傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 26 [ 2004年12月 ]


Michigan Ave.
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2004年12月2日(月曜日)

午前6:45(日本時間 午後9:45) 

第一子 希美人(キビト)がこの世に生まれ出(いで)たことを 

慎んでご報告申し上げます


2004年12月7日(火曜日)

ううう マタニティ・ブルー

・・・オレが


2004年12月9日(木曜日)

ホリデー・シーズンで出費がかさむのか、単にタイミングの問題なのか、とにかくハーモニカ・カーンがステージに呼ばれたとき、ロザには観客がひとりもいなかった。

彼はいつも数曲唄うと両手を挙げて挨拶をし、客席に下りて黒いソフト帽を手にチップを集めて廻る。帽子の中に数ドル入るときもあれば、小銭さえ貰えないときもある。決して一義的に金を欲しているのではなく、自分のパフォーマンスに対する評価を求めているだけだ。ところが今晩はその相手がひとりもいない。

床に寝転ぶこともなく一曲だけ短く唄うとゆっくり振り向き、演奏を付き合ったオレたちに向かってカーンは深々とお辞儀をした。そしてタップ用の持参の板を脇に抱えると、寂しそうに去っていった。

彼を追って幾許(いくばく)かの「ブルース受講料」を手渡したくなったが、そんなことをすれば、餌付けされた野生動物のようになってしまい失礼だし、何よりも次のゲストが演奏を始めると、オレの清い心はすっかり失せていた。


2004年12月10日(金曜日)

SOBがロザでジュニア・ウェルズ誕生パーティ・・・死後も誕生会してもらえるんや。

まったくトニーは何にでもこじつけて客を集めようとする。でもそれがイタリア商売人の素晴らしいところ。ロニー・べーカー・ブルークスを始め、デロリス・スコットやトレイたちも遊びに来ていた。

最終セットの中ほどにピアノのデトロイト・ジュニア現れる。いつもは呼ばれてもぐずぐずして上がらなかったりするのだが、珍しく誰も呼ばないのにオレの方へと向かって来た。(えっ!?オッサン、美味しいソロ前にオレを引きずり下ろすの?)はっはぁー、ウチのベースのニックとからみたいのだ。

ニック・チャールズはハウリング・ウルフを始め、マディやウイリー・ディクソン、ジュニア・ウエルズ、バディ・ガイなど、ほとんどの巨匠たちと演奏をしてきた。だからリーダーのビリーでさえ、ベースが爆音を奏でても、半音が聴き取れず音を外しても、キメを忘れてしまっても、コーラスを入れなくても、あまり強く文句は言えない。

そのニックが丁度唄っていた("Next Time You See Me")ので嬉しくなったらしく、デトロイトは杖をカタカタさせオレにスリ寄り、『キーは何だ?』と問うてきた。『ハイ、"G"でございます(お前はピアニストを何十年やっとんねん!キーくらい耳で当てろ!)』

アリヨ、老いたデトロイト・ジュニアに美味しいソロを取り上げられる。

デトロイトがピアノ前を占拠したときは丸山さんのギターソロの途中で、本来オレのソロがある2コーラス前だった。事情を知るはずもないデトロイトが、ギターソロ終わりで直ぐにピアノソロを弾けるはずもなく、あたふたしている間に1コーラス消化。デトロイトようやく己(おの)が番に気付き、それでも慌てずゆったりとソロを奏で始める。ゆったり過ぎて本人もソロを弾いているのか、バッキングを弾いているのか分からなかったのかも知れない。調子に乗ってきたのは3コーラス目からだった。

人の音を聴いていない疑惑の絶えないニックは、普段オレが3コーラスでソロを終え次のソロ奏者のニックに渡すため、コーラス終わりで、ここぞとばかりにベースソロを弾き始めた。ビリーと丸山さんはピタッと演奏を止め、ドラムのモーズも極端に音を落とす。

聴き慣れたベースソロ(同じフレーズの連続をソロと呼べるのかも疑惑が絶えない)を打ち消すように被ってくるピアノ音。デトロイトは俯いて懸命に鍵盤を叩いている。一瞬後、ニックは苦笑いをして頷きもう1コーラス待った。再びコーラス終わりでビリーと丸山消音の、モーズびっくり水の如きブレイクダウン!ニックのソロ導入・・・そしてやっぱり被りまくるデトロイト音。

