2005年7月4日(月曜日) うう・・連休明けは眠たい、って、オレはサラリーマンか? 一昨日ビリーから電話があったので、てっきりオレの誕生日を覚えていて掛けてきたのかと思ったら別件だった。今晩のアーティスで、彼はMC担当のモーズに早速伝えていたらしく、盛んにオレを誕生日男とアナウンスする。実際の誕生日は二日前に終わっていたし、日本人の大人だから祝ってもらう習慣も稀なのですっかり忘れていた。ビリーから祝儀入りカード、デロレスから"ARIYO"のロゴと鍵盤デザイン入りのトレーナーを受け取り、束の間の誕生会らしい気分に浸る。 初来店した大阪からの新婚さんをホテルへ送る道すがら、今日がアメリカの独立記念日だったことを思い出した。正確には独立宣言を採択した日で、実際の独立は7年後になる。当時の宗主国のイギリスが、今はアメリカに従属して見えるのがおかしい。 中南米の国々は、政治的にも経済的にもアメリカから独立しようとしている。我が祖国の政府も、ときには世界唯一の超大国に対して凛とした姿を見せて欲しい。 2005年7月5日(火曜日) コーヒーショップのテラスで、あるライターの長いインタビューを受けていたとき、金属の箱のガゴドンッとぶつかる音がした。隣のテーブルの若者たちが、音のした方向へ一斉に走っていく。若いライターとオレは互いの反応を一瞬窺ったが、どちらも動かなかったので苦笑しながら話は続いた。その後サイレンも何も聞こえなかったので、大した事故ではなかったのだろう。 彼と別れてケンタッキー・フライドチキン(ケンチキ)を買い、車に乗り込もうとしたとき急ブレーキを踏む音が聞こえた。反射的に顔を向けると、広い道の向かい側の交差点前で、黒人男性の飛んでいくのが眼に入った。片側3車線に停止している車の列が陰になり、撥ねられたところは見えなかったが、相当な勢いで転げたにもかかわらず、男性はふらふらと立ち上がった。 80年代に過ごしたシカゴの5年間で、丸焼けになったタクシーや、高速道路の金網に立て掛けるように放置された車は見たが、事故そのものを目撃したことはない。ところがこの4年間、接触から激突まで毎月のように遭遇するし、一度は自分の車が追突されもした。(2004年1月23日参照)携帯の普及が交通マナーの悪さを助長したのかも知れないが、昔に比べて、人々は忙(せわ)しなくなった印象が強い。 ケンチキ前の事故も、右側車線の信号が右折可(アメリカは「赤信号右折禁止」の表示のある場合を除いて、一旦停止をして赤信号右折が可能)の矢印を出していたので、徐行をせずに車が突っ込んできたようだ。被害者は、すべての車が止まっているので、横断歩道もないところを渡ろうとして撥ねられた。 信号が変わって車は流れ始め、加害者が路上に落ちた靴を拾う姿を認めて、オレは車へ乗り込む。間もなく救急車やパトカーが、サイレンを鳴らしながら駆け付けるだろう。被害者の程度は気になるが、自宅へ戻る方向は現場と逆になる。 オレが見た限り、路面に頭を打ち付けてはいなかったし、一旦は自力で立ち上がっていた。車列の陰でその後彼がどうなったかは分からなかったが、それでもやはり気に掛かる。結局ケンチキの駐車場でぐるりと車を迂回させると、交差点を横切る側の道へハンドルを切っていた。 長い信号が道往く車の列を途切れさせる。夏の午後8時前はまだ明るく、現場のすべてが見渡せた。そしてそこには、人を撥ねたであろう車どころか停まっている車さえなく、被害者の姿どころか人影さえなかった。 加害者は警察へ通報せず、被害者を連れ去ったようだ。昔に比べて、人々は忙しなくなっている。 2005年7月6日(水曜日) 夜の仕事へ普段より2時間半は早出をせねばならない水曜日なので、ダウンタウンの事務所での移民担当弁護士との面会を早く済ませてベッドへ戻りたかった。だから少し慌てていたようだ。 愛車がアパートの駐車場を出て路地裏を走り出すと、カチカチという音がタイヤから聞こえてきた。