傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 13 [ 2003年11月 ]



Ariyo and Sara @ Rosa's Lounge
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2003年11月3日

ああ・・・もう11月も3日が過ぎた

その時かなり大きな音がしたらしい。演奏中だったのでオレは気付かなかった。入り口付近が俄に慌ただしくなり、人々が入れ代わり立ち代わり外の様子を窺っては表へ出ていく。イタリアから全員で来ていたエスプレッソ・ブルースバンド(あ痛たた・・・エエんかぁ?この名前で)のメンバーの一人は店へ戻るなり、バーテンダーに向かって電話をした方が良いと言っているようだ。

ああ、早く外の様子が知りたい。ひょっとして誰かが倒れているのかも知れない。それなら車に跳ねられたのかも知れないし、撃たれたのかも知れない。知っている人だったらどーしようかと思い、無意識に店内にいる知り合いの顔を探していたが、大半が見物に出向いたらしく確認のしようがなかった。

とにかく非日常の光景がそこに在るはずだ。大きな窓越しに時折見える皆の表情は、それほど強ばっていた。本日最後のセッションに上がったリンゼイ・アレキサンダーは、騒ぎが分からないのか中断するのが嫌なのか、振り返ろうともせずのんきに唄っている。

パトカー、救急車、消防車が、けたたましい音を連想させる天上ランプを瞬かせながら押し寄せて来る。耳の脇の巨大なベース・スピーカーと、キーボード・スピーカーから流れる音でサイレンは聞こえず、消音したテレビに映るアメリカ映画のように臨場感はない。

SOBが毎月曜に出演するクラブ「アーティス」は、サウスサイドを東西に走る87番通りと路地の南西の角に立地している。オレの座っている位置からは、その路地を挟んで南東の角に建つ大きな婦人服屋が見えた。閉店後は防犯のため鉄の蛇腹で囲われたショウウインドウに、車の後部ランプが映っている。えっ!?演奏が終わるや否やオレは席を蹴って飛び出した。婦人服屋の西側のショウウインドウには、乗用車がお尻まできれいに埋まっていた。

住宅地で午前2時にもなる時間、野次馬は店の客を除いてほとんどいない。演奏中の心のざわめきと緊張感は、事情を知ると急速に失せてしまった。

通りを東進していた暴走車が脇から飛び出した別の車と接触し、対向車を巻き込んで婦人服屋に飛び込んだ。かの車は盗難車で、運転者と同乗者は慌てて逃げ出したらしい。逃げた盗人達は知らないが怪我人はいない。少し凹んだ乗用車と、バンパーのないRV車が、少し離れたところに停まっていた。見た目は派手だが単なる交通事故ってところだった。

しかし暴走進路があと1メートル南へずれていたら、路地に駐車していたベースのニックの愛車に激突していたし、もう数メートル南なら、演奏中のオレ達のところへ突っ込んできたかも知れない。当該車も含め、車3台の物損及び婦人服屋破損(ここが最大の被害者)だけで済んで良かったと笑って話していたら、もう一台被害にあったと誰かが言う。暴走車に剥ぎ取られた対抗のRV車の後部バンパーが飛んで、通りに停められていた車の前部を直撃したのだ。

通りを挟んだ店の向い側を見ると、年式の新しい高価なクリーム色のキャデラックの前に、大きな鉄の塊が落ちている。そこへ慌てて駆け寄り、車の前を覗き込んでは地団駄踏む男がいた。騒ぎに動じず、最後まで演奏を続けていたリンゼイだった。


2003年11月8日

今週もよく働きました 
あっ あくまでミュージシャンとしてはですがね

月曜がアーティス、火曜がキングストン・マインズ、水曜がスタジオ録音、木曜がロザ、そして今日が郊外のお店。そして、ひと月以上も前から切りたかったのに機会がなかった散髪も、休みの金曜日にようやく予約が取れて、日本人経営の美容室へ。重くなっていた頭は軽くなり、またツンツン髪を立てることができる。

