Johnny B. Moore and 小西ヒロ

(2002年5月12日記)

ブルース・クラブ「ブルー・シカゴ」と来れば、ぼくが真っ先に思い出す名前がマジック・スリム&ティアドロップスと、それからこのジョニー・B・ムーアさん(注1)かな?
この辺りにやって来るのは本当に久しぶりです。しかし随分と変わったものです。バレット・パーキングを備えた高級そうなレストランにクラブ。それから路地裏に見え隠れするポルシェ・バクスターやらBMWの5シリーズに純白のリンカーン・タウン・カーの行列。
ぼくがこの辺りをウロチョロしていた頃なんて、夜になると真っ暗で用のある奴と言えば、ちょっとおかしな連中ばかりでしたからね。でも考えて見ると中心街をミシガン・アベニューとすればここまでたったの6,7ブロック程でしょうから、市はそれを開発するのに10年以上もかかっているわけです。石原慎太郎さん率いる東京都の開発・発展を考えると大した事もないのかも知れませんね(笑)。
ところでこの「ブルー・シカゴ」と言う店(CLARK St.)は7年位前に今の所に移転して来ました。ぼくの覚えている旧ブルー・シカゴ(STATE St.)から比べるとなかなか上品になっています。今ではギフト・ショップと本店もこのダウンタウン・エリアにあるそうで、大変繁盛していると聞きました、
しかし、ぼく個人的には未だに2,3回しかここに来た事がありません(笑)。と言うのも観光地の常で車を気軽にパーキング出来ない。また店のブッキングが一年を通じて殆ど変わらない。
他のミュージシャン達や知り合いの評判も有ります。例えば音が商売気丸出しとか、普段一緒に活動もしていない黒人女性シンガーのバックを店がバンドに強制しているとか、この店は飛び入りやジャム・セッションを禁止しているとか、オーナーがどうのこうの・・・。とまぁ、いろいろ出て来ます(笑)。
プレイヤーも店の方針を無視する訳にも行きませんからね。そんなこんなで一部のプレイヤーの中にはいつの間にか演奏よりも商売優先と言う事になって、その分ぼくの友人のように真剣に観にきている客がガッカリしたなんて事になったのかも知れませんね(笑)。

8:30PMに店に着いた頃は日曜日と言う事もあってか、店の中はガランとしていてぼくとしては「これなら、ゆっくり出来る」と思いました。しかし、それは甘かった。開演間近の9:00PMになる頃からどこから嗅ぎつけたのか、店の入り口には列が出来始め、2002年のシカゴ・ブルース・フェスの、それも週末のペトリロ出演を控えたシカゴでも名うてのベテラン・ブルース・ギター弾きのジョニー・B・ムーアさんを観ようと客が集まり始めました。
9:00PMを15分も過ぎると店は満員となり立ち見もドンドン増え始めました。ぼくにとってのジョニー・B・ムーアさんの印象を訊かれれば、やっぱり彼のレパートリーの多さです。思うに彼はかなり耳が良いのでしょう。多くの曲は練習も前置きも無くレコードで聴いたまま、又は聴いただけで次の瞬間にはそれをそのまますぐ弾けてしまうのではないでしょうか。これはぼくの憶測ですが。
それから、子どもに悪戯でもされたのか、やたらとシールやなんかで汚れたギブソン・レスポール。それから、彼のギターを弾く時のピックの持ち方でしょうか。見ているとピックが落ちるんじゃないかなと心配する位指の爪先に挟んでいます。
また訊いた話ですが、リクエストは絶対やらない、取っ付き難い。まぁ、他にもいろいろ聞くのですが、また今度にしましょう(笑)。
ぼくもジョニー・Bさんとはテイル・ドラッガーさんとの活動を通じて何度かご一緒させて頂いた事がありますが、考えて見ると殆ど話らしい話をした事がありません(笑)。ジョニー・Bさんのレパートリーの豊富さについては先程話しましたが、本当にダウン・ホーム・ブルースからR&Bやファンクまでと何でもこなす。例えば、シカゴのウエスト・サイドのジューク・ジョイントではマディやリトル・ウォルターからマジック・サム。又、ダウンタウンやヤッピーの集まるクラブでは一変してR&BからSWEET SOULと、それも全部歌入りですからね(笑)。ぼくなんて到底そんな真似は出来ません(笑)。


今夜のジョニー・B・ムーア・ブルース・バンドはドラムスにCORDEL TEAGUEさん。ベースにROBERT PETERSONさん、それからセカンド・ギターに小西ヒロタカさん(注2)。このメンバーの中でぼくの知っているのは小西さんだけでした。この小西ヒロさんは94年からシカゴに住み着いて以来、ローザズ・ラウンジの2階に間借りしながらブルースを習得したと言うから、これは筋金入りと言うか、大した根性の持ち主です(笑)。
このヒロさんの活躍をご存知の方も方々にいるとは思いますが、彼はリトル・マック・シモンさん(ブルース・ハープ)やアーロン・バートンさん(ベース・プレイヤー。アルバート・コリンズでのアイスブレイカーズのオリジナル・メンバーでも知られる)らのバンドで活躍して来て現在はこのジョニー・B・ムーア・バンドにこの1年位の間は落ち着いていると言う事です。
ぼくが、以前ジョニー・Bさんを観た時は、セカンド・ギターには大阪出身の若いプレイヤーで大西君(元気かい?間違っていたら、ゴメンね)と言う人がいたと思います。確かその時は何かのイベントで、ぼく達WABI DOWN HOMESとジョニー・Bさんのバンドが対バンだったんだと思います。
それから、その前に観た時には、現在ビリー・ブランチ&SOBで活躍している丸山ミノルさんがいましたしね。
逸れてしまいそうでしたので、余談は辞めて話をジョニー・B・ムーア・バンドに戻しましょう(笑)。

