傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 19 [ 2004年5月 ]


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2004年5月1日(土曜日)

はぁ・・・今年もすでに一年の3分の一が過ぎてしまった。

昨夜の最終2曲は凄まじかった。遊びに来ていたリコ・マクファーランドが上がって音の火を吹くのを数年ぶりに観たが、唄もギターも際立っている。終演間近でだれていた観客が釘付けになっていた。故バレリー・ウェリントンバンドの最後のギタリストだったので、オレやニックとも親しい。雨がすっかり上がったのも知らず、大袈裟な雨ガッパを着て表に出たニックをリコが揶揄し、オレたちは大笑いした。今日も来ていたが、残念なことにステージには上がらなかった。

キングストン・マインズの長い夜をようやく終え、機材を片付け親方を待っていると、一人の年配客が握手を求めてきた。「ありがとう」と言うので、こちらも「ありがとうございます」と応えると、「ノーノー」と頭(かぶり)を振る。丸山さんとオレがモーズのドラムセットの解体を手伝っていたのを見て、気持ちが良かったそうだ。

オレがSOBに合流した3年前には、丸山さんはすでに手伝っていた。日本的に考えれば、他に比べ量の多い機材を、60才近いモーズが一人で黙々と片付け(叉は広げ)ているのを放っておけなかったのだろう。徹底した個人主義のこの国では珍しく映るに違いないし、日本人みんなが同じように感じるかどうかは別だ。とにかくオレと丸山さんは、そうすることが当然のように手伝っている。

「私達は同じチームの一員ですから」
「いや、そうではない。君たちみんなで協力して片付けていることを気にする客なんていやしない。ここにいた大勢の客の中で少なくとも私一人は、感心して見ていたことを君に知って欲しかったんだ。ありがとう。」

オレも改めて礼を述べ、彼と握手を交わした。人の情はどこの国の人でも同じようなものだ。口には出さないが、オレたちの行いを見ている人も多いことは知っているし、だからといって何かを期待するものでもない。ビリーは機会ある度に礼を言うし、モーズがオレの機材運びを手伝ってくれることもある。彼を放っておけないのは自分の居心地の問題であって、人に強制することではない。

だから、若くは見えてもメンバーの最年長であるベースのニックが、オレたちがせっせとドラムセットを運んでいる横でカウンターに肘を付き、ワイン片手にバーテンダーのねぇちゃんと談笑していても気にしない。演奏が終わって自分の機材を片付ければ彼がさっさと帰ってしまうのも、気にはしていない。


2004年5月2日(日曜日)

平日ではないが、地味な客入りが予想される日曜日にレジェンドでSOBの演奏。ところが大入りだったので、必要最低限の人員を配置したクラブ内は大混乱。一人しかいないバーテンダーは目が泳ぎ、マネージャーはバーカウンターの中から出られない。広いフロアーのウエイトレスの目は釣り上がりセキュリティは右往左往している。ひとりバスボーイ(テーブルの上を片付ける係)だけがマイペースで仕事していた。お陰で店からご祝儀が出たらしく、ビリーはいつもの額に$20を足したギャラを支払ってくれた。

親方の、思い遣る姿勢を忘れないことが、メンバーのロイヤルティー(他のバンドへ移籍しない)の高さに表れている。


2004年5月4日(火曜日)

5連チャンもあっという間に終わり、夕方遅くまで熟睡した。近所のケンタッキーで、チキンウイング、BBQウイング、コールスロー、マッシュドポテト、とうもろこしなどこまごまと買い求め($9.5)、テレビを観ながらのんびりと夕食を摂った後、返信の滞っていたメールを開けようとしたときに電話が鳴った。受話器からは、若いピアニストTの屈託ない明るい声が聞こえている。

「あれっ、今日休みですか?」
「うん」

オレもよくしゃべるがTもよくしゃべる。ジャズを猛烈に勉強している彼からは教わることも多い。

「こないだねぇ、どこそこでこんなことしてみたんですよ」
「へぇー」
「でもあれはどうこうですねぇ」
「ほぉー」
「それと今ボク、なになにをこうしてるんですよ」
「ふぅーん」

