さようなら、リトル・マック!の巻
Malcolm "Little Mack" Simmons


自宅療養中だったLittle Mack Simmonsが、2000年10月24日午前9時45分(現地時間)に亡くなりました。「力の続く限りステージに立つ」と言っていた彼は、その言葉の通りギグを辞めてからわずか三週間後に息を引き取りました。
下記の文章は、「Little Mackが癌に冒され余命わずか」との情報をいただき、2000年1月16日に緊急に書き下ろしました。その時はこんなにも早く天に召されるとは思ってもいませんでした。
彼が天国へ行っても、その暖かいハーモニカと歌声は永遠に残されます。余り話題にのぼらない人ですが、シカゴの伝統を伝える素晴らしいハーピスト/ボーカリストでした。


謹んでご冥福をお祈りいたします。


リトル・マックが、大腸ガンに冒され余命幾ばくもないという。
カナダのElectro-Fiから発表されたCDによって、ひとつの頂点を迎えたと感じていただけに、そのニュースを聞いたときの衝撃は大きかった。
私が、初めて彼の名前を意識したのは、ウイリー・ウイリアムスの「38 Woman」(P-VINE PCD-1816)であった。
高地氏によるライナー・ノートに「ピヨピヨ・ハープのリトル・マック...」と記されていたが、確かに交互にハーモニカを担当していたキャリー・ベルの豪快なハープを前にしては、いかにも貧弱な印象を与えた。ブっといアンプリファイドされたサウンドこそがブルース・ハープの醍醐味と勘違いしていた私にとって、いかにも頼りなげに聞こえ、それ以来リトル・マックの名前の入ったレコードを避けるようになっていた。
その後、60年代にC.J.やBea & Baby等に録音された作品や、70年以降自身のレーベルに録音した作品集を聴くチャンスを得、彼の「雑然とした不思議な」魅力に次第に惹かれるようになってきたが、それでも私の中では決して「重要人物」ではなかった。

38 Woman
(P-VINE PCD-1816)

しかし95年に、ジョージ・ポーラスが再興したST.Georgeから、突然発表された復帰作を聴いたときの驚きと言ったら!
1曲目の、(リトル・ウォルターがORA NELLEに吹き込んだ)"Just Keep Lovin' Her"に、完全に圧倒されてしまったのだ。お得意のハンド・ビヴラートを多用した、ドライブ感あふれる素晴らしいハープ・プレイ。決して深いブルース・フィーリングを感じるという類のものではないが、暖かみのあるヴォーカル。全く不満がないとは言い切れないが、十分満足させられる意欲的なアルバムであった。
その後の2年は、計4枚ものアルバムを立て続けに発表し、昨年には、70〜80年代にかけて、自身のレーベルPMに録音されたものの一部がリイシューされ、リトル・マック完全復活というイメージを持っていた。

そんな時に飛び込んできたのが、冒頭のニュースであった。
現地からの情報によると、現在は毎週木曜日にローザスでギグを持っているらしいが、欠席することが多くなってきたらしい。たまに演奏してもかなり辛そうな状態だという。
そこで、特別緊急企画として彼の足跡を簡単に追ってみたいと思う。
しかし、充分な調査期間が取れなかったため、抜け落ちているところも多くあると思う。また、70年以降のディスコグラフィーも不明な点が多いため、明らかになり次第追加掲載していきたいと思う。
そんなわけで、まことに不十分な内容にならざるを得なかった事をまずお詫びしておきたい。こんな拙文でも、彼の魅力の一端に触れていただければ幸いと考える次第である。


Little MackことMalcolm Simmonsは、1933年1月25日に、メンフィスから北西に約30キロ離れたアーカンソー州ツイストで生まれた。
どこまでも拡がるコットン・フィールドで、子供の頃から綿摘みの仕事をしていた彼を、辛い労働から慰めてくれたのは、10歳の頃に始めたハーモニカという楽器であった。母親に怒られながらも、学校をさぼってハーモニカを吹くことに熱中していた彼であったが、当時の相棒は、後にシカゴで再会することになる一歳年下のジェームス・コットンであったという。また、当時のアイドルたちは、ボビー・ブランド、ジュニア・パーカー、ウイリー・ニックス、B.B.キングらのメンフィス勢であり、近くのジュークジョイントによく聴きに行ったそうである。

