傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 63 [ 2008年1月 ]


Happy new year
Photo by Ariyo

top


2008年1月1日(火曜日)

明けましておめでとうございます。

最高気温マイナス7℃、最低気温マイナス16℃。正月気分も僅かながら、寝て起き
たら夜になっていて一歩も外へでなかった元旦。

今年もよろしくお願いします。


2008年1月3日(木曜日)

新年の三日目というのに、何事もないロザの木曜日。休み明けと寒い(ー6℃)のもあって、人の入りは少なかった。

いよいよクラブ内(入口を出て15フィート/4.5メートル、以内も不可)で全面禁煙。ジェームスに「中で吸えないんなら外に灰皿を設置して欲しいよね」と言うと大笑いされる。

歩くなり動いていれば別だが、ただ表で佇んで喫煙していると、さすがに骨の髄まで冷え込む。だから寒さに我慢できず、一本が吸い切れない。それでも今晩は三本だけ吸った自分が浅ましい。


2008年1月4日(金曜日)

この月曜の大晦日にレジェンズでマジック・スリムの前座を演ったのに、間を置かず同じ店でバディ・ガイの前座。

バディ・ガイのキーボードのマーティの機材を使わせてもらえるので、身ひとつでの現場入りは楽だが、所詮人様の前座に過ぎず、たったの60分では演奏をした気分にも満たない。仕事と考えれば短い時間で終わるからそれで良かったといえるが、せっかくの週末仕事なのに週末価格ではない前座料金というのも癪に障る。

お嬢様育ちのマネージャーMの頼みで、人混みをかき分けバーカウンターへ氷を取りにいくと、客の大男が『おっ!?おっ!?お前、今演奏してたキーボードだろ』と声を掛けてきた。『何年演奏してんだ?』と横柄に訊くので『ピアノをか?3歳から始めたから、アンタがオレの歳を想像して計算しろ』と答えてやる。上記の理由から、あまり素直になれないのだから仕方がない。

ふと思い付いて、頭に???を載せた大男に『アンタ、チケット買って入ったんだろ、幾らだった?』と訊ねると、『$40だったぜ』と自慢げに半券を取り出して見せられたので、また頭にくる。オレは何に腹を立てているのか分からない。高いチケット代か、男の態度か、店内全面禁煙となってしまったことか、業界総大将の前座であることか、きっとそのすべてが少しずつ気に入らないのであろう。

機材を貸してくれたマーティには悪かったが、メインの方々が演奏を始めて30分程で店を出た。時刻は午後十一時を過ぎたばかり。このまま帰宅するのが悔しくてロザへと向かう。

金曜なのに、黒人好みのレパートリーの多いヴァンス・ケリーでは、ノースサイドのクラブは埋まらない。ママに『あのね、バディ・ガイの店、今晩の入場料は$40だったのに売り切れで満員だったよ』と告げ口をして渋面を作られる。

それでもオレにとってのホーム・クラブは落ち着く。バンドのメンバーや常連の客たち、遊びに来ていたココ・テイラーのベーシスト、メルヴィンらとバカ話をしていると、憂鬱な薄皮は解けていった。

今となっては、今晩のオレは何が面白くなかったのか薄々感じている。お偉いさんを前に、客や従業員たちばかりかウチの人間までが気を遣っていた。多分お偉いさんは気にしていないのだろうが、みんなが勝手に気を遣っている。随分年下のはずのマーティにまで気を遣うオレがいた。仕方のないその窮屈な空気に疲れて、レジェンズでは何もかもが腹立たしかったのだ。

気が晴れてしまうと、せっかく早く仕事が終わったのにブラブラ寄り道しているのはバカらしい。おウチ大好きのオレは、みんなの「えっ!もう帰ってしまうの?」の声に後ろ髪を引かれる思いは一切なく、さっさと帰宅してやった。


2008年1月6日(日曜日)

今日の最高気温、摂氏17度。天気の神様、一週間も経たずに30℃以上も上げるかぁ?でも雨なので、一日中子守りしていて一歩も外へ出なかった。 

夜、奥様の友人であるセネガル出身のV来宅。彼女はチャーター飛行機会社の客室アテンダントだったが、ついこの間辞めた。その理由は、旦那の休暇に合わせた自分の休暇が、思い通りには取らせてもらえなかったことらしい。

