まさに青天の霹靂。
私がこのBlueSlimを始めた頃から、いや、インターネットでブルースの話しを同好の士と気軽に情報交換できるようになってから「カルロス・ジョンソンは凄い!ぜひ日本に呼ぼう!」と事ある毎に呼びかけてきた。
その後、シカゴ帰りのブルース・ファン/ミュージシャンから「シカゴではカルロスが凄い」と口コミで噂が広がり、徐々にその存在が知られるようになってきた。
2002年に、P-ヴァイン・レコーズが、独自にプロデュース/制作をして、世界に売り出すという「新録ブルース企画」を発表し、その人選について広く読者から募集するという告知がなされた。
私は早速この企画に飛びつき、カルロス・ジョンソンを推薦させていただいた。私の他に数人の方からも推薦があり、本格的にプロジェクトがスタートした。
そして2004年。遂に、ビリー・ブランチとの双頭アルバムである Billy Branch and Carlos Johnson
「Don't Mess with the Bluesmen」(P-VINE PCD-25020) が発売された。
雑誌のレビューでもインターネット上でも好評を博したこのアルバム。その勢いに乗って、来年(2005年)辺りには、念願の再来日も実現するかと期待をしていた。
そんな折り、「ジャパン・ブルース・カーニバル 2004」に出演するオーティス・ラッシュ・バンドにカルロスが同行するという話しが飛び込んできた。
いやー、驚いたのなんの。
さらに私を驚かせたのは、実はオーティスが脳梗塞で倒れギターが弾けない状態になってしまい、そのサポートとしてカルロスが同行するという情報だった。
嬉しいけど、ちょっと複雑。
オーティスの状態は大丈夫だろうか?
数々の「奇行」で有名なカルロスが、本当に飛行機に乗るのか?
話を聞いてから、ヤキモキする毎日であった。
2004年5月20日
既に大阪と名古屋公演は終了し、オーティスへの暖かい声援と、献身的なカルロスのサポート振りがインターネットを通じて伝わって来ていた。
明日から東京 (川崎) 公演が始まるという木曜日。シカゴ在住の知人を通じてカルロスが宿泊するホテルに電話をして欲しいというメールが飛び込んできた。
わたし自身はカルロスの応援をしてきたけど、彼とゆっくり話したことは一度もない。ビリー・ブランチやカール・ウエザーズビーは、既に知り合いだったので日本での再会を来日前から約束していたが、カルロスが電話を欲しいとは一体どういうことなのか?
約束の時間に電話をしたが不在だった。仕方がないのでホテルまで出掛けることにした。
ロビーから電話をすると、部屋でウトウトしていた様だがすぐに降りていくとのこと。
しばらくすると、足の悪いカルロスがピョコピョコと歩いてきた。
「ハイ、カルロス。江戸川スリムだよ」
「おー!スリム!お前の話はシカゴで聞いていたよ。えーと、前に会ったことあったっけ?」
「う〜ん、10年ぐらい前かな?シカゴで会ったよ。それとヴァレリー・ウエリントンの来日公演も観たよ」
彼は、1989年のヴァレリー・ウエリントン来日公演にギタリストとして参加していたのだ。
立ち話もなんだと言うことで、ロビーのカフェ・レストランに入ることにする。
ビールを飲みながら、しばし歓談。後ろの席にはメイヴィスとイヴォンヌのステイプルズ姉妹が座っている。
カルロスは、うちの娘がいたく気に入ったご様子。私などそっちのけで娘にじゃれつく。
あんよコチョコチョ
ビリー・ブランチからの伝言を伝える。
「カルロスに会ったら、"Hey, Mudbutt ! " と伝えてくれと言われたよ」
「WOW ! オレの一番嫌いな綽名だ!あのヤロー殺してやる!」
ミーハー丸出しで、最新CDにサインをしてもらう。
すると、タイトルのDon't Mess with the Bluesmenの「Bluesmen」を「Bluesman」に書き直された。
men が良いとするビリーに対し、man の方が響きが良いと主張したという。
「men !」
「man !」
「men ! !」
「man ! !」
「men ! ! !」
「man ! ! !」
「men ! ! ! !」