そんな彼が、セント・ルイスに出てきたのは、1952年のことであった。18歳にはなっていたが、既に結婚しており、妻(リトル・ウォルターのいとこ!その後離婚)と父親、そして息子を連れての北上であったらしい。鉄道会社に勤めるかたわら、クラブでの演奏も行っていたが、この時一緒にやっていたのが、あのロバート・ナイト・ホークであったという。ちょうどナイト・ホークが、先日CD化された「Bricks In My Pillow」に収録されている、ユナイテッド/ステイツ録音を行っていた時期と重なる。結局彼とは5ヶ月間クラブ出演をしたらしいが、これはちょっと刺激的な話だ。

そして、1954年。ついに彼はシカゴへと移り自分のバンドを結成することになる。その時のメンバーは、デトロイト・ジュニア、エディ・テイラーなど、今から見ればそうそうたるメンバーであった。また、サニーランド・スリムやウイリー・メイボンらとも一緒に仕事をし、後に一緒にレコーディングすることになるエディ・キングともその頃に知り合っている。

そんな刺激的な50年代のシカゴで、メキメキと腕を上げていったマックに、レコーディングの機会が訪れたのは1959年のことであった。それが、カール・ジョーンズという男が経営していたC.J.というレーベルである。デトロイト・ジュニア、エディ・キングらをバックに4曲録音し、2枚のシングルとして発売されている。そのうちの1曲は幼なじみのジェームス・コットンとのツインハープを聴かせている。他の曲は、それぞれボビー・ブランド、ジュニア・ウェルズを思い起こさせる曲調。 これら4曲は、幸い「Chicago Blues From C.J. Records Vol.1」(Wolf 120.281 CD)でまとめられており、簡単に聴くことが出来る。鋭いエディ・キングのギターがメチャクチャかっこいい充実作なので、是非聴いてみていただきたい。

次のレコーディングの機会は、早くも翌60年に訪れた。
C.J.と並び称される事の多い(じっさい似たような性格のレーベルである)、キャディラック・ベイビー経営のビー・アンド・ベイビーへの録音である。
彼の経営する、同名のクラブでの演奏を続けるかたわら、数回の録音を行い、71年までに傍系レーベルへの録音も合わせると、少なくとも12曲以上の録音を行っているようである。また、同レーベルのセッションにも多数参加しており、聴き所も多い。
60年代シカゴの、まさにごった煮的なおもしろさがギッシリ詰まったビー・アンド・ベイビーの録音集は、「Bea & Baby Records Presents ; The Best Of Chicago Blues Vol.1」(Wol 120.293 CD)「同Vol.2」(Wolf 120.294 CD)「同Vol.3」(Wolf 120.295 CD)の3枚のCDにまとめられており、これも是非お薦めしたい。
余談だが、このCDには、ヒューバート・サムリン付きのサニーランドや、ロックウッド付きのエディ・ボイドなどの強力なナンバーも収録されている。ファンにはたまらない贈り物だろう。

その間、Checkerに8曲録音(うち2曲のみ発売)、Dud-Soundに6曲録音などがあるが、昨年発売された「Chicago Ain't Nothin' But A Blues Band」(P-VINE PCD-5560)に存在すら知られていなかったAtomic-Hへの録音が収録されており驚かされた。詳細は不明だが、もしかしたらこれが彼の初録音になるかもしれない。

Chicago Ain't Nothin' But A Blues Band
(P-VINE PCD-5560)

また、61年にPacerに録音した"Driving Wheel"と"Broken Heart"は「The La Salle Chicago Blues Recordings Vol.2」(Wolf 120.297 CD)に収録されている。前者は歌、ハープ共に多大な影響を受けているジュニア・パーカーのあの曲かと思ったら、完全なロックンロールでずっこけた。後者はルイジアナ風3連バラード。
さらに意外にというか、ほとんど知られていないと思われる録音に、ジャズの鬼才SUN RAのレーベル、Saturnに録音された「Tell Her To Come Home/I'm Making Believe」(Saturn 144M)というシングルがある。SUN RAがピアノを弾きマックが歌うR&Bタイプの曲である。どういったわけでこの録音がされたか全く不明だが、「ゲテ物」の多いマックの作品の中でも、とっておきの異色作のひとつであろう。
私がこのシングルの存在を知ったのは「SUN RA The Singles」(EVIDENCE ECD 22164-2)というCDのおかげ。SUN RAの鬼才ぶりを知るのに好都合の「ゲテ物CD」だが、他にもレイシー・ギブソンの、これまたレアな作品が4曲収められていたりして得した気分になる。全ての人にお勧めはしないが、熱心なファンは捜してみる価値はあると思う。