しかし夜型の生活は、昼間に用事があると一日中だるい。水曜日のスタジオは午後の2時からだったので、正午過ぎには起きなければならなかった。前日の帰宅が午前5時前であったことを考えると、その瞬間だけでも、日本のサラリーマン諸氏と疲れを共有できたのではないかと独りごちる。カルロスの最後の録音作業は、約一月間失踪していたにもかかわらず調子が素晴らしく、予定していた時間通りに終了し、帰宅は午後11時半。明くる日のロザへの出勤が午後9時半なので、随分時間がありそうだが、その日は昼間にケーブル会社の技術者がやって来るため、中途半端な時間に一旦起きねばならず煩わしかった。

こちらの派遣技術者は未熟者が多いのか、無責任な人間が多いのか、問題箇所をなかなか見付け出せなかったり、一度で解決できなかったりすることがある。特にオレの加入しているRCNというケーブル会社の技術者は、来る毎に別の問題を置いていくという印象がある。

このアパートが古いせいもあって配線は複雑に違いない。おまけに、別のケーブル会社であるAT&Tや電話回線、電気の配線など、建物の内部を様々な線が複雑に入り交じっているには違いない。しかし曲がりなりにも会社が派遣した技術者であるなら、たとえ欠陥の多い集合住宅であっても、構造を理解し事に当って頂きたい。

ウチのケーブルTVを正常につなげる時に、他所の線を切ることが信じられない。だいたいが、ウチのテレビが映らなくなったのは、別のユニットの依頼で技術者が来た時だ。半年前からは、ケーブルによるインターネット高速回線にも加入したが、そちらはしょっちゅう接続不良が起きていた。この間3人目でようやく原因が判明した。外壁に取り付けてある、ボックス内のケーブルを接続しているボルトが弛んでいたためらしい。成る程、それ以来大変調子がよろしい。

そしてこの木曜日の昼間、11時から14時までの間に伺うとの約束で彼(彼女)を待ち受けていた。今回はケーブルテレビのコンバーター(変換機ーこれで100以上あるケーブルテレビのチャンネルを変える)の電源が落ちたために、無償交換に来る予定であった。彼が電話でオレを叩き起こし、「後10分から15分で行きます」と言ったのは午前11時15分。実際に来たのは午後1時15分。「ああ、早く寝たいのに・・・お前今日はチップなし」と顔にもろ出しで迎える。

VHSのビデオテープ4本(2×2)程の大きさのコンバーターを替えるだけなのに、癖のある中東訛で話す若い技術者は、部屋の壁から出ているケーブルを外し、検針機の様なもので何やらごそごそとしている。そしてぽつりと独り言。
「ちゃんと信号は来ている・・・」
「いや、そやからコンバーターの電源が落ちたから、それを変えるだけでイイでしょっ?」
「はい、分かっていますが。念のために調べていました」
といって突然古いコンバーターのスイッチを彼は入れた。(それ、オレが何回も繰り返したのに・・・)ところが、パチッと音がしたと思うと電源が入ってしまった。
「へろっ!!」
「スイッチ入りますねぇ・・・ニヤニヤ・・・」
「でもこの2年間、一度も電源が落ちたことはなかったのに、何で?」
「落ちた時に私が見ないと原因は分かりませんよ・・・ニヤニヤ」
(ウッ、くそガキ!その時にお前がいても分かるわけないやろが。今は正常やから強気になっとるやんけ!)
「ニヤニヤ・・・でもコンバーターは新しいのと取り替えておきましょう」
「直ってるんやったらそのままでエエんと違う?」
「いえ、替えた方がアナタはハッピーでしょっ?ニヤニヤ・・・」
ハ、ハッピー!? 
確かにその方が再発の懸念はないが、どこか釈然としない。ハッピーって単語はこんな時によく使うし、「気が済む」程度に軽い意もあるようだが、とにかくその若い男をオレは信頼していなかった。取り替えは30秒と掛からない。ありがとうとだけ言って送りだし、早速すべてのチャンネルが入るかどうか調べだした。

ウチが加入しているのはスタンダードの91チャンネルに加え、"Premium Channels"と呼ばれる映画専門有料チャンネル(WOWWOWみたいなもの)HBO系の4チャンネルである。新しいコンバーターの設定が違っていてHBOが観られないと、またぞろ文句を言わねばならない。

