Henry Gray

ラッキーマンは郷土の誇り、の巻



1995年10月に、横浜のみなとみらい21で、「国際ハーモニカ・フェスティバル'95ジャパン」という催しがあったのをご存じだろうか。そこにルイジアナ州バトンルージュのハーピスト、レイフル・ニールがゲストとして来日した。
その際に、一緒に来日したビリ−・ブランチを交えて、3人で飲む機会を得たが、わたしがレイフルじいさんに真っ先に聞いたのは、ヘンリー・グレイの消息であった。
「おう、奴は元気だぜ!」という答えに「いつの日か(ヘンリーが住む)バトンルージュに行ってみたい」という想いを強くしていたが、それを実現する前にヘンリーの方から日本にやってきてくれた。「レジェント・オブ・ザ・シカゴ・ブルース・バンド」(ハウリン・ウルフに縁があるメンバーで構成されたバンド)の一員として、「奇跡」の来日を果たしたのである。しかも、幸運にも彼へのインタビューまでやらせていた。
今回は、そのインタビューで明らかになった「新事実」も交えて、彼の足跡をたどっていきたいと思う。なおインタビューの方は、Blues Market誌No.12に掲載されているので、そちらを参照していただきたい。

ヘンリー・グレイは、1925年1月19日に、ルイジアナ州のケナーで生まれた。生活の苦しかったグレイ一家は、幼いヘンリーに仕事の手伝いをさせていたという。
お爺さんがハーモニカをプレイしていて、ヘンリーにもマスターさせようとしたらしいが、ヘンリー少年の興味は、なぜか家においてあった古ぼけたピアノに向けられ、8歳の頃までには独学で弾けるようになっていたという。
ご多分に漏れず、ヘンリー少年も母親からブルースを弾くことを禁じられており、もっぱら教会でプレイしていたという。しかし、ブルースへの興味は尽きず、学校をさぼって近所の家に行ってはブルース・ピアノを教えてもらっていた。
そんな彼が、晴れてブルースを弾くことを許されたのは、12歳の頃のことであった。その腕前を認められ、近所のクラブでピアノを弾き始めたのである。そして、それによってギャラを貰えるようになり、この時からヘンリー少年は、好きなことをやらせてもらえる様になったばかりか、両親のお気に入りの息子にもなったそうである。「現金」というのは正にこのことを言うのであろうか。

時は移り1946年。第二次世界大戦中に太平洋戦線に従軍していたヘンリーは、復員の際にシカゴに立ち寄った。当時のシカゴはありとあらゆるところに音楽が溢れており、とても興奮したと本人は言う。いったん故郷のルイジアナに帰ったが、すぐさまシカゴにとって帰り、音楽で生計を立てるべく精力的にプレイを開始したという。
シカゴに来てすぐに、サニーランド・スリムを介して憧れのビック・メイシオに紹介された彼は、さっそくメイシオ門下生になる。しかしメイシオは、その後すぐに卒中で倒れてしまい、左半身が不随となってしまったが、ヘンリーが左手のパートをサポートすることによって、ずいぶん勉強させられたという。
そんな彼が、最初に組んだ相手はダスティ・ブラウンだということだが、本格的なバンドは、ハドソン・シャワーズのレッド・デヴィルス・トリオであった。その後リトル・ウォルター、ジミー・ロジャース、モーリス・ピジョーなど多くのブルースマンと演奏を続ける彼であったが、そのころ彼は、「バード」と呼ばれていたらしい。ピアノを演奏する彼の両手が、まるで鳥が羽ばたいているように見えるところから、リトル・ウォルターが名付けたという。