70年代に入り、幼なじみのジェームス・コットンは盟友マット・マーフィーを得て、ハーモニカ・ファンク・ブルースの分野を開拓し、非黒人のファンからも注目されるなどの活躍を始めていたが、マックは、白人コレクター・レーベルから声を掛けられるでもなく、一部のファンを除き、全く忘れられた存在となってしまった。
しかし彼は、ペパーズやテレサズのレギュラーとして活動を続けていく傍ら、自身のレーベルPM/SIMMONSを興し、自らの録音やフェントン・ロビンソン、アーレン・ブラウンらの録音を黒人街の隅でひっそりと行っていたのであった。
何枚かのシングルと、アルバムを(多分)2枚発表していると思われるが、そのうち1枚は、なんとベン・バトラー牧師という人物と組んだゴスペル・アルバム(!!)であった。「When The Lord Stands By」(PM LP 1075)がそれである。
もう1枚は、シングルを集めた「Inflation Blues」(PM LP 449)。
なお「Inflation Blues」の裏ジャケには、"Join The Mack Simmons Fan Club Fan Club Organizers"というクレットと住所が書いてあるが一体何人の人が入会したのであろうか。 
その他にも、フェントン・ロビンソン、アーレン・ブラウンらの録音も行っており、珍しいところでは、75年にオーティス・クレイ(ゴスペル・ソングバーズ)のシングルを発売している。
この辺の詳しい情報がないため、いったい何枚のレコードが発売されたのかは不明だが、昨年「The PM/Simmons Collection」(Electro-Fi 3360)というCDが出され、これでその一部がリイシューされた。もちろん、フェントン・ロビンソンやアーレン・ブラウン、リー・ショット・ウイリアムスらの曲も含まれており、好き者にはたまらないCDとなっている。フェントンは今ひとつの出来だが、アーレン嬢はなかなか良くて、思わぬ拾い物をした気分である。

The PM/Simmons Collection
(Electro-Fi 3360)

なお、私が持っているマックのレコードに、"Skin Tight"のシングル(PM 816)とGrandville Recordsなるレーベルから、84年に出された「Mama Was Right」というLPががある。前者はオハイオ・プレイヤーズの曲だし、後者の1曲目では、なんとマイケル・ジャクソンの"Thriller"をやっている。熱心なブルースファンからは「そんなことやってるから人気がないんだ」と言われそうだが、私は逆に、ブルースの不遇時代にしぶとく生き続けるたくましさの中に「黒さ」を見いだしてしまうのだが、皆さんはどう感じるであろうか。
なお、私もつい最近まで知らなかったが、彼の初レコーディングからPM時代までの録音を集めた「Chicago Blues Harmonica Wizard」(Famous Groove Records FG-CD 971 051)というCDが1994年に発売されていた。他のCDとのダブりもあるが、かなり貴重なCDだ。

Chicago Blues Harmonica Wizard
(Famous Groove Records FG-CD 971 051)


そんなマックが、突然「復活」したのは、1995年のことである。前述した「High & Lonesome」(ST.George STG 7704)を発表したのである。
リトル・ウォルターやジミー・リード、エルモア・ジェイムスなどスタンダードが並ぶが、得意のハンドビブラートにも磨きがかかり、思わず「上手い!」と叫んでしまった。いや、そのハープの粘ること!!珍しくアンプリファイド・ハープも手がけているが、やはりこの人は生ハープの人である。その意味でも"Just Keep Lovin' Her"の衝撃は凄かった。生ハープにハンドビブラートというイメージから、サニー・ボーイからの影響を語られ事が多いが、彼はインタビューで「サニー・ボーイは好きさ。でも本当に愛しているのはリトル・ウォルターだ」と答えている。その言葉を裏付ける入魂の一曲である。

