傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 31 [ 2005年5月 ]


Pinetop Perkins
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2005年5月1日(日曜日)

世界中の働く人たち 頑張ろうぞ!

レジェンドで日曜のSOB。いつもは店に居ても、オレたちのステージへは上がって来ないバディ・ガイが、珍しく唄った。ギターは弾かなかったが、オレがビリーと一緒になって以来初めてのことだ。

広いキングストン・マインズのステージを二日間演った翌日だったので、そのまま大音量で終わった一セット目に苛ついていた。椅子に腰掛けて演奏するオレは、隣のギターアンプから逃れられず、耳をつんざく音の痛みに耐え切れなくて、キーボードを引きずり次第に後ずさっていった。

ニセット目が始まる寸前にビリーが『バディ・ガイが上がるぞ』とニヤけた。みんな「バディ・ガイなにするものぞ」との気概はあるものの、やはり側に立たれると存在感がある。彼はステージに上がるなり手の平を下へ向けて、音を下げるように指示した。

モーズもニックもしっかり集中している。丸山さんも、不必要な音で隙間を埋めるようなことをしない。

なに、なに、みんなちゃんと演奏できるんじゃないか!ビリーがあんなに音量を指示しても一向にバランスが良くならないウチらのバンド・・・ってことは大将、あなたみんなから侮られてますよ。


2005年5月2日(月曜日)

まぁ大したことのない6連チャンも終了。あまり先を見ず、こつこつと日々(にちにち)を過ごしたら終わっていた。そして、ようやく先を見ると・・・先月は22本入っていたのに、今月はまだ半分ちょっとしか埋まっていない。

ビリーがハンディ賞の授賞式に出席のためお休みで、メンバーだけで好きに演奏する。昨日のレジェンドへも観に来ていた愛知県からの人とは別に、東京からという男性の3人組も姿を見せる。せっかく日本からいらしたのにビリーが不在で申し訳なかったが、みなさん本当に楽しんでおられた。

3人組のひとりはギターを弾き歌を唄われたが、充分に弾(はじ)けて嬉しそうに演奏される。辿々しい言葉が通じていなくても、ブルースを愛することは客に伝わり、店内は明るく盛り上がった。

4人とも短期の観光なのでお上りさんに見えるのは仕方ないが、黒人街で触れるブルースは格別のモノなのだろう。音楽の善し悪しではなく、クラブの雰囲気が酔わせるに違いない。初めて黒人街のクラブに、怖怖(こわごわ)ひとりで出入りした頃を思い出したが、彼らにはオレと丸山さんという二人の日本人がバンドにいることも心強かったはずだ。

帰り際に愛知の人が、『昨夜のレジェンドよりも楽しかったです。20代最後の良い思い出が出来ました』と言ってくれた。

店も広く音響もしっかりしていて、ビリーが中心だったレジェンドと比べ、メンバーの各々が無秩序に唄い、常連のご近所ミュージシャンが入れ替わり演奏していく、アーティスの音の質が高かったとは思えない。しかし観客も含めて、ここには自前・手作りのような活気がある。

「ライブ」は決して、ミュージシャンだけが創るものではないと改めて教えられた。


2005年5月7日(土曜日)

タイミングを外すとどうしようもない。一度チャンスを逃すと、次にいつ回ってくるかも分からない。それほど、自分の位置が不確かで安定していないってことなのか。

水曜日にデロレスから、『今度の土曜日の午後2時から、コスモポリタン教会(2003年11月25日付日記2004年1月写真参照)でCDとDVDの録りがあるんだけど来れない?』と誘われていた。詳しいことは連絡すると言いながら電話もなかったので、朝方まで遊んで午前10時頃にベッドへ入る。

午後1時30分過ぎに知り合いから電話があり、夕方会うことを約束して、5時頃にもう一度電話をもらうことになった再び寝床へ潜り込もうとした時、携帯にメッセージが入っていることに気が付く。

うっ!デロレスからで、着信は午前11時半。慌てて電話すると、録音は予定通りあるから教会へ来れないかと言う。既に約束をしたのは日本からの旅行者で連絡先を知らず、急には予定変更やキャンセルが出来ない。

携帯の呼び出し音に起きないほど眠っていた自分が悪いのか、前日までに連絡を取らなかったデロレスに非があるのかは分からない。教会へ推薦してくれた彼女の好意に応えられなかったことだけが、いつまでも尾を引いて悔やまれた。


2005年5月10日(火曜日)

火曜日のロザは、第一期シカゴ時代(1983-88年)の遊び友達だったメルビン・テイラーがレギュラー出演している。しかし彼は長い欧州公演に発ったので、ルリー・ベルが代役で、そのサポートをすることになった。だから今月は毎週月曜日から木曜日まで埋まったが、ギャラのよい週末ではなく、忙しいだけであまり嬉しくはない。こうなりゃいっそ、休みなしで働かせてくれ!