偉い様のニック・チャールズ、やりたい放題のデトロイトに美味しいソロを奪われる。


2004年12月13日(月曜日)

『おれは良い人間だよ、ホント』

本当に良い人が自分から善人だと吹聴するわけはない。男は続いて『中国の新年はいつなんだ?』と訊ねてきた。こいつは中国人と話がしたいのだろう。それが2月1日であることは知っていたが、『知らないな』と興味なさそうに答えると少し身体を離し、神妙な面でオレの顔を眺め始めた。

『お前は中国人じゃないのか?』
『オレは中国人じゃあないね』
『じゃぁ、お前は何者なんだ?』

知らないやつに『お前は何者なのだ?』と訊かれて気分の良い訳はない。

『何者だと訊いたのか?それともオレの国籍を知りたいのか?』
『おれはお前が何者だと訊いているんだ』

男は相変わらずオレの顔を品定めしている。順番待ちをしていたアーティスのトイレが空いたので、『オレは日本人のピアニストだ』と答えながら中へ入ってドアを閉めた。

某国人だと間違われることには慣れていたが、何故かこいつの言い様に腹が立つ。粘っこい話し方が生理的嫌悪に結びついている。さっきはモーズに何か話し掛けていたが、能面のような表情で相手をしていたから、オレと同じ気持ちだったのかも知れない。

トイレを出ても、得心のいかない様子で男は立っていた。

『おれにはお前が中国人にしか見えないぞ』
『じゃあ中国人でもいいが、オレは日本で日本人として育ったんだ』
『日本ん?本当かぁ・・・んん分からんなぁ』

(お前もセネガル人かタンザニア人かフランス人かアフリカ系アメリカ人かは判別できないぞ)と言って、いらぬ災いを招いても仕方がないので、「良い人間」を残してカウンターをぐるりと廻りキーボードの椅子に座った。

演奏をしながら「良い人間」を注意して観察していると、バンドに対して奇声を発し大袈裟な拍手はするものの音を聴いていないのは明らかで、常に場所を変え女性に話し掛けている。時おりオレの真ん前でおどけてみせるが、目は笑っていない。気が付くともうひとりの男が、「良い人間」と付かず離れず同じ行動を取っていた。

二人でクラブ内の若い女性すべてに声を掛け、すべてに振られると、最後は85才の老婆に悪態を吐(つ)き、店のセキュリティが気にし始めてようやく出ていった。

女性と親しくなりたくてクラブに来るのは一向に構わない。しかし嫌われる輩は、どうしてバンドとも親しくなろうとするのだろうか。女性に相手をされないからメンバーと仲良しになろうとするのか、その逆かは分からない。

マキシマに装備された外気温計は18°F(-8°C)を示していた。そろそろ手袋を出さないと搬出入のときに難儀する。


2004年12月15日(水曜日)

他人でも子供の誕生をアメリカ人はとても喜ぶようだ。いまだに『子供の様子はどう?』が挨拶で、どの人も目を細めて話を聞いてくれる。アメリカという移民たちの国では、新しい家族をことさら大切にするのだろう。

どのユニットの演奏でも、『新しくパパになったアリヨ』とステージ紹介されるので、見知らぬ客から祝いの言葉を数え切れないほどもらった。

顔馴染みの客から『祝いに酒を奢りたい』と申し出され、『下戸なので気持ちだけで結構です』と断わると、『ノン・アルコールのビールがあるからそれで乾杯しよう』と切り返された。ジェネシスの、丸まると肥えているのにすべてが筋肉に見える、がっしり型のウエイトレスが運んで来たノン・アルコール・ビールは、良く冷えてまったくビールの味であった。

日本のミュージシャン仲間でオレのように酷い下戸はギタリストに多い。近しい所ではブルース・マスターの伸ちゃん(塩次伸二)や、お笑い武闘派の西やん(西野靖)がいる。二人と「飲めない比べ?したことはないが、どうせ「目くそ鼻くそ」に決まっているから、そのような苦痛を伴う勝負は意味がない。でも同い年の西やんだけには負けたくないので、互いに倒れるまでの死闘が予想される、但し、小瓶ビールで決着はつくのだろうけど。

かのノン・アルコール・ビールは苦かった。多分、喉越しで飲まねばならないものなのだろう。二口飲んだら顔がポッと暖かくなってきた。なんとなく頬の筋肉も弛んでくる。目がとろんとなってきたが、周りからは、オレがヘラヘラ笑っているように見えたらしい。中心を軸に体を置くことが困難で、何かにゆらゆら揺らされている。