High & Lonesome
(ST.George STG 7704)

続いて発売されたのは、オーストリアのWolfから出された「Come Back To Me Baby」(Wolf 120.884 CD)である。実はこちらの方が録音は早く、94年に録音されている。ティアドロップスとのセッションと、ウイリー・ケント、ティム・テイラーらWolfのお馴染みのメンバーがバックを固めるセッションとがあるが、どちらのセッションにも旧友デトロイト・ジュニアが参加している。また、3曲で34年連れ添った愛妻のジョージア・ヒントン・シモンズがボーカルで参加し、なかなかブルージーな歌を聴かせている。実はデトロイト・ジュニアの1960年の作品、"Too Poor"(Chess 1772)と、同じセッションでのマックの作品、"I Need Love"(Checker 984)に、ジョージアはボーカルで参加しており、実に34年ぶりにこの3人の顔合わせが実現したという心憎い演出がされていたのだ。
内容の方はというと、バックのカッチリとしたサウンドがあって、典型的なシカゴ・ブルースというところだろうか。前作でもそうだったが、シカゴ・ブルースの型にはまりきれないのが彼の魅力なのであって、その辺が不満と言えば不満だ。決して出来が悪いわけではないので少々残念な気がしていた。

Come Back To Me Baby
(Wolf 120.884 CD)

そんなモヤモヤを解消してくれたのが、97年にカナダのElectro-Fiから出された「Little Mack is Back」(Electro-Fi 3355)であった。
驚くことに、カナダ人ミュージシャンによるバックアップ・バンドとマックは、アクシデントにより録音当日までリハーサルを持てなかったそうである。それでいて、まるで何年も一緒にやっていたかのような息のあい方は驚くべき事である。理解あるバンドに支えられ、マックのハープは自由に泳ぎ回り、決して技巧派ではないが、ハートウォーミングなボーカルは、よく歌っている。
リトル・ウォルターの"You So Fine"やジュニア・パーカーの"Mother-In-Law"などのお決まりナンバーをやっているかと思えば、自作のサザン・ソウル風バラードや"St. James Infirmary"などにも取り組んでいる。さらにはボビー・ラッシュまでやってるぞ!
うーん、これぞリトル・マック!!この雑然さがたまらないのである。

Little Mack is Back
(Electro-Fi 3355)

さらに、私をノックアウトしたのが、Electro-Fiからの2枚目である「Somewhere On Down The Line」(Electro-Fi 3356)である。バックのメンバーに大きな変更はないが、全体的にアコースティック・サウンドに代え、マンドリンとナショナル・スティール・ギターが参加している。
これがまたマックの生ハープとぴったりフィットし、何ともいえないほのぼのとしたいい雰囲気をかもし出している。前作も担当したプロデューサーのアル・リーマンの勝利といえるかもしれない。ST.George盤の"Sun Is Shining"を、生ハープでやらせなかったジョージ・ポーラスとのセンスの差とでも言うのであろうか。

Somewhere On Down The Line
(Electro-Fi 3356)

リトル・マックは、決してブルース史上に残る重要人物ではないし、名作を作ってきたわけでもない。しかし、50年近く地道に活動を続けてきた結果、彼のキャリアの集大成ともいえるアルバムを発表し、これからの活躍が期待された矢先に、悪夢のようなニュースが入ってきた...。

彼のガンは2年ほど前に発見されたという。ちょうど、Electro-Fiでの録音を行った前後のことであろう。
一時は持ち直したかに見えたが、無情にもガンは再発し、現在は無惨にやせ細って歩くのも辛そうな状態らしい。
それでも彼は、動ける限りステージに立ち続ける覚悟でいるようだ。ギグをキャンセルすることも多くなってきたようだが、毎週木曜日のローザスには彼のスケジュールが書かれている。

がんばれ、リトル・マック!
あなたは、どんな時代でもしぶとく生き残ってきたじゃないか!!
タフな街、ウインディ・シティで50年近くもがんばってきたじゃないか!!
時代に迎合するかのように受け取られながらも、どっこい自分のスタイルを守り通し、そして今、自分を理解する素晴らしいミュージシャンに囲まれて、あなたの音楽を愛するオーディエンスに囲まれて、そして、やっと時代があなたを受け入れる準備を整えたではないか。