日本の働く人々よ、正当な要求をもっと会社にぶつけたまえ!と言いたいが、アメリカの働く人々よ、会社や同僚のことも考えてもう少し我慢せよ!とも言いたくなる。

それでもVは辞めて直ぐ、チャーター機の顧客から彼の会社へ来ないかと申し出があり、貰った名刺をオレに見せた。そこには「オイル・ディーラー」とあった。

80年代にレーガン政権がエネルギー市場をも自由化したため、ニューヨークで原油の先物取り引きは始まるが、9.11テロ後の産出国の政情不安から、石油を対象とした投機は加速する。そして今では国際投機集団や機関投資家たちが「ペーパー取引」を繰り返しては、石油価格をつり上げているのだ。2000年の始めにシカゴで$1.30/ガロンほどだったガソリンの値段が、今日は$3.20を超えていた。

市場にすべて任せれば宜しいという市場万能崇拝バカ主要国は、国際社会が投機マネーを協力して規制しようという、世界の動きに真っ向から反対している。その渦中にあるのが「オイル・ディーラー」だった。

世情に疎いVに説明すると、不安げに「あたしゃどうしたらイイ?」と問う。Vがオイル・ディーラーになれるとは思わないし、ネットで調べてみても怪しげな会社とは思えなかった。

「彼がVにどんな業務を望んでいるかに依るんじゃない?まぁ、あいつらの金儲けのせいで、みんなの暮らしが直撃されてるのは悔しいけど、仕事と割り切って出来ればいいと思う。何か具体的な条件は言ってるの?」
「半年だけど、ロンドンで研修があるの」
「何ぃ!ロンドンで半年の研修ぅ!?」

メラニー・グリフィスが演じる、「ワーキング・ガール」のサクセス・ストーリーを思い出した。一介の秘書に過ぎなかったグリフィスが、女性重役の上司に成りすまして、会社の合併話を成功させるのだ。何の脈絡もなく、Vがグリフィスと重なる。頭のスミで、高級売春婦から大金持ちに見初められる、「プリティ・ウーマン」のジュリア・ロバーツまでが姿を現してきた。Vが既婚者なのに、そんなバカげた想起をさせるのは、「アメリカン・ドリーム」という幻想をどこかで期待するオレの幼児性だろう。

学歴のなさと英語力にコンプレックスのあるVが、それを克服するための努力をしているなど聞いたことがない。そんな彼女が積極的に新しい分野へ飛び込んでいき、そこで自己開拓して華開かせることも想像できない。Vの生きるための職探しの現実とオレの妄想とは対極のはずなのだ。それはつまり、いつかもっと大きな仕事、チャンスをと夢見る自分自身に、Vの話を投影させていたことになる。

「旦那は、こういうことは頼りにならないから、これからもアリヨに助言を頼むわね」というVに、「いつかそのディーラーを紹介してくれよ」と冗談粧(めか)せて言ったオレの口元は歪んでいた。


2008年1月12日(土曜日)

ローザスでSOB。ベースのニックが、アンプを忘れてきた。

普段は巨大な二発のスピーカーと共にRVに積みっぱなしだが、この寒波(マイナス十数℃)でアンプだけ家に持ち込んでいたためだと言い訳する。満員の客入りに焦るトニーが、ロザの地下に保管されているスピーカーと一体型のベース・アンプを引っ張りだしてきたが、どこか壊れているらしく結局音は鳴らなかったらしい。

そんなことなど知らないオレが、愛車の中でのんびりと煙草を吹かせていると、ドラムのモーズがやってきて「アリヨのヘッド(アンプ)、車に積んでる?」と訊いてきた。キーボード用のアンプが頼りなくて、オレは自前のPA用スピーカーにベース・ヘッドのアンプをつないで使用している。寒いからと思っていながら、ニックとは逆で家に持ち込むことを忘れていた。しかし電源コードはキーボード・ケースの中だから電源が入らない。ところが、ニックは特殊なはずの電源コードは持っていた。二人はパズルのピースをはめる様に、互いの持ち物を使って素晴らしいベース音を響かせることが出来た。めでたしめでたし。

