる。電話に出た相手を確認すると、こちらの意向も構わず滔々(とうとう)と話し始める。前大統領のブッシュが、家族からの苦情でようやく対処したという「宣伝お断り電話番号登録」制度も、こちらが問い合わせたり、会員登録した先の関連企業には効力がない。

「スァモト(ちゃんと須美人と発音できんのなら、最初に訊け!)、アナタに最適な保険を今から探してあげますがイイですか?」
「嫌です」
「どうして?自動車保険の見積もり比較をしたでしょ」
「確かにどこかのネットで料金比較はしたけど、今日だけでメールが15本、電話が10数本と、オタクのような業者がひっきりなしに連絡してくるとは想像してなかったから」
「現在加入してる保険会社はどこかしら?」
「だから、もういいって言ってるでしょ」
「でも、数分で済むのよ」
「数分で済むのは基本料金の概算で、こっちが会社を選んでSS番号(納税やクレジットなどの個人情報が記録されている、年金の基となる社会保障番号)を教えたら額が変わり、それからまた申し込み内容を考えなければならないし、頼んでもない代理業者の売り込みにはうんざりしてるからです」

「サムットォ、××保険エージェントですが」
「ああ、もう保険決めましたから」
「えっ!?どこの会社ですか?」
「もう、決めましたから、ウチの番号は消去してください」

一々応対するのも労力が要る。リハーサル中、携帯には5件のメッセージが入っていて、そのすべてが保険勧誘の伝言だった。仕事の連絡だと嫌だからメッセージは確認でするが、こりゃ早くどうにかせんと。


2009年12月5日(土曜日)

スイス出のハープ、Cさんのライブにテール・ドラッガーがゲストで、ハーレム・アベニュー・ラウンジにてマック兄弟らと。

終演後の午前2時過ぎ、客のおねぇちゃん二人と仲良くなったチャールズが「どこそこ行くけど、アリヨも一緒にこない」と誘ってきた。「えっ、それ何処?」
「ゲイバー」

女の子大好き男の子のチャールズ君は知り合ったばかりの子を連れて、女の子大好き男の子たちのいないクラブへと去っていった。


2009年12月8日(火曜日)

中米育ちのハーモニカMと、サンフランシスコ出身のギターRのレコーディングにお付き合い。現場入りが午前11時と早かったので、朝の7時には床に入っていた。

その呼び音に朦朧と受話器を取る。無意識に時計を見ると8時半を僅かに回っていた。先週末からひっきりなしに掛かってくる自動車保険の勧誘に違いない。隙を衝かれた思いで用心して待った。

「もしもし、アリヨォ、Kやけど」
「・・・えっ!?Kって、Kかぁ?」
「そや、Kやでぇ、久し振りぃ」

同い年のKはピアニストで、スタジオ系(芸能ニュースに登場するレベルの音楽業界)の実績と実力は日本の頂点を極めている。その上、現場のライブ感を兼備しているので、ブルースのイベントで一緒になることもあり、昔から共通の知り合いが多かった。10代から頭角を現した関西出身のKを大いに意識し、また密かに目標としていたが、会う度に天分の差を見せつけてくれた生来のミュージシャンである。といっても、オレがシカゴへ戻った2001年以来一度も会ってなかった。

災難の相手がKと分かって嬉しかったが、応答する声は相当不機嫌だったに違いない。日本は真夜中近いので、打ち上げで飲んでいるのだろうが、最初は彼も様子を伺うかのように大人しかった。そしてオレの目が覚めるにつれて、次第に普段のKとなっていく。

