Carl Weathersby Interview.

俺のショーほどメンバーの全員が全力投球してるバンドはないよ!


by Hiroshi Takahashi

2000年5月24日、ホテルグランドパレス
インタビュワー:高橋 "Teacher" 誠

このインタヴューは、ブルースマーケット誌No.23に掲載されたカール・ウエザスビー・インタビューの全文です。Blues Market誌の妹尾美恵さんのご理解とご協力により、ここに発表できるはこびとなりました。


はじめてあなたを知ったのはスミソニアン博物館のアメリカン・フェスティヴァルでしたよ。
幕張だね。ビリー・ブランチと来たんだよ。

あのショーを素晴らしいものにしたのは、あなたでしたよ。
ありがとう。

あなた自身が一番楽しんでいるよう感じました。
そうだね。普通のツアーの時のようにあちこち移動しないで、そこにいて演奏すればよかったし、前にも日本に来たことがあって、友だちもいて会いに来てくれたしね。

私はアルバート・キングが大好きだから、妻にもアルバートの音楽を好きになって欲しくてね。でもなかなか好きにならなくて。でもあなたの演奏を聞いた瞬間に「いいね!これがアルバート・キングのスタイルなんだよ」っていったら、目を丸くして「本当?」それから彼女はアルバートの大ファンですよ。
ハハハ、いいね。アルバートとは子供の頃からの知り合いだよ。そのころ彼はもう年を取っていたけどね。親父と個人的な友だちでね。親父はディーゼル・エンジンの修理の仕事をしていてね、時々アルバートがお店にきて一日中しゃべってたよ。親父はアルバート・キングやBBキングをいつも聞いていたよ。

それがブルースを演奏するきっかけになった?
そうだね、ブルースの歌を覚えるきっかけになったけれど、ブルースだけじゃなく、何でも弾きたかったな。シカゴに引っ越してきた頃、みんないろんな種類の音楽をやっていてね、その弾き方を覚えたくて何でも演奏したよ。そのうち、そろそろブルースをやる時期だって思ってブルース・バンドをはじめたときにも、俺はショーに他の様々な音楽を盛り込んだよ。ギターを手にしているヤツの多くはソロしか弾けないんだ。俺はソロも弾くけど、誰かがステージ真ん中に立ち、その後ろでコードをきちんと弾いてサポートできる。それは自分でも嬉しいことだよ。

10代の頃好きだったアーティストは?
オーティス・クレイ。オーティス・クレイは俺の良い友だちだよ。オーティス・クレイ、サム・クック、タイロン・デイヴィス...。

(サンズ・オブ・ブルースのアルバムで)タイロンの"Are you serious?"をやっていましたね。
うん。それにBBキングにアルバート・キング...。でも10代の頃はいろんな音楽が同じラジオ局で聴けたんだよ。いろんな種類の歌を聴いたよ。聴いたら感染しちゃうって感じだよね。


Tokyo, 2000
by Hiroshi Takahashi

イースト・シカゴに越してきたのは?
1967年かな。ずっと昔のことだからね。12か13才だった。ミシシッピ州ミードヴィルからね。小さい町だよ、人口400人。(彼の三枚目のCD"Restless Feeling"を指して)ほら、ミードヴィルっていう歌があるでしょう?俺が書いたんだよ。大好きなんだ。(いま住んでいる)イースト・シカゴは好きだって思ったことはないよ。

小さな町が好きなんですね。
そうだよ。小さい町で育ったからね。でも音楽で生きていこうとすれば、有名なスターでないかぎり、シカゴのそばにいたほうがいいんだよ。演奏するところも仕事もたくさんあるからね。シカゴにいれば、ビッグ・スターじゃなくても、生活できるぐらいには稼げるんだ。だから俺がいるには最適な場所なんだよ。好きじゃないけどね。

リー・ショット・ウィリアムズ知ってますか?
イェー。リー・ショット!