久し振りのルリーは、エディ・テイラーJr.と共に、「本道・シカゴブルース若手ニ本柱」とオレが注目するに相応しい怪演だった。

こんな男と一緒に演ると、バッキングにのめり込める。かつて日本の雑誌で、「饒舌過ぎる」と揶揄されたオレの演奏は、自分が自覚する欠点のひとつでもあるので、ルリーのギターのように、唄に見合った音埋めがタイミング良く入ると、オレの余計な口も喋り過ぎずに済むということだ。

でもこのお口は、やはり黙っていることに堪えられないのか、ソロが回ってくると大声で怒鳴りまくり、終演の頃には、喉(腕)は萎み、舌(指)はレロレロになっていた。


2005年5月11日(水曜日)

オーティス・ラッシュの70才を祝う誕生会がバディ・ガイの店、レジェンドでおこなわれた。オーティスの奥様のマサキさんより、随分前からビリーと共にお招きを受けていたが、毎週水曜日にオレたちの出演しているジェネシスの終演である、12時に終わってからでは間に合わなくなる可能性がある。大将と協議した結果、3セット目をオレが抜けて先遣することになった。

予定よりオーバーしてしまった2セット目が終わると、大慌てで機材を片付け車に積み込む。バンド公認、オフィシャルの招待なのでみんなが手伝ってくれて早い。ビリーは『オレもすぐに駆け付けるから』と残念そうにしている。

オーティス(実際はマサキさん)から声を掛けられて、仕事が入っているからとすげなく断わることなど誰もしたくない。誕生会への演奏招待はそれほど光栄なことなのだ。エリック・クラプトンもカルロス・サンタナも、心から来たがっていたという。

高速道路がジェネシスの在る南の郊外からようやくシカゴ市内に入った頃、サウスサイドに住むチャールズ・マックから携帯に連絡が入った。

『アリヨ、今、何してるの?んん!?そりゃすごい、僕も連れてって』
『えっ・・・チャールズ、ドアマンの人の誰かと親しい?オレの仕事じゃないし、今晩は特別なパーティだから、入る時にややこしくなったら君に悪いよ』
『・・・』
『んんんっ、向こうに機材は全部揃ってるらしいけど、オレのキーボードを車の中へ置きっぱなしには出来ないから、前みたいにローディごっこする?(2003年6月1日参照)』
『うん、僕はアリヨのローディ!』

幸い5分の寄り道でチャールズを拾い、クラブへ着いたのは12時15分前。『こいつ今日はオレのローディで、ジェームス・コットンのべーシスト』と一応言ってみたが、ドアマンは最初から手で入れと指示していた。

普段は9時半から演奏の始まるウイークデーのレジェンドなど、近くのホテルからの観光客が多く、12時頃には本当に好きな人しか残っていない。ところが今晩はまだ入口から混雑している。

重くて長いオレのキーボードを抱えたチャールズを従え、客をかき分けズンズンとステージ脇へ向かった。そこここに、かつてオーティスと演奏を共にした懐かしい人や著名ミュージシャンたちの顔が見える。とりあえず邪魔な機材を二階の楽屋へ持っていきたかったので、さらに奥にある階段目指して、V.I.P.席の前の通路を横切ろうとしたら、知った顔に鉢合わせた。おお!シュン(ココ・テイラーのギター、菊田俊介)。彼は既に、9時スタートの部でジミー・ジョンソンと演奏を終えていたらしい。

