「ロード・ウォーリアーズ」と言われるアメリカのブルースマン達は、皆一様に高速道路を使って移動します。アメリカの地図を広げて、サンフランシスコからシカゴまでの距離を測ってみると、なんと2148マイルとありました。西海岸からシカゴまでは、えらく遠い道のりです。ぼくもその逆コースで何度か往復した事がありますが...。往復70時間です(笑)。それを思うとシカゴからルイジアナなど15時間もあれば足りるでしょう(もう、何度往復した事か)。ニューヨークなんかたったの14時間位のものでしょう。時差が有ってもね(笑)。西へ向かうのは、時差の関係でシカゴを朝の10時に出発しても、西海岸はまだ朝の8時ですから2時間得をする訳です。しかし、西海岸からやって来るブルース・マン達は、高速道路を使って2148マイルを一睡もせずに走り続けて来るのです。それでも、ロッキー山脈で雨にも降られず、渋滞や事故にも巻き込まれず、嵐や雪にも邪魔されなければ、時速75マイルで飛ばして、休憩を入れても約32時間(30時間+時差2時間)でロードをやっつけられます(笑)。
街から街への移動中にも、ひどい時はホテルに部屋が用意されていても着替えに使うだけで、演奏を終えた夜中の2時から次の演奏場所へ移動を開始する事もあります。ぼくも演奏後の2AM、チャタヌーガ(テネシー州)からモントリオール(カナダ)まで、たった一人でハンドルを握って、黒いハイウェイと睨めっこした事もありました。バンドの連中が皆、次の日の移動場所を間違えていて酒を飲み過ぎてしまい、ぼくが一番酒に酔っていないと言う理由からでした...。
余談になりますが、西海岸から東にツアーに出るには、大まかには3つのルートが有ります。一つは、西海岸からユタ州、コロラド州、カンサス州、ミズーリ州と演奏活動して来てシカゴに入る。もう一つは、西海岸からアリゾナ州、ニューメキシコ州、テキサス州、ルイジアナ州と抜けて今度は北上しながらシカゴに入る。それからもう一つは、先ずシカゴかメンフィス辺りまで来てそれから、ニューヨーク方面を睨みながらこのセントラル・タイム・ゾーンとイースタン・タイム・ゾーンをあっちこっち移動して上の二つの内どれかのルートを使って演奏活動しながら帰る。いずれにしても、このどれかのルートを使って往復する訳です。
ウエストコースト・ブルースをぼくが最初に体験したのは、もう10年以上も前になります。ほとんど同時期に、ウィリアム・クラークさんとマーク・ハムエルさん(注1)を観ました。彼等がぼくにとっては、最初のウエストコースト・ブルース・マンでした。それまで、ぼくが観て来たどのハモニカ・プレイヤーとも、選曲、ルックス、ハモニカ・スタイルと、良い意味で異質な物に見えました。黒いサングラスにスーツを上下キチンと着こなし、靴はウィングティプのコンビ。テッペンはDubbのソフト帽。又は、ポマードか何かで固めたリーゼント。バンド・メンバーもほぼ同じ格好でした。開襟シャツや派手なハワイアン・シャツ、又は、昔のヤンキーが着ていたようなニット・シャツにズボンはボンタンの様でした。ぼくの中学生時代の格好を思い出したものです(笑)。当時彼等は、既に地元西海岸では人気者だったのかもしれませんが、中西部ツアーは、この時が最初だったと思います。恐らく、どちらも本当の意味でのロードを始めたばかりだったのでしょう、バンド・メンバーもそうでしたが、演奏は情熱的で気合が入っていました。
マークさんを初めて観たのは、Betty'sという今はもう無くなってしまったダウンタウンの西に有った店でした。偶然、ルイス・マイヤーズさんが「お前、マーク・ハムエルってハモニカ吹きを知っているか?オークランドから来ているそうだ。今夜、演奏するから遊びに来てくれって言ってきた。お前も行くかい?」と訊かれたからでした。
普段は、寂れた飲み屋と言う印象しかなかったこの店に、地元では顔見知りのハモニカ・プレイヤーやギター・プレイヤー達が、大勢顔を出していました。ルイスさんもデイブさんも店に来ていました。ぼくが、店に着いた時にはバンドはもう演奏を始ていましたが、彼等のプレイを聴いて本当に驚きました。マークさんのハモニカのトーンとテクニック(シュガーさんやビリーさんとは違う意味の)に。59年のフェンダー・ベースマンにグレーのアスタティックJT-30。その装備自体ぼくは、生まれて初めて知りましたから...(笑)。
ぼくは、ルイスさんの傍まで行って「ギター・プレイヤーとハモニカ・プレイヤーが、使っているアンプ。あの黄色いアンプは、同じように見えるのですが、何て言うアンプなのですか?」と訊きに行ったものです。するとルイスさんは、「あれは、お前、フェンダーのベースマンだよ。懐かしいアンプだよ。昔はあれにギター2本とハモニカのマイクを差し込んで使ったんだ」と教えてくれました。今では、そう言う風にこのアンプを使う人はいないでしょうが、シカゴ近辺で59年頃のベースマンをステージで使っているギター・プレイヤーやハモニカ・プレイヤーを、ぼくは未だに知りません。この夜のメンバーについては、もう思い出せませんが、以来マーク・ハムエルさんの演奏を何度も観てきました。