問わず語りにいろいろ貴重な情報や理論を教えてくれる。相槌を打ちながら、若くて一途な彼をいつものように羨ましく感じていた。Tは今年26才で、オレが初めてシカゴへ来た年齢に到達する。

話の途中で突然電話が切れたが、直ぐに掛け直してきた。夜間掛け放題の携帯からだったらしくバッテリー切れで、今度は部屋の電話機からだった。そういや結構な時間しゃべっていたかも知れない。再び取り留めのない話題で暫く話していたらまた切れた。家庭用ワイヤレスフォンもバッテリーが切れたようだ。こちらから掛け直しても電池切れでは仕方がないし、今日はもう充分に話をしたので、マックの電源を入れ座ぶとんに座り直した。するとまた電話が鳴る。その最中に携帯を充電していたTだった。

今日の彼はネタになるようなボケがなかったなぁと思いつつ、うだうだ会話もそろそろ4時間半になろうとする頃、ようやく電話を切ることが出来た。

マックに向き直ってメールを確認したら、L.A.に日本からフライトで来ている客室乗務員からの新着が入っている。

『・・・これから晩ご飯です。八時過ぎには帰ってますのでもしお電話いただけるならとっても嬉しいです♪ph/310-×××ー×××× ***号室です。待ってますのでできればお電話ください!!11時くらいならE子もいるかも??』

美女二人からの電話のお誘い。慌てて時計を見ると1時半・・・L.A.は11時半。

やっぱりTは何かやるのー


2004年5月5日(水曜日)

私的な用事でSOBのリハーサルに参加できなかったが、リハ自体もキャンセルになっていたらしい。

夕方には、なかなか予約の取れなかった美容室で髪をカットしてもらい、その後ミツワで買い物を済ませ、旅行エージェントNのところへ寄り、のんびりと下道を運転してアパートに着きかけた頃。それは午後10時15分前、シカゴの中心部から北西に走るリンカーン通りを、逆に下りて来た左前方の低い建物の屋上に、でかくてぼんやりとした灯りが見えた。下が見切れているから判然とはしない。えっ!もしや今日が・・・。アパートに続く大通りを曲がらず、そのまま数ブロック南下して視界が広がりはっきりした。

手を一杯に前へ伸ばして親指と人さし指で地平線からの距離を計ると、マッチの火のような弱々しい光を発して、地上から3cmのところに浮いてる。デカイ!今まで見た中で最大の満月(マイナス1日)だ!あんなに低い姿を曝(さら)け出して・・・。
 
ちょっと迷った。はっきり言って迷った。郊外で用事を済ませて一旦家まで戻ると、またどこかへ出ていくのは非常に億劫だ。ホントは、Nと小一時間の立ち話でちょっと凍えていたし、刺身と弁当を買っていたので早く食べたかった・・・。でも、こんな僥倖は滅多にないでしょ?「東の空が水平線まで晴れ渡っている仕事のない満月のあまり遅くない夜」って。あの高台(2001年12月9日参照)に行ったら、過去最高に低い位置の月が見えるに違いない。空に雲はない。今から行ったら確実に最高のお月様が坐(ましま)す。問題はどれだけ最高に間に合うかだ!そう考えた瞬間、北に上がる高速道路へ向かって車を走らせていた。 

あの小さな公園は、ミシガン湖が一望できる高台のテラスに突き当たる道の両端が駐車スペースになっていて、駐車可能時間帯は6:00AM-10:00PM。遅くにうろうろすると、近所の(中途半端ではない)金持ち連中が通報するに決まっているし、彼らに従順なこの地域の警察はすっ飛んで来るに違いない。だから仕事がなくあまり遅くない時間でないと、空と湖の夜の風景にのんびりとは出来ない。

辿り着いた10時15分には車が一台停まっていた。誰かも知っているのだ、ここの眺めを。テラスの手前でUターンして、公園とは反対側の、一ブロックを生け垣で占める美術館のような家の前に車を停めた。30メートルほどの高台から砂浜へ下りる急な坂道、その中程に建つ、四方を吹き放しにした休憩用の建物越しに、月を眺める中年女性が立っていた。そこはそこで、日本の「お月見」のような風情がありそうだったが、オレは一目散にテラスへと向かう。