ところが一つずつチャンネルを変えて驚いた。今まで「このチャンネルはご契約されていないためご覧になれません」と虚しく表示されていた、別の映画専門局までが綺麗に入るのだ。別料金の局が、HBO系と合わせると10局すべて観ることができるようになっていた。これは素晴らしい!なんて素敵なんだ!と感動しているとドアをノックする音が聞こえた。

先ほどの若い技術者が顔を覗かせて、「テレビちゃんと映ってますぅ?」と問うている。うっ、契約外の局まで見事に映っておりまするとも言えず、再度の訪問の意図を計りかね、「き、綺麗に全部観ることができるよ」と言いながら、反射的に$5をチップとして渡していた。そいつは当然のように受け取り、「ありがとうございやしたぁー」と軽い返事を残して消えていった。

もし彼がわざと、すべての映画専門局を観られるように細工したとしたら、$5は安すぎる。逆に、コンバーターを付け替えただけならチップは不要な気がする。小心者のオレは、いつまでこの僥倖が続くか不安になりながらも、面白そうな映画は、今の内に出来るだけ録画しておこうと考えながら寝床に入った。

夕方起きてテレビを点け、もう一度確認する。ス、素晴らしい。10チャンネルが平行して、話題になった映画を中心に放映し続けている。出勤前の用意をしながらふと気になって、Macの電源を入れ適当なサイトへアクセスしてみた。

グッ!ア、アクセス出来ない・・・。やってくれたかぁ? $5男!

速攻でRCNへ電話。くそ忙しいのに、テープの声で「英語は1をスペイン語は2を」から始まり、「何それのご用は何番を押してください」を散々繰り返し、たらい回され、ようやく人が出てきたと思ったら、
「おたくの地域は原因不明の不良が生じております」
「どのくらいで復旧しますか?」
「それは何とも」
「・・・」

結局その日は完全にインターネットは使えず、翌日ようやく繋がった。

ようやく繋がったが・・・お、重い!ハイスピード・インターネットがロースピードになっておるではないか!何か、電話回線よりも遅い気がする・・・。高速回線に慣れていたから、物凄い欲求不満でイライラしてしまう。時間がないのでケーブル会社へは後程と思い、それは土曜の午後となってしまった。

RCNの「24時間お客さま係り」へ電話する。テープの声。指定の番号を何度か押し、テープの声。押しても押してもテープの声。そして、無機質で無気味なテープの声は延々と流れゆく。

いまだにRCNの人間の誰とも話が出来ていない。


2003年11月10日

暖かな雨がそぼ降るシカゴは 一日煙っていた

ビリーがお休みしてもSOBの4人が各々唄うので、アーティスだけはキャンセルにしない。大将の唄がないと場が持たないのに、今夜は何故かどの曲も客受けが良かった。もっとも、ジャムセッションを楽しみに来ていたゲストが普段より大勢いたので、後半のSOBは数曲しか演奏せず楽をする。

以前は、キーボード弾きは滅多に来なかったが、最近は若い日本人女性のピアニストが毎週来るため、オレも休憩時間が増えた。彼女は、週3日はオレの演奏を聞きに来る程熱心で、どんどんサマになっていく。そのためついつい任せる時間が長くなり、少し後ろめたさなんか感じたりするが、黒人街のクラブで若いアジア女性がそれなりにブルースピアノを弾けば、客は「ウゥオー!」てなもんなので、職場放棄の如き自責の念に駆られることはまったくない。

終演後機材を車に積み込んでいると、背の高い男が施しを求めて近寄ってきた。小銭でイイんだけどと言っている。見た目の威喝さとは反対に、おどおどしていて声が小さい。

オレは、ただ単に小銭と言う輩には、肩を竦めて手を少し外側に広げ、申し訳なさそうな顔で穏やかな拒否の意思を示す。何らかの理由を述べ態度に好感が持てれば、言い分を信じる振りをして幾許かを施すこともある。

去年のクリスマスの時期、寒い街頭に座り込み物乞いをする男がいた。いつものように "Sorry" といって通り過ぎた後ろから、"It's OK. Merry X'mas" という明るい声が返ってきた。拒否したにもかかわらず、こちらの気分を良くしてくれた物乞いに少し感動してしまった。直ぐさま男の元に駆け寄り、 "Merry X'mas" と言って大枚の$5を渡していた。あの物乞いは相当のプロに違いない。乞われても施さなかったことに対する、僅かな心の痛みを癒す明るい "It's OK." で、かなりの額を稼いでいると思われる。物乞いのトッププロに違いない。