小石か何かがタイヤの溝にはまったのだろうが、つい先週、長い釘が突き刺さっていて修理したばかりだったので、また釘だと面倒なことになる。 その釘は、空気圧が急減していて泣いた去年(2004年2月22日参照)とは違い、空気は抜けず音だけで異変に気付いたので、タイヤ屋さんへ行くのに時間も気持ちも余裕があった。しかし今朝は時間がない。 なんせオレの弁護士は平にも拘わらず、一時間の料金が$160(一分約¥300)なので、約束の時間に遅れれば何がしかの課金があるとも限らず、いまだ遅れた場合を尋ねる勇気もなく、実際に遅れたことは一度もないから、強迫観念のように今回も送れまいと焦り出す。 だからカチカチ音の原因がまたもや釘で、走行中に空気圧が減り、いよいよもう走れませんという状態になった最悪の場面は考えずに、小石が詰まったタイヤを想像しながら、高速道路のようなレイクショア通りを運転していた。 事務所からは少し遠いが、グランドパークの安い方の駐車場へ車を乗り入れ、今日オレに仕事がなければ電車でゆっくりと来られたし、それで法外な駐車料金と安い電車代を差し引いた$10程は節約できたはずなのにと何かを呪ったが、考えれば$10など4分間の相談料に過ぎないので、これから会う弁護士とは早口でどんどん喋り、時間を節約することがお金の節約に通じると、オレは何かの決心を固める。 それでも地下の駐車場の空気が悪く湿気の高そうなムンとした薄暗い車外に出ると、タイヤの異物が気になり、もしかすると運が良ければ何か見えるかも知れないと、オイルが漏れたであろう色の少し変わった床の部分を気にしながら、左後ろのタイヤを覗き込んでみた。 僅かに覗いた規則正しい文様の深い溝の一部に、同色の異物が見えている。先週の釘が刺さっていたのと同じタイヤではないか。黒系統の色の石に違いない。手にした車のキーで掘り出そうと試みるが、それは一瞬くるりとしても溝から外へは出そうになかった。 時間が迫っているので用事を済ませてからゆるりと相手すれば良いものを、接地面とカバーのある上部は隠れているので、見ることが限定されたタイヤ面に異変を発見した僥倖と、簡単にポロリと取れることを期待した浅はかさが、横から手を伸ばしていて力が入り難い苛立ちと合わさって、次第に意地になっていく。 突起物の様に顔を出してはいるが、キーでいくら弾いても、あることろからするりと戻り、ポロッとはいかぬ。きっと溝に深く食い込み過ぎていて、タイヤのゴムの弾力で元に戻るのに違いない。直に指でやってみた方が早いわいと触ってみると、それ自体どこか小石類にはない弾力があった。硬質ゴム!? 高級弁護士事務所へ出向くため清潔感溢れる服装をしていたのに、オレは汗だくになりながら、先週修理したばかりのパンク跡の詰め物を懸命に穿(ほじく)り出そうとしていた。そして帰り道、不思議なことにカチカチ音は消えていた。 2005年7月7日(木曜日) 七夕・・・今日は良い日にとロマンチックなことを考えていると、オーティス・クレイ初来日時のベースのバーナードから電話が掛かってきた。 『11月のことだけど、トルコ行かんか?』 ガチャッ あああ、トルコ行きてぇー *SOBは固定メンバーなので、オレだけ5週間も休めるはずがない。 2005年7月8日(金曜日) 3年振りのSOB日本ツアー、ジャパンブルースフェスティバル2005 オレの持つ「芸能・スポーツ・学術ビザ」は米国内で更新ができないため、在外米大使館・領事館で面接を受けねばならないからだ。出国せねば問題ないが、日本ツアーのあとフランス・ツアーがある。再入国のときパスポートにスタンプがなければ戻っては来れないので、それはそれで仕方がない。 日程の出るのが遅かったにも拘わらず、その僅かな休暇を利用して、地元の仲間がライブを入れてくれた。みなさん、是非いらしてください。 