James Cotton

(2000年12月25日記)


James Cotton & Noel Neal


ジェームス・コットンというハモニカ・プレイヤーを最初に知ったのは、マディ・ウォーターズの「ライブ・アット・ニューポート」というアルバムだったと思います。
マディのバックに、目が痛くなりそうな青空の広がるレコード・ジャケットが、とても印象的でした。
吉村さん(注1)に勧められるままにレコードを買っていた頃ですから、もう14年も経ったわけです(笑)。

当時、ハウリン・ウルフ、ジュニア・ウェルズ、リトル・ウォルター、ビッグ・ウォルターとフロントに立つプレイヤーを聴いてきて、初めてバックメンバーとしてのフルタイム・ハモニカ・プレイヤーが存在する事を知りました。
レコードは、ライブ録音ということもあり、マディもバンドも今まで聴いたどの録音よりもナマナマしいと思ったものです。当時のぼくは、ハモニカ・プレイヤーを聴くのが精一杯で「どうしてバンドの音がこんな感じになるのか?」といつも疑問に思っていました。
特に、このジェームス・コットンのハモニカの音と来たら!何と言えばいいのでしょうか。しょせん音色について語る事は不可能な事なのかもしれませんが、ぼくでは未熟すぎて説明が不可能です。

そのコットンを最初に観たのは、89年の大晦日のこと。シカゴ・カブスの球場の角向いにある、"Cubby Bear"という大きなスポーツバーでした。ここは、ぼくにとってそれほど馴染のある場所ではありませんが、ブッカーT & MGsやチャック・ベリー、WARなどをここで観ました。その日は、もちろん超満員で息をするのも大変な位の騒ぎでした。
 余談ですが、SEX PISTOLSのジョニー・ロットン(ライドン)のPILを観に行った時は、息をするのも命がけでしたが....(笑)。

バンドは、ドラムにレイ・アリソン。今はバディ・ガイのバンドも辞めて、ギターに転向したと聞いています(注2)。ベースにノエール・ニール。ご存知とは思いますが、ルイジアナのバトンルージュ出身の彼は、レイフル・ニールという有名なハモニカ・プレイヤーの息子さんの一人です。彼の兄弟は8人位いるのではないでしょうか?
ここの兄弟は、皆ミュージシャンです。一番有名なのがケニー・ニールですね。ノエールとダニエルがベース。ケニーとリトル・レイとタイリンがギター。ドラムにラリー。キーボードが...、忘れました。それに、女兄弟が、まだいます。いつも、バトンルージュでここの兄弟達に紹介されるのですが、あまりに多くてぼくには覚えられません(笑)。彼らについて書き出すと逸れてしまいますのでまた今度。
ギターにリコ・マクファラン、キーボードがトニーZだったと思います。
1曲目は、ロケット88。ぼくは、期待一杯で見ていたのですが、ハプニングが起こりました。2曲目の途中でコットンは、PAマイクをステージに投げ出して帰ってしまったのです(笑)。どうもモニターが壊れていたようで「自分の声やハモニカの音が聞えない」と怒っていた様子でした。
で、それっきり。いつまで待っても演奏が始まる様子もありません。客はブツブツ言い出しましたが、やっぱりそれっきりでした。ぼくは、シカゴのブルースマンの気性の荒さを思い知った気がしました。
それ以来、ぼくは彼の演奏を2度ほど観に行きました。何と言ってもあの音を出せる人は、まだ他に観た事がありませんからね。

実は、10日程前にバディ・ガイの店に来ていたようですが、今回はパス。多分、ギターにリコかリトル・レイで、ベースはノエールかな?最近はドラムを入れず、代わりに歌手を入れてアコースティックみたいな感じで演奏していると聞いています。ぼくは観ていませんが、評判はとてもいいです。
3年前に観た時は、もうほとんど声が出ていませんでした、チェッカーボードラウンジで話しかけたのですが、返って来る言葉が聞き取れませんでしたから。現在は、シカゴを離れ、メンフィスに住んでいると聞いています。

今度は、ゆっくり観に行きたいものです。コットンが、マディ・バンドのフルタイム・ハモニカ・プレイヤーだった頃に、彼がプレイしたバッキングでのアプローチからソロまで、現在のエレクトリックバンドブルースでは、ハモニカ・プレイヤーの基本となっています。
ぼくは思います。彼がブルース・ハモニカ・プレイヤーのバッキングの基本を作った様に、歌は歌えなくなったとしても、これからがハモニカ・プレイヤーとしての本領を発揮する時なのかもしれません。

最後に、ドラマーのサム・レイとウィスコンシンに演奏に出かけた折、彼が車を運転しながらぼくにこう言いました。

「お前は、ハモニカのジェームス・コットンを知っているだろ?あいつは、ハモニカだけじゃないんだ。もし、俺がドラムを叩いているところにあいつがやって来て「ドラムを叩かせてくれないか?」なんて言われたら、俺はステージを降りてそのまま自分の家に帰りたくなるぐらい良いドラマーなんだ。俺が観たドラマーの中じゃ、あいつが一番良かったぜ!お前もいいタイムをしているが、あいつにゃまだまだ敵うまい」

もうひとつ、ビリー・ブランチから聞いたのですが、コットンがサニー・ボーイにつきまとってハモニカを習っていた頃、最後のセットには決まって酔っ払うサニー・ボーイの代わりにコットンが代役を務めていたそうです。
彼は、サニー・ボーイからハモニカを習っていたのですが、少しでも間違ったり愚痴をこぼしたりすると容赦なくサニーの平手が飛んできて、コットンのハモニカが床に何度も転がり落ちる程だったそうです。それを思うと、現代は楽器をやりたければ音楽学校やサークルも有り、先生が嫌ならいつでも辞められる...。ある意味で先生より生徒さんの方が、偉いと言うか(笑)。新聞なんかでご存知とは思いますが。

ぼくは、いい時代にシカゴへやって来たものです(笑)。


江戸川スリムのお節介注釈

(注1)吉村さん
大阪のミナミにあった「吉村レコード」」の店主。
日本にブルース黎明期から多くのレコードを紹介していた。いまでもお元気なんでしょうか?

(注2)レイ・アリスンがギターに転向
シカゴからの最新情報によると、Killer Ray & the Killer Playersというバンドを率いて、サウスサイドを中心に活動しているという。
レイ・アリスンのギターは、荒っぽいところがあるものの、勢いがありなかなか良いとのこと。ちょっと聴いてみたい気もする。

今回は、あまり出る幕がありませんでした。(江戸川スリム)


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