数秒でも挨拶や声掛けが多くなり、後ろのチャールズを気にしながらもすんなり奥へ進めない。ズスンッ!あっ、ロニー・ブルークスさん、すみません、横通りまぁーす。ペクッ、息子のロニー・べーカー・ブルークス、一昨日会ったばっかりやん。ボコッ、おお、もうひとりのオーティス(クレイ)さん、こんにちは。コラッ、ひとりやのに横幅取り過ぎて通路を完全に塞ぐなっ、おおビッグ・ジェームス、あんたのホーン隊の出番はまだやったか、あっボブ・ストロジャー、ゴメン急いでるから握手だけね、はぁーいシャロン・ルイスゥーう、誰やオレのお尻を突ついてるのは、ぐっ、リンゼイ・アレキサンダー・・・おいおいフィル・ガイ、これはステージに持っていかないの、楽屋へ置きに上がるの、えっ、背が高過ぎて見えんかったけど、今のエディ・クリアウォーター??

ようやくチャールズと階下に戻り、MCからミュージシャンの出番分け、時間調整などすべてを仕切るカルロス・ジョンソンに挨拶ができた。ステージではカール・ウェザズビーが、バンド音を極端に落とさせて、啼きのギターで観客を魅了している。振り返ると、V.I.P.席の後ろ中央に神様と奥様が鎮座されていた。

『本日は誠におめでたく大盛況な誕生会でお呼びに与りまして身に余る光栄で恐縮致してシカゴの主なブルース関係者が一同に集うビリーは間に合うよう鋭意努力してSOBのメンバー全員からくれぐれもよろしくご機嫌麗しく・・・』

といった含蓄のある言葉の『Happy Birthday』をひと言述べると、ふたりとも破顔で喜んでくれた。この入れ代わり立ち代わりの、豪華絢爛なフェスティバルの如き誕生会の饗宴を楽しもうと客席へ紛れ込もうとしたら、カルロスに呼び止められる。へろっ、もう出番?はいはい、今日の貴男様には逆らえません。

カルロス本人も含め、これほど個性と才能豊かな人々にひとり1-2曲しか演奏させず、招待リストに載っているすべてのミュージシャンを公平に扱って、オーティスの誕生会を「歴史」にしている功労者は、なんといっても彼である。誰もが不平を表へ出さず、素直にカルロスの指示に従ってフル回転で演奏は進んでいた。

バンドの転換で、久し振りに会うカールがいつもより大袈裟にオレを抱きしめた。明るいステージの上だから恥ずかしいが、彼も今日の日の演奏に昂っているのが伝わってくる。だから客の興奮は尋常でない。病み上がりのオーティスこそ上に立たないが、前半のトリのはずだったロニー・ブルークスのあと、直ぐにバディ・ガイが上がってきて、一般入場料の$10を、タダ同然にするほどダメを押して盛り上げたらしい。クラプトンやサンタナが実際に来ていたらと思うとゾッとした。

気が付けば、オレと一緒のセットに再びシュンも上げられている。ん?ベースの人、あんた誰?ドラムの白人の人、見たことないなぁ・・・もうひとりのギター、あっ確かジャイルって名前。丸山さんの何代か前のSOBのギタリスト。そして表のボーカルは、ネリル・タイガー・トラビス!ああ、なるほど・・・シュンはネリルと一緒に演っていたことがある。しかし、みんな音がデカイ。誰が一番煩いかって、それはワタシです。だってじぇんじぇん自分の音が聴こえませんもん。

1曲でネリル下りる、もうひとりのオーティス上がる、はへっ、オーティス・クレイ?まだそんな大物が唄ってなかったの?ラッキー。もうね、こういうときは、自分が自分がとなりがちなのを抑えて、存在証明(アリバイ)の如く、ステージに上がってることだけを楽しまなくっちゃね。なになに、シュンがこっちを見ている、あっ、音が落ちた。シュンありがとうね。美味しいソロを頂きぃ・・・ごちそうさま。

あのオーティス・クレイも1曲で下ろされ、バンドは2曲で総入れ替え。誰も愚痴を言ってません、今日はオーティス・ラッシュの誕生会。

揚々と引き上げたオレを、ジョニー・ドラマーが捕まえる。『今度のおれのレコーディングにな、お前をな、ピアノをな、・・・』その横でシル・ジョンソンが同時に口を開いていた。『お前 "Take me to the river" 知ってるよな?』『あっ、はい』オレの応答は、二人を交互に見ながら倹約できた。先を続けるジョニーを遮り、シルが念を押している。

