Eddie C. Campbell

(2001年2月5日記)


シカゴでは、「READER」と言う情報紙が、週に一度、金曜日に出ます。前はわざわざ取りに出かけたものですが、最近では、ぼくもコンピューターなどを使うようになりましたので、そんな手間も要らなくなりました。ぼくがコンピューターの前に座っていると、それを見てよく笑う人もいますが、それも時代と言うものなのです(笑)。
いつもの調子でブルースのセクションを覗いていると、ハルステッド通にある「BLUES」と言うブルースクラブの出演者リストに最近では珍しい名前を見つけました。

ヨーロッパなどに行くと「誰々は、演奏しているのか?どうしているか?」と近況や何かを良く聞かれる事がありました。そんな話題の中によく出て来たのが、これから紹介する、エディ C. キャンベルさん(注1)と言う人です。日本ではあまり馴染みのない人とは思いますが、どうなのでしょう?ぼくは、何年か前にシカゴ・ブルース・フェスのメイン・ステージに出演しているのを観ました、恐らく、オーティス・ラッシュさんやルーサー・アリソンさん達とフェスの終わりにJAMしていたと思うのですが....。

その年、メイン・ステージ(ペトリロ)の出演者は、シカゴ・ウエストサイド出身ブルースマンの総出でした。エディ C. キャンベルさんは、自分のショーの中で電源を入れたままのエレクトリック・ギターの弦を、自分でわざと切って、そのギターをステージの自分の足元に置き、だらしなく伸びた弦を足で踏みつけておかしなギター・ソロ?を演奏していました(笑)。何と説明して良いのか?説明不足ですいません(笑)。
この時代のこの辺りの人達にはいろいろ不思議な事の出来る人がいるようですね、
あのバディ・ガイさんなんかは、シカゴでもその方の大家で観客を大喜びさせる凄い技を沢山持っていると聞いています。でも、今はもう必要無いでしょうが(笑)。観客は、バディさんがステージに出て来ただけで大喜びなのですから(笑)。

余談になりますが、エディ C. キャンベルさんの演奏を観ていて、今では、もう殆ど無くなったシカゴ・ウエストサイド・ブルースマンの心意気と言うか、サービス精神の現れと言うのでしょうか?パフォーマー根性を観た気がしました。
60年代当時、シカゴには数え切れない程多くのブルース・クラブがあったそうですが、ギャラのいい仕事は、サウスサイドのクラブに集中していたそうです。ウエストサイドのクラブでは、ギャラが安いと言う事もあってホーンセクションなどは雇えません。通常では5人から8人編成のバンドでも、3人か4人で演奏しなくてはならなかったそうです。それが自然に、トリオのバンドでも大所帯のバンドに負けないようにと、音楽的に曲に変化を持たせたり、メインになるギタープレイヤー達は、観客を惹き付ける為の技(?)を考え出したと聞いています。
有名なのを挙げれば、ギタープレイヤーが、ギターを自分の頭の後ろに廻して弾いてみたり、ギターを自分の歯や舌で弾いてみたり、又は、観客の一人の指を借りてギターを弾いてみたり...。どこの誰が考案して、最初に始めたのかは知りませんが、お疲れ様です(笑)。


Netherlands 1984

ぼくが店に着いたのは12AM頃でした。どうやら、金曜日のせいもあってお客さんは、大入りでした。と言っても立ち見を入れても80人は、無理でしょうが。ぼくもこの店では何度も演奏しましたが、ここのステージの小ささには、いつも困ってしまいます(笑)。ぼくは、ハモニカ・ベルトを腰に巻くのはイヤだったのですが、ハモニカ・ベルトを付けるキッカケになったのがこのクラブなのです。ハモニカを並べて置くスペースにも困る位狭いステージなので、最初はアンプの上にハモニカを置いていました。すると、演奏中にアンプの振動で床にハモニカが落ちてしまい、拾うのに苦労しました。拾い上げる間に、次の曲が始まったりしてしまって(笑)。それで、思い切ってビリーさんとお揃いのハモニカ・ベルト(両方ともぼくのお袋の手製)を腰に巻くようになった訳です。