彼はメンフィスに住んでいて、音楽の上での友人はほとんどシカゴにいるのに、もうシカゴには住みたくないって言ってましたよ。
気持ちはわかるよ。

シカゴがそんなに居心地が悪いのは?
人が多すぎるんだよ。俺の生まれ育った町には400人しかいなかったのに、シカゴには一つの建物にもそれ以上の人が住んでるんだよ。犯罪とか...、夜だって静かになることはないんだ。騒音も...。パトカーがこっちへ行き、消防車があっちへ行き。夜10時になったら、もう静かっていうのがいいよ...。

スリム:(ウイリー・ディクソンが在籍していたことで有名なビッグ・スリー・トリオの)レナード・キャストンは叔父さんだって聞いたんだけど。会ったことはあるの?
俺のおじいさんとレナードのお母さんが兄妹だったんだよ。だから俺のカズン(親戚)だよ。もう死んじゃったけれど、子供の頃会ったことあるよ。

スリム:ピアノを弾いてくれた?
うん、ピアノもギターも両方弾けたからね。でもいつも忙しくて、俺が演奏できるくらいに大きくなった頃にはいつもツアーばかりしていたよ。俺の息子は彼とよく似ているんだ。19才になったよ。子供は3人いるけど、妹の子供達も3人育てたからね。来週妹の一番下の娘が高校を卒業するから、これで全員社会人だね。俺の子は10才と19才と23才だよ。

大家族の家長なんですね。
そうだね。


Tokyo, 1994
by Hiroshi Takahashi

アルバート・キングのことで覚えてることは?
音楽はほとんどやらなかったよ。音楽について話すこともなかった。親父と話すのはのんびりするためだったんだと思うよ。ただおしゃべりして楽しんでいたよ。若いときから仲が良かったからね。18とか19の頃からの友人だよ。長い付き合いだったね。俺は彼がミュージシャンだなんて知らなかったよ。当時、シングル盤には写真がついてなくて、ただ名前しか知らないんだからね。
ある日俺がギターを弾いてたんだけど、アルバートは見てたけど何も言わなかったんだ。で、俺が(アルバートの弾き方が)分かった気がして「お父さん!分かったよ、分かったよ!」って言ったら、アルバートが「俺はそんな風には弾かなかったぞ」って言うんだ。「それどういう意味?」って聞いたら「そのレコードで演奏してるのは俺だよ」と言うじゃないか!驚いて親父の顔を見ると「そうだよ。この人が演奏してるんだよ」だって(笑)。でも、知りようがなかったんだよ。レコードには写真がついてないから、誰かがアルバートになりすましていても、わかりようがなかったんだよ。今は、写真がついてるから、どんな顔してるかわかるけど。

ジョニー・テイラーの息子がシカゴにいて、そっくりに歌えるって聞いたんですけど。
フロイドだよ。息子の名前はフロイド・テイラー。シカゴにいたよ。今はどうか知らないけれどね。

1993年にメンフィスにいたときに、シカゴから帰ってきたミュージシャンたちが噂していてね。「おい、ジョニー・テイラーの息子がシカゴにいて、そっくりに歌えるんだ!凄いぞ!」っていうのを聞いてたから、ずっと気になってたんですよ。レコードとか出しているんですかね?
まだだよ。いつか作るだろうね。でも、子供はね...。もし俺の息子がギターを弾きはじめたら、決して自分自身でいることをまわりの人たちに許してもらえないよ。「ヘイ、お前はカール・ウエザスビーの息子で、お前の名前もカール・ウエザスビーだろ?」ってね。だから彼自身の自己を確立することは、決してできないんだよ。いつだって、俺の息子なんだ。だから彼にはギターを弾いて欲しくなかったよ。歌はうまいけどね。でも俺が彼を(カール・ウエザスビー)ジュニアって名付けた時に、少なくともミュージシャンという意味では彼の個性は奪われてしまったんだ。演技が好きで、いくつかの劇に出ているよ。それが彼の道かも知れないね。音楽は良くない選択だよ。

よく深く考えていますね。メンフィスにリトル・ジミー・キングっていうヤツがいるの知っていますか?
ああ、聞いたことあるよ。彼は良いショーをするかい?

なかなかいいアーティストで、時々とても良いショーをしますよ。メンフィス・ホーンズと一緒に素晴らしいショーをやったの見たことありますよ。でも、彼はその名前のせいでみんな彼がアルバート・キングを演るのを期待してるから、なんか煮詰まってしまっているみたいかな。彼も名前を変えたほうが良いかもしれませんね。
もう遅いよ。名前変えたってみんな覚えているから「アルバート・キングをやれ」って言うさ。俺はね、俺の音楽の中にアルバートも入っているけれど、俺の音も聞こえるでしょう?それは良いことだよね。俺のことをリトル・アルバート・キングって呼ぼうとしたヤツらもいたんだよ。もちろん断ったよ。「俺はリトルなんとか、なんかじゃなくてカールだよ」ってね。