側にいたデロリスが『おかしいわね、ノン・アルコールのはずなのに』と呟いた。丸山さんがビール瓶を手に取り『あっ、これアルコール入ってますよ、0.5%だけど・・・』と言ったがもう遅い。

次のセットの一曲目はとても楽しい気分でえんそうできまひら、しょえからあとはあんまひおぼえていましぇん・・・。


2004年12月16日(木曜日)

デトロイト・ジェームスというピアノ弾きは、よほどロザのトニーに嫌われているのだろう。木曜日はオフィシャルのジャム・ナイトであるにもかかわらず、ずっと無視し続けてジェームスをピアノに近寄らせなかった。

いつもにこやかにアル中の倦怠臭と揺曳臭を混ぜ合わせたすり寄りをしてくる彼は、いったいどのような所業が災いしたのか、どの店でもオレが席を変わってやろうとして成功したためしがない。

表に面した窓のカーテンが下りているのは、すでに店の営業が全うした証しで、ステージはいつお開きになってもおかしくない。最後に残っていたギタリストが上がる数分の入れ替わりの際に、ステージ前をうろうろしていたジェームスは、ついに業を煮やしてトニーに直談判しだした。ところが、加勢するオレと彼にトニーは冷たく言い放つ。

『ジェームスにはもう少し休憩してもらって、最後の曲はアリヨに弾いて欲しいんだ』

ロザでジェームスの休憩が終わることはない。


2004年12月17日(金曜日)

弁護士事務所から特急配達の大型封筒が届いた。移民局からの延長認可通知が入ってる。ううう、3年前に比べてそれほど弁護士費用がかさ張らなくて良かった。しかし、同封されていた4枚の大袈裟な手紙は・・・"合法的な滞在に当たっての一般的な注意事項"、"海外渡航に関する注意事項"などに続いて、"永住権を申請するなら今がチャンスですよ"の説明が述べられていた。つまり、現在の提出資料が最新のものとしてそのまま生きるからだ。

オレの持つ「アーティスト・ビザ」(スポーツ、学術、芸術に共通)は、「その分野で類を見ない、他とは明らかに抜きん出た能力を」持っている証明が必要だった。当時の担当弁護士から渡された "Instruction" (必要な提出書類等を箇条書きにして、説明を加えた指示書のようなもの)には具体例として、「グラミー賞、アカデミー賞、ノーベル賞などを受賞したことがありますか?数億の契約金で雇われていますか?録音したアルバムは百万枚以上の売り上げがありましたか?」などが列挙されている。その最後に、上記のどれにも該当がなければ、「これまでのあなたの業績を(1)録音作品、(2)出演ポスターや広告、3)記事や評論に分類し、各々上位15点を証拠として揃えてください」と記されていた。野に埋もれ続けている身では、量を排する以外、道はなかった。

その他に、各界の著名人(どのように著名かの証明も含む)からの推薦状が最低5通は必要で、どうやってオレと知りあい、どのように評価するかも述べてもらわねばならない。

つまり、「私は添付の資料にありますように、グラミー賞を受賞したこともあり、同資料のかくかくしかじかの実績のある者でございますが、アリヨとは**年にどこそこで知り合い云々彼の演奏は**の如く**でございまして云々。よってこのたびアリヨのビザ取得に当たり、彼は当局が求める素晴らしいミュージシャンであるという要件を充分に満たすと信じ、ここに推薦するものでございます」てな具合のお手紙が何通も必要となるのだが、大抵のミュージシャンは『適当に書いてくれたら署名してやるよ』程度に違いなく、文面に嘘はないものの、ほとんどは弁護士が下書きをした。

それにしても遠来の異邦人のために、グラミー賞受賞者2名、レコード会社社長、著名ライター、著名プロデューサーの5人が、よくもまあ心良く引き受けてくれたものだと今さらながら感謝している。

また、当然のことながら日本語の資料(業績資料45点の大半)は署名入り(当然オレは署名できない)の翻訳作業も必要で、ほとんどがボランティアの、延べ60人以上の人々の協力を得て厚さ8センチのファイルは完成し、9.11のテロ直後にもかかわらず3年前に取得することが出来たビザである。同じ時期に、元横綱の若乃花がNFLに挑戦して取得できなかったビザなのだ。

金も労力も人力も遣い取得した宝物を、今回初めての延長で守ることが出来た。野茂やイチローなどは巨額の契約金もあるだろうし雇い主もでかく、すでにアメリカ中で認知されているから、永住権の取得は容易だ。

オレはこの機会を生かすことができるのだろうか?それよりも、ビザの取得要件である「その業界で、類い稀な能力」を本当に持っているのだろうか?

