最近、新しいブルース・クラブがミルウォーキー通とデイメン通とノース通の三叉路の近くに出来たと聞きました。新しいと言ってももう、2カ月位経つのでしょうが(笑)。
この辺りは、ここ5〜6年の間にすっかりシカゴでも最もホットなエリアと呼ばれるようになりました。ディスコや綺麗なレストランや何やら怪しげな人達...。何となく、ニューヨークのCBGBの辺りを思い浮かべてしまいます。回りの建物が古いせいかもしれません。以前は「おっちゃん!どこ触ってんねん!」の野毛ようこさんがレギュラーで出演していた「HOT
HOUSE」もこのエリアにありました。現在はバディ・ガイの店の近くに移転しましたが...。
どっちにしても、ぼくのようなタイプの人間には余り馴染みのないエリアです(笑)。
ローリングストーンズが、宣伝無しで出演したとかでテレビのニュースで大騒ぎした大音響のライブハウス「ダブル・ドアー」の隣に、この新しいブルース・クラブ「リザベーション・ブルース」があります。
今夜は、偶然近くを通り掛り、立ち寄ってみました。この辺りは、水曜日でもない限り車を止める場所を見つけるのが大変でしょうからね。バンドが入っているとは聞いていましたが、まだあまり宣伝もしていないようです。しかし、ドアの所まで来るとアンプを通したハモニカの音が聞こえて来ます。店の中に入ってみると、もう長い間毎週水曜に「ウィナーズ」で演奏している筈のマシュー・スコアラー(注1)さんのバンドが演奏していました。マシューさんは、水曜に「ウィナーズ」、日曜日は「ハウス・オブ・ブルース」とお決まりだったのですが、最近はこの店に鞍替えしたのでしょうか?
この店は、シカゴのブルースマン、エディ・クリアーウォーターさんの経営する店です。壁には、彼が出演したヨーロッパのフェスティバルのポスターや色々な有名ブルースマンとのスナップ写真が飾ってあります。
店内は小奇麗でこじんまりしています。立ち見を入れて100人も入れば一杯でしょう。ブルースクラブと言うよりレストランのようです。実際、キッチンもありました。何料理をだしているのかは知りませんが、リサベーションと言う位ですから、アメリカ・インディアン料理でしょうか?長いバーカウンターが魅力的です。
ぼくが、立ち寄った頃はもう11PM近かったのですが、客足は疎らでゆっくり呑むにはちょうどいい感じです。この時期のシカゴのブルース・クラブは、週末を除けば大抵こんな感じです。しかし、バディ・ガイの店だけは例外です(笑)。バディさんは、毎年1月中は、ほぼ連日自分の店で演奏していますが、25ドルのチケットが殆どソールドアウトと言うのですから大した物です。ぼくも一度、前座で出演した事がありますが、その時、サウンドマンの一人が「昨日の夜、バディが、あんまり大音量で演奏したので店のブレイカーが落ちて大騒ぎになった。それならまだ良かったのに、今度はブレイカーが壊れてしまって客に帰って貰う始末さ。演奏が続けられなかったのさ...」とこぼしていたのを覚えています。
あの日のバディさんは、4×10インチ(?)120ワット(特注)のビクトリア・アンプを6台も繋げてフルで弾いていました(笑)。アンプが、一台2500ドルとして15000ドル!しかし、いい音してました。確かに(笑)。
マシュー・スコアラーさんとは、もう10年以上の知り合いです。ビリー・ブランチさんは、ぼくの事を「ジャパニーズ・ブラザー」と呼び、マシューさんの事を「ジューイッシュ・ブラザー」と人に紹介します(笑)。ぼくにとってマシューさんは、兄貴になる訳です。
彼のバイオは、江戸川さんに任せるとして、以前は、キンゼイ・リポートやビックタイム・サラと活動していたそうです。3年位前から自分のバンドを組んで、シカゴ近辺やヨーロッパ・ツアーと精力的に活動しています。現在のシカゴ・エリアでも10本の指に入るブルース・ハモニカ・プレイヤーで、テクニックは一流と言えるでしょう。また彼は、ソングライターとしても才能があり、いろいろな人に曲を提供しています。
余談ですが、ぼくがラリーさんと録音する前に、マシューさんが彼のアルバムに参加していたのですが、どうした事かCDにはクレジットはされているものの彼の演奏はMIXの段階で消されてしまったそうです。プレイヤーに打診もせずこんな事をするなんて全くヒドイ話しです。
バンドは、ドラムにティム・オースチン(注2)。彼はシカゴのトップ・プレイヤーの一人です。エディ・クリアーウォーターやステイプル・シンガーズで活躍しています。ベースには、アル・ブラウン(注3)。彼もシカゴのトップ・ベーシストの一人でしょう。オーティス・ラッシュさんやカルロス・ジョンソンさん、そして菊田俊介さんのプロジェクトにも参加していますからご存知の方も多いかと思いますが、。
ギターは、バンドで最年少、26歳の水野ヨシユキさんです。68年の赤いギブソン335がよく似合っています。彼はジャズの影響も強いのか、バンドのウォームアップでスイングのインストを3ピースで演奏していましたが、これがなかなか印象的でした。