施しなど、所詮こちらの気分が良くなるだけで、相手の境遇や問題を変える何の解決にもならない。施すことが偽善とまでは言わないが、僅かの金で人助けが出来たと思う人もあるまい。何よりも受けた当人は、金額の多寡に拠らず、大抵の場合感謝の印しが希薄である。どうしようもなくその境遇に陥り困っている人は助けたいが、そう見受けられる人など滅多に現れない。だから施すには、嘘でも何らかの理由がオレには必要だと考えるようになった。

その男は相変わらず高い所からぼそぼそと何か言っている。
「・・・するから・・・」
「えっ」
っと聞き返すと、車の窓を拭くからとようやく聞こえた。バケツを手にウロウロしていた理由が初めて飲み込めた。何とも言えない虚脱感に襲われ、肩を竦めて車に乗り込む。

・・・雨やんけ


2003年11月13日

バディ・ガイのお店 "Buddy Guy's Legends" で、バディ・ガイと Dr.ジョンの前座をSOBが務めた。

レジェンドでバディ・ガイの前座は嫌!大物様をサポートするキーボード様は、前座ごときに場所を空けるのがお嫌いらしく、ドンっと出っ張って置かれた彼の機材は、「手を触れないでください」という見えない張り紙でオレを威圧し、肩身を狭くしながら演奏せねばならない。終わればちゃっちゃと片付けて、貴様の機材はどこぞ邪魔にならない所へ持っていけとばかりに追い立てられ、ついぞバディ・ガイの演奏を前座の後見たことがない。どこかで向かっ腹を立てているオレは、邪魔な機材を車に積み込みそのまま放置しておけるはずもなく、さっさと帰ってしまうからだ。

今夜は子供のための何かのチャリティらしく、入場料が$75もしたため、売り切れが常のバディ・ガイにしては超満員ではなかったが、Dr.ジョンという素晴らしい人寄せもあり、満員と呼べる程度の客入りではあった。ところが、SOBの持ち時間は1時間しかないにもかかわらず、ビリーはいつも以上に唄わない。

全員でソロを取りまくる「サンズ・オブ・ジューク」に始まり、ドラムのモーズが2曲唄う。次に大将は「ハーフ・オブ・ジャパニーズ・マフィア」と訳の分からない紹介(いっそのこと、ヤクザと呼べ!)でギターの丸山さんを紹介し、彼が「スリル・イズ・ゴーン」を熱唱する・・・。

はい!残り時間30分切ってまぁ〜す。

ようやくビリーは、オレのピアノがいつも窓際族になってしまう「ブンブン」を唄ったと思ったら、ソラ・ヤングを引っ張り出した。ほへっ!?いつの間にゾラを呼んでたの?最初からそういう計画?

いやオレは大好きですよ、ゾラ。フェスティバルなんかでSOBは、ゲストボーカルに彼女を呼んで華を添えたりしますもん。映えるんですよ、ゾラは。でも彼女がいるのなら、どうしてモーズ2曲丸山1曲させるの?そして何でアンタは1曲しか唄わんの?彼女が2曲目を唄っていた時、音響屋が舞台袖にやってきて、ビリーに向い片手を広げた。ほらぁ、残り5分の合図やないのぉ。

最後にビリーが何を唄うのかと思っていたら、ハープが唸るだけのインスト曲。オレはこんな雑多な伴奏をするために、わざわざ日本からやって来たのかと思うと情けなくなった。ゾラを上げる予定だったら、何故モーズや丸山に唄わせる!

ああ・・・前座だからに違いない。何度もグラミー賞に輝いたバディ・ガイの前座とはいえ、グラミーにはビリーも二度ノミネートされている。名前では後塵を排しているものの、シカゴではスターの二人であるべきだ。だから、前座ならこの程度で良いだろうと大将は思ったか?もう一度整理すると・・・インスト2曲、モーズ2曲、ゾラ2曲、丸山1曲、ビリー1曲。

ん?・・・ならオレにも唄わせろ!