さて、そんな彼にレコーディングの話しが来たのは、1952年8月のこと。エディ・ウェアが軍隊に召集されたために、その後釜としてジミー・ロジャースのチェスのセッションに迎入れられたのであった。
この時は4曲を録音した。"The Last Time"が生まれたセッションである。正統派シカゴ・スタイルを聴かせるが、ウェアに比べるとあまりにも無骨。53年3月には、リトル・ウォルターのセッションで、"Tonight With A Fool"を録音するが、これも同様の味わいだ。
ところで"The Last Time"では、なかなか聴き応えのあるピアノ・ソロを弾いている。ソロになると、ギター+ピアノ、あるいはハープ+ピアノが、絡み合うように一斉に弾き始めるスタイルが一般的(というか、当時のシカゴ・ブルースの特徴の一つ)であるが、これだけハッキリとしたピアノ・ソロというのはこの時代には大変珍しい。余程チェス兄弟にその腕を買われていたのだろうと想像していたら、本人に確かめたところウイリー・ディクソンのアイディアだという。いずれにしろ、この時代の彼がいかに名手として名が通っていたかの証拠になるであろう。

話しが前後してしまうが、52年11月に同じルイジアナ出身のモーリス・ピジョーのセッションでも2曲を録音し、軽快なロッキン・ブルースを聴かせてくれる。ピジョーとは、これ以降もチェッカー、ユナイテッド、VJに計25曲録音することになる。そのうちチェッカーの"Tired Of Crying"が「チェス・ハウス・ロッキン・ブルース」(P-VINE PCD-3418/ACE CDCHD 610)で、ユナイテッド録音が「Wrapped In My Baby」(Delmark DE-716)で、VJ録音が「Vee Jay, The Chicago Black Music」(P-VINE PCD-5271/4)で、聴くことが出来るが、チェッカーの10曲は未発表のままでであり、是非ともコンプリートCDを作ってもらいたいところである。

Wrapped In My Baby
(Delmark DE-716)

さて、自己名義での初録音は、ピジョーのチェッカーでの2回目のセッションが行われた、53年5月のこと。この時の録音は「Walkin' The Blues/The Blues Piano Chicago Style」(MCA MVCM-22100)で聴くことが出来る。シカゴのスタイルの中に、どこかルイジアナの香りを漂わせた傑作だ。熱心なシカゴ・ブルースのファンには、伝説のハーピストであるヘンリー・ストロングが参加していることでも知られた作品である。

Walkin' The Blues/The Blues Piano Chicago Style
(MCA MVCM-22100)

また、89年に突然発掘され、全シカゴ・ブルース・ファンを驚かせたパロット/ブルーレイク録音は「Hand Me Down Blues」(Relic 7015)で聴くことが出来るが、これも同様のスタイルである。

Hand Me Down Blues
(Relic 7015)

この、シカゴともルイジアナともいえない不思議な雰囲気がどこから来ているのか考えたが、一番の理由はやはり左手の動きにあるだろう。つまり、あのジミー・リードに代表されるレイジーなウォーキング・ベースを刻んでいるのである。これは後年エクセロに吹き込んだ"Worried Life Blues"を聴いていただけば、ビッグ・メイシオらとの違いが一目瞭然だろう。
さらに、ヴォーカルのメロディー・ラインも他のシカゴ勢に比べると、明るいというか「すっとぼけた」とでも言うのであろうか、深刻な印象を与えない。パロット/ブルーレイク録音の"You Messed Up"を聴くと、イントロは典型的なシカゴ・スタイルであるが、歌が入るといきなりルイジアナ風になってしまう。この辺に秘密が隠されていると思うのだがいかがなものだろうか。

ところで、パロット/ブルーレイク録音のハーピストはこれまで特定できず、ヘンリー・ストロング説やP.T.ヘイズ、グッド・ロッキン・チャールズ説などもあった。前述のインタビューの際にこのことを聴いてみたら、なんと彼は「シェイキー・ジェイクだ」と答えたではないか。わたしなど思わず身を乗り出して「シェイキー・ジェイクですか!?」と聞き返してしまったが、当の本人は「ずいぶん昔のことだからなあ」と自信なさげ。可能性としては残されているが、未だ特定できずといったところだろうか。