エディ C. キャンベルさんは、トレードマークの赤のフェンダー・ジャズマスター?ムスタング?(注2)をシルバーフェイスのツインリバーブに繋いでいます。長髪のアフロヘアーをきっちりと頭の後ろに結んで、銀色のサテンのシャツが粋に決まっています。体は大柄で空手もすると言う事ですが、アンプには愛用の杖が立て掛けてありました。空手のやりすぎで足でも痛めたのでしょうか?
 特徴のある声はよく通り、ギターもぼくが思っていたよりパワフルで満足しました。以前、アコースティックで弾き語りをしているのを観て以来その印象が強かったのでとても新鮮に見えました。

ベース・ギターには、ウィリー・ブラックさん(注3)。彼と会うのは久しぶりです。以前は、もう亡くなってしまいましたが、ハモニカ・プレイヤーのビッグ・ウィーラーさんやテールドラッガーなんかとも演奏していました。エディさんの紹介によると32年もの長い間、彼のバンドでベースを弾いているそうです。
ドラムには、ハックルベリー・ハウンドさん(注4)。彼にはサウスへ行ってもウエストに行ってもよく色々なところで出くわします。ぼくと同じで夜になるとブラブラしているのでしょう(笑)。彼は相変わらずの風貌で太鼓腹の大きな体にいつも個性的な帽子を被っています。もしかすると自分で作っているのかな?しかし、一つ間違えるとそこらに居る路上生活者に間違えられそうです(笑)。彼は、マジック・サムのドラマーだったと言う事で有名ですが、ぼくは彼についてそれ以上は何も知りません。彼もエディさんとの演奏歴は30年以上だそうです。実はこの夜ぼくは、ハックルベリーさんのドラムソロを始めて聴きました。人は見かけによりません。強烈なスネアのロールと言うのでしょうか、昔のビッグ・バンド・ジャズのドラマーなんかがよくやる感じで驚きました。
ハモニカ・プレイヤーは、MOJO マークさん。彼の事はよく聞いていましたが、会うのも話すのもこの時が始めてでした。彼もぼくの事は良く聞いていたと言う事でしたが、お互いシカゴに住んでいてもこんな事もあるのですね。
彼は、ギターも演奏すると言う事です。話しの中にでて来る人の名前を挙げていると切りがありませんが、殆どがシカゴ・ブルースの名ハモニカ・プレイヤー達です。例えば、ビック・ウォルター・ホートン、リトル・ウィリー・アンダーソン、グッド・ロッキン チャールズ、ビッグ・レオン・ブルックス...。殆どがダウンホームなプレイヤーばかりで、マークさんはこう言う人達と一緒に演奏して来たそうです。みんなぼく好みのハモニカ・プレイヤーばかりですが、残念な事に、ぼくはこの内の誰一人としてお目にかかった事もありません。
マークさんは、古いアスタティクに63年頃のフェンダー・バイブロバーブ。15インチスピーカー一発、30ワット。高価なアンプです。ハモニカ・プレイヤーなら音については、もう御分かりでしょう(笑)。彼もこのバンドでは30年位演奏しているそうです。
キーボードには、ピアノ・ロンと言う人が入っていました。ぼくは、彼については何も知りません。バンドにも最近加入したそうです。30年も一緒にプレイして来た連中に比べられれば3年やそこらでは、まだ最近と言う事になるのでしょう。

選曲は、ダウンホームとモダンを織り交ぜ、「サマータイム」をちょっと違うアレンジでやって見たり、「チーパー・アンド・キープ・ハー」にもアレンジを加えていたりと好きなようにやっていました(笑)。この2.3年の間、あまり目立った活動はしていなかったエディ C. キャンベルさんですが、バディ・ガイの店でバディの前座をするなど今年は盛んな活動を見せてくれそうです。

最後にぼくもお世話になった、プロデューサーのディック・シャーマンが、彼の事を聞かれて「エディ C. キャンベルと言うプレイヤーはシカゴブルース界のナショナル・トレジャーだ」と語ったといいます。