『お前 "Take me to the river" 弾けるよな?』
『アル・グリーンのでしょ?』
『いや、おれはシル・ジョンソンだ』
『分ってますよ、アル・グリーンが唄っている"Take me to the river"でしょ?』
『アルじゃない、オレはシル・ジョンソンだ!』
『もうエエって、あなたがシルだって分ってますよ。"Take me to the river" を一緒に演奏したいのは山々なんですが、カルロスは既に別の鍵盤奏者を上げてしまっているから、ワタシが勝手に出ると段取りが崩れて、彼に叱られるんですよ』
『そうか、あの鍵盤奏者は"Take me to the river"が弾けるのか?』
『大丈夫ですよ・・・(多分)』

ただでさえ時間に押されながらも己を抑えて、懸命にうるさ方の整理をしているカルロスに、『オレよぉ、シルから次ぎの曲も弾けって言われてよぉ、だから又上がってきたんだわ、いいだろう?』てな態度を示そうものならば、3秒間ほど力一杯に首を絞められるのは確実だった。 

<アリヨ、シル・ジョンソンの"Take me to the river"共演の誘いを蹴る>

結局バカ共たちは、一番美味しいコードチェンジの部分を誰もが誤魔化して、シルの唄うメロディとぶつかり合っていた。キーボードの人は今日の立派な鍵盤機材の持ち主だし、唄を聴きながらちゃんと合わせられると思ったんですもの。

贖罪のため、下りたシルに『私はあなたの"Take me to the river"が一等だと思います』と誉めたら、『ワタシハアナタガスキデス』と日本語で応えてくれた。ああシル、あんたも舞い上がっている。

みんなが喜んでステージへ上がっていく。割れんばかりの拍手で迎えられる。我(が)を出しながらも要所ではちゃんと弁(わきま)えている。2ユニットあったホーン隊も豪華に宴(うたげ)を彩る。客席から観ていたおれは、自然と頬が弛んでいた。側で誰かが言っている。『こりゃ、一晩でシカゴ中のミュージシャンが観られて、腹がはち切れんばかりに一杯だなぁ』お客さん、「高級ブルース料理、$10食べ放題」はお得でしょ?今日はラッシュの誕生会。ああ、最初から居たかった。

うっ、そういやチャールズの姿を見ていない。騒音の中で携帯に掛けてみる。『えへっ、バー・カウンターのとこで女性と話してるから、僕は大丈夫』大丈夫って・・・こっちは帰りもローディをお願いしたい旨告げられず。

再びステージ脇へ戻ると、いつ呼ばれてもいいように通路で待機する人々の間を縫いながら、俯いてうろつく黒い影があった。『もしもし、ルリー(ベル)』『あぁっ・・・?』彼の悲しげで虚ろな目がようやく合って『おっ、アリヨッ、イエィ、イエィ!』と陽気になった。

『どうしたの?何か探してるの?』
『うん、おれの黒いコートが見付からないんだ』
『どこに置いたか覚えてる?』
『随分前に演奏した時はここら辺に置いていたんだけど、それから忘れてしまって・・・』

ルリーは再び暗い顔に戻ってきょろきょろしていた。なくしてしまうと奥さんのスーザンに怒られると思って、必死で探しているのだろう。オレはV.I.P.席に座っている人にも声を掛け、このサイトのデザインをしてくれたK2やその奥さんも加わり、しばらく一緒に探した。

『どんなコート?』
『黒いやつ』
『これは』
『あっそれっ・・・違う、おれのじゃない・・・』
『でも、こんなロング・コートなの』
『うん・・・』

親切そうな中年の女性が彼に質問するが、可哀相にルリーは下ばかりを見つめて生返事しかできない。こんな混乱状態のステージ脇からは、すべてが終わって人がいなくならない限り見付かりそうもなかった。

突然オーティスを祝い観客を煽るカルロスの声がしてきた。振り返るとオーティスのところにはマイクが届いている。

『みんなぁ、イエーイって言ってくれぇー』
『イエーイ!』
『みんなぁ、もっとイエーイって言ってくれぇー』
『イエーイ!』
『イエェーイ!』
『イッエェーイィ!』

客席にいた人だけではなく、ミュージシャンたちもみんなが立ち上がり応えている。彼は何度も叫んだ。叫ぶ度に勢いは増す。

嬉しくて堪らないのはオーティスだけではない。彼の存在がこの場を誕生させた。感動を与えてくれたオーティスにみんなが感謝していた。まだ思ったように身体は動かないのだろうが、彼はきっとステージへ戻ってくる。誰もがそう信じている。