「Kill you ! ! ! !」
顔は笑っている。
本当に仲が良いから、ケンカもできる。
Don't Mess with the BluesMAN
「近いうちに日本で会える予感はしていたけど、こんなにも早く実現するとは思わなかったよ。でもちょっぴり複雑な心境だね」
「オーティスから誘われた時、オレは二つ返事で受けたよ。ギャラのことなんて関係ない。例え1ドルであってもオレは彼のために最善の努力をしようと思ったよ」
彼はそっと涙をぬぐった。
「それからは寝ても覚めてもオーティスのことばかり考えていた。指は10本しかないだろ?ギターの弦は6本だけだ。だけど、どうしても彼のトーンが出せないんだよ。凄いプレッシャーさ」
そう言えば、来日前にシカゴの知人に「オーティスのリードを弾くのはすごいプレッシャーだけど、自分がオーティスと同じ立場だったら、いったん引き受けたものは、無理をしてでも行きたいと思うだろう。だから、全力でオーティスをサポートしたい。ギタリストとして、これ以上の名誉があるか。もう、今はオーティスの事しか考えられない」と洩らしていたという。
「あの」カルロスをしても、オーティスから湧き出るブルース・フィーリングには敵わないと感じているようだ。
そしてオーティスに対するリスペクトがヒシヒシと伝わってくる。
「ヘイ、カルロス。なぜあなたは有名になろうとしないんだい?」
「フ〜ム・・・、有名になって自分の中から湧き出るパッションを失いたくないんだ。神がオレに授けてくれた贈り物は有名になるためのものではない。有名になるチャンスと
Love が目の前に同時に与えられた時、オレは必ず Love を選ぶよ」
Love とは一人の女性のことを指す場合もあるし、他のことを指す場合もあると感じた。
その後、ブルース・アンド・ソウル・レコーズ誌のインタビューを受る。
終了後、ダラダラと話し込んでいたら夕方になっていた。
ビールを1本しか飲んでなかったので、どこか場所を変えて飲み直そうと誘う。
外に出て歩き出すと、雨が降ってきた。
傘を差し出したが「オレは雨に濡れて歩くのが好きなのさ」と無邪気な笑顔を浮かべ、子供の様に嬉しそうに歩き続ける。
しばらく歩くと居酒屋を見つけた。「焼き鳥」の提灯に誘われて店に入る。
「ジャパニーズ・ジャンクフードの店だよ」
「イエー、いい感じだ」
彼は、音楽同様に食に関しても貪欲だった。なんでも食べられるという。
カシラ、ハツ、ナンコツ、ツクネ、レバー、シロを焼いてもらい、冷酒を頼んだ。
「ビリーは、和食をあまり食べようとしないんだよ。いつでもハンバーガーかピザだったよ」
「信じられん ・・・、その国の食べ物を喰わないなんて勿体ないじゃないか」
ナンコツおいしい
そんな彼も、タコだけは遠慮しておくという。
「一昨年にビリーが大阪に来た時に、ミノル (The SOBsのギタリスト丸山実さん) がたこ焼きを買ってきたんだ。中身を教えずにビリーに勧めたら食べたんだよ。で、ビリーに『美味いか?』って訊いたら、『まあまあ』という。『これは何だ?』って言うから『オクトパスだよ』と答えたら、目を白黒させていたよ」
「がはははは!ビリーに言ってやろう!」
その後、話は昔話へと移っていく。
「1972年か73年頃だったかなぁ。オレはボニー・リーと一緒にジャズをやっていたんだよ。でも全然金にならなかった。そんな時に誰かが『ブルースは金になるぜ』って言うんだ。オレとボニーはさっさとブルースに鞍替えしたよ」
「色々な人と演奏したなぁ。オーティス、バディ・ガイ、ジュニア・ウェルズ・・・。そうそう、ゾラ・ヤングとやってた時には・・・」
「あなたのガールフレンドだったんだろ?」
私はジョークのつもりで横やりを入れた。
すると彼は、目は真ん丸にし、言葉を失う。
「あー、えーと、ある時○×と・・・」
「彼女もガールフレンドだったんだろ?」
「・・・・お前は何でも知ってるなぁ・・・・」
シカゴのブルース・ウーマンのほとんどは、彼のガールフレンドだったのではないだろうか。
