野毛ようこ

(2001年3月10日記)


Copyright (C) 2001 by Nami Ogata


シカゴの情報誌「READER」に載ったHOT HOUSEと言うクラブの宣伝に、以前こんなのがありました。"Best gig in town on Monday night""Yoko Noge & Jazz Me Blues"。クラブオーナーが考え出したのでしょうが、上手いものです。

ぼくは、親父の影響で、チビの頃にジョン・ウェインやクリント・イーストウッドの西部劇をテレビ映画でよく観ました。埃まみれのカウボーイとリボルバー拳銃にラベルのついていない透明の壜に入った琥珀色のウィスキー...。そんな中でぼくの興味を引いたのが、当時の酒場の場面には必ずと言っていい程登場するピアノとその音色でした。子供ながらに「不思議な音の出る家具」と思ったものです(笑)。
ピアノがアメリカに渡って来たのが、いつ頃だったのかは知りませんが(注1)、ジュークボックスがまだ普及する前の1900年代から50年代頃までは、酒場に行けば必ずピアノが置かれていて、それを演奏するピアニストが雇われていたと聞いています。しかし、現在のシカゴのクラブでピアノを常設している店は、もう数える程しかないでしょう。寂しい話です。結局、楽器の進歩に連れてバンドの音量が上がり、生ピアノやウッドベース、ハモニカなどのアコースティック楽器は、音量ではどうしても負けてしまうので、いつの間にか、需要がなくなって来たと言う事なのでしょうか?

ぼくが最初に野毛ようこさん(注2)の演奏に触れたのが、旧HOT HOUSEでした。その頃は、ようこさんが歌とピアノ、ようこさんの旦那さんでもあるクラーク・ディーンさん(注3)がソプラノ・サックス、ギターには、これからもう一花咲かそうと言う時に他界した、デルマークのフロイド・マクダニエルさん(注4)やスティーブ・フラウンドさん(注5)と言うメンバーでした。また、ジョン・マクドナルドさんなんかもときどき共演していたように思います。それから、ドラムスにはぼくの大好きなドラマーのオディ・ペイン Jr.の娘さん(注6)もいたと思うのですが...。なんて名前だったかな(笑)?



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今夜は、新しく移転したHOT HOUSEで、毎週月曜にレギュラーバンドとして出演している野毛ようこさんの誕生日パーティーが行われると言う事で招待されました。ぼくがクラブに着いたのは8時半頃で、ぼくにとってはクラブに繰り出すにはかなり早めでしたが、既に60人位の観客が集まっていました。中には気の早いお客もいて、広いダンスフロアで、野毛さんのピアノに合わせてダンスに夢中になっている客もいます。
しかし、いつ聴いても野毛さんの音楽は心に優しくて、すっかり和んでしまいます(笑)。何と言っても、クラブの空間(音響)を利用した心地良いバンドの音量と色気のある歌声。それから、このリラックスしたホーンセクションとリズムセクションの実力に裏打ちされたプレイヤー達の持つ余裕。音の隙間と言うのでしょうか?緊張感?ぼくが普段耳にしているブルースクラブで聴く音楽とは根本的に違います。全く違う次元と言うか、タイム感と言うのか、何と言えばいいのでしょう?現在ぼくが一番、興味を持っている事は、こう言う演奏法です。もう、随分前に観に行った、バイブラフォンのミルト・ジャクソンさんのバンドなどは、最初の1曲目から最後まで、聴き取れない位に絞ったボリュームで演奏していました。しかし、そのうち耳が次第にその音量に慣れて来て、彼らの創るほんの些細なダイナミックスでもそれが大きな波に聴こえて来るのですから不思議なものです。いつかぼくも身に付けられる物なら、こう言うプレイを身に付けたいと思っています。

バンド編成は、ようこさんとクラーク・ディーンさん。そして、アップライト・ベースには、現代シカゴ・ジャズ界を代表するタツ・青木氏(注7)が参加しています。野毛ようこさんのプロジェクトの他にも、ワールド・クラスのテナー・サックス奏者のフレッド・アンダーソン氏のプロジェクトにも参加しています。また青木氏は、自己のプロジェクトでも多数のアルバムをリリースしており、ジャズ・ドラマーの巨人のマックス・ローチ氏のプロデュースでは話題になりました。逸れてしまいますが、青木氏は、去年のグラミー賞でノミネートもされており、ぼく個人も青木氏にはCDの製作等で色々アドバイスを頂いたりしてお世話になっています。
トロンボーンには、ジョン・ワトソン氏(注8)。トロンボーンはもちろんですが、この人の歌がまた良いのです。シャウトしたり、騒々しくがなる事も無く、味わい深い歌を歌います。それから、テナー・サックスにソニー・シールズ氏(注9)。彼の演奏を始めて観たのは、ビンス・アグアダの結婚パーティーでしたが、その夜、ぼくにはこの人しか目に入りませんでした。アルト・サックスには、ジミー・エリス氏。ドラムスには、フィル・トーマス氏(注10)。まるでシカゴ・ジャズ界の宝石箱のようです(笑)。