演奏中のステージから、楽屋入りするDr.ジョンの横顔は拝めたが、バディ・ガイの姿は見なかった。8-9時のお務めを終えたオレは、その後のことなどどうでも良く、顔に能面を付けたまま速攻で機材を片付け、次の仕事場であるロザへと向かった。


2003年11月19日

C-NOTESのリーダーであるクリス・ジェイムスが2ヶ月のツアーに出るため、毎週火曜日に入っていたキングストン・マインズの仕事が昨日打ち切られた。正確にはクリスとベースのパットだけが西海岸の別バンドに合流し、ドラムのウイリーやハープのロブとは当分離ればなれになるらしい。

短い間でも、毎週共に演奏していたメンバー全員と次に会せるのが何時になるか分からないのは、手伝いのつもりで参加していたオレでさえどこか寂しさが募る。来年クリス達が戻って来たところで、キングストン・マインズのレギュラーに返り咲けるかどうかは分からないし、その時オレが空いているかも分からないからだ。

ウイリーと奥さんからクリスマスカードを貰って、ちょっと早いのではと思ったが、その時期に皆が揃わないのを見越して用意したのだと理解出来た。

カードと共に渡されたプレゼントを開けると腕時計だった。時計の部分がグランドピアノ、バンドが鍵盤に模されていて、とても実用的だとは思えない。しかし、オレが喜ぶだろうと思った彼らの気持ちを考えるととても嬉しかった。

お返しをしたいがわざとらしくなるのも避けたい。日本でなら住所を聞いてお歳暮を贈っていただろう。でも腕時計を貰って直ぐ連絡先を聞くのもどうかと躊躇した。

来月催される、昨年亡くしたウイリー夫婦の子供のための慈善ライブに、オレはSOBの仕事があって協力できない。元々幾らかの寄付をするつもりでいたので、その旨を奥さんに伝えた。

相手に何かをする時、アメリカではお金を裸で渡しても失礼にならない場合が多い。最低でもチリ紙に包む日本人の上品さを鑑みると、彼らの実用主義は楽ではあるが味気なく、気持ちが慣れることはない。普段中学校で歴史を教える、メンバー唯一の有職者のロブに一応相談する。彼の答は当然判っている。この機に日本の文化・風習をさり気なく伝えたい欲求があった。「裸のままで失礼じゃないよ。寄付の気持ちは彼らに伝わるから。ただ・・・」

現金を手渡された彼女は素直に喜び、早速ウイリーに報告している。

ニコニコと感謝の笑顔をこちらに振りまく仲の良い夫婦は、最初オレが考えていた寄付の額がロブの助言で半減したことを知らない。


2003年11月25日 その一

関西を中心に活躍中の双児ユニット、"The Twins"の小竹兄(直)が拙宅に5泊し今朝ご帰国された。

R&B、ブルースを中心に、ゴスペル、ポップスまで唄えステージ映えも良く、その上双児でギターまで弾けるのに野ざらし状態が続いているので、ここは一つ老婆心ながら喝を入れようと呼び付けたのだ。

しかし疲れた。何が疲れたって、彼が5泊した間のライブがたまたま4日あり、休みの日曜には教会へ連れて行き、昼は毎日が観光運転手とまるで現地添乗員。とにかく歌を唄わせ(延べ7曲)、通訳を務め、飯を喰わせ、酒を飲ませ、薬を与え、女性を紹介し・・・、ご帰国便が朝の9時だったので、前日の仕事の後そのまま寝ずに空港へ向かった。

帰国して3時間後にはライブが待ち受けている彼も、この強行軍にはほとほと疲れたに違いない。呼び付けておいて引きずり回し、挙げ句に疲れたと言われては彼の立つ瀬がなかろうが、のんきそうに見送られる姿を見ていると、果たして喝を入れることが出来たのかと不安になる。

彼の滞在中に僅かながらの僥倖も二つあった。小竹兄が到着した夜のロザに、アリゲーターレコードのブルース・イグロアが客を伴って現れたのだ。忙しいイグロアがクラブに顔を出すことは珍しく、前回オレたちが会ったのはいつだったかと、二人で暫く宙を見遣っていたほどだ。海外から(デンマーク)のミュージシャンを案内し、木曜日にセッションが出来るのはロザしかないので訪れたに過ぎない。

