傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 62 [ 2007年12月 ]


Christmas Illumination
Photo by Ariyo

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2007年12月7日(金曜日)

先週からの断続的な降雪でシカゴは雪国。

毎日のニュースでは、この時間帯の車での外出を控えるようにと親切に教えてくれるが、気温の下がり出す夜に出掛け、明け方前に帰宅する仕事をしていると、出たくなくてもしようがない。慢性の肩凝りに加え、滑りやすい道に用心して運転するだけで肩に鉄板が入ってしまう。なんせオレの日産マキシちゃん(MAXIMA)は、ブレーキにアンチロック(スリップ防止)機能が付いるので、タイヤスリップを感知するとブレーキペダルを戻してくれるのだが、もうほとんどブレーキが利かないに等しいほどガタガタ音を立ててペダルを戻すので、スピードを出すこと自体に恐怖を覚える。それでもご存知のように、オレも含めて雪道用のタイヤを装着する車は皆無!

夕方、ベルモント通り近くの湖べりのアパートへ人を送った際、タイヤが横滑りし、完全に停止したと思ったのに路肩へ向けてマキシちゃんは平行移動していった。そこいら一帯は、昼に解けた雪がミシガンからの吹きさらしの寒風に再び氷結して、僅かに解けた角氷の表面のようにツルツルテカテカと輝いている。

幼子連れの友人は単独では降車できず、かといってオレもどこかに掴まらねば立てぬ程の氷上に風力。漸(ようよ)うの態で歩道にそろった三者は、ベビーカーを先頭にムカデ競走の如く彼女のアパートの入口へと向かった。無事に車へ戻ったオレは、このままじっと春まで動かず待っていたいと願いながらも意を決し、狭い一方通行をゆるりと先へ進む。

その直後、前方に路駐した車からオヤジが外へ出ようとしているのが見えた。ところが整備の終えたスケートリンクと化した路面にオヤジはまともに降り立てず、フィギュアの選手の様に一回転して片足を大きく上げ、道の中央にドテッと転がった。そこへオレのマキシちゃんが・・・。

間一髪ではないけれど、オヤジとオレは人身事故に巻き込まれる事なく難を逃れる。起き上がった彼の瞳には、オレに対する憎悪の光が宿っていた。えっ!?倒れ込んだ地面からの目線を考えると、直ぐ先には車の前部とタイヤが迫って来たのだから仕方がない。

すっかり北の国と化したシカゴは、最高気温がマイナス2.3度なら暖かい。


2007年12月15日(土曜日)

雪雪雪ですわ、最近のシカゴ・・・。

一晩に10センチ以上積もるよ、って注意報。ビリーとのローザスに道はドロドロで、良い位置に駐車もしたいから早い目の出勤。

ハイウェイまでの道はちゃんと整備されていて、路面の黒さがはっきりしているから普通のスピードでもオッケイ!雪雪。ところが制限速度約90キロ/時のハイウェイをみんな60キロ/時で走ってる。雪雪雪。おわぁ、降り口の路面がすでに白い。雪雪。前をゆくバンが信号で止まる度にスリップして、轍(わだち)がぐにゃぐにゃ。吹雪。ようやくロザの前に着いたら、道の両側に停まった車は数台しかない。少し小降り。まだ時間も早いので、車内でタバコを一服していたら、携帯が鳴りだした。

「アリヨ、トニーだけど今どこ?」
「ん!?店の前に車を停めて休憩中」
オレはすでに彼の用件を読んでいた。
「オー、ノー!」
分かってるくせに、お茶目なトニーの含み笑い。

市の塩撒きトラックが轟音を上げて横をすり抜けていく。直ぐにバチバチと音が聞こえ、小石のような凍結防止剤がマキシマの脇腹を打った。

「ハイウェイを走行中のビリーから電話があってさ・・・」
「はいはい、キャンセルでしょ?」
また吹雪いてきた。

「うん、この様子だと客も来ないだろうからキャンセルしたいって」
復路がもっと酷くなることを、往路で悟ったビリーと、自分からキャンセルして幾ばくかの金も損したくないトニーの合意。キャンセルの決断はお早い目に。何か前にもこんなことあったよなぁ。

「ボクも直ぐに店へ顔を出すからさぁ、中で待っててよ、ガソリン代くらい払いたいし。出来れば他のメンバーにも連絡を取ってみてくれる?」
金を受け取るつもりはなかったが待つことにした。

途中まで来ているというダン新メンバーを携帯で帰し、大将に連絡を取る。

「おお、さっきから連絡してたんだ、電話中だったな」
「へい、トニーから速攻の知らせがあったもんですから。ほいで、ダン新メン
バーにはすでに知らせてます」
「うむ、他の二人は大丈夫だ。では月曜日のアーティスで会おう」
「ではアーティスで」