ヤツらって?レコード会社?
そうじゃないよ、シカゴに始めて行った頃、B.B.オーデムとかがね「おいお前のことをリトル・アルバート・キングって呼ぶことにするぞ」って言ったんだ。「頼むからやめてくれよ」って言ってやったよ。そんなことしたら、それで俺の将来が決まっちゃうんだからね。リトル・アルバートでそれ以外にはなれないんだ。だから「俺はそんなんじゃない。お母さんが俺をカールって名前にしてくれたんだからな」ってね。

あの、幕張でのショーは本当に楽しかったですよ。
あの少し前に出したこのCD(Billy Branch and the Sons of Blues "Mississippi
Flashback")を録音したとき、俺は40度も熱があってすごく具合が悪かったんだよ。録音が終わって病院に行ったら、でっかい風呂桶に一杯の氷の中に入れられたよ。

大変でしたね。録音はどのぐらいかかったんですか?
二日間だよ。1990年か91年だったよ。(スリム注:1992年作)


Mississippi Flashback (GBW-005)

ビリー・ブランチとは随分長い間一緒にいましたね。14年?15年?
そのぐらいかな?

どういうきっかけで、ビリーのグループに入ったのですか?
アルバートと一緒だったら、いつも家から離れて旅行してなきゃならないけど、こいつは決してシカゴから離れなかったからね。その方が嬉しいだろう?いつも家にいられるんだぜ。

アルバート・キングのバンドにいた頃、他に誰がいたか覚えてますか?
トミー・ロレンスがしばらくいたし、マイケル・ローレンスもね。他にホーンのエドとテリーがいたけれど、その他は毎週違うっていう感じだったね。アルバートはいつもミュージシャンをクビにしてたからね。「俺のバスから降りろ!」ってね。

「アルバートは凄くいい人だよ」って言った同じ人が、違うときには「付き合いづらいところもあった」って言うのを聞くけれど...。
う〜ん。問題はね、ほとんどの場合、ミュージシャン達は働きたくないんだ。ただ、お金がもらいたいんだよ。アルバートと一緒にいたら、自分の仕事をちゃんとしなきゃならないんだ。「今日はちゃんとやらないけど、明日はがんばる」なんてダメなんだ。ちゃんと働かなかったら、困ったことになるんだ。でも、やるべきことをきちんとやっていれば、誰もクビにはならないんだよ。アルバートだって同じで、きちんと仕事をしてれば、彼だって怒ったりしなかったよ。でもちゃんとやらなかったら「がみがみがみがみ!!!」

今度のツアーにはどんな人たちを連れてきましたか?CDを録音したのと同じ人々?
そうじゃないよ。録音したのはスタジオ・ミュージシャンたちだよ。スタジオだけ。俺のバンドは、ドラムがジェシー・ワッツ、ベースがカルヴィン・ギャスキン、ポール・ヘンドリクスがギター、それに俺と、その他にホテルの手配をしたり、いろいろやってくれるテオドーア・ダノムがいるよ。すべてスムーズに進むようにね。これは大きなプロジェクトだから、全てダノムに任せてるんだ。「行って聞いてきてくれよ、ダノム。わかった?」ってね。

みんな自分で選んだ人たち?
そう、みんな俺がサンズ・オブ・ブルースを辞めてからずっと一緒だよ。ポールだけはまだ1年だな。毎日上達してるよ。俺達のバンドは、一生懸命働いているよ。毎日全力投球さ。初日の大阪なんて、飛行機が着いて飛行場を出たら直接会場へ行ってすぐ演奏したんだよ。

スリム:デトロイトで24時間止められたんだって?
うん、嵐で飛行機がキャンセルになっちゃったんだ。ダラスに着いたときには飛行機はもう発った後。

ブルースですね。「俺を置いてっちゃった」(笑)。
幕張でのショーを見たとき、あなたが本当に良かったので、妻はあなたがビリー・ブランチだと思ってましたよ。

そう、ほとんどの人がそうだったんだよ。俺がほとんど歌ったし、働いてたのもほとんど俺だったんだからね。

でも、ソウルやブルースの世界で、自分以外のバンド・メンバーにメインの役目をさせるっていうのは、すごく珍しいことだと思うんですけど。
ビリーは、気にしなかったね。その方が楽だったからね。「いいよ、あいつに働かせよう。金は俺が貰うから」ってね。でも、それで良かったんだよ。言いたいのはね、ステージに立ったら、自分のために演奏するんじゃなくて聴衆のために演奏するんだよ。だからいいショーをやらなきゃいけないんだよ。ビリーがやらないんなら、俺がやらなきゃってね。だから俺が頑張ってたんだよ。誰かがやらなきゃなんないわけさ。