さて、以上がいわゆるヴィンテージ期の自己名義録音の全てと思われていたが、1999年にDelmark(P-VINE)からCD化された「Chicago Ain't Nothin' But A Blues Band」に、自己名義1曲に、ピジョーのバックでの2曲が収録されてた(ただし、ピジョーの方にはクレジットはされているがピアノは聞こえないような気がする)。まさかAtomic-Hに録音が残されていたなんて思ってもいなかったのでビックリした。

Chicago Ain't Nothin' But A Blues Band
(P-VINE PCD-5560)

50年代の自己名義録音は、以上8曲と少ないが、セッションマンとしての仕事はまだまだ続く。
55年3月には、ボ・ディドリーの"I'm The Man"に参加となっているが、本人に確かめたところ否定をしていた。
55年から56年にかけては、ジミー・リード、ビリー・ボーイ・アーノルドのセッションに参加しているが、これらの作品は傑作揃いである。グレイの右手のダイナミックさという魅力が最大限に発揮されているのである。特に私の好きな曲は、ビリー・ボーイ・アーノルドの"I Ain't Got You"。これでもかと言わんばかりに、右手の連打をたたみかけてくる。そういえば、ビリー・ボーイのアリゲーターでの復帰作でも、カール・レイランドがピアノが入るタイミングがずれているところまでコピーをしていたっけ。
ビリー・ボーイとの物は「Billy Boy Arnold & Snooky Pryor」(P-VINE PCD-5265)、ジミー・リードとの物は「Rockin' With Reed」(P-VINE PCD-5264)(注:オリジナルには未収録。P-VINE編集盤のみに収録)で聴くことが出来るので、是非お試しあれ。

Rockin' With Reed
(P-VINE PCD-5264)

また、57年には、ジミー・リード・マナーとして有名な、G.L.クロケットとのセッションで2曲を録音。そのうちの1曲が前述した「チェス・ハウス・ロッキン・ブルース」(P-VINE PCD-3418/ACE CDCHD 610)で聴ける。
さらに、64年には、ホームシック・ジャイムス、ウォルター・ホートン、ロバート・ナイト・ホークらと共に、デッカのセッションに参加。これは「Blues Southside Chicago」(Decca LK 4748/Flyright LP 521)で聴けるが一日も早いCD化が望まれる名盤だ。


Billy Boy Arnold holds mike, and seated at bottom is Henry Gray

さて、ヘンリーと言えば忘れてはいけないのが、ハウリン・ウルフとの仕事である。ウルフとの付き合いは、55年から始まり、55年3月、61年12月、65年4月、66年4月にそれぞれ4曲ずつ録音したことになっているが、ディスコグラフィーによってデータの違いがある。今回改めて聴いていて「これは、ジョニー・ジョーンズじゃないの」と思う曲もあったが、皆さんはどう感じるであろうか。
ウルフのレコードといえば、ヒューバート・サムリンのギターに耳を奪われがちだが、隙間を縫って鳴り続けるヘンリーのピアノは正にグレート!バンドとの息もピッタリだ。
55年から12年間に渡って、ウルフのレギュラー・ピアニストであったヘンリーは、この仕事を楽しんでいたそうである。ウルフはあのワイルドなイメージに反して、非常に厳しい人であり、ステージではスーツを着用し、酒を飲むことなど以ての外であったらしい。それが嫌で辞めていったミュージシャンも多いらしいが、ヘンリーはウルフにスーツを買ってもらえるし、酒も飲めなかったので長続きしたと語っていた。その顔の楽しそうなこと。よほど良い想い出であったに違いない。