記憶の歴史に残る素晴らしい誕生会だ。奥様や準備を手伝った人たちを始め、カルロスの頑張りがなければなし得なかっただろうが、それもオーティスが偉大なブルースマンで、人々が敬愛して止まないからだ。サンタナから贈られてきた白いバラが映えている。マサキさんの『ありがとうございます』という澄んだ声が響き渡っていた。

午前1時前、いよいよ大団円を迎え、会場に残っているミュージシャン全員がステージへ上がる。最後にやっと間に合ったビリーは、ウチの「大将」の貫禄を充分に見せてくれた。チコはカールと一台のギターを譲り合ってソロを取り合った。オレと立派な機材の持ち主は、狭いところに仲良く立って楽しんでいる。カルロスとシャロンが終演曲の声を張り上げる。もう誰がどこにいるかは、オレの前に立っているチコとカールで見えないが、多分全員が上がったはずのステージなのに、その前をうろつくルリー・ベル・・・ゴメン、忘れていたわ、彼のコートのことを。

カルロスに呼ばれて、パッと顔をほころばせ、ひとコーラス唄うと、ルリーは再び顔をしかめてコート探索の旅へと戻っていった。あれから一時間ぐらいは経っていまいか・・・。

閉店時間をとっくに過ぎても、オーティス夫妻へ祝いを述べに寄る客足絶えず、こんなときはジャマになるので、切れ間を見付けてさっと挨拶を済ます。遂に女性を懐からスルリと逃したチャールズをローディに、キーボードを上から持ってくると、ルリーになにやら手渡している人がいる。V.I.P.席の一番奥にソレはあったらしい。

『ルリー、コート見付かったの?』
『うん、ありがとう、これこれ』

ほっとした表情で彼が手を通しているのは、黒い皮のジャケットだった。それをコートって呼ぶか?

昔、元憂歌団のボーカルの木村さんと仕事をしていたときを思い出す。『楽屋におれの青いバック置いてなかったか?』と訊かれたが、それらしきものは見なかった。しばらくして楽屋から戻ってきた木村さんは、『あったわ』といってレコード屋の青い袋を示した。あんた、それをバックって呼ぶか?中には着替えのTシャツだけが入っていた。

それにしても、ルリーだけは舞い上がるとか吾がワレがの「我」もなく、いつもマイペースに見える。自然で無邪気なルリー・ベルのままだったのがオレは嬉しかった。

楽しかったお祭りの後の余韻漂う店に、名残り惜しくぐずるチャールズを急かせ、結構な重さのキーボードを運ばせて車に乗り込むと、彼は何故か急に大人しくなった。

『どうしたの?』
『うん、カルロスは僕が来ていたことを知っていたのに、呼んでくれなかったね』
『あはは、そりゃそうさ、リストに載っていなかった人は、その場のカルロスの目に止まった人から、思い付きで上げられてたもの。それで、チャールズはステージから離れたところで女性と楽しんでたんでしょ?それじゃ、リストのミュージシャンの整理で一杯一杯のカルロスの頭には浮かばんわなぁ』
『うぐぐ・・・』

二兎を追うもの一兎も獲ず


2005年5月14日(土曜日)

ビリーは少し昂揚しているように見えた。ロザに着くなり『今日のシカゴ・ホワイトソックス(メジャーリーグ・ベースボール)の試合でアメリカ国歌を吹いてきたんだ』とみんなに知らせている。

ホワイトソックスの主催試合は年間80回以上あり、地元の著名人によって国歌斉唱はおこなわれているが、毎回違った人が指名されるため、これまで何人が唄ったのか数え切れない。

シカゴにはナショナルリーグのカブスも存在するし、主催試合数が40回を超えるMBAのブルズ、試合数は少ないがフットボールのベアーズ、少し人気は劣るがホッケーのブラックホークスなど、大観衆を前にした国歌斉唱の機会はいくらでもありそうだ。それでもカードによっては全米、全世界に中継されるので、選ばれるのはとても名誉なことに変わりない。