いけない、涙がにじんで来やがった...。
まだまだこれからという時に、神はなんという悪戯をされるのであろうか。
奇跡が起こり、彼が病に勝ち、再びステージで元気なプレーを披露する日が来るのを切に願っている。
そして、出来ることなら、私たち日本のブルースファンの前で、ハートウォーミングなプレイを聴かせて欲しい。

がんばれ、リトル・マック!
私たちは、いつもあなたを応援している。


Other CDs

Chicago Blues From C.J. Records Vol.1
(Wolf 120.281 CD)

Bea & Baby Records Presents ; The Best Of Chicago Blues Vol.2
(Wol 120.294 CD)

The La Salle Chicago Blues Recordings Vol.2
(Wolf 120.297 CD)

SUN RA The Singles
(EVIDENCE ECD 22164-2)

Special Thanks to : H. Tutida, K. Sasaki, T. Shibata

(2000年1月16日記)


後記(応援メッセージのお願い)
現在リトル・マック・バンドのバンド・リーダーは、日本人ギタリストの小西広高氏が務めています。
小西氏と、現ビリー・ブランチ・バンドのピアニストの土田晴信氏からの情報によると、マックの病状は極めて悪く、残念ながら再起は極めて難しい状況ということです。
しかし、奇跡は起きないとは限りません。また、地球の裏側で応援しているファンがいるという事を知らせるだけでも、彼の心に平和が訪れるかもしれません。
ぜひ、下記アドレスまで応援のメッセージを送って下さい。短い文章でも構いません。もちろん、日本語でもOKです。多くの方の協力をお願いします。
なお、緊急を要する事なので、2000年1月末を期限にしたいと思います。


お寄せいただいたメッセージを、Little Mackに送りました。


お知らせ
リトル・マックにメッセージを渡しました!
1月27日皆さんからお預かりしましたリトル・マックへの激励のメッセージを、土田晴信さんから、本人へ渡していただきました。
本人の体調も、病院を退院した後に比べると元気になっている様で、やる気満々で素晴らしい演奏をしたそうです。
一時は、演奏するのもやっとだという状態であったらしいのですが、昨日はCDを宣伝したり、自分の名刺を配って歩いていたそうです。
また、ルリー・ベルやビック・タイム・サラが駆けつけ、ルリーが5曲、サラが2曲歌ったそうです。ミュージシャンの仲間や、皆さんからのメッセージを受け取り、上機嫌だったとのことです。
「病は気から」という言葉もありますが、楽しいギグや激励メッセージなど、少しでも本人が喜ぶことが積み重ねられていけば、「奇跡」は起こるかも知れません。

メッセージを寄せていただいた皆さん、橋渡しをしてくれた土田晴信さん、マック・バンドの小西さん、そしてRosa'sのTony、色々とありがとうございました。

皆さんからのメッセージをお渡しした際に撮った写真を、土田晴信さんから頂きました。かなり痩せていますが、この笑顔からも分かるように、激励のメッセージは本当に嬉しかったようです。


お知らせ
リトル・マックが出演している、Rosa'sのTonyからメールが来ました。

Dear Hiroshi,

Thank you and your friends so much for your kind words and concerns about Little Mack Simmons.
He's very happy about that.

Thank you again.

Tony / Rosa's


お知らせ
マックがこんな事を言っていたそうです。土田晴信さんからの情報です。

昨日(2月24日)ローザで演奏した時に、マックは「日本のブルースファンからもらった手紙にはとても元気付けられた」って言っていました。
「(病気のために)昔はよく出来たことが今できなくなってしまったが、演奏だけはまだ出来る」「手紙を読んで、まだまだ頑張るぞって元気がわいてきた」とも言っていました。

嬉しい限りです。まだまだ頑張って欲しいものですね。
ちなみに、ローザスでの2月10日のライブは、とてもエキサイティングなプレイをしたそうです。
ここ1ヶ月の元気のなさが嘘のような素晴らしいライブだったということです。
これからも応援し続けていきたいと思います。

(2000年1月16日記)
(2000年1月29日改訂)
(2000年2月4日改訂)
(2000年10月25日改訂)
(2000年11月3日改訂)
(2001年6月7日改訂)
(2002年5月31日改訂)


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