シカゴの情報誌「READER」に載ったHOT HOUSEと言うクラブの宣伝に、以前こんなのがありました。"Best gig in town on Monday night""Yoko Noge & Jazz Me Blues"。クラブオーナーが考え出したのでしょうが、上手いものです。 ぼくは、親父の影響で、チビの頃にジョン・ウェインやクリント・イーストウッドの西部劇をテレビ映画でよく観ました。埃まみれのカウボーイとリボルバー拳銃にラベルのついていない透明の壜に入った琥珀色のウィスキー...。そんな中でぼくの興味を引いたのが、当時の酒場の場面には必ずと言っていい程登場するピアノとその音色でした。子供ながらに「不思議な音の出る家具」と思ったものです(笑)。 ぼくが最初に野毛ようこさん(注2)の演奏に触れたのが、旧HOT HOUSEでした。その頃は、ようこさんが歌とピアノ、ようこさんの旦那さんでもあるクラーク・ディーンさん(注3)がソプラノ・サックス、ギターには、これからもう一花咲かそうと言う時に他界した、デルマークのフロイド・マクダニエルさん(注4)やスティーブ・フラウンドさん(注5)と言うメンバーでした。また、ジョン・マクドナルドさんなんかもときどき共演していたように思います。それから、ドラムスにはぼくの大好きなドラマーのオディ・ペイン Jr.の娘さん(注6)もいたと思うのですが...。なんて名前だったかな(笑)? Copyright (C) 2001 by Nami Ogata
Copyright (C) 2001 by Nami Ogata 余談になりますが、野毛ようこさんや前出のタツ・青木氏が中心となって、毎年シカゴで行われる恒例のアジアン・アメリカン・ジャズ フェスティバルも今年で6回目になります。年を重ねるにつれイベントとしても観客動員数をとってもあらゆる方面から注目されています。過去の出場者を見ても、巨人マックス・ローチ氏、ジョン・マクラフリン氏と世界の最高峰達が賛同する程です。去年は、ぼく達Wabi
Down Home Blues Project Band (All-Nippon Blues Boys)もお手伝いさせて頂きました。今回もアメリカ中から出場者が集まると言う事です。ぼくが聞いている参加者には、日本人の東儀さん(尺八のマスター)、それにアリゾナ州から、現在もアメリカで活躍するジョージ・吉田氏(ドラム)、パット・鈴木さん(歌手)達。日本とアメリカの関係が険悪だった時代、彼らアメリカ国内の日系米人達は、アリゾナにある強制収容所に収容されました。自由も財産も没収され、生きるか死ぬかの瀬戸際の中、収容所キャンプでJazzを演奏し続けて来た人達だそうです。 江戸川スリムのお節介注釈 (注1) ピアノがアメリカに渡って来たのは、 ピアノの原型が発明されたのは1703年と言われている。アメリカで最初にピアノが使われたのは、「1773年に行われたニューヨークでの演奏会において」という文献があるが、独立戦争前後から徐々にヨーロッパから輸入されていったと思われる。 (注2) 野毛ようこ 大阪生まれ。大学在学中にヤマハ・ポプコンの関西地区特別賞を受賞。その後「ヨーコ・ブルース・バンド」を結成し、バンドコンテスト番組「ハローヤング」でグランプリを獲得した。ちなみに、ブルースとの出会いはエルモア・ジェイムスとのこと。「ブルースに目覚めたきっかけは?」との質問に、「エルモア」と答える女性の比率は、男性のそれに比べて圧倒的に多いというのは、私の経験から間違いないと思われる。女性にもてる秘密はエルモアにあり! 閑話休題。 ビクターからのデビュー曲「おっさん何するんや」は20万枚のヒットを記録。アルバム「ヨーコ」を発表するも、「本場のブルースを歌いたい」との欲求に駆られ渡米。一時帰国の後、再びシカゴに渡り"Yoko
Noge & Jazz Me Blues"を結成し、クラブでの演奏や、各地でのフェスティバルなどの幅広い活動を行っている。 http://www.jazzmebluesmusic.com/
(注3) Clark Dean アーウィン・ヘルファー氏のブギ・アンサンブルのメンバーとして長年活躍。その暖かい透き通った音色は、ニューヨークタイムス紙のジャズ批評家であるジョン・ウィルソン氏をして「きらびやかに輝くダンシングライトのようだ」言わしめた。 (注4) Floyd McDaniel 1915年生まれ。1940年代から50年代にかけてフォー・ブレイジズで活躍し、インク・スポッツなどでの活動を経て、1994年に79歳でソロ・デビューを果たしたTボーン・マナーのギタリスト。その枯れた味わいは、ジャンプ/ジャイブ・ファンを驚喜させたが、翌年心臓発作のため死去。自己名義の「Let Your Hair Down !」(Delmark DE-671)「West Side Baby」(Delmark DE-706)の他、「Yoko's Blues Monday Jam at Hothouse」や、リトル・ウイリー・レフトフィールドの「The Stars Of Rhythm'n Blues」(CMA Music CM 10007)でも、彼のギター/ボーカルを楽しめる。また、フォー・ブレイジズでの録音は、「The Aristcrat Of The Blues」(MCA CHD2-9387)で、ジャンプ・ジャクソンとの録音は、「The La Salle Chicago Blues Recordings Vol.2」(Wolf 120.297 CD)で聴くことが出来る。 (注5)Steve Freund 1952年ニューヨークのブルックリン生まれ。1976年にシカゴに移り、サニーランド・スリムのバンドに参加したことによりブルース・ファンに知られるようになる。多くのセッションに参加しており、その職人肌のバックアップ振りには定評がある。自己名義の代表作は、デルマークから発売された「"C "For Chicago」(Delmark DE-734)。 (注6) オディ・ペイン Jr.の娘さん Darlene Payne Wells。ようこさんと共に来日経験もある。オディ・ペイン唯一の自己名義アルバムや、「The Chicago All Stars」(CMA Music CM 10003)などで、その演奏を聴くことが出来る。 (注7) Tatsu Aoki 本名、青木達幸。1955年東京の四谷生まれ。 (注8) John Watson シカゴでNo.1と言われるトロンボーン・プレーヤー。 カウント・ベイシー・バンドのソロ・トロンボニストとして全米をツアーを務めた実力者だ。1967年にはジェームス・コットン・ブルース・バンドの一員としてレコーディングに参加し、「3
Harp Boogie」 (TOMATO TOM 9905-2)で聴くことが出来る。その他にも、リトル・ミルトンのチェス・レコーデイングやL.V.ジョンソンのアルバムにも参加。現在は、シカゴのビッグバンド
「エリントン・ダイナスティ」などで活躍中。 (注9) Sonny Seals スタンダード・ジャズ/ブルースの実力派。ルイ・アームストロングの最後のレコーディング"What a Wonderful
World"でソロをとったほか、B.B.キング、T ボーン・ウォーカー、フランク・シナトラ、アリサ・フランクリン、バーキン・ビル、タイロン・ディヴィス、シル・ジョンソンからロイ・ブキャナンなどのバックを務めるなど、その活動は多岐に渡っている。 (注10) Phil Thomas |