John Brim

(2000年12月30日記)


おそらく1950年代から手にしていると思われる、黒のギブソン・レスポールを爪弾きながら、ジョン・ブリムさん(注1)が、苦しそうに顔を歪めてブルースを歌っています。古びて手垢のついたギターのボディには、何かの宣伝の様な手のひらサイズのステッカーが貼ってありました。
ステージの真ん中に座るブリムさんは、なぜか帽子を被っていませんでした。ゲイトマウス・ブラウンさんの時もそう思いましたが、この年代のブルースマンは、帽子を被っていないと、どこか弱よわしくと言うか、頼りなく見えてしまうものです。なのに、声だけは人一倍大きかったりするのですから(笑)。

外は気温−10度。雪もかなり積もっています。こんな夜は外に出ないでテレビでも見ているに限ります。50チャンネルを超えるテレビの画面を見ながら、何となくチャンネルをフリップしていると、聴き覚えのあるジョン・ブリムの声が飛び出して来ました。WBEZというシカゴのパブリック・ラジオ・ステーション主催の催しのようです。
このテレビ番組はシリーズだと思うのですが、ぼくは今まで気にして見た事はありませんでした。よくシカゴのローカルブルースバンドの紹介や、何年か前のブルースフェス、ジャズフェスの模様を定期的に流しているようです。ジョン・プライマーやエディ C. キャンベルを見たのを覚えています。
以前、誰かに「お前も、もう有名人だな!」とからかわれた事がありましたが、おそらくこの番組で取り上げられたのでしょう。テレビ関係の人は、何一つぼくには知らせてくれませんでしたので、未だに自分自身がハモニカを吹いている姿を見た事がありません(笑)。

バンドはトリオでした。ジョン・ブリムさんが歌とトップギター。ドラムにスティーブ・クッシン。ハモニカがデイブ・ウォールドマンです。
デイブさんは、63年頃のフェンダーのスーパー・リバーブにアスタティックを使っています。ぼくも1台は欲しいアンプです。
みんな、ぼくの顔馴染なので、文句を付ける訳ではないのですが、これにもう1本ボトムギターが入れば、ぼく好みと言う事になります(笑)。
しかし、いい感じです。曲は「アイスクリーム・マン」。ジミー・ロジャース風のオリジナルです。何といっても「テンポ」が良いのです。早すぎず、遅すぎない。

ジョン・ブリムさんは、1922年にケンタッキー生まれ、シカゴに来る前はインディアナポリスにいたそうです。そこでスクラッパー・ブラックウェルやチャンピオン・ジャック・デュプリー、ピーター・フランクリンらと演奏活動を共にしていたようです。また、リロイ・カーターの録音に参加(注2)したのが、彼の最初の録音だったと言っていました。これが1943年頃と言う事です。
その後、シカゴに移りサニーボーイ、ビッグ・メイシオ、ビッグ・ビル・ブルーンジイ、マディらとも親交が出来てソロ・デビュー。その後、名盤エルモア・ジェームスとのカップリング「フーズ・マディ・シューズ」となる訳です。

しかし、この手のブルースを聴きたくて、ぼくはシカゴにやって来たわけですが、こういったタイプのバンドでハモニカを吹くチャンスは、もう無いに等しいのではないでしょうか?現在のシカゴでは、この手のバンド・ブルースをプレイする人達は、もう殆ど天国にいるかリタイアしているでしょうからね。
先日、菊田さんのお宅のクリスマス・パーティーに呼ばれた際、有吉さんとの会話の中でエディー・テイラーの話が出て、当時エディーと有吉さんは、一晩$25で演奏したとか...。あのエディが$25ですよ!今では、考えられない話です(笑)。
そういうぼくも、誰とはいいませんが、$25で4曲録音した事がありますが(笑)。

ぼくがジョン・ブリムさんと共演したのは、3年前だったと思います。ジョン・マクドナルドさん(注3)に呼ばれて演奏した時でした。編成はジョンがギターと歌。ドラムにデクスターさん、ベースにジェリーさんです。ジェリーさんは、マジック・スリムさんのバンドにいたのかな?彼は、空手の先生でもあります。それにハモニカが、ぼくです。
演奏が進み、いつものようにジャムセッションとなりました。時間が経つにつれて一人、二人、三人と連れだって、ガヤガヤとステージで演奏を始めていきます。ジャムの参加者には、オーティス・ラッシュさん、ヒューバート・サムリンさん、パイントップ・パーキンスさん、マイティー・ジョー・ヤングさん、カルビン・ジョーンズさん、アベ・ロックさん、フィル・ガイさん、ウィリー・スミスさん、デイブ・マイヤーズさんに、そしてジョン・ブリムさんなどでした。
上記の方々が、最初のセットが始まる前からぼく達の目の前に勢ぞろいしていたのですが、一体どうしてこうなったのかは今でも良く分かりません。しかもギタープレイヤーは、皆自分のギターを持参していました。
その日、ハモニカプレイヤーはぼく一人だけでした。一晩中ただただハモニカを吹き続けるだけです。その夜、ぼくは何をプレイしたのかは全く覚えていません。しかし、その夜の事は生涯忘れる事はないでしょう。


江戸川スリムのお節介注釈

(注1)John Brim
詳しい経歴や、ディスク・ガイドは、Sweet Home Chicagoのジョン・ブリム紹介を参照して下さい。

(注2)リロイ・カーターの録音に参加
ジョン・ブリムの初レコーディングは、1950年のビッグ・メイシオとの物というのが定説になっている。リロイ・カーターとは、ミシシッピー・シークスで有名なチャットマン一家の一人で、ピアノやアコーディオンを弾く。唯一聴ける自己名義録音は「Walter Vincson」(RST BDCD-6017)に収録されている。
1943年にジョン・ブリムと共に録音をしたという記録は残っていないし、Living Blues誌のインタビューでもその事に触れてはいない。しかし、本人の口から出た証言は重く、もしかしたら未発表のままであるのかも知れない。

(注3)John Mcdonald
日本では全くの無名だが、モダンなスタイルの中にもトラディッショナルな雰囲気を残したギタリスト。ジョニー・ヤングからキンゼイ・リポートまで幅広い共演経験を持っている。
1998年には、The Living Legends Of Chicago Blues Bandの一員として来日。リヴァーブを効かせた職人肌のギター・プレイに、一部のファンは驚喜した。


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