「×△と付き合っていた時に、ドアをノックするヤツがいた。オレはドア越しに『誰だ?』と訊いたら、なんと◇×が訊ねて来やがったんだ。『今はダメだ』と追い払ったら、今度はビリーの野郎を一緒に連れて来やがったんだ。またドアをノックするので『誰だ?』と訊くと『ビリーだ』と言う。『ビリーか?OK』とドアを開けた瞬間に◇×が飛び込んできて×△と乱闘騒ぎさ。警察は来るし、大変な騒ぎになったぜ」
身振り手振りを交え、ゲラゲラ笑いながら話すカルロス。こちらも腹の皮がよじれるほど笑った。
「でもさ、あなたはもっと有名になるべきだよ。あなたのような素晴らしいプレイヤーが今まで有名にならなかったなんて信じられないよ」
「オレが金に困ってない時に限って電話が鳴るんだ。『実はツアーの話なんですけど』『No, 間に合ってる』」
「それで、こっちがその気になっている時に限って誰も電話を掛けてこない。掛かってくるのはセールスの電話ばかりさ」
う〜ん、昼間の話と微妙に違うけど、どちらも真実なんだろうなあ。
よく話し、良く笑うカルロス。ここには書けない際どい話もいっぱい出てくる。
こうして夜は更けていくのであった。
酔ってま〜す (一部モザイク処理をしています)
2004年5月22日
昨日の川崎公演は仕事のため行けなかった。
いよいよ久しぶりにカルロスの生演奏を聴くことができる。
バンドのインストでスタートし、ドラムの B.J. がカルロスをコールする。
観客もカルロスの登場を心待ちにしているようだ。拍手が一段と大きくなる。
「あっ!こけた!」
ギターを弾きながら舞台の袖から登場し、一番クールに決めなくてはいけないところで、彼はつまずいた。
それでも、彼のギターは聴衆を圧倒した。
片足を上げ、腰を曲げてギターをスクウィーズするいつもの奏法。
カルロスの親友である Goさかい氏が表現した「命を削ってスクウィーズする」という言葉がピッタリの凄まじいプレイだ。
カルロスが歌う "Don't Ever Leave Me" が終わり、いよいよオーティス・ラッシュの登場。
マサキさんが手をしっかり握り、ゆっくりと舞台中央に向かう。
実は、バッシングを受けるのではないかと少々心配をしていたのだが、大きな暖かい拍手で迎えられた。
バンドの演奏をバックに、日本のファンに挨拶するオーティス。涙腺が弛んできたところで、"All Your Love"
が始まる。
「All the love I miss loving, all the kiss I miss kissing」
涙が止まらない。
シャウトができなくても、なお溢れ出るブルース・フィーリング。
話す言葉より、歌の時の方が明瞭なのには驚かされる。
僅か3歳の娘も泣いていたのには驚いた。状況も言葉も判らなくても、魂を揺さぶられるブルースを感じ取ったのだろうか。
それにしても、今日のカルロス。自分本来のスタイルを極力抑え、オーティスのスタイルに徹した演奏を繰り広げている。
二ヶ月間、オーティスのことばかり考えていたと言うだけあり、見事に彼の代役を務めている。
オーティスに、そしてカルロスの献身ぶりに泣かされた一夜であった。
2004年5月23日
日本酒が好きだというカルロスに「日高見 純米大吟醸」を渡す約束をしていたので、午後にホテルへ向かう。
カルロスの大ファンの若手ギタリスト北川さんを誘い、ロビーで落ち合う。
電話をしたが、まだ寝ていた様子。酒を渡すだけなので「もう少し寝てろ」と言い渡し、ロビーで待つことにする。
実は今日はもう一つの目的があった。
ウチの奥さんは、アクセサリーを作る。
昨日のステージを観て、自分にも何か出来ることはないのかと思案し、オーティスには彼の症状に相応しいと思われるパワーストーンを使ってブレスレットを、同様にマサキさんには極度の消耗とストレスを緩和す
るイヤリングを作った。
石同士の相性を調べたり、石の力をチャージするため、小雨が止んだ僅かな合間に月光浴をさせていたらほとんど徹夜になっちゃった、そうだ。
私は熟睡していて全く気がつかなかったが。
すると、目の前をマサキさんが横切った。
「すみません、マサキさん。江戸川スリムと言うものですが、ちょっとお時間をいただけませんか?」
「ああ、お名前は存じ上げてましたよ。どうぞどうぞ、お茶でも飲みましょうか?」
なんという幸運!