音楽のアイディアやレパートリーは?アー・ユー・シリアスなんて、あなたの趣味でしょう?
そう、俺のアイディア。だいたいここ("Mississippi Flashback"の裏ジャケを指して)に書いてあるのはみんな間違ってるんだよ。「ミシシッピ・フラッシュバック」も「ロウチズ」も俺が書いたんだよ。でもビリーの名前を付けやがった。でも、そんなのもういいんだ。

あなたのCDはみんな良いよね。毎回どんどんよくなっていると思いますよ。
そう思う?新しいCDが6月の半ばに出るよ。1枚目、2枚目、3枚目...、4枚目。「カム・トゥー・パパ」っていうんだ。メンフィス・ホーンズやアン・ピーブルズ。ドラムにはスティーヴ・ポッツ、ベースはウィリー・ウィークス、キーボードはラッキー・ピータースン、ギターにリコ・マクファーランド。彼は妻の従兄弟なんだ。これはすごくいいよ。毎回どんどんよくなっているよ!次のももちろんね!


Come to Papa (EVIDENCE ECD 26108-2)

アン・ピーブルズと歌うことになったのは?
プロデューサーがね「おまえ、アン・ピーブルズと一緒に歌うと良いよ」って言うから「じゃあ、連れて来てよ」って言ったんだ。彼女の家に電話したら彼女が来てね。

アン・ピーブルズは、本当にいい人ですよね。
会ってないんだよ。見たこともないんだ。ヘヘヘヘ。俺のレコードでは歌ってるけどね。

ハハハハハ!旦那さんのドン・ブライアントも「リヴィング・ブルース」誌のあなたのインタヴューの前のページにアンと一緒に写ってますよ。
ドン・ブライアント?知らないや。メンフィスに住んでるんでしょ?

ハイのシンガーで、ソングライターだった人です。最高のシンガーですよ。
そうなの?知らなかったよ。

なんとなくあなたと似てませんか?ほら?
この間メンフィス・イン・メイ・ビールストリート・フェスティヴァルで、トム・リー・パークで演奏したよ。泥だらけだったよ。アイザック・ヘイズ、ケニー・ニール、ウォルター・トラウト、ロス・ロボス...、後は思い出せないや。

メンフィスのミュージシャンで、最近はイギリスで活動しているベーシストがフランスでCD出して、彼の名前がビッグ・ジョー・ターナーって言うんです。本当にジョー・ターナーって言う名前なんですけど。
ふーん。

彼があなたの「ロック・ユア・タウン」を録音していて、ちゃんとクレジットも入ってますよ。
本当?見せてよ。知らなかったよ。嬉しいね!イエー!ロック・ユア・タウン(歌い始める)。

他にもあなたの歌を録音した人は?
知らないよ。はじめて見たよ。誰かいるかもしれないけど、俺の知る限りこれがはじめてだね。

スリム:フランスから小切手が届くかもね。
そうかもね(笑)。

スリム:ジョン・ハイアットは知ってたの?
知らなかったよ。会ったこともないよ。彼の歌を(Feels like rain)を歌えって言われた時まで名前も知らなかったよ。

ハイの"Rhymes"もやってますよね?
リコが選んだんだよ。俺達はたくさんの曲を録音して、その中からアルバムに入れるヤツを選ぶんだよ。16曲とか20曲ぐらい録音して、レコード会社に聞かせて、どれを入れるか決めさせるんだよ。ミードヴィル・ミシシッピ!俺の故郷さ。

いまでもミードヴィルに行くんですか?
うん、今でもおじさんと従兄弟たちがいるからね。10月には...。今回だって、嵐のせいで日本に来る飛行機がなかったら、ミードヴィルに行ってただろうね。でも、なんとか日本にたどり着けて良かったよ。

あなたの演奏する音楽のスタイルは広いですよね。新しいスタイルを試したりしますか?
そういう風に計画をしたりしないよ。いいアルバムを作りたいから、いい歌を集めてできる限りのことをするんだよ。「ロッキン・ブルースでいこうか!?」とかそういうやり方はしないよ。いつも思ってるのは、それぞれのCDに最低でも2曲は「良い歌だなあ」って思ってもらえるような歌が欲しいと考えているよ。多くの場合、CD全体で気に入った曲は1曲か2曲で残りはクズって感じのことが多いでしょう?入ってる歌が、全部良いっていうようなCDが作りたいんだよ。みんなが全部の歌を気に入ってくれるようなね。それこそが、俺達が狙う目標なんだ。多くの人たちがCDを買いたくない理由が、その中の1〜2曲しか欲しくないからなんだよね。それからね、俺は本物の楽器を使いたいよ。ホーンの音がするなら、実際に人間が管楽器を吹いてるのが好きなんだよ。キーボードで代わりをしてるんじゃなくて。それでもいいっていう人もいるけど、俺には本物のミュージシャンにやってもらう必要があるんだよ。