"Instruction" に述べられていた要件から想像される生活と今の生活とは、少し掛け
離れているような気がしてならない。


2004年12月19日(日曜日)

来駕中の母上を職場へご案内差し上げた。

実は10日のロザ(2004年12月10日参照)にも連れて行ったが、法令上は老人なのに最初から踊り出さんばかりの勢いで、普段クールを装おうオレとしては実母のファンキーさが照れくさく、『できるだけ大人しくしていてください』と窘(たしな)めていたので消化不良だったようだ。

それでも本場の初めてのライブに感激したらしく、舞台から紹介されたお陰で「アリヨママ」と客たちに話し掛けられ、記念写真を撮りまくり、度胸英語を喋りまくって、またライブへ連れていけと煩かった。

オレには初めてだが母上には7人目の孫の世話、懐かしい手料理の山々などで、大した観光にも連れ出せず、かといってオレの仕事中だと、自分もステージに上がって唄いださんばかりの勢いだったので、休みの日のクラブ回りで我慢してもらおうと、またぞろ出掛けることとなる。

一軒目はアーティス。落ち着いた住宅街に佇む良質の黒人クラブだが、日本人の中には、店内がアフリカ系アメリカ人のみのクラブを過剰に恐れる人もいる。しかし母上は物おじせず、目が合う人すべてに破顔で挨拶をし握手を求めていた。28年間も公僕として人々に奉仕してきた姿が目に浮かぶ。人種や国籍、身なりを問わず、人慣れしているところが頼もしかった。

アーティスの日曜日の出演は最近変則で、今晩は州警察の現役警官トレイ。R&B系を中心に、黒人のおばさまが気に入るレパートリーを多く持っている。オレたちの来店を知ると早速、『ビリーの素晴らしいキーボード奏者のアリヨがママを連れて来てくれた』と紹介してくれた。そんなところも彼女には嬉しかったらしい。『彼、背が高くスタイルいいわね』とさっそく寸評。細身を黒皮上下で包み、真っ赤なギターを持ったトレイは、確かに恰好良く映っていた。

母上、彼らの演奏を背景に記念写真を撮れと要求。一枚撮ったところで、唄っている最中のトレイが彼女の手を取り前へ連れて行った。母上、アーティスで踊り出す。

ニ軒目、ブルース。入り口で、ドアマン兼ドラマーのビッグ・レイに『おかあちゃん連れて来たか』と冷やかされる。ココ・ティラーのドラマー、リックや元シュガー・ブルーのドラマー、プーキーたちと挨拶。出演者のサム・グッズ、ベースのアンドレー、ギターの某、ドラムの某他、知り合いミュージシャンと挨拶するも、母上しっかりそのすべてと握手をして破顔をばらまく。

三軒目、キングストン・マインズ。いかつく無愛想なセキュリティも母上の餌食に。出演者のリンゼイ・アレキサンダーがマイクでぽつりと言った『おお、アリヨ』の一言も逃さない。『今、須美ちゃんの名前言わなかった?』と訊いてくる。

自分の職場だからどの店も顔パスで、オレがそこそこ「良い顔」なのを見て、母上は少し安心したご様子だ。いくつになっても親子の関係は変わらない。もっと英語を話せれば、『これからも息子をよろしくお願いします』とみんなに言っていたに違いない。

帰り道『あらっ、今「パチンコ」ってネオンがなかった?』バックミラーで確認すると、"Pancake"(パンケーキ)の文字が明々と灯っている。惜しい!

