Billy Branch Interview

ソロにはストーリーがなくちゃダメだよ


このインタビューは、1992年にサム'ズ・レコードショップの協力で行われ、「はもにかパワー」誌No.2に掲載されたものです。
私自身、初めてのインタビューだったために、不十分な内容となってしまいましたが、アルバム「Mississippi Flashback」を発表し、日本でも注目され始めた当時のビリーの姿にふれてください。


─ 2回目の来日(初来日は90年のオーティス・ラッシュとのツアー)ですが、日本の印象はどうですか。

Billy Branch(以下B.B):色々な国に行くけど、日本のオーディエンスは特に反応がいいねえ。

─ あなたは、シカゴで生まれて、L.A.で育ったと聞きますが、いつ頃からブルースに興味を持ったのですか。

B.B.:L.A.時代は、ブルースを知らなかったんだ。ビーチボーイズ(!!)とかWarなんかを聴いていたよ。
 18歳でイリノイ大学に入学したとき、キャンパスで友人達がブルースを演奏していたんだ。そこで初めてブルースに出会ったのさ。
 その後、サウスサイドのテレサズ(有名なブルースクラブ。現在は閉鎖)へ通うようになって、ハーモニカでブルースを演奏するようになったのもその頃だね。

─ ハーモニカを直接誰かに教えてもらった様な事はありましたか。

B.B.:いや、誰にも教わってない。ただ、毎晩クラブに足を運んで、ビッグ・ウォルター、ジェームス・コットン、ジュニア・ウェルズやキャリー・ベル達のプレーを見て、そこからテクニックを盗んでいったんだ。
 特に影響されたのは、ジュニア・ウェルズとキャリー・ベルさ。(その当時の想い出が、アルバム「Harp Attack !」に収録されている"New Kid In The Block"に唄われている)

─ プロとしてのスタートはいつ頃ですか。

B.B.:(英語のMakes moneyという言葉を受けて)未だにハープで金は稼げてないよ。ハハハ!!いや、冗談だが、偉大なるピアニストのジミー・ウォーカーと一緒にやったのが最初かな。1974年頃だ。その後、ウィリー・ディクソンのバンドに5年間いて、1977年にサンズ・オブ・ブルースを結成したんだ。

─ サンズ・オブ・ブルースは、今でもサウスサイドのクラブで週一回のライブを行ってますよね。ほとんどのブルースマンは、有名になるとノースサイドのクラブしか出ないと聞きますが、あなた達はなぜサウスサイドにこだわるのですか。

B.B.:シカゴのサウスサイドというのは、ブラックのコミュニティーとなっているのは知っているね?確かにブルースマンのほとんどが、ノースサイドのクラブで白人だけのために演奏をしている。黒人のための音楽であるはずのブルースが、全く黒人に聴かれてないし、接する機会もない。だから俺達は、少しでも黒人達に聴いてもらうために、特に若い奴らがブルースに接する機会を作るために、サウスサイドでプレーし続けるんだ。

─ 子供達にハーモニカを教えてますが、どういったきっかけで始めたのですか。

B.B.:15年前から教えてるよ。ブルースを初めて聴いたとき、俺はこんなに面白い音楽があったのかと思ったんだ。ブルースと出会えてラッキーだと思っているよ。だから、今の子供達にも機会を与えてあげたいという気持ちで始めたんだ。
 俺は、白人でもスパニッシュでも日本人でも分け隔てなく教えるけど、黒人の子供達にこそブルースの素晴らしさを教えてあげたいんだ。黒人が生み出した文化であるブルースに、もっと誇りを持ってほしいと思っているんだ。

─ 日本の「ブラック・ミュージック・レビュー」という雑誌で、アリゲーター・レコードのブルース・イグロアが「シカゴで、いま一番可能性があるプレイヤーはビリー・ブランチだ。今まで何回も契約しようとしているがうまくいかない。もしかするとビリーは成功を恐れているのかも知れない」と言っていましたが、このコメントについてどう思いますか。

B.B.:ウーン...。確かにアリゲーターは、ここ数年で伸びてきたレコード会社だということは知っている。でも俺は、もっとメジャーの、例えばポリグラムあたりからもっといい条件で契約したいと思っているんだ。だから今は、選んでいる段階だね。(スリム注:いま考えると、この時すでにポリグラムからの接触があったと思われる)

─ 85年頃に撮影された「Big City Blues」という映画のことを覚えてますか。

B.B.:ああ、覚えているよ。

─ その映画のラストシーンで、あなたはハーモニカを吹きながらタクシーに乗ってどこかへ行ってしまいましたね。あれはいったいどこへ行ったんですか。

B.B.:アハハハ!あれは打ち合わせでは、ワイヤレス・マイクを使ってプレイしながらクラブの外を歩くところを撮るはずだったんだが、目の前をタクシーが通ったので思わず乗り込んでしまったんだ。ハハ!グルッと回って帰ってきたよ。

─ そろそろ、ハーモニカのテクニックのことについてお聞きしたいのですが、まずこれから始めようと思っている人に対してアドバイスをお願いします。

B.B.:ハーモニカをプレイする上でまず最初に大切なことは、ハーモニカを入れるベルトを手に入れることだ。これがないと絶対にダメだ。
 ハハハ!冗談だよ。俺は11歳の時にハーモニカを始めたんだ。その頃はブルースを知らなくてこんな曲(と言ってフォスターのフォークソングを吹き始める)をやっていた。この時に学んだのは、いろいろなメロディーを吹くことによって、音の組み合わせ(何番からどんな音が出るか)を知ったことだ。これは非常に重要なことだよ。
 俺はクラブでいろいろなハーピストを実際に見て勉強することが出来たけど、日本にいる君たちには大変なことは分かっている。それならレコードを聴くことだ。そこからアイディアが湧いてくるはずだよ。

─ いま使っているマイクはどんなマイクなんですか。

B.B.:これは、エレクトリック・ボイス・マイクロフォンというんだ。テレビの記者が街頭インタビューの時などに使っているヤツだ。シュアやアスタティックなどのバレット型マイクは、俺には少し大きすぎる。これだとしっかり握れるんだよ。
 マイクは、アンプとの相性が重要だけど、バレット型はフェンダーのアンプと合うね。俺は、ディストーションのかかったその音が大好きなんだが、いまのバンドでは、必ずしもその音が合うとは言えない。もっとクリアな音が欲しいのでこのマイクとピーヴィーのアンプを使っているんだ。

─ エフェクターはいつ頃から使っているんですか。

B.B.:ウーン...。8年位前からかな。オクターバーは、ホーンのようなインパクトのある音が出せるし、ディレイはナチュラルな音を出すために使っている。

─ 一日どれくらいの練習をするんですか(笑)。

B.B.:No !(笑)毎日がステージだからなあ。いまはクロマチックの方に興味が移っているよ。
 最後に言いたいことがある。
ソロのプレーには、ストーリーが必要だ。特にスロー・ブルースのソロは、一番面白いものでもあり、一番難しいものでもあると言えるね。沢山のフレーズを入れるスペースがあるからこそ、ストーリーが必要なんだ。
 一番大切なことはフィーリング、そしてコントラストを付けることだ。グッド・ハーピストのレコードをいっぱい聴いてアイディアを盗んでくれ。



Slim high on beer & Billy higher at Southside Chicago.

(2000年3月15日記)


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