メンフィス・ホーンズと一緒に演奏したときは?
5曲かな?手伝いに来てくれたよ。

実際に一緒に演奏しましたか?
そうじゃなくて、後でオーヴァー・ダビングしたんだよ。本物のプロだったよ。彼らがやって、終わると「これでいいかい?」って聞くんだ。「うん、いいよ」ってね。ハハハ。みんな気に入ったら、はい、次の歌ってどんどんやっていくんだ。

ビール・ストリートでメンフィスの地元のミュージシャンに会いましたか?
ノーリス・ジョンスン、エリック・ゲイルズ、ジャック・ホルダー、プレストン・シャノン...。

プレストン・シャノン!ミスター・メンフィス、ミスター・ビール・ストリート!
若かったとき、良く見に行ったギター・プレイヤーはいましたか?

アルバート・キングが来たときだけかな?あとリトル・ミルトン。俺はシカゴに行くのは好きじゃないからね。ちょっと旅行で寄るだけだったら良いところだと思うよ。でも住むとね。あんまり出かけないんだ。どこか行くと誰かが車の中の物を盗んだり、喧嘩に巻き込まれたり、困った問題にはあまり近づかないのが一番だからね。

あなたは、バッキングとかで色々やりますよね?そういう面で好きだったギタリストは?
いつでもアルバート・キングが好きだし、ボビー・ウォマックとか、カーティス・メイフィールドとか、そんなに多くはないよ。

スリム:なんでオーティス・クレイの歌はやらないの?
だって、今は、こういうCD出してるんだから、俺は俺の作品をやるのが一番良いんだよ。そうすれば、俺のファンができるからね。みんなが聞きたいのは俺がオーティス・クレイをやるんじゃなくて、オーティス・クレイの歌をオーティス・クレイがやるのを聞きたいんだし、俺の歌を俺がやるのを聞きたいんだと思うよ。

スリム:うん、わかってるよ(笑)。


Tokyo,1994
by Hiroshi Takahashi

妹尾:BBキングとかのいわゆるビッグ・ネームの人が年取っていく時に、あなたの目標は?
BBキングやバディ・ガイのレベルまで俺の名声が高まるなんてことはあり得ないよ。ただ、毎晩、たとえ聴衆が100人であろうと1000人であろうと、真剣に演奏するって言うことだよ。そのことを人々が気づいてくれたら嬉しいね。俺が将来どうなるかわからないけど、俺のショーほどメンバーの全員が全力投球してるバンドはないよ。他のブルース・バンドとはまったく違うんだよ。これに人々が気づいてくれるかもしれないね。バディー・ガイは友人で親しいけれど、一緒にツアーをまわっていて、俺達のショーを見に来てくれて「良いショーだったよ」って言ってくれるのは嬉しいよ。BBキングは俺のことなんて知らないよ。でもバディーとか、リトル・ミルトンは親しいよ。この人達は長年演奏し続けていて、今は日光の当たるところにいるんだけれど、俺の時代も来ることを望んでいるよ。もし、その日が来なかったとしても、最善を尽くすだけさ。ハハハハ。

その言葉を聞けて、本当に嬉しいですよ。
「人が何を気に入るか」なんてことは誰にも操作できることじゃないよ。だから、出かけていって演奏して、いくらかでも入場料を払ってくれた人がそれだけの価値はあったって思ってくれたら「また明日も来ようかな」って気になってくれるかもしれないでしょう?時々クラブとかで演奏して、人々は名前を全然知らないから誰もお客さんが来なくて「おー、今日は客がほとんどいないから適当にやるか」なんてね。俺達は、たとえ客が何人だっていつもと同じショーをやるよ。他のヤツらに「だってお客さんいないよ」って言われたって「うん、だから?」ってね。たとえば、俺がやる気なくて壁にもたれかかって適当に演奏しているときに見に来たお客はどう思う?
ところで明日ブルーズ・アレーで演奏するよ。近いの?

アメリカの感覚だと近いけれど、日本の感覚だと結構ありますよ。3〜4マイルなんですけどね。
今、ブルーノートにドクター・ジョンも来てるんでしょう?