7/28(木)大阪 "RAIN DOGS" 7/29(金) 京都 "Live Cafe VIN-CENT" 7/31(日)ピアノセミナー 京都東山仁王門 スタジオ"Folio" 8/3(水)京都北山 Mojo West 8/4(木)大阪吹田 Honky Tonk#7 有吉須美人&小竹直デュオ 2005年7月11日(月曜日) 夕方の4時は普通の人の午前4時に当たる。今日はその4時頃から6時過ぎまで6本の電話に起こされまくっていた。ほとんどはセールスなどの電話だったが、ロザのマネージャーのトニーからの電話に驚かされる。 シカゴ市主催のイベントで最大のものはシカゴ・ブルースフェスティバルだが、9月の最初の週末に開催されるシカゴ・ジャズフェスティバルも規模は大きい。そのジャズフェスの実行委員会から、オレにソロピアノでの出演依頼が来たそうだ。 ブルースフェスならまだしも、ジャズ関係にはほとんど知り合いがいないので、オレの評判だけで選出されたのだとしたら、とても名誉なことに違いない。会場となるグランドパークの幾つものステージの、どんな小さなステージの出演であっても、ホントに名誉なことだと思う。 そして夜アーティスでは、日本ツアー後のSOBのフランスツアーがキャンセルになったことを知る。 ああ、フランス行きてぇ、トルコ行きてぇ。(2005年7月7日参照) 2005年7月13日(水曜日) 誕生日で引っ張り出された女性のために唄ったエマニュエルは、『君の誕生日のお祝いに、バンドメンバーの誰かとキスして良いよ、誰を選ぶ?』と優しく告げた。少し大柄な彼女は瞳をぐるりと廻(めぐ)らせると、最初からそう決めていたように人指し指をこちらへ向ける。 そして、分厚く塗りたくられた真っ赤な口紅は、オレの薄い唇を占領した。 2005年7月14日(木曜日) 2年振りに会ったドラムのTたち数人と、ロザの表で談笑していると、若い貧相なメキシカンの兄ちゃんが自転車から降りて話しかけてきた。オレの指先にはさまれた、まだ火の点いていないタバコが欲しいようだった。 『ねぇ、お金は払うから一本くれないかな?』 ポケットから出した手を広げて小銭を見せた彼の、どこか媚びへつらう表情が気に触ったのか、オレは咄嗟に無情な言葉を発していた。 『いいよ、$1でならね』 胸ポケットからタバコの箱を取り出し、笑っているみんなの鼻先へ突き付ける。『ほらっ、マイルドセブンって記されてあるだろ?』一同がほう、っと頷いたところで畳掛けた。 『これはマリファナみたいなものだからね、元も高いんだよ』 誰かが『なるほど』と言ったが、20本入りでひと箱$50なら一本当たり$2.5になる。兄ちゃんが納得したかどうかは分からないが、去っていくときの笑顔は引きつっていた。 『貴重な日本のタバコだから、お金の問題じゃない』と正直に断わればいい。後味の悪さは、みんなの前で彼をバカにした自分の陰湿さを認めている。だからセッションが再開される前、Tには『さっきオレのタバコは$50って言っただろ?でも本当は、日本の空港の免税店で買ってきてもらった土産で、ひと箱$2もしないんだ』と打ち明けた。 市中では普通のタバコでもひと箱$5近い。$50は明らかに嘘っぽい値段だが、ミステリアスな東洋の異文化の嘘や冗談を見抜けるかどうかが、持ち合わせた教養の度合いとなる。彼が先のオレの会話をどれだけ信じていたかは分からない。 Tはしばらく大声で笑っていたが、少し声を潜めて『じゃ、マリファナみたいってのも嘘だったのか?』と口をすぼめた。 2005年7月16日(土曜日) こういう種類の興奮というのは、滅多に観ることの出来ない大好きなバンドのコンサートへ行くより、静かに深く燻り続ける。もう二度と逢うことがないのを知っている、想い焦がれた人との淡いデートの余韻は、時間が過ぎるほどに、切なさが想い出の場面を切り取っていった。 世界で一番愛されているサッカーチーム、スペイン一部リーグのレアル・マドリードのシカゴ巡業。NFLシカゴ・ベアーズの本拠地ソルジャー・フィールドの、センターライン真上のひとり$150の3階席を、オークションのタイムリミットギリギリで2枚競り落とすことが出来た。