僅かな花壇とベンチで整備されたテラスに足を踏み入れると、突然波の音が迫ってきた。眺望は開けたが月は見えず、南に当たる右手がぼんやりと明るい。崖に沿って波状に縁(へり)を仕切っている低い石垣に近付き、初めてそれが目に入った。うわっ、でっかぁー。湖上に揺れる月の雫が幅広い帯となり、水平線の彼方の暗い空に溶けている。満月(マイナス1日)は指物差10cmのところまで昇っていた。しかし紛れもない、今まで見た中で最高の湖上越しの月。石垣の上に立ってみた。崖側は潅木が生い立ち、なだらかなので恐くはない。暗く照らされた澄んだ世界を一人占めした。目に焼きつけた。  

これを見たら、水平線を昇る満月を眺めたい欲求にますます駆られる。もっとすごい光景に出会えると考えただけでぞくぞくする。でかいぞぉ、きっと。地上3cmであのでかさ。ああ、あの高台の湖側に住むヤツらはきっとそれを知っている。そこに住みたいとは思わないけど、最高の時にその場にいたい。


2004年5月8日(土曜日)

"Bill's Blues" はシカゴの北の郊外、小金を持った裕福な人たちと全米屈指のノースウエスタン大学の学生街として知られる、エバンストン市ダウンタウンのはずれに在る。ハルステッド通りの老舗ブルースクラブ、 "B.L.U.E.S." の元共同経営者のビルがオーナーの、昨年オープンした新しい店だ。スケジュール表を見ると、著名な出演者にはジェームス・コットンやジミー・ジョンソンの名前がある。オレたちSOBの演奏は今晩が3度目で、常連というほどにはなっていない。

入り口の右側、通りに面した大きな窓の前にステージがあり、客席はバーカウンターに沿って奥に細長いため、混み合うとすぐに通路が塞がり先へ進み辛い。しかし、神経質で気難しそうなビル以外、従業員は比較的フレンドリーで店の雰囲気も良いし、何より環境に恵まれているので、(オレの知る限り)エバンストンで最初のブルースクラブとして定着して欲しい。

終演後、客席に呼ばれて男性と話をしていたらお尻に何かが触れる。狭い通路に立っているので後ろの人と身体が接するに違いなく、少しこちらの身体をずらして話を続けた。しかし間もなく、再び何かを感じ始めた。誰かの手がオレのお尻を撫で、そして仕上げのようにぎゅっと揉んで揺らした。驚いて振り向くと、身長が185cmはありそうな細身の女性が笑って見下ろしている。百戦錬磨のオレは、慌てず優しく微笑み返してその冗談を受け流した。

側にいた別の男性が「彼女は今、男が欲しいんだよ」とオレに告げた。知るかぇ!見知らぬ女性からお尻を撫でられたのは、中学生の時の京都市電の車内以来である。純情なオッサンをどぎまぎさせるなよな。百戦はしていても、やはり錬磨はされていない。

先週末のキングストン・マインズでは、Sさんというご贔屓の中年女性が来ていた。彼女は、オレより身長は低いが横にはでかい。休憩中、スツールに腰掛けていたら寄ってきた。いつものように先ずオレの身なりを誉め、顔を近付け身体を押し付け話してくる。店が混んでいるためか、うるさくて話し難いためかは分からない。とにかくSさんは、いつもより余計にオレと近付いていた。

気が付けば、丈の高いテーブルに乗せた黄金の右手を支える肘が何かに当たっている。それは柔らかく弾力性があり生き物のようだった。Sさんは右斜後方から覆い被さるようにそれを押し付けているので、右肘を外せば不自然な体勢となり、オレがスツールからずり落ちかねない。肘を動かすことで、それを意識していることを悟られたくはないし、どちらかといえば心地良さに浸ってもいたかった。何よりも彼女の意図を計りかね、夕立ちが本降りに変わらないことを願っていたので、Sさんの姿勢を目で確かめることすら出来なかった。

純情なアリヨ少年は、そのぷよぷよが彼女の腹と分かるまでどぎまぎすることとなる。


2004年5月11日(月曜日)