オカン、厳寒(マイナス10℃以下)のシカゴの夜を満喫す。


2004年12月20日(月曜日)

チャールズ君の自主制作CDのお手伝いを昼から夕方ギリギリまで演って、夜にはアーティスでいつものライブ。

希美人のお陰で睡眠は激減し、想像した生活に実際なってみると、何も出来ない、する気も起らない。映画を観るとか、ネット将棋をするとか、日記を書くとかの意欲も起らない。子育てのほとんどは奥様に頼っているので、オレの実質はそれほど変わったとは思えないが、それでも気は遣うし、実際の同居人は増えたし、今後の働きを倍増せねばと思案に暮れるだけでもエネルギーは減っていく。

ニックが『Qがまた刑務所に戻ったぞ』と伝えた。執行猶予中に何かしでかしたらしく、自宅軟禁の足枷を壊して外出し、酔っ払い運転で捕まったと言う。足枷付きの自宅軟禁という処置や、何の罪で執行猶予だったのかは誰も知らなかったが、前回7年も入っていてようやく出所し、2年も経っていなかったはずだ。よっぽど後先を考えないバカとしか思えない。

泥臭い唄とギターだが、大汗かいて一生懸命演奏するところに好感が持てた。人相は悪いが人なつこく、オレがアレンジのアドバイスをすると興味を持って訊いてくる。Qが過去に人を刺して強盗を働いたことも今回初めて知ったが、犯罪歴のあることが問題なのではない。犯罪を重ねること、「負」の経験を無駄にし、前を向いて生きることの出来ないことが問題なのだ。

「環境」や「教育」と簡単には片付けられないだろうが、少なくとも今後ニ十年は、希美人に責任を持つこととなる。


2004年12月23日(木曜日)

クリスマス前なので客入りは悪いだろうと思っていたら、ホストがジェームス・ウイラーに変わって以来、最大の大入りだった。

歓声に押されて叩き過ぎたのか、数曲目からピアノの中高音のEの弦が緩み出した。そしてついに、どんな素人でもとんでもない調律に聴こえてしまうほどの音になってしまった。おまけにジェームスの選択するキーでは、どれもがこのEを回避し切れない。それは重要な場所に在る、文字どおりのキー・ポイント(要所)であった。

ギターやベースは演奏中でも気軽に調律している。弦数も少なくピアノ程の調律を要求されないから出来るのだろう。ピアノはそのほとんどのキーが、同じ3本の弦を合わせて調律される。音程は別にしても、3本同一の音がピタリと一致して初めて、あの弾き澄んだ音が奏でられるのだ。ましてや演奏中に調律するなんて聞いたこともない。ところが、どうしてもそのEを触らざるを得ない状況では、気持ちが悪くて仕方ない。触らないと、それはそれで別の気持ち悪さが残る。意を決して演奏中の調律を決断した。

客がどう思おうが気にせず、立ち上がり腰を折って顔を弦に近付けた。先にフェルトの付いた棒を操り、先ず3本のうちどれが狂っているかを確かめる。決して演奏の急所は外さず、何度も立ち上がってようやく両端の2本が狂っていることを発見した。

何度も言うが、オレは決してピアノの調律が出来るのではない(2004年11月12日参照)。やらないよりはましな程度に真似事をするだけだ。それでもさすがに、合っていない弦を合っている弦に合わせることぐらいは出来る。狂った1本をフェルトでミュート(消音)し、もう1本の狂った弦のボルトの頭にチューン・ハンマーを被せ、クイクイと右回しに締め上げ、合った1本に合わせていく。『ピンッ』と合致する瞬間が見える。急いでフェルトを外し、残りの1本を合わせた。

多分オレより前で演奏するジェームスは気付いていなかっただろう。休憩中に客から『調律の狂っていったのは気になっていたんだよ。でも、演奏しながらピアノ調律をしたのは初めて見たよ。凄い!』と誉められ気を良くする。

珍しくジャムのピアニスト、それも結構しっかりと演奏する鍵盤奏者が現れたので、これ幸いと長い目に席を譲る。ステージから離れてバンド全体の音を聴くと、ピアノも含め音量バランスは悪くない。そしてオレの調律したEは完璧に調律されていた。ただし、ピアノ全体の調律は最悪の極み3歩手前。一音一音は悪くないが、全体のバランスは和音で出されるとハッキリと悪い。

「木を見て森を見ず」の如き己が調律に打ち萎(しお)れる。


2004年12月24日(金曜日)

メリー・クリスマスってことで、ここはひとつ・・・。

明日25日は、日本のタワーレコードに置いている、日本最大部数(40万部らしい)のフリー・ペーパー "Bounce" が発行される。今回はブルース特集で、オレも原稿を頼まれていた。少々詰め込み過ぎたために面白くない文章を書いてしまったが、編集の方には気に入ってもらえたようで、ちゃんと拙文は載っていることでしょう。尚、オレが撮った写真まで掲載されるようなので、できればタワレコ各店に出向き、大きな顔をして立ち読みでもしたい気分である。