ベーアン(ベース・アンプ)騒動で開始が遅れたため、土曜日(普段よりも一時間遅い午前2時半終演)なのに2セットで済ませ、大入りでトニーからの上乗せを大将から追加の分け前として得て気分よく帰宅すると、グラフィック・デザイナーのKから借りているコミックを楽しんだ。

"BECK"という題名のこの漫画は、アマチュアバンドの若者たちが演奏を通して成長していく物語なのだが、作者は音楽のみならず、バンド活動を含めた業界の現況にやたら詳しく、ライブハウスやスタジオの描写がリアルで感心する。また、甲本ヒロトを始め、かつてオレと遊んでいたミュージシャンや関係者たちが、ときには露骨に名前を変え、しかし顔は誰にでも分かる似顔絵で登場するのが楽しい。その上、ロックを中心にしていながらブルースとの関わりをちゃんと描いているのも嬉しい。伝説のブルースマンとして「サニーボーイ・ウォーターズ」の名前が出された時には大笑いをした。

彼らがアメリカ横断ツアーを敢行する場面では、自らが運転をして移動したジミー・ロジャース・バンド時代を思い出す。残念なのは、作中でバンドが演奏したはずのシカゴの風景が端折られていたことだ。オレのことは当然知らないだろうが、ウチの大将を始め、今のオレの周りの人間が登場しないかといつも期待していたから、少し拍子抜けをしてしまった。まぁ、出てもバディ・ガイぐらいだろうが。

さて現在の主人公たちは、イギリスの世界的なフェスティバルに出演している。そのベーシストの演奏を観客は「こいつ本当に日本人かよ」と驚嘆し、ファンクの帝王「ジョージ・グラハム」(顔はクリントン)はベースラインが自分のベーシストよりもファンキーだと評した。そしてベース・ヘッドが映し出される。"GK GALLIEN-KRUEGER" ハイ!今晩私がニックに貸したヘッドです。

ところで、現実の世界ではかのベーシストを彷彿とさせる演奏で活躍中のH君。ロザに置きっぱなしの君の壊れたアンプ、トニーがどうしようかと言ってましたが。


2008年1月15日(火曜日)

今週は、ビリーひとりが「ブルース・クルーズ」という「豪華客船のブルース三昧ツアー」の仕事でカリブ海付近を航行しているため、"SOB"の週末はなく、不幸にも他バンドからの依頼はなく、それでもマイナス20℃近くまで気温の下がることが予想される中、外出する必要のない僥倖に喜ぶ。しかしこれまではビザの関係で留守番だった同クルーズに、永住権を得た今、大将ひとりが行くというのは皮肉な話だ。

クルーズの関係者が、来年のツアーに船内で毎朝催されるブルースピアノ・バーにオレを推したいと連絡して来ていた。ビリーにそれを告げると"Good!" と言ったが、オレ単独のブッキングが許されるはずもない。その時期にSOBで仕事がなければ別だが、大きな海外ツアーは出演者が早くにリストアップされるため、個人のスケジュールをバンドに優先させることが無理なのだ。それを無条件に許せば、"SOB"と名の付いたレギュラー・メンバーは維持できない。

かといって強権的な束縛がある分けでもない。いろんな理由を付けた日本行きや、シカゴでのフェスティバルのソロは実現してきた。あくまで要相談なのだ。それを切り出す間(ま)が難しい。ビリーと比べて不公平に感じるが、ギャラを含めた大将のメンバーへの心遣いが、そういった不文律を受け入れさせていた。

夜はハウス・オブ・ブルースで、「ハープを持った高校教師」のロブ・ストーンと演奏。同じ編成のバンド、"SP20s"のモリーとベースのS君が遊びに来た。モリーはオレに3月のスケジュールを問い合わせ中だが、一部を除いて返事はしていない。ロブと同様、ピアノの必要があれば最初に連絡をくれるが、 "SOB"の事情を知っているので出来る限り待っていてくれる。

こういう人達に依って、オレの哀れなスケジュールは埋めてもらえているのだが、ふと彼らに大将を重ねてみた。

「来月の最後の週末、マインズで二日間あるんだが、スケジュールは空いているだろうか?」
「ああ、直前までロンドンでクラプトンのレコーディングの手伝いをしてるから、仕上がり次第ですね」
「土曜日だけでも良いから頼むよ、君が居ないと出来ない曲が多いんだ」
「分かりました。最近スケジュールが合わなくて"SOB"と一緒に出来ず、ボクも寂しかったんですよ」

