傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 76 [ 2009年2月 ]

Thawing
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2009年2月10日(火曜日)

ああ、上旬が過ぎ行くのに、今月に入って現場はまだ4本しか演ってない。それでも、大将の自宅で二人きりの談合兼曲作りが二度、健康保険加入のための健康診断・検査に散髪、そして時々子守りと、日常は相変わらず忙しい。

40数ユニットが入居するアパートは煉瓦作りでがっしりとしているものの、建物が古いため、ケーブル・テレビ(ウチはコムキャスト)からの給電線を共聴ユニットへ分岐させるための配電ボックスが、外壁の3階部分に取り付けられている。そこへリスが入り込んでケーブルをかじったらしく、木曜日以来ネットが繋がらない。この二、三日はテレビも映らなくなった。

コムキャストの技術者は日曜日に一度来たが、部屋のケーブル・モデムや受信信号を確認しただけで、配電修理の工具がないからと帰って行った。カスタマー・サービスには「寒さやリスが原因で外壁の配電ボックスのケーブルがいかれ、アパートのどこかで年中受信障害がある」と再三説明したのに、工具がないからとはどういうこっちゃ。外壁を調べたオッサンは、ライバル会社のAT&Tのケーブルも破られていたと妙な言い訳をしていた。他所のことは知らん!寒さや小動物に強い箱を用意せえや!

しかし、ネットやテレビのない暮らしがこんなに穏やかで時間にゆとりができることを、久し振りに思い出した。今は世の中の流れが速過ぎて情報過多なのだ。

まだ携帯が普及していない大昔、毎年夏には電話を敷いていない山荘に滞在した。テレビも新聞もなく、自然の中で「思惟(しい)」と「感受」が時を埋めた。その完全な夏休みと、この数日が重なる。ネット障害とは関係のない、日記の下書きさえ手に付けないと決め、何度も読んだ本を再び読み返したり、CDを聴き込んだ。

何かをしなければいけないという「急き立たされた」ある種の強迫観念は、現代の便利な道具が休日をも精神を浸食する。マックやテレビがなくてもオレの職種にそれほどの不都合は生じない。ただ、社会と繋がりを持ち、同時進行していなければ不安なだけだ。

今日来たラテン系の若い二人の技術者は、きちんと直してくれたものの、「アライグマがやったんですよ」と言い張った。アライグマは電線を渡らないし、3階の高さまでは到達しないが、オレは黙って頷く。そして、バカほど舞い込んでいるメールと溢れるニュースに、日常が戻っていることを知った。


2009年2月13日(金曜日)

おお、13日の金曜日!って、どちらかといえば出自が禅宗に関わるオレには、何の恐怖もなし。

サウス・サイドで、クーパーというオヤジのパーティ仕事。ビリー以外のSOBがバックを務める。35番通りの商店街に在るホールということもあり、入口でセキュリティ・チェックがあった。へっ!?セキュリティ・チェックぅ?

大男が手にした平たい棒状の金属探知機は、両手を水平に伸ばした客の身体に沿って移動していた。ここは、空港か?テロリストでも警戒してるのか?って、何の持込みを恐れておるのか。はい、拳銃にナイフなど凶器となるモノです。

暗いステージの片隅で、進歩のない自分の音に呆れながら、オレはきっと死ぬまでこんなところで演奏しているのだと、自虐を伴った閉塞感に苛まれていた。


2009年2月20日(金曜日)

ハイドパーク・ジャズ・ソサエティのキャロラインという女性から電話があった。去年の一月に、ビリーとDee Alexanderのセッション(2008年1月25日参照)でオレを観たらしい。

「アリヨ名義のジャズ・トリオでハイドパーク・ジャズ・フェスティバルに出演してくれない?」

はあぁあ??オレのジャズ・トリオ?そんなもん、あったのか!?と一瞬キョトンとして、それでも気が付けば問うていた。

「いつですか?」
「9月26日の土曜。もうほとんどライン・アップは出揃っているから、直ぐに返事だけ欲しいの」

半年以上も先の話の、大きなツアーでもなく、それもオレ名義での単発仕事など即決出来ようはずもない。

「演奏は一時間でギャラは$$$。アリヨがビリーのとこのレギュラーだってことは理解してるわ。でもフェスは10カ所以上の会場で昼から開催されるの。出演時間は私が調整出来るから、好きな時間を言って頂戴。それで、演れるかどうかだけでも今教えて」

ほぉ、結構なお値段で。いっそのこと大将をオレのゲストに入れてしまえば、スケジュールは公に押さえられる。

「その値段ならビリーでも雇えますね」
「あら、ブルースはダメよ!」
「・・・」
「ねぇ、イエス?ノー?」
「えっ!?い、イエス・・・」

はぁぁ、どうなる、半年後のアリヨ・ジャズ・トリオの行方。


2009年2月21日(土曜日)