2004年12月28日(火曜日)

様々な宗教に配慮してか、「メリークリスマス」よりも「ハッピーホリデー」という挨拶が定着し始めているアメリカ。この時期日本では、年末の慌ただしさをいやが上にも感じるが、こちらではクリスマス後のぼんやりとしたホリデーシーズンに浮かれた気分になれず、多民族・多習慣の集合体に紛れ、旅の途中といった根のない生活を思い知らされている。

未曾有の大災害である "Tsunami Disaster"(津波災害:"Tsunami"は日本語が語源の英語)の報道が途切れる様子はない。各局トップニュースとして、増える一方の死亡者の数と、新しい映像を毎日流し続けている。米政府も近隣に展開する空母などに救援物資を載せインド洋へ派遣し、緊急援助金として3.500万ドルの拠出を決めたようだが、CNNへのメールでは「毎日何百万ドルも不必要な戦争で浪費しているのだから、それを削ってもっと出せ」「イラクへ派兵している兵士を災害救助に回し、国際社会へ貢献しろ」といった意見が飛び交う。

それに混じって、「ウチらもフロリダのハリケーンで甚大な被害を受けたから、可哀相だけど他所を助ける余裕はない」「国際社会はおれたちに何もしてくれなかったので、税金からは一銭も支払うな」「世界はアメリカを嫌っているのに、なぜこんなときだけは助けを求めるのだ」といった署名付きの意見も紹介される。さすがにアナウンサーのひとりが、『6万人以上が死に、百万人規模で路頭に迷っているいるのに、これがこの人たちのインテリジェンスなんでしょうか?信じられない!』と嘆いた。『このような意見は多いんですか?』『結構あるんですよね』と番組は続く。

ああ、まったくアメリカ人らしい。同じ自然災害の被害者であっても今回の被災国は開発途上国で、世界一の国力を誇るアメリカとは、比べ物にならないほど復興力が違うという認識はない。民主主義の押し付けはしても、人道支援という直接の国益に適わないことに興味はない。

タイのバンコクに駐在する次弟は、津波に襲われた沿岸部へ地震の二日後に家族旅行の予定だった。オレにしても阪神・淡路の大震災は某人のツアー中、京都で見舞われた。当然、神戸公演は中止になったが、日が違えば確実に被災している。天災は出来得る限りの備え以外に防ぐ術(すべ)はないが、地球規模の災害の備えにアメリカはいつも抵抗する。

先の新潟地震の見舞いに訪れた小泉首相は、被災者が寝泊まりする体育館に土足で上がり込んだらしい。昨今の日本でもボランティアの活躍は目覚ましいが、限界がある。生活の復興・支援など、最後はやはり政治(行政)が解決すべき問題なのだ。

国際協調を毛嫌いするアメリカやその追従(ついしょう)国日本などは、こんなときにこそ力を発揮し、人類の未来に少しでも希望を待たせて欲しい。


2004年12月29日(水曜日)

大将が留守のジェネシス。ギャラの分配が増える。

しかし、もうクリスマスは終わっているのに、どうしてサンタの帽子をかぶって『メリー・クリスマス』って言えるかなぁ・・・。その人に大晦日の仕事(昼間なので夜のSOBには間に合う)を貰ったので文句は言えないけれど。

キッチンはまた閉まっていた。先月のサンクスギビング週間のときもバケーションを取っていたし、今回のホリデーシーズンはいつまで休むつもりなのだろうか?毎週水曜日のBBQウイングを楽しみにしていたのに、ここひと月ほど開いていた覚えがない。

帰り際にキッチンはいつオープンするのか巨躯のドアマンに訊いてみたら、『ああ、パパG(あほコック)はそろそろ刑務所から出てくるから、もうすぐ再開すると思うよ』と平気な顔で答えられた。なるほど、別荘でバケーションでしたか。恐ろしそうなこちらのケイムショ内でのさばっている、いかついオヤジの顔が思い浮かんだ。

『何で捕まったの?』
『"Domestic Violence"(家庭内暴力)だよ。また新しい女房を探さないと、って感じかな』

ほぉほぉ『また』ね、凶暴さは奥さんに発揮されたのか。"DV" で警察呼ばれるなんて、よっぽどの乱暴を働いたに違いない。家族からの通報は、警官がすっ飛んできて直ぐに拘置するのを、アメリカ人なら誰でもよく知っているはずなのにヌケ過ぎ。