さっそく喫茶店に入りお話しをさせていただくことにする。
ドラムの B.J. も一緒だ。
奥さんがブレスレットとイヤリングを渡す。
「どうもありがとう!さっそく今晩のステージで付けさせるわ」
緊張する私達を前に、マサキさんは色々と話をしてくださった。
「本当はキャンセルも考えたけど、日本のファンの皆さんが待っているので、他を全てキャンセルしてリハビリをしてきたのよ」
「お医者さんの説明だと、脳梗塞はごく軽いものだと言うことですよ。リハビリをすれば必ず治るって」
「M&Iの方が気を使って、ステージに向かうのに3,4人もの人が支えてくれるんだけど、やめてくれって言ったのよ。お心遣いは嬉しいけど、観ている皆さんが『そんなに悪いのか!』って思っちゃうといけないから」
どうやら、思っていたほど病状は深刻ではないらしい。
近いうちに、また元気な姿を見せてくれるだろうと確信した。
「今日は 5時に出発だけど、4時45分にオーティスをロビーに降ろすわ。少しお話しして上げてください」
うわー!
オーティスに会える!!
ありがとうマサキさん!!!
北川さんも感激している様子だ。
こんなチャンスは滅多にないので、Goさかい氏を呼びだし、ちょうど起きてきたカルロスと合流してジョナサンでビールを飲みながら時間を潰す。
北川さんがCDにサインを貰っている。men を man に書き直したかどうかは見損なった。
Goさかい氏が「ジロキチの壁にあなたのサインがしてあるね」と言ったので思いだした。
1994年にビリー・ブランチが来日した時に、彼をジロキチに連れて行った。
そこでカルロスのサインを発見したビリーは、なんと "Mudbutt" とイタズラ書きをしたのだ。
そのことをカルロスに話すと、「殺してやる! 」と鼻の穴を拡げていた。
ジロキチに行く機会がある方はご確認の程を。ステージ上の梁のところに書いてあります。
そして、4時45分。
ロビーに向かうと、既にオーティスが待っていてくれた。時間にルーズなブルースマンが多い中、彼は時間前に待ち合わせの場所に来てくれていたのだ。
にっこり笑って大きな手を差し出してくれる。
私の手を握りしめて「サンキュー、サンキュー」と何度も言ってくれる。
涙が出てきた。
「私は大丈夫だよ。だから泣くな」
嗚呼、オーティスさん。
逆に私のことを気遣ってくれるなんて. . . . .
感無量で何も言うことができなかった。
ブレスレットとイヤリングを付けてくださった、オーティスさんとマサキさん
至福の一時
出発するオーティス・バンドを見送り、私達も野音へと向かうことにする。
午後6時30分。時間通りにステージが始まる。
ステージ進行は昨日と同じ。バンドのインストで始まり、カルロスが登場する。
おや?今日のカルロスは昨日と違うぞ。
昨日も素晴らしい演奏を聴かせてくれたが、今日は最終日と言うこともあってか、一層と気合いの入ったプレイだ。
そしてオーティスが登場。
「Everybody say YEAH !」
うわ〜、鳥肌が立った!