店内ではママが渋い顔をしていた。客はテキサスから来たというカップルが一組のみ。間もなく店の前にタクシーが停まったのを見て、ドアマンのDJが事情を説明しに駆け寄った。客を乗せたタクシーはそのまま走り去る。そのあと車で乗り付けた別のカップルは、ショウがキャンセルになったと聞いても来店した。

ロザママがオレに近寄り、「アリヨ、客は4人だけど弾いてってよ。みんな生演奏が聴きたいのよ」と囁いた。いや、だから、アナタはここの二階に住んでいるから分からないだろうけれど、今晩がキャンセルになったのは、帰りが遅くなるとそれだけ雪は積もり、運転が危険になるっていうリーダーの読みで・・・と思案している間にトニーが裏口から入って来た。トニーからも頼まれたら諦めようと思っていたが、彼も帰り道を案じてくれていたのか何も求めず、ウエイトレスのマーガレットからは恨めしそうに見送られる。ショウはキャンセルになったが、バーはしばらく開けておくことを宣言されたらしい。

塩の効果よりも勝るほどの降雪。時速30キロで走るオレの前方で、ガソリンスタンドに入ろうとした乗用車がスピンした。時速25キロで走るオレの車の前方で、左折しようとしたRV車がスピンした。二度とも充分な車間距離で助かったが、後の方は反対車線まで横向きに平行移動したので、危うく対向車が突っ込むところだった。

生き方は大胆だが常識的な生活態度のオレは、スピンしまくりの運転であちらこちらに激突したいと思いながら、銀世界の狭い駐車場へ慎重に車を入れた。


2007年12月17日(月曜日)

先週末のロザがキャンセルになったにもかかわらず、今月前半を終えてすでに目標集金額は達したからひと安心。SOB以外のバンドの方々、いつもご贔屓ありがとうございます。

今月は第一週の「地球の歩き方」改訂版の最終締め切り、第二週の「枚方市の講演」内容の冊子化の最終締め切りと、いっやぁ、久し振りに事務仕事も忙しかったぁ。

そして後半のスケジュール・・・穴ばっかりじゃないですか!?先月の海外ツアーでSOBのスケジュール確認がおろそかになり、ロカビリーバンドや別バンドへの返事が遅れてしまって、すべて別の人で埋まってしまっていた。入るはずの週末を3本も飛ばしたのは痛いけれど、悲惨なのは水曜日が真っ黒に消されてる・・・。

はい、「地球の歩き方」編集者、並びに読者のみなさま、申し訳ありません。我々SOBの「ジェネシス」の毎水曜公演は、ビリーの一身上の都合により終了致しました。

店との関係は良好で、週にも依るがそこそこ客の来るジェネシスだったが、その理由を強いて言えば、ビリーは客層との相性が悪いと一方的に思い込み、悩んだ末の彼の決断をクラブとメンバーが受け入れたってことに尽きる。

のうのうとバックでサポートするオレたちとは違って、いつも矢面に立つ大将が大変なのは分かる。しかし郊外族(サバーバン)の有り様は知っていたのだから、ビリーも少し繊細過ぎはしまいか。何れにしてもビリーなしではビジネスとして無能なSOB。小企業従業員の悲哀を思い知る。 


2007年12月19日(水曜日)

常に予約が取り難く、年内は無理と思っていた某美容室が、昨日の今日で易々と取れてしまい逆に戸惑う。

帰りのハイウエイ。前方では三車線の右端にトラック、真ん中に大型のバンが低速(といっても制限速度に僅か足らぬ程度だが)で並走している。普通は左の追い越し車線からみんな「抜けて」いくが、乗用車が蓋をする様に動かない。三車が同じ速度で走っていると、こちらからは停まっている様に見える。

堪り兼ねたのか、RV車が時折車体を揺すらせて車線を跨いでは、いぞれかの車線に「抜け道」の出来るのを待っていた。混んでいるのだろうとのんびりしていたオレも、それにしては三車のスピードがいつまでも変わらぬ事に異常を感じ、隙間から「覗く」と、その前はガラガラではないか。右・中は低速車線のトラックとバンだから、本来運転者が気にする必要はない。しかし左端の乗用車は、相変わらず隣のバンの横腹にへばりついている。後続は次第に渋滞し始めた。

イリノイ州では、例え制限速度で走行していても、渋滞を招く車は罰せられるようになったと新聞で読んだ覚えがある。乗用車の真後ろにオレが付けば、パッシングやクラクションで威嚇するのだがと思っていたら、先のRVがパンパカし始めた。ところが乗用車、動じる気配なし。