そんなヘンリーにも、故郷のルイジアナに戻る日がやってきた。本人は「いや、シカゴに飽きただけだよ」と語っていたが、46年から22年間、休むことなく走り続けた彼は、肉体的にも精神的にも疲れ果て、ちょっとの休暇を取るつもりでルイジアナへと向かったのであった。
しかしそこにあったのは、病の床に伏していた父親と、大黒柱を欠き困り果てていた家族の姿であった。そして、家族のためにも故郷へと戻る決心をしたのである。それが68年のことであった。
特大のキャディラックに乗りバトンルージュに戻った彼は、故郷のヒーローと言うことで、盛大な出迎えを受けたという。さっそく彼は、父親が経営していたフィッシュマーケットで魚洗いの仕事を手伝っていたが、その後スクールボード(日本で言う教育委員会のようなもの)の仕事で、屋根修理などを始めた。また、平行してクラレンス・エドワーズやタビー・トーマスらと、さっそく演奏活動を再開した。

そんな彼に、再び録音の機会がやってきたのは、70年になってからのこと。
まず、ジェイ・ミラーのセッションで4曲を録音。彼の代表曲となった"Lucky, Lucky Man"を生んだセッションだ。うち2曲が、ブルース・アンリミテッドからシングルカットされ、「Baton Rouge Blues」(Flyright LP-607)にも収録されていた。現在では「Louisiana Swamp Blues」(Flyright FLYCD 09)「More Louisiana Swamp Blues」(Flyright FLYCD 24)で、1曲ずつ聴くことが出来る。
ところで、"Lucky, Lucky Man"だが、インタビューの際にも「ガールフレンドがアイデアをくれてこの頃作った」と語っていたし、私自身もヘンリー作だと思っていたが、前述の「Chicago Ain't Nothin' But A Blues Band」のなかで、ジョニー・ロジャースなる人物がすでに録音しているではないか。シカゴ時代にヘンリーが作った曲をジョニー・ロジャースがカバーしたのか、それとも逆なのかは分からない。
続く4月には、アーフーリーに3曲を録音し「Louisiana Blues」(Arhoolie 1054/CD 9004)に収録されている。
さらに、8月には、エクセロに5曲を録音。これは「Swamp Blues」(Excello 8015/6)として発売され、何度かのリイシューを経て、現在ではCD化されている(ACE CDCHD 661)。いずれも似たような雰囲気だが、ヘンリーのピアノが入っただけでサウンドがグッと締まるのはさすがとしか言い様がない。

時は移って77年。ニューオリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェスティバルに出演したヘンリーを見て、痛く感動したドイツ人青年が中心となり、ヨーロッパ・ツアーが実現した。この時に録音されたのが「They Call Me Little Henry」(Bluebeat S-77332)である。全編弾き語りであるが、それだけに彼のピアノを充分楽しむことが出来る。
また、80年代に入って、フロリダのサンランドというレーベルから何枚かのシングルが出されたが、その一部が84年発売の「Louisiana Blues Anthology」(Sunland LPS-2001)というLPに収録されている。ヘンリーの他にウィスパリング・スミス、レイフル・ニール、タビー・トーマスなどの曲が収録されているが、内容はすこぶる良い。このレーベルからは何枚のシングルが発売されていたのかは不明だが、このあたりのCD化も進めてもらいたいところだ。

そして、多くのファンが彼の傑作アルバムとして挙げているのが、88年発売の「Lucky Man」(Blind Pig BP 2788)である。ボブ・ストロガーやウイリー・スミスらをバックにシカゴで録音されたアルバムだ。いきなりファッツ・ドミノの"My Girl Josephine"を持ってきたところにニヤっとさせられるが、堂々とした歌いっぷり、弾きっぷりに「ヘンリー・グレイ健在なり」と我々に印象付けたアルバムであった。
ところが、このアルバムも未CD化のまま。ただし、"Lucky, Lucky Man""Finger Snappin' Boogie""I'm Talkin' About You"の3曲は、同社の音源を集めたピアノ・コンピレーションの「Blue Ivory」(Blind Pig BPCD 74591)に、"Gray's Bounce"が「Prime Chops」(Blind Pig BPCD 78001)に、"Cold Chills"の別バージョンが「20th Anniversary Collection」(Blind Pig BPCD 2001)にそれぞれ収録されている。