売り主と打ち合わせて、午前10時にはチケットを神妙に受け取る。 レアルには、世界のオールスターが集まっていると説明しても仕方がない。トランプの絵札ばかりには違いないが、B.B.キングのサイドギターにアルバート・キングがいて、フレディ・キングがときおりベースを弾くような。または、マディ・ウォーターズが唄うかと思えばT・ボーンがそれに唄とギターをかぶせ、オーティス・ラッシュは更にその上をチョーキングしてシャウトし、スティーヴィ・レィボーンがローディを務めるようなチームなのだ。 世界中のサッカーファンがプレイヤーのトップ10を挙げれば、このチームから5人は選ばれると言う人もいる。マスコミが「銀河一」と形容する、名実共にスター軍団なのだ。だからといって、いつも勝つとは限らないのがサッカーの面白いところなのだが、観ていてとても楽しく、ワクワクするチームであることには変わりない。 サッカー後進国のアメリカに、そんな全員が揃うわけはないと思っていたら、トレード濃厚なポルトガル代表のフィーゴまでが帯同するという。こんな僥倖など、オレには最初で最後に違いない。 古株のロベルト・カルロス(ブラジル)やラウール(スペイン)、毎年の様に補強されていったフィーゴ、ロナウド(ブラジル)、ジダン(フランス)にオーエン(イギリス)やベッカム(イギリス)。その全員が眼下を走り回っていた。 公式戦とは違い、メキシコのクラブチームとの顔見世的親善試合なので、怪我をしないようにゆるりとしてはいる。ロナウドの腹は相変わらず出ているし、ロべカルも当たり損ねのフリーキックを何本も見せた。フィーゴの足は重いし、ベッカムのわんぱくさは、フラストレーションを相手のアキレス腱に向ける。 しかしどの選手も、落ち着き払ったオーラが違う。真のスターにしか出せない存在感が違う。そして、ここという場面では片鱗をちらつかせた。 ロべカルのふくらはぎは、ポパイの腕の様に盛り上がり、彼の真正面からのフリーキックを両腕で弾いた相手ゴールキーパーは、身体を後ろへ仰け反らせた。マルセイユ・ターンと呼ばれる、ボールの上に乗ったまま身体を反転させ相手を抜くターンをジダンが決める。ボールを足に吸い付かせたまま、狭い相手ディフェンダーの間をロナウドがすり抜ける。フィーゴは目まぐるしくポジションを変え、ラウールの運動量は落ちない。そしてベッカムが正確なセンターリングを上げ、折り返されたボールをグティ(スペイン)が鮮やかなボレーで決める。 5万4千人のどよめきが立体音で押し寄せる。隣で観戦しているKに、興奮の同意を何度求めたことだろう。レアルが3対1でメキシコの強豪チームに勝ったことよりも、生で観たミーハー体験が感動を占領する。 久し振りの太陽の下での観戦で、二人とも海水浴帰りの如く疲れていたが、中華街で軽く食事をして、ニューオリンズから来演の山岸さん所属のバンド観賞へと向かった。 「パパグロ・ファンク」は、広いフロアーを埋め尽くした観客の身体を、2時間半以上に渡って揺らせ続ける。ニューオリンズ・ファンクのトップバンドの花形ギタリストの山岸さんは、終演後もテンションが落ちず、『ワシせっかくシカゴまで来とんのに、メシぐらい一緒に行こや』の誘いに乗ってしまった。明日は午前中に起きてリハがあるにも拘わらず、本日ニ度目の中華街へ。その後彼を宿舎(南)へ、同行したY(西郊外)とN(北西郊外)も各々のアパートへ送ると、シカゴを大回りで外周したことになった。帰宅午前6時。 夏の陽に照らされ、鮮やかに映える芝の上にちりばめられた銀河の星々が、今も目蓋の奥で煌めいている。レアルの興奮醒めやらず。 2005年7/19(火曜日) いよいよ日本ツアー その後の予定(2005年7月8日参照)も楽しみ 8月8日にシカゴへ戻る予定ですので 日記の更新はしばらくお休みいたします ・・・多分
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