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今夜の演奏曲は、ジャズのスタンダードナンバーの「A トレイン」や「ドント・ミーン ・ア・シング」「スリーピー・タウン・イン・サウス」「イン・ザ・メロー・トーン」などが、中心でした。しかし「アイ・コンフェス」などの、ようこさんのオリジナル曲には、ユーモアとセンスもあり、観客には大変人気があります。
それから、何と言ってもようこさんのイブニング・ドレス姿。もう馴れっこになっている筈のぼくですが、いつ観ても綺麗で「今度は、どんなドレスなのかな?」と気になってしまいます。ぼくのオフクロが、「ミシン踏み」をしており、いつもテレビの前でドレス・メイキングの研究をしていました。ぼくはチビでしたが、オフクロから洋服の話をよく聞かされたものです。

今まで何度となくようこさんのお宅でご馳走になりました。ようこさんのお宅でのパーティーには、いつも本当にたくさんの人が訪れ華やかです。ぼくもそこでたくさんの人に出会いました。これはもう、ようこさんの人望です。あちらこちらに日米取り合わせた珍しい色々な惣菜、鮭の蒸し焼き、鶏料理、それから日本式のカレーライス(笑)。色とりどりの綺麗な器に、ようこさんの心のこもった手料理...。帰りには、お土産まで頂いたりして、ぼくの日常生活には余り縁のない物ばかりです。今度は、何をご馳走になれるかな?今から楽しみです(笑)。


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余談になりますが、野毛ようこさんや前出のタツ・青木氏が中心となって、毎年シカゴで行われる恒例のアジアン・アメリカン・ジャズ フェスティバルも今年で6回目になります。年を重ねるにつれイベントとしても観客動員数をとってもあらゆる方面から注目されています。過去の出場者を見ても、巨人マックス・ローチ氏、ジョン・マクラフリン氏と世界の最高峰達が賛同する程です。去年は、ぼく達Wabi Down Home Blues Project Band (All-Nippon Blues Boys)もお手伝いさせて頂きました。今回もアメリカ中から出場者が集まると言う事です。ぼくが聞いている参加者には、日本人の東儀さん(尺八のマスター)、それにアリゾナ州から、現在もアメリカで活躍するジョージ・吉田氏(ドラム)、パット・鈴木さん(歌手)達。日本とアメリカの関係が険悪だった時代、彼らアメリカ国内の日系米人達は、アリゾナにある強制収容所に収容されました。自由も財産も没収され、生きるか死ぬかの瀬戸際の中、収容所キャンプでJazzを演奏し続けて来た人達だそうです。
今回も盛り上がりそうですね。今から楽しみです。


江戸川スリムのお節介注釈

(注1) ピアノがアメリカに渡って来たのは、

ピアノの原型が発明されたのは1703年と言われている。アメリカで最初にピアノが使われたのは、「1773年に行われたニューヨークでの演奏会において」という文献があるが、独立戦争前後から徐々にヨーロッパから輸入されていったと思われる。
 1849年にドイツからアメリカに移住したスタインヴェグ一族が、1853年にアップライトピアノを、1856年にはグランドピアノの製作を開始した。これが銘器「スタインウェイ」である。誤解を恐れずに言えば、ヨーロッパでは一部の人の娯楽でしかなかったピアノという楽器を、広く一般の家庭(バー/クラブ)に普及させたのは、アメリカという国とその文化なのだと言えよう。

(注2) 野毛ようこ

大阪生まれ。大学在学中にヤマハ・ポプコンの関西地区特別賞を受賞。その後「ヨーコ・ブルース・バンド」を結成し、バンドコンテスト番組「ハローヤング」でグランプリを獲得した。ちなみに、ブルースとの出会いはエルモア・ジェイムスとのこと。「ブルースに目覚めたきっかけは?」との質問に、「エルモア」と答える女性の比率は、男性のそれに比べて圧倒的に多いというのは、私の経験から間違いないと思われる。女性にもてる秘密はエルモアにあり!

閑話休題。

ビクターからのデビュー曲「おっさん何するんや」は20万枚のヒットを記録。アルバム「ヨーコ」を発表するも、「本場のブルースを歌いたい」との欲求に駆られ渡米。一時帰国の後、再びシカゴに渡り"Yoko Noge & Jazz Me Blues"を結成し、クラブでの演奏や、各地でのフェスティバルなどの幅広い活動を行っている。
と、つらつら経歴を並べ立てても無味乾燥な文章になってしまう。帰国ライブ等で、彼女の暖かく切ないステージに触れた方にはこんな文章は不要であろう。未経験の方には、3枚出ているCDを聴いていただいて、なにわ発シカゴ経由のブルーズン・ジャズに触れていただきたいと思う。
ちなみに、彼女の根性の入り方は半端では無いという噂である。「バンドのピアニストにステージをすっぽかされたから」アーウィン・ヘルファー氏(アーウィンさん、お元気ですか?)に教えを請いながらピアノをマスターしてしまったり、秘書として就職したはずの日本経済新聞社シカゴ支局で、「一から勉強して」記者の座を掴んでしまったなどの「武勇伝」は事欠かない。歌手・ピアニスト・新聞記者の顔の他に、シカゴ・アジアン・アメリカン・ジャズ・フェスティバルの中心スタッフ、シカゴ市姉妹都市委員会の大阪共同委員長を務めるなど、まさに八面六臂の大活躍である。

http://www.jazzmebluesmusic.com/

Yoko's Blues Monday Jam At Hothouse
(Jazz Me Blues 001)

Thrill Me
(Jazz Me Blues 002)

Yoko Meets John
(Jazz Me Blues 003)

Yoko and The Jazz Me Blues BandのCDは、全種類 apple Jamで取扱中!!