昔オレを雇っていたヴァレリー・ウェリントンも、シカゴベアーズの試合で唄った。ところが彼女は伴奏の海軍音楽隊にキーを間違えて教えてしまい、5万人を前にサビの部分で声がひっくり返って上ずり、大恥をかいてしまったらしい。目が老いて、たまにハーモニカのキーを間違えてしまうビリーだが、野球の試合に伴奏はないはずだから心配ない。

晴れやかな舞台に、ビリーを呼び込むアナウンスの響き渡る光景が容易に思い浮かぶ。

『ハンディ賞受賞3回、グラミー賞ノミネート2回、シカゴが誇る世界的ブルースハーピスト、ビリー・ブランチさんによる国歌斉唱です』

彼が颯爽と登場してマイクの前に立ち、肘を締めて少し肩をすぼめ優しく吹き出す。サビでは少し力を入れ、クライマックスに向けて次第に盛り上げていく。そしてエンディングでゆっくりとためて高音を張り上げ、最後のメロディのあとにブルーススケールを一節足すと、大歓声が沸き起こる。

ねぇビリー・・・国歌はいいけど、ウチら "The Sons of Blues" でも、そんな大きな仕事をしましょうよ。

ロザ終演の2時半には、大将はご機嫌で酔っぱらっていた。


2005年5月17日(火曜日)

ううう・・・今日のルリー・ベルの"Mr. Magic"良かったぁ。モダンなファンクの曲なのに、ルリー節がピタっとマッチしていて、伴奏していて気持ち良い先週いきなり演り出した、レイ・チャールズの"A fool for you"も良かったぁ。毎回ルリーには驚かされてしまうのが嬉しい。


2005年5月25日(水曜日)

およそ祟(たた)りというものは、その災禍を甘んじて受け入れても、時と場所によって「今は」とか「ここでは」勘弁して欲しいとの願いに反して、突然見舞うものなのだろう。そして因果の「因」に覚えがないほど、人は、「祟り」に違いないと何かを恐れる。

オレは先週末から、日頃の生活の不摂生を嘆きながら、なにもこんなクソ忙しいときに起らなくてもと、身に覚えのない「祟り」を呪っていた。

11連チャンの5日目の朝、正確には出発を一時間後に控えた20日(金曜日)の午後2時、目覚めると右臀部と足の付け根が痛い。ゆるりと身体を起こしかけて、右足全体に激痛が走った。むむむ、これは一体どうしたことか・・・立とうにも立てず、それどころか右足をどう動かそうが痛みで身動きができない。どこかに打ち付けた覚えもなく、寝るときにさほど疲れていた記憶もない。

『ギャッ』とか『ビョヒィ』とか『ウオッフ』など、あらゆる悲鳴を上げながらようやく立ち上がったが、どう頑張っても右足を引きずるよちよち歩きでしか前へ進まなかった。頭の隅では「骨の癌」や重篤な「内臓疾患」が過(よぎ)るが、とにかくこれからミシガン州のグランド・ラピッズ(Grand Rapids)までひとりで運転して行かねばならぬ。

キャンセル・・・ぷるぷる、オレの到着を楽しみにしているシロタップのロブ・ブレイン(2004年4月29日参照)が頭を抱える可哀相な姿を想像すると、それはできない。なんせミシガン出身のロブの地元でおこなわれる彼のバンドのライブに、オレ様がフル参加するのだ。ゲストにはもうひとりハープのクロポン・オーマ(2004年4月29日参照)がいる。若い彼らのロック色の強い大音量に付き合うことを、オレも楽しみにしていた。

奥様に手伝ってもらいキーボード(20キロ以上、別機材はトランクに常積)を車へ積み込んだが、運転席へ乗り込むだけでうめき声が漏れてしまう。特に股関節付近の痛みが激しいので、角度によっては膝を曲げられない。アクセルは何とか踏めそうだったが、万が一のためにブレーキは左足で踏めるよう確認して出発した。

片道300キロも、シカゴ市内を抜けるのに手間取り4時間も掛かってしまう。途中立ち寄ったガソリンスタンドでは料金を先に支払わねばならず、満タンにするため多い目の金額を渡したので、お釣を貰いにレジまでニ往復させられた。ガラス窓などに映った自分の歩く姿を見て、身体の具合がどかかよっぽど悪いのだろうと推察されるような、ぎこちない牛歩の如き有り様は、今が病のヤマであって欲しいと願わずにはいられない。 