くくっ、・・・書いているオレが寂しい。いや、虚しい。いや、寒い。


2008年1月17日(木曜日)

もう表でタバコを吸う気になれない気温、マイナス15℃。午前1時には、ロザの最後の客が帰ってしまった。1時5分、トニーはジェームスに、あと一曲で終わりましょうと告げる。オレにすれば、客が居ないのにまだ演奏したい気が知れない。そしてOKと頷いたジェームスは、それからスロー(当然時間は長い)を含む3曲を披露した。もぉお、早(は)よ帰ろや!


2008年1月19日(土曜日)

気温が少し上がった日中、といってもまだマイナス12℃だったので、3歳のお坊ちゃんを連れ出ることは躊躇われ、ひとりで大型韓国食料品スーパーのHマートへ。"Mr.Brown Blue Mountain Style" という怪しげな缶コーヒーを6缶買い求める。

タバコのお供に、$1.70程の贅沢品の缶コーヒーをたまにミツワで買うが、一度騙されたと思ってこのブルマン・スタイルを飲んでみたら、普通の日本の缶コーヒーの味に近い、いや、そのものなのだ。アメリカで知る唯一の日本製品ではない「イケル」缶コーヒーのお値段は、2缶で1$(正札は¢69/1缶)。ただし、1缶だけ買っても¢50というのが、こちらのスーパーの不思議な表示なのである。


2008年1月20日(日曜日)

今日の朝の気温、マイナス21℃。部屋の窓が凍って開かず、タバコを吸うのに一々万端の防寒(といってもTシャツ二枚にカーディガンとダウンだが)で外へ出る。テレビのニュースでは、「犬の散歩は15分以内。外で飼っている場合は家に入れてあげてください」と注意していた。

夜、アメリカン・フットボールをテレビ観戦。マイナス19℃のグリーン・ベイで、皮下脂肪の厚そうなラインマン(前でぶつかり合う選手)たちは半袖だが、戦う人達が元気なのは分かる。しかし一瞬映されたスタンドでは、若い女性数名が"Bikini Girls"と記されたボードを掲げてはしゃいでいた。彼女らはみんな水着の映えるモデル体型で、そろいの黄色がパッカーズの色だから仕込まれたに違いない。第一、いつカメラが振られるかも知れないのに、ずっとその格好でいられるはずはない。

それにしても中途半端なことをしないアメリカには感心する。アナウンサーは、"Wind Chill"(風の体感温度)がマイナス30℃だと告げていた。


2008年1月25日(金曜日)

カルチャー・センターのジャズ・フェアーで演奏。んんん?ジャズぅ!?

シカゴ・ジャズ協会のちょっとしたジャズ・フェスみたいなものが、ダウン・タウンの巨大なカルチャー・センターのビルの中の三つの会場で繰り広げられた。

マネージャーからのスケジュール表には場所しか記されてなかったので、二日前まで内容を把握してなかった。

「おう、アリヨ。明後日の仕事、俺とお前がジャズバンドとセッションするから。そいで、ボーカルのディーにはお前の連絡先教えといたから、彼女の曲は相談に乗ってやってくれ」

女性ボーカルの"Dee Alexander"とそのギター・トリオに、オレとビリーが参加するスペシャル・ユニットらしい。そして次の日、つまりは本番前日、彼女から電話。

「メールで私が唄う曲のリストを送っておくわ。大丈夫、アーティスであなたを観たけど、ジャズも弾けるって分かるから。リハなしだから曲は簡単なものばかりよ、明日はお願いね(赤いハートマーク!)」

夜、届いたリストを"Youtube" で検索しながら宿題。おまけに怪しげな曲は、ネットでコード譜を探して備える。

オレたちの演奏する劇場は、300人以上の収容力があるように思えた。小雪舞う寒い夜に、何、この人出は!会場は人で溢れていた。いや、どの会場もパンパンに埋まっているらしく、中へ入り切れない人が通路をうろついたり、ドア付近から洩れてくる音に聴き入っている。いやぁ、ジャズファンの熱心なこと。