「○○ちゃんに電話してもうてん、彼女の携帯からやねん」
「○○ちゃんって、あのピアニストの?」
「そやねん、エエ感じやわ」
「盛り上がってるなぁ」
「ハイハイ、エエ感じです、もうネ」
「そうかぁ、エエ感じかぁ」
「そうやでぇ、Yもこないだロンドンへ帰ったし」
(ニューオリンズ在住のYさんがロンドンになるかぁ。きっと時差も考えてないのかも知れない)
「あの、K、今どこに電話してるか知ってるか?」
「アリヨ、京都やろ?」
(・・・)
「Kも相変わらず儲けてるらしいなぁ、家も5軒ほど建てたんやろ?」
「いやいや、家は3軒だけやけどね」
(酔ってなければ冗談に取れない)
「隣にアリヨの彼女が居てんねん」
「はぁっ、オレの彼女ぉ?」
「もう、アリヨは彼女多いからなぁ」
「いやいや、Kさんには敵いません」
「アリヨの彼女と代わるわぁ・・・(プツッ)・・・プー・プー・プー」

ううう、何やったんや、この電話。

頭の芯に重いものを感じながら、古い倉庫を改造した安手の録音スタジオで午後を過ごす。不思議なことに、Kたちの仕事場である東京の業界御用達高級スタジオのことは、一度も思い浮かばない。ここ数日の災厄を払うため、早く寝床へ戻りたいのを我慢して、ダイレクトメールで知った、ダウン・タウンの保険仲介業者を訪ねることだけを考えていた。


2009年12月10日(木曜日)

最低気温-15℃、風の体感温度-30℃・・・痛い。

アパートの駐車場に停めた車のドアが凍てついている。無理に開けようとすると。ゴムのパッキンが外れてしまうので、ドア周りをゴンゴン叩いて、後部左側がようやく開いた。窓も下がらず出勤途中に煙草が吸えない。運転席側のドアが開いたのは、店に着いてからだった。

みんなに訊くと、ドアマンのメルビンもギターのジェームスもバーテンダーのマーガレットも同じ目に合ったという。揃ってワンボックスカーの3人は、全員が後ろの跳ね上げ式ドアから車内に乗り込んだらしい。

困った顔で聞いていたベースのハーレンに、「アナタのとこは一軒家で、車庫が付いてるから大丈夫でしょ」と問うと、彼は首を振った。「車は大丈夫だけど、ガレージの扉が凍って開かなかったんだよ」

いよいよ、-5℃までなら暖かいと感じる季節がやってきた。「何なんだ、この寒さは」と入って来た州外の客に向かって、誰かが「シカゴへようこそ」と言った。


2009年12月13日(日曜日)

家族団らんで寛いでいた午後8時半頃、チャールズ君から携帯にメールが入る。

「映画のエキストラ、及びブルース・ダンサーが要るんだけど、今から来られない?撮影は11時頃までやってます」

演奏ではなくエキストラ出演!そしてブルース・ダンサー?独立系の作品で、シカゴだからブルースを扱うのは分かるけれど、アジア系の顔出しはマズくないかぃ。ロケ地はウチから車で10分以内のところだったが、「オレも今パーティの最中で、直ぐには抜けられん」と返信をする。

先日ユーチューブで再会した20年前のオレは、悲しいほど隅に追いやられていた。
http://www.youtube.com/watch?v=ZLLEWWF3v60

声(音)はすれども姿は見えぬTVショウの切なさよ。


2009年12月14日(月曜日)

朝の8時半頃、ビリーから携帯にかしこまったメールが入る。

「本日アーティスにてR(註:大将の彼女)の誕生会を催しますので、あなたを心よりご招待申し上げます」

えっ!?四週間振りに連絡があったと思ったら、意図が少々汲み取り辛い文面。多分、彼女に何か持って来いとの指示であろうが、一応確認のためと、冗談を真に受けたフリをして返信した。

「パーティのお誘いありがとうございます。ところで、今日の仕事はあるのでしょうか?」

速攻で電話が鳴りだした。受話器の向こうでビリーが「久し振りに俺が合流するのに、あるに決まってるだろ」と慌てている。

早起きの大将とベッドに入ったばかりのオレは、軽口をたたきながらも、普段のSOBに戻れることを喜んでいた。


2009年12月19日(土曜日)

