2009年4月9日(木曜日) 84年にジョン・リーを観た懐かしいパーク・ウエストで、SOBがデレク・トラックスの前座。デレクは12歳のとき、ビリーのブルーズン・スクールの生徒だったらしい。 そしてオレは少し風邪気味で・・・はぁ、どの方がデレク?前にも「デリック」と誤表(2009年3月7日参照)したように、存じ上げないお方だが、ウチが前座するのだから立派な人気者なのでしょう。平日なのに二日間ともチケットは売り切れだった。 先月のシェリル・クロウの前座時と同様(2009年3月7日参照)、オレは別仕事が控えていて、彼らの本番を観ることは出来ず終演即撤収。何も己の忙しさを誇示したいのではない。格上(世間での評価ね)のバンドと交流することなく、バタバタと急(せ)いて次の現場へ向かうことを拒否できないという、質(ギャラの多寡)より回数のみでしか生活を維持できない境遇を嘆いているのだ。 演りたい気持ちのみが先行するジャマーたちを、ちんたらお相手していた午前12時過ぎのロザへ、ビリー・ブランチが現れた。500人以上の熱狂で包まれたデレクのアンコール曲に、ステージへ呼び出された大将は上機嫌で共演したという。その興奮のまま、ビリーがロザでもハーモニカを吹きまくる。ああ、おっさんには余裕があるし、華がある。ああ、オレには余裕がないし、洟(はな)が出る。 2009年4月14日(火曜日) SOBのライブ盤発売情報 名もない方の名もないCD作りに参加 スタジオ滞在50分で終了 2009年4月17日(金曜日) スイング・バンドのSP20sでHOB(ハウス・オブ・ブルース)。 HOBであった直前のパーティで生ピアノが持ち込まれていて、セットを替えるのに搬出時間がないから、そのまま使えというので手ぶらで現場入り。オレが普段演奏するクラブではロザくらいしか生ピが置いてない。搬入・搬出の労が要らず純粋に嬉しい。それもロザの叩く度に調律の狂うアジア製(非日本)のボロじゃなくて、河合楽器の久し振りにちゃんとしたピアノ。つまり弦が全部揃っていてハンマーがそれをしっかり叩き、一つ一つの音の粒が均一で張りがあり、その上、調律が済んでいる上物。指先がしっかり鍵盤を捉え、頭で予定した通りのフレーズが流れていく。おお、オレ様はやっぱり上手い! と、楽器が変わっただけで思い上がらされるのは、やっぱり上手くない証拠だと思い知らされる。 2009年4月18日(土曜日) アパートの管理人の娘の嫁入り。このアパートから送り出すのか、門扉には花で飾られたアーチが架けられていた。どこでパーティをやっていたのか、玄関先には数十名が立ち並び、迎えのリムジンに乗ったウエディング・ドレス姿の花嫁を送り出す。間もなく、本会場へ急ぐ参列者達がそれぞれの車に分乗して後を追う。そしてアメリカの婚礼送り出しの恒例、車の警笛乱れ鳴らし。オレは眠られず・・・。 夜、ロザでSOB。元SOBのベース&元マイルス・デイビスのベースのフェルトンが、日本人の女性を連れて遅くに来店。終演後フェルトンが「こいつはアリヨ、この子は○○ちゃん。なぁアリヨ、彼女は相当美人だろ、えっ」と、オレを彼女に紹介がてら問うてきた。「相当」にも「美人」にも・・・本人を前にして、何て応えたらエエねん! そんなオレの悩みはお構いなしに、日本人女性は「それでアナタは何を演奏してるの?」と、トロリ訊ねた。その片手には「地球の歩き方・シカゴ編」。オレは「歩き方」の「オレの頁」を開けて、「ほれ」と指し示した。キャーッ、アナタ、アリヨシさんだったの?ネェ、今日は演奏シナイのォ?・・・あのぉ、今まで演奏してたんですが。こら酔っぱらい二人、早ょ帰れ! 2009年4月19日(日曜日) シカゴ市北西郊外に在るハーパー・カレッジでSOBのコンサート。へはっ?コ、コンサート? ローカル・クラブ中心のウチが、郊外の大学内とはいえ、ホールで単独のコンサートなど開催(そこそこ有名だが、そこまでは有名でない)出来ようはずもなく、小雨ぱらつく天候にも恵まれ、会場の広さ(客席数を記すのもバカらしい)に比して疎らな客に玉砕する。主催者は一体何を考えて散財するのか・・・。 しかしマネージャーのM女史は、オレたちをよく惑わせてくれる。入り時間を彼女に問うと「開始時間は午後7時半だから、6時頃でイイんじゃない」。場所を確認するため主催側のWebを調べると、「開場2:30pm 開演3:00」とあった。慌ててビリーへ連絡し、大将自らほうぼうへ連絡を取って、入り時間は昼の12時だと今朝知らされる。おいおい。 昨晩はロザで帰宅が午前4時前。んな、朝の早い(オレなど起床がいつも寝る頃である午前10時で、11時には自宅を出た)入り時間に、サウンド・チェックのセッティングも進まず、暇な時間を客席に座ってダラダラしていると、携帯からユーチューブにアクセスしたビリーが大声を上げる。「おいみんな!オレたちが出てるぞ!」。もうビリーはわざとらしいんだから。きっと誰かからアップされてることを教えられて、みんなに見せようと機会をうかがっていたに違いない。 どれどれ、オレ様の演奏姿が映っているかと、オッサン連中の肩越しに覗くと・・・おお、2002年のイタリア・サンレモ・ブルースフェス。 おお、ピアノ・ソロが指先アップで、音も鮮明に聴こえるじゃない。そういやあの時、オレの脇にカメラが一台張り付いてたし、天井にも吊るしてあったなぁ、と楽しい旅の想い出に浸っていると、当時はメンバーでなかったギターのダンが呟(つぶや)いた。「モーズの衣装・・・今日と同じ?」。えっ!?横のモーズが気付いてヘラヘラと笑っている。同じ衣装を7年間も使いますか・・・。 2009年4月27日(月曜日) ビリーが3週連続お休みのアーティス。やっぱり大将が居ないとショウがしまらない。 ジョン・プライマーのベースのMが遊びに来ていた。口元に爪楊枝をくわえているのがオッサンぽいが、似合うヤツと似合わないヤツがいて、彼はそこそこサマになっていた。オレなど、やんちゃ坊に見せようとしていた昔は、似合わないのに無理して楊枝をくわえて粋がり、口内でとろとろに柔らかくなった楊枝の先に閉口しながらも、タバコを吸うタイミングまで我慢して吐かずにいた。だからMがずっとくわえてるのを、実際の爪楊枝の用途を越えたファッションとして羨ましく眺めていた。 ただ日本のそれとは違い、こちらの楊枝は両端が尖っているため、Mの唇に転がる先が多少みっともなく、クールそうにも見えてどんくさそうにも思える。 Mが呼ばれてオレの脇に立ち、ベースを抱えて唄い始めた。まだ楊枝は離さない。そして彼の楊枝はマイクの網の目に突き刺さり、ついに口元から離れていった。ああ、格好悪ぅー。
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