クラブが近付くとロブの携帯へ連絡を入れ、そのとき初めて事情を説明する。店の裏ではメンバーたちが待機していて、あっという間に機材はステージへ運ばれていった。州間高速道路では、オート・クルーズ(ハンドルの手元のスイッチで速度を設定すると自動的にアクセルを調整する。加減速も容易)にほとんどを任せたし、座っている分には痛みを感じなかったが、数時間もじっとしていたためか右股関節や臀部の筋肉が強張ってしまい、いざ運転席から降りる段になり痛みは増していた。

運転と同様、演奏も座っているので問題はない。その夜の3セットを無事終えたが、休憩ごとに関係者が、オレも患った、私もなったと『"Sciatica"(座骨神経痛)だから、ストレッチをした方が良い』『歩くのが一番』『よく暖めて』などのアドバイスをくれるので、激痛を我慢しながら右足を曲げ、できるだけ筋を伸ばそうとした。

翌日の午後一時からは、絶対に出席せねばならないパーティがあり、現地での宿泊を辞退して帰途に着く。疲れと眠気を痛みが覚醒させる。アパートの駐車場へ戻ったのが午前5時。必ず起こせと奥様から厳命されていたが忍びなく、最後だけは自力で試してその後を占おうと、後部座席からキーボードを持ち上げた。

雨がそぼ降り、空は次第に明るくなり始めている。車から建物までの僅かな距離で、濡れた道へ3回ほど倒れそうになり、右足は左足より終に前へ出ることはなかった。階段ではとうとうキーボードを引きずり上げ、廊下でも2回立ち止まった。そして朦朧としたまま寝床へ入り、一瞬して目が覚めたと思ったら次に出かける時間になっていた。

パーティでは会う人ごとに『どうした?』と聞かれるのが当たり前なほど、よちよち歩きは派手で目立ち、既に判決が下ったように『座骨神経痛』と答えている。痛みに慣れて表情の憂鬱さは薄れたが、前日と状況は変わらない。

ウチに戻って半身浴で患部らしきところを暖め、郊外のセント・チャールズ(自宅から約80キロ)でのルリー・ベルの仕事へ向かう。これを乗り越えれば、日曜日はレッスンと夜のパーティだけだからなんとかなると、またもやキャンセルなどは考えなかった。

用心して早く出たため一番乗りになったが、搬入はお店の人が運んでくれ、搬出はたまたま一緒だったSOBのベースのニックが手伝ってくれたので、患部にそれほどのダメージがあったとは思えない。演奏もルリーの真髄がほとばしる75分が2回で、瞬く間に時は流れた。今回はさすがに奥様のお言い付けを守り、駐車場から叩き起こしてキーボードを運んでもらい、長い二日間はようやく終わった。無理してストレッチをし就寝。

ところが翌日曜日は足の痛みで午前中に目覚めた。じっとしていても、右足の付け根からお尻にかけてズキズキ・ジンジン痛いのだ。金槌で大腿部の堅いところを叩かれたみたいに、骨の随が疼いている。こりゃレッスンどころではない。すぐさま先方へキャンセルの連絡を入れ、我慢していた痛み止めを服用した。そしてようやく前日程度の状態になる。

その夜のパーティとは、先日のオーティス・ラッシュ誕生会(2005年5月11日参照)での裏方や演者の労を犒い、日本人関係者のみを奥様のマサキさんが招待されたもので、ほとんどオレのスケジュールに合わせてもらって決まった日なので抜けるわけにはいかない。

煉瓦亭での大晩餐会のあと、グラフィック・デザイナーのK宅にてお茶会となり、楽しい夜は更けていったが、アパートに戻る頃には薬の効果も切れて、毒のような痛みは全身を回り始めていた。

月曜日はさすがに起き上がれず、かといって痛みで熟睡することもできない。痛み止めで外出できることは確認していたので、服用してアーティスに出向いてみた。

土曜日とまったく変わらない容態のオレに向かってニックが、『お前そんな状態でどうして出て来た?』と不思議そうに訊く。自転車操業なので止まれない、ペダルを漕ぎながらなんとか良くならんもんかと思案している旨伝えると、彼は気の毒そうに笑った。