今夜のジョニーBさんのステージ衣装はなかなかカッコイイ派手なシャツ。黒いハーモニーのギターにアンプは小西さんが200ドルでジョニー・Bさんに売ったと言う、ピービーのスペシャル130。ぼくの覚えているジョニー・Bさんのトレード・マークのT-シャツに手ぬぐいと言うのはもうやめたようです(笑)。
体も一段と引き締まったと言うよりも大分体重が落ちたようです。聞くところによると胃が痛むと言うので好きだった酒もほとんど飲まず、時には食事も摂らずに演奏する時もあるそうです。しかし、パワフルなステージングは以前よりも切れが良く、ギター・ソロでは本領を発揮していました。
しかし、いつも思うのですが、声が独特ですね、この辺のプレイヤーは。やはり、年齢を経てしか出せない味のある声と言う事になるのでしょうか?
とにかく、のっけから飛ばすジョニー・Bさんは5曲程R&B調を立て続けに演り、今夜の歌姫シャーリー・ジョンソン嬢をバンド・スタンドに呼び上げました。今度はバックとして確実な演奏を続けています。しかし、ジョニー・B・ムーアさんという人は観るエリアや観客の種類によって演奏曲を大幅に変えているのか、観るたびにいつも新しい彼の側面を観たような気にさせられます。機材にしてもいつも新しいエフェクターやら何かを繋いでみては試すと言う事を続けているようです。


演奏前にステージの袖に腰掛け、お茶と果物をほんの少しだけ口にしているジョニー・Bさんを見かけました。それでも胃が痛むのか、とてもゆっくりとした動作で果物を口に運ぶ動作を見ていて、彼の背中がどこか痛々しく見えたものです。このシカゴ・ブルース・フェス2002の大舞台を切っ掛けにジョニー・B・ムーアと言うブルース・マンがもっとちゃんとした評価を周囲から貰えるように祈るばかりです。


江戸川スリムのお節介注釈

(注1)Johnny B. Moore
1950年1月24日、ミシシッピー州クラークスデイルで生まれる。1964年にシカゴへと移り、ウエストサイドでブルース・ギターの腕を磨く。特にマジック・サムやエディ・テイラーからの影響が強かったようだ。ココ・テイラー、エディ・テイラー、ウイリー・ケント、テイルドラッガーなど数多くのブルースマンと共演し、1980年代からは自己のバンドで活動を続ける。ちなみに、1986年に彼のステージを見た平間克明氏によると、彼のステージのオープニング・ナンバーは、必ずマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」だったそうだ。
本文にもあるように、彼は本当に器用な人だと思う。私も彼のステージを何度か経験しているが、ダウンホームなブルースからソウル・ナンバーまで披露し聴き手を飽きさせない。たまには「やっつけ仕事」的なステージもあったことも確かだが・・・。
しかし彼のアルバムに対する私の感想は辛口だ。ジョニー・B・ムーアの片腕だった丸山実氏とも意見が一致したが、それは彼だけに問題があるのではなく、プロデュース側に大きな責任があると言えよう。色々と問題があるので詳しい内容については触れられないが、彼の持ち味を生かし切れてない制作陣に対し苛立ちすら感じる。
キチンとしたプロデュースの元でノビノビとプレイする彼のアルバムを期待したいが、皆さんの意見はいかがだろうか?

Hard Times
(B.L.U.E. R&B BRB 3604)

Lonesome Blues
(Wolf 120.851 CD)

911 Blues
(Wolf 120.873 CD)

Live At Blue Chicago
(DELMARK DE-688)

Troubled World
(DELMARK DE-701)

Born In Clarksdale, Mississippi
(Wolf 120.804 CD)

(注2)小西ヒロタカ
1971年神戸生まれ。16歳の頃にギターを始め、音楽を学ぶためとブルースが演奏したいが為にシカゴへと向かったのが1994年のことであった。ローザズ・ラウンジの2階に住み着きブルースを学んだことは本文中にもあるが、とりわけ牧野元昭氏から学んだことが大きな財産となった。
2年後の1996年にはレロンズ・トンプソン・バンドのレギュラーメンバーとなりヒューイ・ルイス、ココ・テイラー、バディ・ガイなどの大物アーティストのオープニング・アクトを務める。なお、レロンズ・トンプソンとは現在も一緒に行動している。
その他にも、デイブ・マイヤース、パイントップ・パーキンス、ローリー・ベル、レイシー・ギブソン、アイスマン・ロビンソン、テイルドラッガー、リル・エドなど数多くのブルースマンとの共演を果たすが、何と言っても故リトル・マックのバンド・リーダーとして、最期まで彼を支えていたことは特筆する事項であろう。
現在は、ジョニー・B・ムーア・バンドのギターリストとして毎週木曜日と日曜日にBlue Chicagoに出演している。また、2002年のシカゴ・ブルース・フェスティバルでは、メインステージであるペトリロ・ミュージック・シェルへの出演が決まっている。これは牧野氏に続く快挙である。
Living Blues誌No.130には、ボビー・ニィーリー、リトル・マックと共に演奏する小西氏の写真が大きく取り上げられている。これだけ大きい日本人の写真が取り上げられたのは、彼が初めてではないだろうか。


Bobby Neely and Hirotaka Konishi
from Living Blues #130


[ WABI's BLUES BOX ] [ WABI's Profile ] [ WABI's Disk Guide ] [ Chicago Bound ] [ Links ] [ Guest Book ]

[ BlueSlim ]

[ Seiji "WABI" Yuguchi ] [ Web Master : Hiroshi 'Edogawa Slim' Takahashi ]

This review is copyright (C) 2001 by Seiji Yuguchi and BlueSlim, all rights reserved.