小竹兄が唄っている時は身体を揺すってリズムを取っていた。彼を紹介すると楽しんだ旨のコメントを述べたが、将来契約を考えるとは到底考えられない。それでも小竹兄の記憶と経歴には、ブルース・イグロアの前で演奏をした事実は残る。

もう一つは日曜日の教会。前日の帰宅が午前5時前(既に当日)だったので、小竹兄が望んでいた朝のサービス(礼拝)に参加するのは、身体の不調を訴えてでも避けたい。以前ゴスペルブランチでデュオの仕事をしたデロリス・スコットに相談すると、夕方5時からサービスを行っている教会があるという。オレもまだ本格的な黒人教会でゴスペルを観たことがなく、場所を確認して行ってみることにした。

朝からの雨が次第に強くなる中、高速を運転してサウスサイドへ向かっていると、デロリスから携帯に連絡が入った。自分も行くから教会で落ち合いましょうと言う。オレよりかなり年上だが若く見える。かなりオシャレな女性で、頭の先からつま先まで気を遣ったコーディネイトは、同じ服を同じ場所には着て行かないという徹底振りだ。3年前にアーティスで出会って以来、オレのことをいつも気に掛け優しく接してくれて感謝している。

65番街にあるコスモポリタン教会の教会堂は、バスケットコートが4面以上は取れる程の大きさだったが、夕方で雨のせいか礼拝客は少なかった。それでも揃いの白いガウンで身を被った40人近いクワイアーの合唱が始まると、広い空間をゴスペルが埋め付くし、満員の熱気の中に置かれているかの錯覚を起こす。

伴奏は透明なプラスチックの衝立に囲まれたドラムに、ハモンドオルガン(B3)と電子ピアノの3名。ハモンド奏者がリーダーらしく、足でベースを奏でながら後ろの二人を指揮している。

最初遠慮して後ろの方に座っていたオレたちを、少し送れて来たデロリスが見付け、追いやるように前から3列目に移動させた。


2003年11月25日 その二

ニューヨークには何度も行き教会へも通った小竹兄と違い、初めて経験するオレは少し気後れしていたに違いない。圧倒的なコーラスとバンド音が、宗教音楽の神聖さと黒人音楽への憧れの狭間でオレを戸惑わせ、祭壇に近付くことをためらわせていた。習慣としての仏教と神道に拠って育った異教徒(無宗教)の意識が、教会の扉を開け、衆目に晒されてから突然芽生えたのを感じていた。

それは前半の合唱を終え牧師の説教が始まった時に、自分自身を締め付けていった。神に触れると奇跡が起こることを彼は説く。神に触れるにはどういう生活態度で、どういう行いをすべきか、様々な具体例を挙げて説教師は声を張り上げる。信者は口々に共鳴と理解の言葉を発し、頷きをもって応える。クワイアーのメンバーの何人かは、説教師の言葉をメモしている。

ケーブルだがTVの収録のために、カメラが2台中央に設置されていた。マイク付きヘッドフォンの黒人カメラマンたちさえ、他の信者と変わらず「エーメン」と声を出していた。

ミュージシャンを含めてこの人たちは、当たり前のことだが神を信じている。神に触れることを目的としてこの「場」があるのだ。ゴスペル音楽は、布教や連帯・同一を越えて、商業的に成功し一般化した面もある。しかし本来は、神を信じる人々の、真摯な宗教音楽として存在していることを思い知らされた。この場に居辛いのは、オレの穢れた心からだけではなく、神聖で純粋なものへの敬意があるからだと信じるしかない。

ブルースといった異文化への敬意が、容易には同化し難い心の葛藤を自覚する以上に、生の根源に関る宗教観の違いはオレをより悩ませた。

小竹兄をふと見ると、英語が理解できないためか、所在な気にボーとしているように思えた。デロリスは小声で「この人の説教は少し長いの」とこちらを気遣ってくれる。それでも時折頷いては「エーメン」と口にしている。オレは嘘でも「エーメン」とは言えない。いう必要もないだろうし、彼女らもそれを求めてはいまい。