午前6時 薄明るくなった庭が朝霧に包まれて幻想的

珍しく午後の1時半には目が覚めた。それから思い付いて、買い置きの天婦羅で天丼を作ろうと思い立ち、ネットで調べると料理屋さんがレシピを出している。ふむふむ・・・豚でコクを出すかぁ。豚はもったいなかったけが(冷凍庫にあるんよな、これが)、青ネギもちゃんと15分間茹でて分量通りのタレを作った。暖めた天婦羅をタレに通して飯の上に乗せる。うむうむ、こりゃ見た目本物じゃ。そして・・・しょっぱぁー!醤油入り過ぎぃ。どこの料理屋じゃー!へろっ、早稲田・・・東京の味かぁ。京風にアレンジせんかった己が悪い。


2004年5月12日(水曜日)

SOBのリハーサルが早めに終わり、いつも練習場として使っているニックの家のベースメントから表に出ると、玄関のテラスを射す陽がまだ高く嬉しかった。

テラスから前庭へと続く階段に立ったモーズの背中が埃で汚れている。手で払ってやりながら「どこでこんなに汚れたの?」と訊ねると、彼はそれを気にする素振りも見せず、少し考えてから「ああ、そこの椅子に座っていたからだよ」と答えた。モーズが指差すテラスの吹きさらしに置かれた二つの椅子の一方には、ビリーが座ってニックと談笑している。自分が指を差されたと勘違いしたビリーは、理由を知ると飛び上がるように立ち上がった。彼は背中やズボンを手で払いながらニックに向かって、「椅子ぐらいちゃんと拭いておけよ」と冗談半分に詰る。その慌て振りにオレたちは大笑いしていたが、「アリヨも練習前、ここに座りタバコを吸っていたよな」というニックの指摘に、オレも慌てて身体の後ろで手をばたつかせた。

私用で先に帰った丸山さんの代わりにモーズを家まで送るため、まだバカ話を続けている二人を残して、やがて車は、暑くなったシカゴの夕方のラッシュの中に溶けていった。


2004年5月13日(木曜日)

サンダーストームさんがシカゴを通過されるのは 6:25 PM らしい めっちゃきつい雨らしい うふふ・・・・楽しみ(20分後)しっかし楽しみやった嵐 あっという間で大したことなく もう陽が照ってる おもんなっ

ぐっすりと眠っていた午後の早い時間に電話で起こされる。相変わらずのダンディな声でカルロス・ジョンソンだと分かった。「エディの代わりに今日のジャムのホストをすることになったから、迎えに来てくれないか。」ぼーっとした頭で迎えに行く時間を考え、ジャムセッションのホストにカルロスはもったいないと思っていた。どんな状況でも自分のスタイルを貫き、音にダイナミックな強弱を付けてバックを引っ張る。結構な素人さんも来るロザの木曜日に、ミュージシャンよっては彼に付いて行くのが大変なので、今日一日何事も起こりませんようにと訳もなく願っていた。

先日エストニア公演から戻り、今週末にはオーティス・ラッシュのサイドマンとして日本へ旅立つ。夏のヨーロッパ公演のオファーが数件あり、地元での演奏も精力的になってきた彼は、ここ何年間で一番調子が良いのかも知れない。最近はいつ会っても機嫌が良く、行き帰りの車中では互いのバカ話で盛り上がった。

結局ロザでは何ごとも起こらず・・・というか、オーラがそこいらの並のミュージシャンとは違い、ジャムセッションにも拘わらずステージはカルロスの色で染められた。彼は各々の技量を見極めると出来ることを出来るように指導し、みんなは惹き付けられるように従っていく。ジャマーたちの能力は悉く引き上げられ、ジャムの木曜日とは思えない、質の高いライブだったに違いない。


2004年5月15日(土曜日)

永久歯様が隠れ給われた

これで2本目である

そしてオレは今

サ行の発音が非常に苦しい・・・


2004年5月25日(火曜日)

事情があって二週間ほど帰国しています。そのため日記の更新は六月に入ってからになります。楽しみにしていた皆さん、ゴメンナサイ。