週末の夜に、このハルステッド通りへやって来るのは久しぶりです。小雨がパラつきはじめました。イヤな予感がします。可笑しいと笑う人もいるかと思いますが、なぜ週末のこの辺りがイヤと言うとパーキング・スペースの問題です。この辺りをぐるぐる回って車を止める場所を探す事位、面白くない事もありませんからね(笑)。
ぼくが、B.L.U.E.S.のドアを開けると、目の前にマーク・ハムエルさんが立っていました。彼は、いつもキチンとしたスーツを着ています。今夜は、スーツの色に合わせているのか、真っ白のツバの広いソフト帽に薄ピンク色?純白?のスーツ。靴は、茶と白のコンビ。それから、彼のトレード・マークとも言える色眼鏡(濃いオレンジ色)をかけています。いつだったか彼と話していて聞いたのですが、彼は、目が良くないと言っていました。
ぼくがマークさんの演奏を聴きに来たのは、デンバー(コロラド州)以来ですから、2.3年振りになります。マークさんと軽い挨拶を交わして、ヨモヤマ話をしているとお互いハモニカ吹きですから、自然と機材や音楽、ロードでの話になってしまいます。マークさんは、リトル&ビック・ウォルターはもちろんですが、ジェームス・コットンさんやJr.
ウェルズさんなどから影響を受けたそうです。まぁ一人に絞ると言うのは無理な話ですが。
フッと、彼の左手を見ると彼は、いつからか、シュガー・ブルーさんのようにワイヤレス・マイクを握っていました。それから、マークさんは、グレーのJT-30の接続ジャックに付いたボリューム・コントロールについて話だしました。ちょっと変わった形です。彼は「ジェームス・コットンのレコード・ジャケットで知った」と言っていました。今は製造されていないそうです。西海岸から来るプレイヤーは、結構いろんな物に拘っています(注2)。マークさんも今まで観てきてマイクロフォンには結構拘っているようです。しかし、アンプは、昔からあのベースマンでした。オリジナルで綺麗に使っていますから、今じゃ$3500位でしょうか?しかし、スピーカーは、オリジナルではありませんでした。
そうこうしている内に、ドアマンがアナウンスを始めました。そろそろ、演奏の始まりです。メンバーは、ギターが、ジョンさん。ギブソン350にヴィクトリア・アンプの12インチ・スピーカー一発、40ワットと言う組み合わせです。ドラムは、ドデカイ、バスドラが印象的でした。ベースはエレキでスティーブさんと呼ばれていました。マークさんのバンドも入れ替わりが激しく、いつもメンバーが変わっています。ぼく個人では、やはり、ギター・プレイヤーのアレックス・シュルツさんやラスティー・ジンさんなんかが、印象的でした。しかし、バンド・リーダーも維持して行くのは大変でしょう。バンド・メンバーにも生活がありますからね。ルイジアナ辺りに拠点が有れば別ですが(家一軒、300万円で買わないか?と訊かれました)、サン・フランシスコ、オークランド辺りのベイ・エリアなんて今のアメリカ国内でも一番、家賃や物価が高い所と聞いています。それで、貰えるお金は、超有名人でもない限りルイジアナのバンドと同じなのですから...。
マークさんは、バンドにインスト曲を2曲演奏させて、バンドのギター・プレイヤーのMCで登場となりました。まるでシュガー・ブルーさんの登場の仕方と同じ要領です。どこからか、いつの間にか、ハモニカの音が聞こえてくると言う設定になっているようです。
マークさんは、シンガー&ソング・ライターとしても才能があって、ほぼ全曲彼のオリジナル曲です。もう何度も聴いた事のある曲ばかりでしたが、曲名は覚えていません。ミディアム・テンポのシャッフルやスイング、ロックン・ロールの曲がメインです。
この夜は、彼自身やバンドさんも調子が出ないようでした。音のバランスが悪いと言うのでしょうか?しかし、マーク・ハムエルさんのハモニカには、いつもと変わらないスタイルがあります。また彼はオールマイティーなプレイヤーです(注3)。1stポジション、2ndはもちろんの事、3rdポジションを自由に吹きこなします。それから、ウエスト・コーストのプレイヤーは皆、ジョージ・スミスの影響なのか、クロマチック・ハモニカをいい感じに使いこなします。使い慣れていると言った方が良いのでしょうか?ぼくも、いつも勉強させて貰っています。