大将やディーの登場前のオープニングに、ギター・トリオの曲を一緒に演ることとなった。リーダーのギタリスト、ヘンリーは「何々って曲知ってる?」と訊くが、チンプンカンプン。「簡単やからとりあえずしよっ」と言われ、嫌ですとも言えず演奏は始まってしまう。

基本のマイナー・キーに、7.9.♯9.11.度を重ね合わせると、あら不思議、何でも当てはまる魔法の和音の出来上がり。その間、トリオの音は・・・おお、ホンマもんのジャズバンドやんけっ!めちゃめちゃスイングしてはるわ。何々、ドラムはラムゼイ・ルイスんとこの人ぉ!?ウッド・ベースの音ええなぁ、おっ、ギターのおっちゃん上手いわぁ・・・へろっ、オレのソロぉ?何や分からんけど、いってまえぇ。

怒濤の拍手、嵐の拍手。オレの音はジャズになってたのかぁ?そして観客は大喜びしてたのかぁ?

自分の曲、スタイルで出来た、数年前のジャズフェス独演とは事情が違う。ジャズのスタンダードをジャズバンドと一緒に演奏している、楽しくも不安なひと時だった。ディーや彼女のメンバーたちが向けてくれる笑顔に救われながらも、最後まで「ジャズ」を演奏することにこだわった。だから、ジャズをずっと聴いてきた人たちの反応が不思議だったし、今でもジャズが演奏出来たとは思わない。 

オレのCDは売ってないのかと何人もが寄ってくる。或るプロモーターが、「君のバンドをブッキングしたい」と連絡先を訊ねてくる。遊びに来ていたアレサ・フランクリンのシカゴ・クルーのメイが、「ねっ、あんたジャズも演奏できるって私言ったでしょっ」と笑っている。ビリーが「すごくエキサイティングで良いステージだったな」と興奮気味に話しかけている。アナタはいつも通りの曲と演奏で、っていうより、大将が吹くジャズも聴きたかったのに、スタンダードの曲に合うキーのハープがないと、その時だけ下がってたでしょっ。

いや、違うねん。オレが「ジャズが出来る」と言うのはおこがましい。頭のスミで、自己のトリオで頑張っている後輩ピアニストのTや、日本に戻っているベースのHたちの苦笑している姿が目に浮かぶ。

だから、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「甲本ヒロト」の関連人物(何故か載っている)の項に、オレがジャズピアニストと表記されているのが恥ずかしい。そして、オレの名をクリックした先に「ウィキペディアには現在この名前の項目はありません」と出てくるのがもっと恥ずかしい。どなた様か、先の件を編集し直して私の項を書き込んでください。


2008年1月31日(木曜日)

テレビのニュースでは冬の嵐・大雪警報。老婆心ながら、否、直前にキャンセルされるのが鬱陶しくて自分から言ってやれと、昼過ぎにトニーへ電話。

「おう、今晩の6時から明日の夜の6時まで大雪警報が出てるぞ、今日はロザ開店するんか?」
「えっ!?僕、起きてからずっとベースメントで仕事してて、まだ外の景色観てないんだ・・・雪、そんなに酷いの?」
「おう、ずっと降り続いてて既に数センチ積もってるけど、明日まで『ところにより15センチから30センチ』だと」
「えっ!?分かった、ニュースを確認して連絡するよ」
「おう、オレは今から寝るから、連絡は夕方にしてくれ」

午後の5時頃携帯は鳴ったが起きられなかった。留守電にはトニーからのメッセージ。「早くから知らせてくれてありがとう。今日の演奏はキャンセルさせてください」

窓のブラインドを開けると舞っているのは細かい雪で、まだそれほど積もっておらず、ニュースほどには酷くない様に思える。そういや、「シカゴ市から南へいくにつれて悪くなります」と言ってた気がする。ケーブルテレビなので、お天気チャンネルは3つあるが、地元のニュースばかりをやっている局を観た。
「・・・ってことで、今晩はところにより5センチから10センチで・・・」んん!?ちょっと違うぞ。ひょっとして、店の終わる頃はまだそんなに酷くなってなかったりして。

その後、閉店の水を向けた淡い責任に、気の小さなオレは降雪の具合を数時間ごとに確かめていた。つづく・・・