1960年代半ば、東海岸に演奏に来ていたマディ・バンドに飛び入りして以来、そこのハモニカ・プレイヤーに落ち着いたホワイト・ボーイも、今では50歳。いつまでも少年のような、とんでもないブルース人、ポール オーシャー(注1)。彼は、シンガー/ソングライターで、ハモニカはもとよりギターやピアノもこなすそうです。
ポールさんは、1月5日「スモーク・ダディ」で行われたWabi Blues Project Bandのライブに、突然現れて飛び入りしてくれました。マディ・バンドに飛び入りした時もこんな感じだったのかもしれませんね。
時代背景を考えれば、彼のようなホワイト・ボーイが、マディのバンドに飛び入り出来ただけでも反響があった筈なのに、以来マディ・バンド専属のハモニカプレイヤーに採用されたと言う事実は、当時の白人ブルースプレイヤーを大いに力付けた事でしょう。彼のこの勇気ある「飛び入り」が無ければ、ぼくのような駆け出しが見ず知らずのバンドに簡単に飛び入り出来るような環境は出来なかったかもしれませんからね。
彼が持参したハーモニー社の50年代物(?)フルアコには、マディ・ウォーターズ、B.B.キング、エリック・クラプトン、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュ、レス・ポールと、もう数え切れない程多くのハンド・シグニチャーが、ビッシリと書き込まれていました。ぼくも頼んで、マディの隣にでも書きこませて貰えば良かった(笑)。
さて、僕たちの演奏は10PMに始まり、最初のセットでウォームアップしてから、セカンドセットで、「飛び入りの元祖」ポール・オーシャーさんに登場してもらいました。
ポールさんは、ギターとマイク付き(?)のハモニカ・ホルダーで登場してくれました。バックには、ドラムのスティーブとアップライト・ベースの江口さんのみです。最初は、ジミー・リードみたいな感じで演奏するのかなと見ていましたが、なんと!一人シカゴ・ブルース・バンドを演り始めました。ハモニカは、アンプリファイドしたあの独特なサウンドそのままで、リトル・ウォルターの"Juke"やジェームス・コットンのインストを吹きまくります。ギターではスライド・バーを使ったプレイもするのですが、これがマディ直伝のサウンド!低音が何とも言えませんでした。しかも、歌もいい味を出しています。
最後の方では、丸山さん、細沼さん、サックスのジェシー、それにぼくもハモニカで参加しました。それから、ジョン・ブリムでも登場して頂いたデイブ・ウォールドマンさんも。それにしても、ハモニカ・ホルダーでよくこんなに吹けるものです!こんな演奏は生まれて初めて聴きましたし、本当に驚きました。ちなみにギターとハモニカは別々のアンプに繋いでました。いったいどんなセッティングになっていたのでしょうか。ポールさんに聞くのを忘れてしまいました。
ぼくが「マディ・バンドで一番イヤな想いをしたのはどんな事だったか?」と質問すると「いつも楽しかったよ。マディがバンドのメンバーに金を渡す時は、いつもテーブルの上に撃鉄を起こしたピストルが置いてあったり、マニッシュボーイを演奏する時には、ズボンの中にバドワイザーの空ビンを隠して客を笑わしてみたり。俺たちの演奏中に、誰かが客の一人をピストルで撃ち殺した事もあった。それも、俺の目の前の女を...。シカゴのサウスサイドでは、頭のいかれた奴がボストンバックに誰かの生首を入れて俺たちの演奏を見に来ていたこともあったよ。」
「しかし、もう長い間ブルースにハマって、もうこれ以外の音楽に興味がない。俺は、金に成ろうが成るまいが、お前のやっているようなブルースが好きなんだ。これは神様からの授かりものだ。指が速く動くとか、ハモニカが他の誰よりも上手く吹けるとか言っているんじゃないぜ。お前は他のブルース・プレイヤーの誰とも違う声をしているし、ハモニカも申し分ない。俺達は、神様から授かったのさ。」
ところで、マディの「フーチー・クーチー・マン」の詞の中にも出てくる"John The Conqueror"を、生まれて初めてポールさんに見せてもらいました。何と言っていいのでしょうか。何かの果物を乾燥させたような、黒いアボガドを4センチ位の大きさにした感じで甘くてキツイいい匂いがしていました。手にしたかったのですがすぐ引っ込めてしまいます。"MOJO"も見せてくれましたが、同じようにちょっと見せてくれただけです。
ぼくが知っている限り、ルイジアナ・レッドさんも"MOJO"が好きでした。カナダのオタワで、ブルース・フェスに一緒に出演した彼と食事をしたのですが、途中"MOJO"の効用を真剣に話していました。ちょっと怖かったのを今でもよく覚えています。
ポールさんとは、今夜初めて会ったのですが本当に面白い人です。飾らず構えず、ただの飲んだくれです。話好きなところは、オーティス・スパンにでも似たのでしょうか?
江戸川スリムのお節介注釈
(注1)Paul Oscher
良くも悪くも「奇人」との噂が絶えない白人ハーピスト。その奇行の数々は公の場での発言がはばかれるほどだ。最新アルバムが「ブルース・アンド・ソウル誌No.35」のコラムで酷評されたのは記憶に新しいが、その演奏の素晴らしさは伝え聞いていたので、是非ともライブを見たいと思っていた一人だ。
1950年4月5日、ニューヨークのブルックリンに生まれたオーシャーは、12歳の時に初めてハーモニカを手にし、15歳の頃までにはソウル・レビューに参加して、主に黒人客を相手にプロとして活動していた。
1967年にマディ・バンドのルーサー・ジョンソン(ジョージア・ボーイ)の紹介でマディ・バンドの演奏に飛び入り。ちょうど前任のモジョ・ビュフォードが、バンドを辞めたばかりだったので、マディ・バンド初の白人プレイヤーとして迎え入れられた。その後、1972年までバンドのレギュラーのハーピストを務めるが、現在はニューヨークを中心に活動。現在までに3枚のソロ・アルバム(うち1枚はスティーヴ・ガイガーとの物)を発表している。
その昔、ブルックリン・スリムを名乗っていたこともある。
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Paul Oscher
Knockin' On The Devil's Door
(VICEROOTS VCR8028-2) |
Paul Oscher
The Deep Blues Of
(Blues Planet BPCD-1427) |
Paul Oscher & Steve Guyger
Living Legends
(Bluesleaf BL9811) |
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Muddy Waters Chicago Blues Band
The Bluesman Of The
(SPIVEY LP-1010) |
Muddy Waters
After The Rain
(Cadet Concept LPS-320) |
Muddy Waters
Vintage Muddy Waters
(Sunnyland KS-100) |
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Johnny Young
Fat Mandolin
(Blue Horizon 63852) |
Muddy Waters
Live at Mr. Kelly's
(MCA CHD-9338) |
Muddy Waters
"UNK" In Funk
(Chess CH-60031) |
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V.A.
N.Y Really Has The Blues!
(SPIVEY LP-1018) |
Big Bill Morganfield
Rising Son
(Blind Pig BP-5053) |
Savoy Brown
The Blues Keep Me Holding On
(Mystic Records 54323-2) |
その他、マディやオーティス・スパン、ルーサー・ジョンソンとのレコーディングも有り。
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