積雪10数センチ、気温-6℃。ダウン・タウンのど真ん中に在る、マリオットホテルでSOB宴会仕事。

繁華街での仕事の煩わしさは、搬出入と駐車場の心配に集約される。しかし、ホテルなどは搬入口がしっかりとしていて、マリオットでは、保安詰め所でサインすれば暖かい地下のローディング・ドックを利用出来た。ただし、マネージャーM女史からの「御触れ」には、「搬入後、車は速やかに他所へ移動させること」とあった。

広いドック・エリアには、隅にニックのRVが停められている。その真後ろにマキシマを着けて機材を出していると、ダンの車が現れた。ほれここ、と誘導してダンもマキシマの後ろへ倣(なら)う。

壁際に3台が横付けしても他の空きスペースは充分なので、何の邪魔にはならないように見える。週末のダウン・タウンにこの天候で路駐場所を探す手間を考えると、このまま停めさせてもらえるなら$20払っても惜しくない。思わず口を吐いたオレの意見にダンは、「ああ、この周りの駐車場なら$30は取られるもんね」と同意した。「いっそセキュリティに、$10ずつ$20の袖の下を掴ませるか」と冗談めかして言うと、ダンは乗り気になったが、規則に縛られた保安係は何かあれば責任を取らないので、それも現実的ではない。

機材を7階まで上げると、数百人が収容出来るだだっ広い宴会場に、セッティングの終わったニックが寛いでいる。「車、動かさなくて良いの?」と訊くと、「セキュリティが置いといてもイイって言ったよ」と安楽な表情を浮かべた。傍で聞き耳を立てていたダンがニヤリと笑う。駐車問題が解決されれば、こんな宴会仕事は終わったも同然だ。オレも吊られて相好を崩した。

単独仕事で入りが遅れるビリー抜きのサウンド・チェックを終えると、客が一斉に入場して来る。ステージ脇の10人掛けテーブルには、出演関係者用のディナー・コースが並んだ。といっても前菜にスープ、メインの鳥料理、デザートにコーヒーという簡単な物で食欲は出なかった。

適当に啄(ついば)んでいると、隣の席に音響係が座った。ふと気になり、機材車はどこに駐車したかを彼に訊ねた。地下のドック・エリアにトラックは見なかったからだ。

「俺たちはセッティングが大変だから昼前には着いたんだ。それから10時間以上も時間制の駐車場へ入れるのは金が掛かるし、あんなに広いドック・スペースがあるんだから置かせておいてくれよって、セキュリティに頼んだけどダメだったんで、仕方なく1ブロック先の有料駐車場へ入れたよ。$40以上は取られるねぇ」

それを聞いてオレは、離れた席で機嫌良くワインを飲んでいるニックに詰め寄った。

「本当に仕事終わりまで停めておいても良いって、セキュリティが言ったの?」
「えっ!?いや、えっと、置いておいてもイイって・・・」
「それはバンドの車のこと?それともニックの車だけ特別にっ?」
「うっ、多分俺の、いや・・・分からない」
「具体的に何て頼んだの?」
「あっ、えぇっと、宴会バンドの者だけど、壁際ギリギリに停めておくから、あのまま動かさずにいてイイかいって訊いたら、最初はダメだって言ったけど、ホント邪魔にならないからって頼んだら、大きさはって訊いたんで、小さなRV(実際はかなりでかい)だけどって言うと、渋い顔したけどオッケーって答えたよ。金は渡してないし・・・」
「そのセキュリティが何時まで働いているか訊いたの?」
「・・・・・・」

オレはすぐさまコートを掴むと、裏口へ通じる従業員用のドアへと向かった。ダンが口を頬張らせ慌てて付いて来る。開演までまだ40分あるとはいっても、ニックの告白はサスペンス仕立ての様にオレたちを急かせた。

金持ち相手に働く場所で、マイノリティが同じ肌のマイノリティに便宜を図ることは、心情的に理解出来る。例えニックがそれ("BROTHER")を意識していなくても、オレやダンなど非アフリカ系が、彼と同じように扱われなかった経験を何度もしているのだ。ただニックも、記帳したとき詰め所にいた黒人セキュリティの労働シフトを知らない。先ずは、機材トラックを追い出した規則を曲げても、3台分の車が置かせてもらえるものか、直接確かめねばならなかった。

保安詰め所では、厳(いか)めしい顔をした見知らぬ中年の白人が、多数あるセキュリティ・モニターの前に座っていた。気圧されしたダンがニックのRVの件などを丁寧に説明すると、彼は特例を言下に否定し、搬入が終わったのなら即刻移動せよと告げた。

幸いなことに、オレはホテルから一ブロック出たところで路上駐車が出来、不幸なことにダンは、10数分もうろついた挙げ句$29の駐車場しか見付けられなかった。親切なダンから移動を命じられたニックは、戻って来ない。許可した責任を取らない最初のセキュリティに対してか、状況を暴いたオレに対してか分からないが、どこかで拗ねているに違いない。