選曲は、殆どがマシューのオリジナルです。いつもリハーサルでもしているのでしょうか、サウンドはとてもタイトです。仕掛けもあちらこちらにあって、バンド・サウンドの完成度は4ピースにしては、かなり高いものを持っています。
しかし、何と言ってもマシューのハモニカが、物を言います(笑)。マイクは古いアスタティック。アンプは、4×10の現行フェンダー・スーパー・リバーブにデジタル・ディレイを使っています。
ぼくとそれ程変わらない小柄な彼ですが、流石に年季が違います(笑)。マシューの癖なのか、マイクを左手で持っているのですが、右手はマイクを覆う事はしないで、根元を支えているだけです。この状態のままで、殆どの曲を演奏してしまいます(笑)。
しかし、彼は片手でハモニカを吹くのが本当に上手い。ぼくには真似が出来ません。また、アンプを通さないプレイがいい感じをだしています。
シカゴのブルース・クラブのオーナーの中には「黒人」で無ければ出演させない、バンドメンバーの半分は「黒人」でないと認めないと言う保守的な考えの人がまだ多いと聞いています。そんな中で自由に演奏活動して行くのにはまだまだ時間が掛かりそうですが、この世代のハモニカ・プレイヤーが少ない今、彼のようなプレイヤーには、頑張って貰いたいものです。
江戸川スリムのお節介注釈
(注1) Matthew Skoller
誕生地や生年月日などの詳細は不明だが、少年時代はボブ・ディランやジミ・ヘンドリックス、オールマン・ブラザース・バンドなどを聴いて育ったという。
1987年にシカゴに出てきて以来、精力的な活動を続け、デイトラ・ファー、ビック・タイム・サラ、J.W. ウイリアムス、ジミー・ロジャース、ビック・ダディ・キンゼイ&キンゼイ・リポートなどと共演をする。
1992年に自身のバンドを結成し、アメリカ国内やヨーロッパなどへのツアーを行う。1996年に初の自己名義アルバムを発表し、1999年には2作目のアルバムを発表した。
アルバムはオリジナル中心で、曲の完成度の高さや、アレンジのセンスの良さに耳を奪われ、肝心のハーモニカにまで気が回らなかったが、改めて聴いてみるとさすがにシカゴでも10本の指に入ると言われるだけの巧者振りを見せている。特にサニー・ボーイIIがアイドルと言うだけあってハンド・ヴィブラートを効果的に使った生ハープの上手さには唸らされる。
現在、新たなプロジェクトを計画中とのことだが、私の問いかけにも「今は秘密」とのこと。これからも、彼の活動から目が離せない。
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The Matthew Skoller Band
Bone to Pick With You
(Tongue 'N Groove Records) |
The Matthew Skoller Band
Shoulder To The Wind
(Tongue 'N Groove Records) |
Matthew Skollerのソロ作は、apple Jamで独占販売中!
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Big Daddy Kinsey
Can't Let Go
(Blind Pig BP-73489) |
H-Bomb Ferguson
Wiggin' Out
(Earwig CD-4926) |
Harvey Mandel
Twist City
(Western Front CD-1002) |
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Bernard Allison
Keepin' The Blues Alive
(Cannonball CBD-29101 |
John Primer
Knockin' at Your Door
(Telarc CD-83456) |
Koko Taylor
Royal Blue
(Alligator ALCD-4873) |
(注2) Tim Austin
9歳の時にシカゴのリーガル劇場でジェームス・ブラウンのステージを観てから音楽に目覚めたという巨漢ドラマー。ココ・テイラー、オーティス・ラッシュ、ジョン・プライマーらとのレコーディングがある。本文中にあるようにステイプル・シンガーズとの共演の他、エディ・クリアウォーター・バンドで10年間活動をしていた。
(注3) Al Brown
ティムの良き相棒のアルについては、菊田俊介氏とのプロジェクトで有名(アルバム"Me and My Guitar"に参加)なので多くの説明は不用であろう。ティムとアルのリズム隊は、シカゴでも最強と言われることも多い。
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