Little Smokey Smothers

(2000年12月17日記)


" E like a egg ! "(注1)
リトル・スモーキー・スマザース(注2)の掛け声で「エブリシング・ビー・オール・ライト」が始まりました。時間は10時半。外の気温は−10度になっています。2日前に降った雪が凍りついて、膝の高さ程あります。本当に寒い夜です。

今日16日は、バディ・ガイズでMy Brotherのキム・ウィルソンが出演するということなので様子を見に行ってみました。この時期キムさんは、西海岸から一人でやってきてシカゴでメンバーを集めます。今夜のバンドは、ギターにビリー・フリンとニック・モス、ドラムにケニー・スミスです。ベースの名前は分かりませんでした。それにしても、ちょっと珍しい組み合わせですね。
さてお店に入ろうと思ったら、既に大入り満員!キムさんのライブでこれほど入ったのは初めて見ました。ケニーなどは、あまりの人の多さに疲れ果ててドアにもたれ掛かっている始末です。ぼくは店に入るのを諦めて、1804 W. Divisionにある"スモーク・ダディ"でやっているリトル・スモーキー・スマザースのライブに向かうことにしました。

今夜は土曜日ですが、スモーク・ダディの客足はまばらでした。ぼくにとってこの店はとても居心地のいい店です。今はもう閉店してしまった"B.L.U.E.S. etc"の日曜日を思い出させてくれます。そこでは、毎週日曜日にビリー・ブランチが入っていて、ぼくはよくハモニカを吹きに行ったものです。そんな「気軽」な雰囲気が感じられる良いお店です。

さて、肝心のリトル・スモーキーのライブです。彼はギターもいいのですが、歌が実にいい!プレイする曲は「ラスト・ナイト」「モジョ・ワーキン」といった、ダウンホームなものが主ですが、オリジナルを意識する事もなく自己流でゆったりと聴かせます。それにスクイーズするギターが被さり何とも言えない格好良さです。随分前に亡くなった兄貴のビック・スモーキーは、大男で音楽スタイルも昔ながらでしたが、リトルの方は、モダンなスタイルのプレイをします。
「お前らは若い。飲みたけりゃいくらでも飲めるし、やりたい事が有れば何でも出来る。しかし、オレみたいに60歳を超えると...。」などと言っていますが、彼の歌声は年齢を全く感じさせません。

このミシシッピー生まれの60歳を過ぎたブルースマンは、15歳の時すでにハウリン・ウルフ・バンドでリードギターを務めていました。60年代にはマディやアール・フッカー、バディ・ガイ、ジュニア ウェルズなどと活動をし、あのポール・バターフィールド・ブルース・バンドのオリジナルメンバーでもありました。
しかし、6人の子供を養っていかねばならないという事情もあり、次第に音楽ビジネスから遠ざかり、70年代には完全に引退してトラックドライバーをしながら生計を立てていました。
そんな彼も、70年代後半から徐々に活動を再開し、5年前位からはアメリカ、ヨーロッパのフェスティバル等で精力的に活動をするようになりました。

バンドは4ピース。ベースにご存知ボブ・ストロージャー、ドラムにマイク・シュエックです。彼は、バスドラとスネア、ハイハットと二枚のシンバルだけで一晩やっていました。普段は、ジャズをプレイしていると言う事でしたが、こういう軽い感じのシャッフルもいいと思いました。バックビートばかりキツイのもいいのですが、こういったスムースな感じもいいものです。

そして鍵盤は、マーク・ナフタリンです。ポール・バターフィールド・バンドのオリジナル・キーボード・プレイヤーとして有名なあの人です。出身はミネソタですが、大学時代にシカゴに来て、ポールやエルビン・ビショップ、マイク・ブルームフィールドらと共にホワイトブルースのブームを築いた一人です。
現在は西海岸に住み、フェスティバルやラジオのブルース番組をプロデュースしたり、自身のレコード・レーベル(注3)のプロデューサー兼プレイヤーを務めています。
彼のプロジェクト「ブルーマンデイ・パーティー」では、パーシー・メイフィールド、ロウエル・フルソン、ジョン・リー・フッカー、フランシス・クレイ、ルーサー・タッカーなどが出演しています。セッション・プレイヤーとしては、オーティス・ラッシュ、アルバート・キング、アルバート・コリンズ、ビッグ・ジョー・ターナー、ビッグ・ママ・ソーントン、エッタ・ジェームス、バディ・ガイ、バン・モリソンなど、書き始めるとキリがありません。

今夜のリトル・スモーキーは、いつもとは少し違った「ゆるめ」のブルースをプレイしていました。しかし、素晴らしいプレイにも関わらずお客さんは疎らで、顔なじみも有名プロデューサーのディック・シャーマンさん位しかいませんでした。
知名度で言えば、マーク・ナフタリンの方が上になるかと思いますが、その彼がサポートしていてもこの様な状況です。
「ポール・バターフィールド・バンドの誰々!」と言えば、世界的にも知名度は高い訳ですが、ぼくの印象では、ポールバター関連のプレイヤーは、現在のアメリカ人ブルースプレイヤーには、受けが悪いように思います。
「何故なのか?」と訊かれても困るのですがね...。


江戸川スリムのお節介注釈

(注1)"E like a egg ! "
次の曲のキーをバンドに伝えるときにこの様に言う。「ドはドーナツのド」の様なもの。"E like a Earth !"でもいいし、"C like a Cat !"でもいい。これから日本でも流行るか!?

(注2)Little Smokey Smothers
1939年1月2日にミシッシッピー州チュラーに生まれる。1950年代にシカゴに移住し多くのブルースマンとの共演を果たす。中でも有名なのがハウリン・ウルフとのもので、"Mr. Airplane Man"でのヒューバートとの絡みは名演として語り継がれている。
1960年代中期には、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのオリジナル・メンバーとして参加。レコード・デビュー前にバンドを辞めたが、当時のライブ録音が「I BluesKvarter Vol.2」で聴くことが出来る。
その後、音楽活動から遠ざかるが、1970年代の後半にジム・オニールらのサポートにより復帰を決意。ルースターの「Chicago Blues Summit」が復帰第一作となる。それ以降クラブでのギグや、いくつかのレコーディングに参加するが、1993年にブラック・マジックから初リーダー・アルバムを発表。サポートしたのは、ディック・シャーマンとエルヴィン・ビショップであった。今日までに3枚のアルバムを発表し、フェスティバルを中心に活動を続け、1998年には初来日も果たしている。

Boss Man
(P-VINE PCD-2496)

Second Time Around
(Crosscut CCD-11051)

That's My Partner !
(Alligator ALCD-4874)

V.A.
I BluesKvarter

(Jefferson SBACD-12655/6)

V.A.
Chicago Blues Summit
(P-VINE PCD-1850)

V.A.
American Blues Legends 79

(Big Bear LP BEAR-23)

Legendary Blues Band
Woke Up With The Blues

(Ichiban ICH-1039)

Lee Shot Williams
Cold Shot

(Black Magic CD-9029)

Lazy Poker Blues Band
Halsted Sessions

(Herman's HE-011-2)

(注3)マーク・ナフタリンのレーベル。
411-WINNERを参照。


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