ここ数回は軽いアンプでさえ自分で運んでいない。周りは『同じ姿勢でいるな』『動かせ』『暖めろ』と言うし、ネットで調べても同様の対処しか載っておらず盲信してしまったが、日毎に悪化する気配は、一度安静にするか意を決して医者に診てもらうしかあるまいとようやく考え始めた。

しかし整形外科などの専門医に診てもらうためには、掛かり付けの町医者などの紹介が必要だし、二度手間の上に検査検査でたらい廻され、自転車そのものが壊れてしまいかねないので、とりあえず火曜日のロザでのルリーの仕事をキャンセルして、丸一日安静にしていようと決めた。

うむ、それなら大事をとって、水曜日のジェネシスもキャンセルしよう。それでもダメなら木曜日のロザも休んで、幸い週末は金曜日の午前中に弁護士と会う約束をしている以外、予定は入っていない。おお・・!こりゃ、一週間近く休めるではないか!そう思い付くと両手を挙げて小躍りしたくなったが、さすがに足が痛いので手だけにしておく。

そして昨日の夕方目が覚めると、どことなく股関節が重くない。無感覚なほど回復している感じはなかったが、痛み止めを飲んでいないのに歩けそうだった。恐る恐る右膝を立ててみる。そして左右に動かしてみた。角度によって相変わらず激痛は走るが、先週の金曜日程度に戻っている気がする。時間は掛かるが、自力で靴下も履けた。ストレッチや無理して動いたのが良くなかったに違いない。

同じ神経痛に悩み、ひたすら鍼で凌いだというY嬢を思い出した。おお、鍼灸!小中高の一年先輩で、たまたまブルースファンの鍼灸師が京都にいる。早速電話して相談してみた。

『あはは・・・そんな痛い時に無理して動かしたら炎症が酷なるやん。ほんで急性期は冷やさんと』
『あはっ、全部逆で悪(わる)してたん?』
『話し聞いたらそうやなぁ、整形行って神経ブロックの注射打ってもらうか、鍼がエエんちゃう?』
『へい』

そこで今日、生まれて初めて鍼治療を受けた。カイロプラクティックの資格も合わせ持つM先生は、首から足までのレントゲンを撮って根本から治療しないかと奨めてくれたが、叩けば埃の出る身体(脊柱)は、自覚症状に対してのみの対処療法が、精神にも財布にも望ましいとお願いして、問診と触診で患部を限定した鍼をうってもらう。

M先生の見立ては「座骨神経痛」ではなく「股関節の捻挫」。これからは寝て起きる度に良くなると言われ、速効性はないはずなのにどことなく足が軽く感じる。まだ右足は引きずるが、運転席の乗り降りはとても楽になった。

とにかく数日は一日2度のアイシングを欠かさず、同じ姿勢を長く保たないことと念を押され、なるべくそうしようと心に決める。

そして今、この日記を床に座って打っているが、「同じ姿勢を長く保たない」の長さが分からないので困っている。


2005年5月28日(土曜日)

臀部の筋肉に張りはあるものの、鍼・カイロのM先生が予言したように、右足の付け根は寝て起きる毎に良くなっている。木曜日のロザは休まなかったし、昨日はダウンタウンの弁護士事務所へ車で行き、駐車場からオフィスまで往復30分歩いた上に、グランドパークの北西の角にある、ミレニアムパークを散歩した。

今日は午前中にもう一度ダメ押しの鍼をうってもらう。クリニックはミツワの近所なので帰りに立ち寄ると、何かのフェアーか入口付近で各種団子を販売していた。みたらし団子が3本$2、他に安かったお菓子(お好み焼きあげせん、抹茶ミルクのアメなど)と缶コーヒーの「BOSS・休憩中」を買い求め帰宅。

みたらし団子は焦げ目がなく、期待したほどではなかったが、落胆するほどでもなかった。京都河原町三条を下がったところに在る団子屋さんのみたらしは、焼き鳥のネギほどの大きさの団子が串の先に5つ刺さっていて、程よい焦げ目が香ばしく、無性に食べたくなってしまった。

もう普通に歩けていることで、先週からの祟りは解けたかも知れない。まだ明日一日休みがあるから、復活した身体で楽しもうと思っている。