週末をSOBでキングストン・マインズ。

昨日今日と雪の予報もうっすら化粧で、温度が零下を大きく下回らないため、歩道はシャーベット状態で所々凍っていて歩き難い。

寒波の東海岸は数十年で最悪の積雪だったらしい。雪害に見舞われた地域には申し訳ないが、中西部の我々は、何か夏の大型台風が逸(そ)れたが如き感がある。

日本から来ている若い子らが、「こないだの寒さ(2009年12月10日参照)を体験してるから、今日(-2℃)は暖かく感じる」と言っていた。ホント、春先のような暖かさ。でもまだ冬は始まったばかり。


2009年12月24日(木曜日)

クリスマス前夜。

楽しいぷらいべえと宴会。日本のパン屋さんでショートケーキを買って、、、ヒラメ、サーモン・トロ、サバでお寿司を握る。寿司酢に砂糖を一杯入れた関西シャリの約50貫(50個:昔は一貫を2個と数えたが、最近は1個になったらしい)と、別に作った巻きものなどをお皿に並べ、キリスト教色は完全に失せた。正月の予行演習の如き目出たい食卓も、指先はいつまでも生臭い。


2009年12月26日(土曜日)

昨夜からサラサラ、今日の昼過ぎからフワフワの雪が舞っていたが、駐車場へ行ってビックリした。もう7-8センチ積もっている。おまけにドアは凍ってへばりつきそうになってたし。まだ-6℃程度なのにこの体たらく。ラグジュアリィのマキシちゃんも年老いてきた。

クリスマス明けのバディ・ガイさんクラブでSOB。嗚呼、客少な・・・。明日も雪で朝からオヘア空港は大混雑を憂う、そんな地方からの観光客らが席を立つ頃合いの午前12時半、絶好のタイミングでビリーからご指名の我がオリジナル曲「ウィンディ・シティ」。こらっ、お前らっ、人が歌ってるときに帰るな!

終演後の搬出で店を出た途端、物乞いのオッサンが執拗に乞うてきた。

「なぁ、なぁ、アンタ、今日は演奏楽しかったかい?」
「んぅにゃ」
「アンタのこたぁ、知ってるよ」
「・・・」
「いつもここらに居る俺のこと、アンタも知ってっだろ?」
「うんぅにゃ」
「クリスマスだからさぁ、ちょっと小銭くれろよ」
「うんんぅにゃ」
「演奏で銭入ったんだろが」
「・・・」
「俺も昔ぁ、むうじしゃんだったんだ」
「ほへぇ、ならオッサン、オレが大して稼がなかったのも知ってるんだ」
「・・・」
「後からウチのリーダーが来るから、大将にタカレよ」
「おっ、知ってる知ってる、でかいヤツだろ、分かった!」

車に乗り込みエンジンが暖まるのを待っていると、店から出て来たドラムのモーズ(メンバーで一番デカイ)がサイドミラーに映った。そして一目散に駆け寄る物乞いの後ろ姿が重なる・・・ハイハイ、おつかれさま。


2009年12月30日(水曜日)

シカゴの殺人事件の被害者数が、昨年に比べて10パーセント以上も減ったとテレビニュースでいっていた。

2008年に殺された人、509人。
2009年(この月曜の時点)に殺された人、453人。

ローザスの木曜日ジャムは、明日の大晦日特別イベントのため今日に移動(2009年11月25日参照)するが、トニーの読みは当たって週末の如き混み具合。メンバーにご祝儀まで出た。ありがたや。

SOBが今年日本で出したロザのライブ盤は、店のBGMとしてローテーションで掛かっている。しかし、自分の歌うウィンディ・シティ(2009年12月 26日参照)のイントロがなりだすと、オレが密かに次の曲へスキップさせていることは誰も知らない。