数分して、ようやく支線に分かれ去ったトラックの車線へ、みんなが殺到して抜け出していく。それと共に、中車線のバンも何故か速度を上げ出した。先の三車は、速度違反を警戒し互いに牽制していたのかも知れなかったが、それにしても左車線の車の非は大きい。

どれ、どんなバカが道を塞いでいたのかと、抜き去る時に顔を拝む。するとそこには、顔を一瞬上げては俯いて携帯メールを打つ若い黒人女性の姿があった。

ううう・・・事故って欲しい。でないと、この輩は一生反省しないに決まっている。


2007年12月20日(木曜日)

ロザをお休みしてSOBでマインズ。

日本からアルト・サックスのA子ちゃんが来ている。何年も前に一時帰国したとき、大阪でオレのバンド(アリヨズ・シャッフル)の前座をしてくれたらしい。らしいというのは失礼だが、楽屋が離れていたりすると前座の方の演奏を観る機会は少ないのだ。特に、出演前にドキドキしてしまう小心者のオレには、人様の演奏を楽しむ余裕などないから仕方がない。

そのA子ちゃんが姿を見せたので早速ビリーに紹介すると、二セット目の頭から彼女を上げることになった。その後彼女は、計1時間半もマインズのメインステージに立ち続ける。A子ちゃんは既に自力でマジック・スリムと共演しているから物怖じすることはない。目深に被った野球帽と口元のサックスで顔の表情は分からないが、多分楽しんでいるのだろう。

最終セットの後半はいつもゲストで一杯になり、大抵ビリー以外のメンバーはお役ごめんになる。メインはチコ・バンクスで、A子ちゃんを始め怪しげなヴァイオリンのオヤジまで上がっていた。マインズMCのフランクは、チコの従兄弟のアンソニーにキーボードを譲り、舞台中央では、マインズ・セキュリティの古株メキシコ人のカルロスがコンガを叩いている。そしてオレは、今晩最後の曲の"Help Me" の途中で飽きてしまったジュワンに代わり、ベースを弾いてやった。

あまりにも多いソロ取り(ギター、ピアノ、ハープ二人、サックス、ヴァイオリン、コンガ)に、自分の割当が少なくて呆れているチコを見ながら、オレもそろそろベースソロの準備をしなくてはいけないと考えていた。


2007年12月22日(土曜日)

マイナス10度近かった先週とは打って変わり、氷点を上回るシカゴ。雨が妙に暖かい。

面識くらいしかない白人の無名オヤジのレコーディング。音のバランスをチェックしたあと、練習なしのぶっつけ本番を希望し、3曲すべてテイク・ワンで終了ぉ。

音響係が「想像以上の出来でビックリしました」って褒めると、オヤジは「なっ、この音を期待してたって分かるだろ?」と彼に自慢して良い気分。音源を宿題していった甲斐がある。しかし何より、そんな無名オヤジの録音でオレに正規料金(!?)が支払われたことが、一番気分よかった。


2007年12月25日(火曜日)

せいなるくりすます。
さんたさんはこなかった。

せっしななどのあたたかいくりすます。
このままはるになってほしい。


2008年12月27日(木曜日)

夜も氷点を上回っているのが不思議な今年最後のロザ仕事。

のんびりとタバコを燻らせているオレに、「アリヨにとって今晩が最後のローザスでの喫煙だね」とトニーが言った。うっ、すっかり失念していた。シカゴでは数年前からレストランが全面禁煙となったが、来年からはバーでも適用されるため、クラブの店内ではタバコを吸えなくなってしまう。したがって愛煙家は外で吸わねばならず、冬は極寒のシカゴで、一体みんなどうするのだろうか。いえ、私は震えながらも外で吸いますがね。

時計の針が12時を回り、幸運なピアニストの来店で休憩を得ていたオレがドア付近に立っていると、若いメキシカンの4人組が入って来た。ドアマンのメルヴィンが入場料を請求し、みなが口々に不平を言う。「当店は生演奏でチャージが付きます」を知らなかったらしい。その中の一人がオレをめざとく見付け、「ニホンジンナノカ?」と少し訛った日本語で問い、「オレ、ハーフ・オブ・ニホンジン」と付け加える。「へぇ、ご両親のどちらが日本人なの?」と日本語で訊くと
通じない。再度英語で訊ねると「ハハオヤハ、ニホンジンデハナイ!」ときっぱり答えた。

「それじゃぁ、お父さんの名前は?」(日本語)
「ミハル、オオサカデハナイ」
「大阪出身?」(英語) 
「ハイ!」
「私は京都から来ました」(日本語)
「キョウト、スコシ、ハナレル」
「そうそう、とても近いね」(英語)