指を折って9+6の計算をしていたバカオヤジ(2004年10月13日参照)の顔が、オレの頭の中で萎んでいった。


2004年12月30日(木曜日)

大晦日の日本は冷え込んで雪の所が多いようだが、大晦日前日の極寒のシカゴは暖かい雨で気温が15℃。ホリデーシーズンの大入りロザ(祝儀50%アップ)の帰り道、このまま春になってくれたらと願う。明日は昼(ピアノトリオ)と夜(ビリー&SOB)の2本立て。


2004年12月31日(金曜日)

昼のピアノトリオの仕事は、ジャズからポップス、ブルースまで唄うジミー・プリオァーというべーシストから初めて頂いた。教えられた住所に着くと・・・老人ホーム。重い機材を運び込むと会場にはグランドピアノが・・・。

でも、こういう慰問は何故か楽しい。ぷるぷる震える手で拍子を合わせる老人がいる。介護士の助けを借りて踊る老女がいる。鼻にチューブを付けられた車椅子に無表情の老婆は、ジミーが『ジョージア』と唄うときだけ口と目を懸命に開け『じょおじあぁぁぁ』と語り唄った。

帰り際にひとりの女性が話し掛けてきた。

『あなたはピアノが上手だわ。私も昔はピアノを弾いて唄っていたのよ』
『そりゃすごい。この次はぜひ聴かせてください』
『今はもう弾くことが出来ないわ』
『そんなことを言わないで、練習しておいてくださいよ』
『そうね、やってみようかしら』

みんな長い人生を様々に送ってきた大先輩たちなのだ。短い時間だったが少しエネルギーを貰った。

夜はSOBで、60キロほど南西に走った郊外の高級レストランでのカウントダウン・パーティ。淑女と紳士でごった返す大晦日の祝宴は、9時半の開演を1時間も遅らせた。客が入り過ぎて、オレたちがステージにするはずの2階バルコニーにまでテーブルをセットしてしまった挙げ句、片付けるのに手間取ったためだ。んんん・・・バルコニー???

小学校の講堂ほどの広さの1階フロアーは吹き抜けになっており、2階のパーティルーム前の20畳程のバルコニー(内側に張り出た桟敷き)から階下が望める。但し、2メートル四方ほどの変型の穴が二つあるだけなので、わざわざ前に立たないと下からは演奏風景が見えない。いつも端に追いやられ、椅子に座っているオレやモーズなど音しか聴こえはしない。

そういや以前、チャンネル9の朝のニュース番組に出演したときも、5時からスタンバイしていたのに一等端のスタジオ常設グランドピアノに座っていたオレは、ピアノは映れど姿が見えなかった。

へいへい、メインを取りたければTのように自分のピアノトリオでもすればってことでしょうよ。

絢爛たるタキシードとドレスに赤毛ザルがちょろちょろし疲れると、ついつい家路を急いでしまう。行きは時間がなかったから高速を使ったが、帰りは下道でのんびりと思っていたのに、結局同じ道を辿って有料道路に乗っていた。小銭を持ち合わせていなかったので、料金所で1ドル札を差し出し、クオーター2枚(¢50)の釣りを待っていると係員が『丁度1ドルよ』と吐いた。えっ、来しな50セントだったのに・・・はっ!

そういや最近、「もうすぐ料金所」の看板の金額表示が消されていて訝しがっていたばかりだ。こいつらオレに断わりもなしに値上げするつもりだなと警戒をしていた。日付けが新年に変わって料金が倍になった!道理で自動徴収のレーンでは、丁度の料金を入れたと勘違いしてプップクとクラクションを鳴らすヤツが多いと思った。普段新聞を読まず、テレビニュースも観ない自分が悪い。

暫くしてミツワへ通ずるいつもの有料道路に入る。ここは今まで40セント取っていた。果たして料金所の係員は、差し出した1ドルのお釣にわずか20セントしか寄越さなかった。

うーむ、50円程が100円程になるのは痛い。ミツワへの往復100円程が200円程になるのは痛い。そして今までクオーター(¢25硬貨)、ダイム(¢10)、ニッケル(¢5)一枚づつで40セントを掘ぉり込んでいたのに、これからどういうコインの組み合わせをしたら良いのか悩んでしまう。