定刻の20分前になってビリーが涼しい顔で現れた。姿の見えないニックを訝(いぶか)るビリーに、ことの成り行きと、何かの腹いせでギリギリになって登場するはずだというオレの考えを告げると、彼は納得気に破顔して言った。「おらぁ、ホテルの正面玄関の駐車係に車を預けたよ」。そしてニックを除くみんなを集めると、説教をする口調に変える。

「あのなぁ、今日みたいな宴会仕事は金が良いって分かるだろう。こんな時はギャラ以外に駐車代も色付けるっていつも言ってるじゃねぇか。だから、ホテルの駐車場か係に預けちまえっ、なっ!」

いや、いつも言ってますかねぇ?これこれの仕事、場所どこですか?知らん、マネージャーに訊け!搬入時間は何時ですか?知らん、マネージャーに訊け!搬入方法は?知らん、マネージャーに訊け!駐車場は?知らん、マネージャーに訊け!で、現場で駐車が大変だって結果が出てから、「大丈夫だ、任せとけ」ってパターンが多くありません?だから、アナタが前日までに仕事の規模を把握して、私たちに安心しろって言って欲しいんですよ・・・。

案の定、ニックは演奏開始時間の5分前に済ました顔で現れた。自分がどれほど他人に振り回されたかをビリーに愚痴るが、「色付き」を知ると苦笑した後、機嫌を直す。

ん!?ところで、車を持たず、常に人頼みでドラム・セットを運ぶモーズは、この搬入を一体どうしたのだろう。

「えっ、俺かぁ?今日の音響屋は知り合いだったんで、便乗して来たんだ。お陰で午前11時半には着いちまったぁ。帰りも一番最後だわなぁ、ぐあっはっはっあはぁっ」

モーズ、お疲れさま。


2009年2月23日(月曜日)

オーストリアのドイツ語圏からシカゴへ時々遊びに来る、ドラム兼ピアニストのロベルト・フッハから、感嘆符だらけの分かり難い英語メールが届いていた。

<元気ですか!あなたは生きているの作ります!どこで演奏してるか!>

むむむ、二行目は恐らく「元気なことでしょう」と理解するしかない。

ロベルトは既にシカゴへ来ているのか、または来る予定なのだと思ったので、

<今シカゴに来てるの?>

と、二週間分のスケージュールを知らせたら、直ぐに返事がきた。

<私はハンブルグだよ。それ(it)がヨーロッパでの仕事を探す(look for)ので、だから私はあなたに尋ねました。でもダメです。ゴメン>

ううーんん。これから探すつもりだったのか?いやいや、オレのスケジュールを確認して直ぐにダメと判断したのなら、日程が合わなかったと考えるしかないので、ヤツの日本人にも通ずるところがある奇抜な英語は、想像を逞しくする他ない。

原文は"it looks for giging in Europe"だが、"it"が指すものや主語が見当たらないので、単に"it looks"のみを切り取って「何々に見える」。"giging"は"gig"(演奏する)の進行形の"gigging"のミス・スペリングで、こっちでは名詞としての"gig"しか聞いたことはないが、"for"を付けて「演奏するため」と解釈。そして詞の間に現れない言葉を入れてそれらを超意訳すると、「アナタがヨーロッパで演奏出来そうに思われる」となる。

そのことを確かめるべく、「先のメールは、『来週か再来週に、ヨーロッパでアナタの仕事がありそうだったからスケジュールを訊いたけど、アナタには既に仕事が入っているからダメだった』って意味?何、ロベルトはオレをヨーロッパでブッキングしようとしてたってこと?」と返信すると、数分して返事が来た。"Exact! You got it!"

普通ここは"Exactly"だが、今度は分かり易い。「その通り!アンタは分かってる!」。わぁ、良かったぁ、全問正解。学生時代、英語の答案を苦労して創作した甲斐がありました、点数は最悪でしたがね・・・ん!?オレはひょっとして、単独のヨーロッパ出張を逃したのか?もっと早よ言えよぉ、フッハ君!


2009年2月26日(木曜日)

SOBでキングストン・マインズ。帰宅が午前4時半。

ウチへ帰ると五目寿司が海苔で細巻きにされていた。買い置きの「鍋焼きうどん」に卵を入れて、猫舌なので、冷める間に食後のアイス・カフェ・オーレを作ろっと。流れるが如く手際良く、大きなグラスに最後は生クリームをかけて・・・ん!?

おおおおお、危なっ!オーレの横の「鍋焼きうどん」の真上に、逆さにした生クリームのスプレー缶が。もうほとんど指はノズルを押している。歳を取ったせいで、認識力が相当落ちている。しかし、歳にしては反射神経が衰えていないので救われた。もし「鍋焼きうどん・生クリーム付き」が出来上がっていたら・・・年相応に「もったいない」と思って食べたに違いない。