スリム:一緒にやるっていうガセネタが流れてたよ。
誰が?いつ?俺とドクター・ジョンが?ヘヘヘ。ブルーノートに連れて行ってくれればやるさ。彼とは親しいんだよ。ハーマン・アーネストっていう俺の1枚目と2枚目のアルバムのドラマーは、ドクター・ジョンのドラマーだから。一緒に来てるかも知れないよ。

そう言えば、ベースのリー・ズィノもニュー・オーリーンズの人ですね。
バックウィート・ザイディコのベースだよ。

あの、タバスコ・ベース弾いてる人?
そう、それがリーだよ。

凄くいいベース・プレイヤーですね。デイヴ・スミスっていうベース・プレイヤーは知らないけど。
メンフィスのスタジオ・ミュージシャンだよ。バディー・ガイのヘヴィー・ラヴとかジョニー・ラングとかね。

スリム:あなたの娘さんのテビアと一緒に歌うの?シカゴ・ブルースフェスティヴァルで一緒に歌うって言ってたよね?
今年はやらないよ。でも俺の歌を一緒に歌うの好きだよ。俺の娘はブルースも聞くけど、他の子供達と一緒で98ディグリーとか、バック・ストリート・ボーイズとかね。ブルースを無理に聞かせたりしないよ。好きなのを聞いてる。彼女は俺の歌の中から俺と歌いたい歌を選んでるよ。彼女が好きなのは「ファニー・メイ」「スウィート・ミュージック」「エヴリシング・アイ・ドゥ」だね。

スリム:すごい可愛い子だよね。
お母さんにそっくりだよ。


Tokyo, 2000
by Hiroshi Takahashi

スリム:そういえば沖縄に居たって言ってたよね?
うん。2日間ね。

スリム:2日ぁ〜!?この前来たとき「沖縄にいた」って言ってたじゃん。
飛行機で飛んできて、2日いて、すぐ飛び立ったんだよ。嘉手納空軍基地。ノースカロライナから嘉手納に来て、ベトナムのサイゴン、いまのホーチミン市に行ったんだよ。1967年。そう、まだ戦争中だよ。でもそんなに激しくはなかった。俺よりもっと年上の人たちは大変だったけれど、俺が着いたときには下火になってたから嬉しかったよ。
あー、秋葉原にダット探しに行こうな?

ジミー・ジョンスンも秋葉原に行きたがってたね。東京は3回目ですか?
うん、3回目。いろいろ連れていってもらったけれど、自分じゃまだどこにもいけないよ。でもね、一度東京ドームまで、プエルトリコ人の友だちと自分たちだけで電車に乗って野球を見に行ったことがあるよ。

野球が好きなんですね。
うん、だってどこで見たって同じゲームだからわかりやすいしね。アメリカン・ミュージック・フェスティヴァルで演奏したとき、プエルトリコのバンドのアートロが「俺は東京で野球が見たいんだよ。行くかい?」っていうから「ウン、行くよ」って。電車に乗って、俺達だけでね。野球が終わるとちゃんと電車に乗って帰ったよ。俺のバンドのメンバーも今頃下で歩き回ってる頃だね。でかいんだよ、みんな。相撲取りみたいだよ。

今日は東京ドームまで歩いていけますね。
うん。でも、今日は試合あるの?

スリム:ブルー・ウェーブとファイターズ。日本で一番素晴らしいバッターのイチローが出るよ。
イチロー?いいね、楽しみだな。
(しばし野球の話題で盛り上がる)


Tokyo Dome, 2000
by Hiroshi Takahashi

オーティス・クレイの「イフ・アイ・クド・リーチ・アウト」好きだよ。(歌いはじめる)一度ステージでオーティスと歌ったよ。いつも頼んでいたんだよ。ある晩彼がいてね「ヘイ、オーティス、来いよ。歌おうよ。」「よせよ」って言ってたけどね。イフ・アイ・クド・リーチ・ア〜ウト!いいね。ライヴ・イン・ジャパン持ってるよ。「コンニチワ!トーキョー!オール・モースト・エヴリデイ!」

あのハイ・リズム・セクション大好きですよ。
うん、ティーニー・ホッジスたちね。とてもいいミュージシャンたちだよね。随分昔から知ってるよ。


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1999-2002 by Makoto Takahashi

Special Thanks to M&I Co.,Blues Market Magazine.

使用した写真の全ては、カール・ウェザーズビー氏から使用許可を得ています。