ハッキリと「あの」声で観客に呼びかけているではないか!
そして、"All Your Love" 。
昨日よりも声が出ている。
マサキさんもガッツポーズで応えている。
ずっと付き添ってきた方の話だと、日を追う毎に調子が上向いていると感じたそうだ。
カルロスも、昨日よりずっと自分のカラーを出していた。
敬愛するオーティスに最大限のリスペクトを込めながら、自分の感情に赴くままギターを弾きまくる。
本当に凄まじいステージだった。
終了後、急いでホテルへと向かう。
実はマサキさんから、バンドの打ち上げに一緒に来ないかと誘われたのだ。
一休みするというオーティスをホテルに残し、4台のタクシーに分乗して打ち上げ会場へと向かう。
場所は、オーティスのファン・サイトを運営している S.Layla.S さんのご主人が経営するクラブ。
BGMに「Don't Mess with the Bluesmen」が流れているというニクい演出だ。
カルロスは、周りの人に「ギターは良いけど、ハーモニカはひどい」と悪態をついている。
仲が良いのはいいが、変な誤解を与えないか心配になる。
私の前には、ドラムの B.J. が 座った。
「キングストン・マインズに怖いセキュリティが居るの知ってるかい?」
「・・・・?」
B.J. は、演奏をしていない時は、シカゴのブルース・クラブのキングストン・マインズでセキュリティとして働いているのだ。
「だから、キングストン・マインズの怖いセキュリティのことを知ってるか?って訊いてるんだよ」
「それ、オレのことか?」
「あはは!そうだよ!毎晩通ったのに、いつも怖い顔をして『アイディ〜 ( IDカードを見せろ ) 』と言ってたじゃないか!」
「オー、マイ!」
よほど受けたのか、いつまでもその事で笑っている。
「この次お前が来た時には、笑顔で『アイディ〜』って言ってやるよ」とまた笑い出す。
来年の春にシカゴに行くという北川さんは、盛んに自分を売り込んでいる。
その甲斐あって、なんと彼はキングストン・マインズのVIPカードを貰っていた。
これで入店の際に、いちいちパスポートを見せる必要はないだろう。
ふとカルロスを見ると、ソファーに座って船を漕いでいる。
今回、カルロスは焼鳥屋で日本酒を飲んだ以外は、ほとんど酒を飲まなかった。
あんなにヘビー・スモーカーだったのに煙草もやめたようだ。
今日も、ほんの一口のビールしか飲んでいない。
「Don't Mess with the Bluesmen」が発売されたし、近日中にはソロ・アルバムも発売される。ヨーロッパ・ツアーも決まっているし、今年が勝負の年と考え体調を整えているのだろうか。
「ヘイ、カルロス。そろそろ帰ろうか?ホテルまで送っていくよ」
まだまだ盛り上がっているメンバーを後にして、一足先に辞退させていただいた。
ホテルに帰ったら、なんとそこにオーティスとマサキさんが居た。
これから打ち上げ会場に向かわれるとのこと。
5分違っていたら行き違いになっていただろう。
これでお別れと言う時に、楽しい時間を過ごさせてくれた3人一緒にご挨拶ができるなんてなんという偶然!
オーティス、ありがとう。
カルロス、ありがとう。
心の奥底から湧き出てくるブルース・フィーリングで、私達をノックアウトしてくれた二人。
プロのショーマン・シップを見せつけてくれた二人。
そんな二人をしっかりとサポートしてくれたバンドの連中。
オーティスを陰で支え、初対面の私達にも色々気を使ってくださったマサキさん。
そして、19年間もブルース・カーニバルを続け、日本のブルースファンに喜びを与え続けてくれる M&I のスタッフの皆さん。
本当にありがとう!
Special Thanks to ; Mr. Carlos Johnson, Mr. Otis
Rush, Ms. Masaki Rush and M&I Company.
(2004年5月25日記)
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