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(注3) Clark Dean

アーウィン・ヘルファー氏のブギ・アンサンブルのメンバーとして長年活躍。その暖かい透き通った音色は、ニューヨークタイムス紙のジャズ批評家であるジョン・ウィルソン氏をして「きらびやかに輝くダンシングライトのようだ」言わしめた。

(注4) Floyd McDaniel

1915年生まれ。1940年代から50年代にかけてフォー・ブレイジズで活躍し、インク・スポッツなどでの活動を経て、1994年に79歳でソロ・デビューを果たしたTボーン・マナーのギタリスト。その枯れた味わいは、ジャンプ/ジャイブ・ファンを驚喜させたが、翌年心臓発作のため死去。自己名義の「Let Your Hair Down !」(Delmark DE-671)「West Side Baby」(Delmark DE-706)の他、「Yoko's Blues Monday Jam at Hothouse」や、リトル・ウイリー・レフトフィールドの「The Stars Of Rhythm'n Blues」(CMA Music CM 10007)でも、彼のギター/ボーカルを楽しめる。また、フォー・ブレイジズでの録音は、「The Aristcrat Of The Blues」(MCA CHD2-9387)で、ジャンプ・ジャクソンとの録音は、「The La Salle Chicago Blues Recordings Vol.2」(Wolf 120.297 CD)で聴くことが出来る。

(注5)Steve Freund

1952年ニューヨークのブルックリン生まれ。1976年にシカゴに移り、サニーランド・スリムのバンドに参加したことによりブルース・ファンに知られるようになる。多くのセッションに参加しており、その職人肌のバックアップ振りには定評がある。自己名義の代表作は、デルマークから発売された「"C "For Chicago」(Delmark DE-734)。

(注6) オディ・ペイン Jr.の娘さん

Darlene Payne Wells。ようこさんと共に来日経験もある。オディ・ペイン唯一の自己名義アルバムや、「The Chicago All Stars」(CMA Music CM 10003)などで、その演奏を聴くことが出来る。

(注7) Tatsu Aoki

本名、青木達幸。1955年東京の四谷生まれ。
若くしてアメリカに渡り、今や全米を代表とする前衛ジャズ・ベーシストとして活躍中。フレッド・アンダーソン、ボン・フリーマン、ジョージ・フリーマン、アフィフィ・フィラード、ムワタ・ボウデン、フランシス・ウォン、ジェフ・パーカー、ハーミッド・ドレイク、ドン・モイエ、マラカイ・フェイバーズなど、共演者多数。参加アルバムは、自己名義も含め優に50枚以上にも上る。Jazz Me Bluesには、1994年から参加。

http://www.avantbass.com/

(注8) John Watson

シカゴでNo.1と言われるトロンボーン・プレーヤー。 カウント・ベイシー・バンドのソロ・トロンボニストとして全米をツアーを務めた実力者だ。1967年にはジェームス・コットン・ブルース・バンドの一員としてレコーディングに参加し、「3 Harp Boogie」 (TOMATO TOM 9905-2)で聴くことが出来る。その他にも、リトル・ミルトンのチェス・レコーデイングやL.V.ジョンソンのアルバムにも参加。現在は、シカゴのビッグバンド 「エリントン・ダイナスティ」などで活躍中。
また、ハリソン・フォード主演の「逃亡者」など、映画出演も多く、ユニークなキャラクターが人気を博している。

(注9) Sonny Seals

スタンダード・ジャズ/ブルースの実力派。ルイ・アームストロングの最後のレコーディング"What a Wonderful World"でソロをとったほか、B.B.キング、T ボーン・ウォーカー、フランク・シナトラ、アリサ・フランクリン、バーキン・ビル、タイロン・ディヴィス、シル・ジョンソンからロイ・ブキャナンなどのバックを務めるなど、その活動は多岐に渡っている。
1996年にジャズ・オルガン・プレーヤーのジミー・スミスと来日している。

(注10) Phil Thomas
 
ビリー・ホリデイを初め、数々の有名ジャズ/ブルース・ミュージシャンのバックアップを務める。ブルース・ファンには、チェスのスタジオ・ミュージシャンとして、バディ・ガイ、エッタ・ジェイムス、チャック・ベリーなどとのレコーディングで有名であろう。ソリッドなリズムと絶妙なブラッシング技術が、ミュージシャン達から高い評価を受けている。


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