バンドの爆音と妙な日本語で会話がかみ合ってない気はしたが、$5が惜しい他の3人に促されると彼は一緒に出て行った。ところがオレともっと話がしたかったらしく、クリスと名乗った日系の若者は10分もすると一人で戻って来た。メキシカンと日本人の取り合わせが面白かったのと、仲間から離れても日本語を話したい彼の健気さに打たれ、ゲスト扱いで入れてもらう。いや違うな。メルビンに頼んだのは、ほんの気紛れに過ぎない。金のなさそうなクリスを見て、少なくと
も彼の日本人の親に対して良い格好をしたいという、卑しい心が無かったとはいえない。

彼の日本語の発音には勢いがあった。

「オレ、コリアン・ガールフレンド、イタ!コリアン、ハナスカ?」
「いや、朝鮮語はほとんど分からない」
「ソウカ!」

クリスは突然ペンと紙を取り出し、カタカナとハングルで「クリス」と書いて見せた。

「ニホンジン・ガールフレンド、ホシイ」

彼がオレに何を求めているのかは分かる気がするが、会話には違和感がある。互いに英語を理解しているのに、無理な日本語を交じえるためだけとは思えない。クリスの語気の強さは日本人の父親の影響だと思っていたが違っていた。

「さっき君は、お父さんの名前がミハルって言ったけど」
「ソウ!」
「お母さんが日本人で、名前がミハルさんなんだね」
「ハイ!オレノハハオヤハ、ニホンジンデハナイ」
「『デハナイ』と違って『デス』だよ」
「ソウカ!ニホンジンデス」

ステージから降りるとクリスの姿は無かった。仲間のことが気になったのだろうが、店の窓に張られたオレのチラシ写真を見て目を丸くしていたのに、音楽には興味が湧かなかったのかも知れない。

彼がメルビンに託したレポート用紙には、英語とひらがなの混じった文章で「日本語が上手になりたいから教えて欲しい」ということが書かれていた。サインペンか紙からかは分からないが、何故か消毒液の強烈な臭いがする。携帯番号に添えられた"Call me sometime"という文字を、オレは複雑な思いで眺めていた。


2007年12月31日(月曜日)

SOBでレジェンズとアーティスのダブル。夜になって吹雪いたり止んだりのマイナス5℃の中、雪でドロドロの道からの搬出入は嫌い。

マジック・スリムの前座を終えて、地味なアーティスでカウントダウン。「オーティスを連れて行くかも知れない」といってくれた、ラッシュ夫人のマサキさんはこの雪で出られないはずだし、グラフィック・デザイナーのK夫妻が姿を見せなかったのも仕方ない。

それでもアーティスは「ご近所さん」で賑わった。レジェンズでも会ったバディ・ガイの弟のフィルが、「さっきチェッカーボード・ラウンジに寄ったら、ヴァンス・ケリーのバックで日本人の女の子がサックス吹いてたよ」と言う。ヴァンスからカウントダウンの仕事が貰えるかも知れないと言っていたA子ちゃんだろう(2007年12月20日参照)。こつこつといろんなクラブへ顔を出し、その度に上げてもらっている。若い日本人女子、自力で頑張る。

出不精になりがちな天候にもかかわらず、オレが知ってるだけで今晩三件回ったフィルは、仕事ではないし誰かとつるんでいる気配もない。家に居ても面白くないというより、毎晩どこかのクラブに顔を出すことが日課になっているだけなのだろう。それにしても、カウントダウンにアーティスを選んでくれた事は光栄というべきか。

数日前のニュースで報道された殺人事件と、人質を取っての立てこもり事件の現場はアーティスの近所だった。マイナス7℃に下がった帰り道の風景に、物騒な臭いは感じられない。薬物や銃の蔓延に依る凶悪犯罪と一般の市民生活とは、例え隣り合わせにあったとしても、被害に遭わない限り実感を伴わない。当事者になり得る可能性を、無意識のうちに遠くへ押しやるからだ。ところが、酒かクスリか性格かは知らぬが、こんな日はいつもにも増して交通事故を良く見かける。だから、気を付ければある程度避けられる自損よりも、巻き込まれる恐怖が強い。

アーティスを出て直ぐのところの高架下の分離帯に、早速激突してるバカがいた。車の前部は大破し、片側二車線を塞いで横を向いている。消防車と救急車が一台ずつ到着していたがパトカーは見えない。きっと今晩は忙しくて、みな出払っているのだろう。

誰の誘導も無く、事故現場の反対車線を抜けていく。さすがに整備された大通りは、雪の解かされた黒いアスファルトの路面が現れていて、容易にスリップする事はない。交通の途絶えない大晦日を過ぎた午前3時、自損せぬよう、巻き込まれぬよう運転をする。以前はここまで思わなかった。きっと歳のせいだろうと考えると、自宅までの30キロ以上が長く感じられ、余計に疲れてしまった。

明日はマイナス15℃まで下がる気配。