マークさんが、ステージの上から「ハモニカの音はどうだ?聴こえてるか?」とぼくに声を掛けてきました、ぼくは、「ぼくには、あなたの音なら、どんなに小さな音だったとしても、どこにいても良く聴こえてきますよ。土曜日にこんなにお客さんが観にきてくれているんだから、もっと、ボリュームを上げてみんなに聴かせてあげたらどうですか?」と答えるとマークさんは、真面目な顔をしてどこからかマイクを引っ張ってきて自分で自慢のアンプの前に据え付けていました。
どうした事か、今夜のB.L.U.E.S.は、超満員です。マークさんの持参したCDもスゴイ勢いで売れています。もう、とうに20枚は売れているでしょう。ぼくは、誰かに席を譲って今夜は退散する事にしました。一人でも多くの人に彼の演奏を楽しんで貰いたいですからね...。
江戸川スリムのお節介注釈
(注1) Mark Hummel
1955年コネチカット州ニュー・ヘヴン出身。しかし、1歳の頃には西海岸に引っ越したため、東海岸での記憶は無いという。
高校生の頃に、ブルース・ロックに目覚め、クリームやジミ・ヘンドリックスなどを聴いていたという。その後、それらのレコードに記されていたウイリー・ディクソン、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフなどの名前を辿ることによりブルースを知ることになったというが、誰もが同じ様な道のりを歩いているものである。
高校時代の同級生は、皆一様にギターを弾いていたと言うが、彼が選んだのはハーモニカ。それが自分にとって一番自然だと思ったからとのこと。
17歳で高校を卒業した彼は、L.A.からニューオリンズ、そしてミシシッピー流域を北上して、シカゴまで3年間にも及ぶヒッチハイクの旅を行った。その中で多くのブルースマンと出会い、プレイをしたという。
旅から帰った彼は、ベイエリアに居を構え、サンフランシスコ、オークランド、L.A.のブルースマンと演奏を続けながら多くのものを吸収していった。その中には、チャーリー・マッセルホワイト、ルーサー・タッカー、ジョン・リー・フッカー、ジミー・マクラクリン、ジョニー・フラー、ブギー・ジェーク、ジョージ・スミスなど数え切れないほどの素晴らしいミュージシャンがいたという。マディやリトル・ウォルターなどのシカゴ・ブルースマンに憧れながらも、西海岸で吸収したスウィングしたジャージーなサウンドが、その後の彼のスタイルを決定づけた。
1980年に「ブルース・サヴァイヴァース」を結成。1985年に1stアルバムを発表する。自ら語るように「シカゴ・ブルースにロカビリーやジャズのエッセンスを加えた」サウンドは、正に西海岸の典型的なサウンドだ。1987年に2ndアルバムを発表(その2枚を2in1したのが「Harmonica
Party」である。更に付け加えると、最近Mountain Topから出た同名盤は、重複曲があるものの内容はかなり異なる。)した後に、今日まで計7枚のアルバムを発表している。
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Harmonica Party
(Double Trouble DTCD-3021) |
Hard Lovin 1990s'
(Double Trouble DTCD-3029) |
Feel Like Rockin'
(Flying Fish FF-70634) |
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Married to the Blues
(Flying Fish FF-70647) |
Heart of Chicago
(Tone Cool TC-1158) |
Low Down to Uptown
(Tone Cool TC-1169) |
Official
Mark Hummel web site
バイオからハーモニカ奏法まで、興味深い話が満載のインタビュー
(注2) 西海岸のプレイヤーは、機材に拘る?
オハイオ在住の単身赴任さん発、厚木ファッツさん経由で見せてもらったロッド・ピアッツァのビデオには、「これでもか!」というほどの機材自慢が映されていた。彼らはこの手の話を始めたら、きっと止まらなくなるのだろう。
(注3) オールマイティーなプレイヤー
彼自身が「3rdポジションでは、ジョージ・スミスに最も影響を受けた」と話している。特に彼の"Telephone
Blues"には衝撃を受けたとのこと。
ちなみにマークは、5thポジションまでプレイできると言っているが、チャーリー・マッセルホワイトは15のポジションをプレイすることが出来るという!!
一体どうなっているのだろうか...。
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