ゴスペルブランチの仕事の際、オレはクリスチャンではないけど構わないのかと訪ねたら、「あなたが良いミュージシャンだから伴奏してもらうだけよ」とデロリスは言った。しかしオレはまだ、ブルース程割切ってゴスペルと向き合うことは出来ていない。

突然説教師がデロリスを紹介し、日本の友人を連れて来たと報告した。彼女がいつの間にオレたちのことを伝えたのか知らないが、注目されたことでますます居心地が悪くなってしまった。 

彼女は「アリヨもテレビに映っているわよ」と言いながら、拍手をする人々に向かって手を挙げている。カメラがこちらに向けられたのは分かっていたが、オシャレな大きな帽子で、オレの顔はまったく映らないのも知っていた。

やがてデロリスは広い壇上に上げられ、マイクを持ってクワイアーをバックに熱唱する。会場の全員が立ち上がり手拍子を取る。小竹兄は「イエイィ」と、それでも遠慮して盛り上がっているのが可愛い。音楽的にはノリまくって、曲が終われば力強い拍手を送りたくなるが、宗教行為なので音が止んでも何もない。どこか消化不良のようで頼りないことこの上ない。

デロリスが呼ばれた時に覚悟は出来ていたが、やはりオレも最後には壇上に上げられた。オレの心の内など誰も知らないだろう。自分でも躊躇せずに前に進み出たのが分からない。説教の時間とゴスペルの時間が完全に分離していた。

電子ピアノの演者に頭を下げ弾き始めたが、鍵盤が彼の指の脂でぬるぬるしていて弾き辛い。一番難儀したのは、カンカラカンカラと叩く度に音源の設定が狂ってしまったことだ。オレの弾き方は下方向へ強く叩く優しくない奏法なので、内部の接触が飛んでストリングスやエレピ、妙なパイプオルガンの音などに設定が変わってしまう。

演奏するからには、隣のハモンド奏者やドラマー、クワイアーらと共に楽しもうと心掛けたのに、オレの教会デビューは、結局電子ピアノと格闘しただけの印象で終わってしまった。

小竹兄によると会場は盛り上がり、オレが下りる時には牧師が煽って拍手喝采だったが、どこか納得がいかない。クラブ仕事とは違い明らかにオレはお客さまだし、演奏中に牧師が「彼は楽しんでいる」といった意のことを叫んでいたが、オレは楽むよりは自分の演奏が出来なかったことに苛立っていた。

翌日アーティスに姿を見せたデロリスが言うには、彼らはオレを気に入り、次のレコーディングセッションに来て欲しいらしい。日本も含めた、海外公演の経験のあるクワイアーのCDに参加させてもらえるのは大変光栄だが、こういった話は大抵実現しないし、付け焼き刃でゴスペルが弾けるとも思っていない。

それよりも、演奏に納得いかなかったことの方が悔しくてならない。今は何とかそのリベンジを果たしたいために、日曜の朝早く起きることも考えているが、数年したらどこかの教会の壇上で、白いガウンを着た、宗旨変えをしたオレがいたりして・・・。

昨年96才で逝った、禅宗の高僧だった祖父の顔を思い浮かべると、とても改宗など出来はしまい。あっ、本来無宗教なので改宗とも言わないか。


2003年11月30日

はい12月です 

先日手伝った友達のバンド "VINI & DEMONS" のレコーディングに対するお礼のメールがきた。最後に、まるでキーボードで文字を打ち込んだように日本語の写真が貼付けてある。

「どうも有難う」

キム(2003年6月28日付け日記参照)とは違い、インテリで探究心の強いメンバーたちがネットで正しく(!)調べたのだろう。彼らは大学の元独語講師、元看護士、元フロリダ大学理事と特異な経歴が並ぶ。それでもコンピューターの言語環境を日本語にできないので、写真としてファイル化し貼付けた。

分かっていながらも、「ウケた」証明にどうやって調べたのかと返信したら、タイトルを "genpi" として返してきた。本文にはやはり写真が貼付けてあるのだが、明朝体の漢字がタイピングされたようにしか見えない。

「厳秘」

ウッ・・・文語