また、90年にはウルフに対して録音を行い「Louisiana Swamp Blues Vol.2」(Wolf 120.923 CD)として発売された。なお、タビー・トーマスの経営するクラブの、タビーズ・ブルース・ボックスでのライブを収めた「同 Vol.1」(Wolf 120.922 CD)にも1曲のみだがボーカル/ピアノで参加している。


94年には、ルイジアナのST.マーティンヴィルという街で録音されたライブと、スタジオ録音が半々位ずつ入ったCD「Thibodeaux's Cafe」(Sidetrack SCK 006)を出したが、ほとんど市場には流通していないのではないかと思う。このCDで共演しているショート・ヒューズというバンドとは「Strong Coffee & Red Wine」(番号無し)というカセット・オンリーのアルバム(ピアノで全面的に参加し"Corrina, Corrina"でボーカルを取っている)や、「Sting It」(Sidetrack SCK 004)「Free Lunch」(Cambaya CD027-E)というCDを出ているが、もしかしたらヘンリーは、このバンドのレギュラ−・メンバーなのかもしれない。
96年には、そのショート・ヒューズをバックに、「Don't Start That Stuff」(Last Call 7422468)を発表。一部ライブも交えて、ますますユル〜くなって来たヘンリーの姿を捉えている。

Don't Start That Stuff
(Last Call 7422468)

そして、98年。Telarcから「A Tribute To Howlin' Wolf」(Telarc CD-83427)という企画盤が出され、ヘンリーもゆかりのミュージシャンとして全面的に参加している。ま、ブームに乗ったありがちな企画盤と言ってしまえばそれまでだが、ゲスト陣の頑張りもあり(タジ・マハールのウルフの物まねは絶品!!)素直に楽しめるアルバムとなっている。また、エンハンスド仕様になっておりヒューバート・サムリンやサム・レイのインタビュー、そして(短いけれど)ヘンリーのブギなども聴けるのが嬉しい。またこのCDのお陰で、ヨーロッパ・ツアーや来日公演も実現するという嬉しいおまけも付いてきた。

98年のインタビューの時に「ドイツからCDがでる」と言ってたが、今のところ未確認。既に完成していて日本にも持って来るつもりだったと語っていたところからすると、発売されているのは間違いないと思うが、正確な情報は全く入ってきていない。
今のところの最新盤は、昨年Louisianaradio.comでも生中継された、サニー・ランドレスらをバックにしたライブ盤「Blues Won't Let Me Take My Rest」(Lacky Cat Records LC 1001)になる。
また、録音は少々古いが、ハーピストのボブ・コリトアがホストを務める「All-Star Blues Sessions/ブルース・セッション道場」(P-VINE PCD-5561/HMG 1009)では3曲に登場。

Blues Won't Let Me Take My Rest
(Lacky Cat LC 1001)

以上が、分かっている範囲での彼の全記録になるが、ルイジアナのマイナーレーベルあたりから、まだまだアルバムが出ているかも知れない。セッションマンとしての活躍は、ここに書ききれなかったのは多数ある。
すでに75歳を迎え、大きな家に車を5台、ボートを2隻持っていて、何ひとつ不自由しない生活を送っているらしいが、バトンルージュでの週3日のギグは続けているらしいし、世界中のフェスティバルからも引っ張りだこだという。
奥さんには「もう引退したら」と言われているらしいが「昔からのピアニストは、もう俺以外にいなくなったからなあ」と語っていた顔が印象的だった。
既にシカゴでの生活よりも、ルイジアナに戻ってからの時間の方が長くなっており、すっかりルイジアナのブルースマンというイメージの方が定着しているであろう。彼自身も「私の生活の全ては、ルイジアナで培われたものなんだよ」と語っていた。

次回は、ぜひタビー・トーマスやレイフル・ニールなどを引き連れて「バトンルージュ・オールスターズ」として私たちの前に立って欲しい。
その時が来るのを、私は首を長くして待ち続けていたいと思う。

ヘンリー・グレイの公式サイト
The Official Henry Gray Website - Southern Blues

Other CDs, LPs and 45rpm

Louisiana Swamp Blues
(Flyright FLYCD 09)

Louisiana Blues
(Arhoolie 1054/CD 9004)

Swamp Blues
(ACE CDCHD 661)

Louisiana Blues Anthology
(Sunland LPS-2001)

How Can You Do It?
(Sunland SS-1019)

Louisiana Swamp Blues Vol.1
(Wolf 120.922 CD)

Louisiana Swamp Blues Vol.2
(Wolf 120.923 CD)

They Call Me Little Henry
(Bluebeat S-77332)

Lucky Man
(Blind Pig BP 2788)

Thibodeaux's Cafe
(Sidetrack SCK 006)

A Tribute To Howlin' Wolf
(Telarc CD-83427)

「ブルース・セッション道場」
(P-VINE PCD-5561/HMG 1009)


Henry Gray Discography (1970年まで)

V/p with Henry Strong,hca ; Morris Pejoe,g ; "Stovepipe",d. Chicago, 11 May 1953
1.I declare that ain't right [Ch(E) 6641 174] (A)(B)
2.I declare that ain't right [P-VINE PLP 6022] (B)
3.Matchbox blues [Ch(E) 6641 174] (A)(B)
4.Untitled Instrumental [MCA CHD4-9340] (A)

V/p with Prob Shakey Jake,hca ; Hudson Showers,g ; James Banister,d Chicago, 1955
5.Watch yourself [Relic 7015] (C)
6.That ain't right [Relic 7015] (C)
7.Goodbye baby [Relic 7015] (C)
8.You messed up [Relic 7015] (C)

V/p with unknown,saxes ; Morris Pejoe,g ; Andrew McMahon,b ; unknown,d. Chicago, 1960
9.How can you do it ? [Delmark DE-624] (D)

V/p with Lazy Lester,hca ; Wilfred moore, g ; Wilbert Moore, b ; Herbert Moore, d. Crowled, La., Mar 1970
10.You're my midnight dream [Blues Unlimited 1001] (E)
11.I'm a lucky, lucky man [Blues Unlimited 1001] (F)(G)
12.Cold Chills [Flyright LP 607] (G)
13.Tell me why [unissued]

V/p with Whispering Smith,hca-1 ; Clarence Edwards,g-1 ; Roy Lee Sheppard,g-2 ; Samuel Hogan, d. Baton Rouge, 27 Apr 1970
14.The blues won't let me take my rest-1 [Arhoolie LP 1054] (H)
15.Cpld chills-1 [Arhoolie LP 1054] (H)
16.Lucky lucky man-2 [Arhoolie LP 1054] (H)

V/p with Gregg Schaeffer,g(overdubbed) ; Roy Lee Sheppard,g ; Clarence Prophet, b ; Samuel Hogan, d. Baton Rouge, 13 Aug 1970
17.Can't last too long [Exlo LP 8015/6] (I)
18.Times are hard [unissued]

V-1/p. Baton Rouge, 15 Apr 1970
19.Gray's bounce [Exlo LP 8015/6] (I)
20.Worried life blues-1 [Exlo LP 8015/6] (I)
21.Showers of rain-1 [Exlo LP 8015/6] (I)

(A)「Walkin' The Blues/The Blues Piano Chicago Style」(MCAMVCM-22100)
(B)「Chicago Piano-Ology」(P-VINE PLP-6022)
(C)「Hand Me Down Blues」(RELIC 7015)
(D)「Chicago Ain't Nothin' But A Blues Band」(P-VINE PCD-5560)
(E)「Louisiana Swamp Blues」(Flyright FLYCD 09)
(F)「More Louisiana Swamp Blues」(Flyright FLYCD 24)
(G)「Baton Rouge Blues」(Flyright FLY 607)【LP】
(H)「Louisiana Blues」(Arhoolie CD 9004)
(I)「Swamp Blues」(ACE CDCHD 661)

(2000年2月9日記)
(2000年11月3日改訂)


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