江戸川スリムのお節介注釈

(注1) Eddie C. Campbell

1939年5月6日、ミシッシッピー州ダンカンで生まれる。6歳の頃にシカゴのウエストサイドに引っ越し、9歳でギターを始める。住居はマックスウェル・ストリートからさほど遠くないところにあり、多くのブルースマンのプレーを見ながらギターの腕前を上げていった。また、ティーンネイジャーの頃のウエストサイドと言えば、まさにモダン・シカゴ・ブルースマンの宝庫であった。これらの人たちに影響を受けないはずがない。特に影響を受けたのが、マジック・サムである。彼の家はたったの二軒隣にあったと言い、2歳年上のサムから多くのものを吸収していったのであろう。
50年代から60年代にかけてマディ、ウルフを始めとした大物達と共演をしていたらしいが、シカゴ以外で注目をされるようになったのは、1977年にMr. Bluesから「King Of The Jungle」というアルバムを発表してからのこと。キャリー・ベル、ラファイエット・リーク、ボブ・ストロジャー、クリフトン・ジェームス(2曲でルーリー・ベルがベースで参加)といった猛者にサポートされ、モダン・シカゴ・ブルース史に残る名作として語り継がれているアルバムだ。
その後、2回に渡るヨーロッパツァーの後に、彼の地に移住することになる。理由は安定した生活(=金になる・差別がない)とのこと。実際ヨーロッパ各国で3枚のアルバムを発表。コンスタントに活動をしていたようだ。いずれのアルバムも「King Of Jungle」のテンションには引けを取るものの、彼のギターが入ったとたんにウエストサイドの雰囲気が漂ってくるのは流石と言うべきか。
1992年頃にシカゴへと舞い戻った様だが、心臓病を患ったりして表立った活動はしていなかったようだ。
帰米後の彼は、2枚のアルバムを発表。しかし、私にはあまり印象に残らないアルバムだった。去年のライブのテープを聴かせてもらったが、ドタバタもいいところで、お世辞にも興味を引くようなものではなかった。しかし、調子の善し悪しもあることだし、今回のレポートを読むと、「観て」なんぼのパフォーマンスなのであろう。今後どの様な活動をしていくのか期待したい。
とは言え、彼のベストは間違いなく「King Of The Jungle」。何はなくとも全ブルース・ファンに聴いていただきたい名作だ。

余談になるが、私は1994年に彼とウエストサイドのクラブで話したことがある。演奏をしなかったので「ギターは弾かないんですか?」と尋ねると「明日○×パークで大きい催しがあるんだ。そこでプレイするから絶対に来いよな。ウエストサイド流儀ってヤツを見せてやるからよお!」と仰った。
次の日、教えてもらった公園に行ってみると...。
そこには人っ子一人いなかったのである。う〜ん、ブルースだ。

Eddie C. Campbell
King Of The Jungle

(Rooster RBLU-2602)

Eddie C. Campbell
Let's Pick It !

(Evidence ECD-26037)

Eddie C. Campbell
Baddest Cat On The Block

(JSP CD-2143)

Eddie C. Campbell
Gonna Be Alright

(Icehouse IHR 9423)

Eddie C. Campbell
That's When I Know

(Blind Pig BPCD-5014)

Eddie C. Campbell
Hopes & Dreams

(Rooster RBLU-2638)

V.A.
American Blues Legends 79

(Big Bear LP-23)

Lowell Fulson
Think Twice Before You Speak

(JSP CD-290)

Luther Allison
Live In Chicago
(Alligator ALCD-4869)

(注2) ジャズマスター?ムスタング?

彼のトレードマークは赤のフェンダー・ジャズマスターである。

(注3) Willie Black

古くから活動するベーシスト。詳細は不明だが、ルーリー・ベルの「Mercurial Son 」やアーロン・ムーアの「Hello World 」ブリュワー・フィリップスの「Homebrew」の他に、70年代のラルフ・バスのセッションにもサイド・マンとして参加し多くの録音を残している。

(注4) Huckleberry Hound

本名ロバート・ライト。こちらも詳細不明ながら古くから活躍するドラマーだ。何と言っても彼を有名にしたのは、名盤「Magic Sam Live」のDisk 1、アレックス・クラブの録音でドラムを叩いていることだ。1963年当時は、紛れもなくマジック・サム・バンド(The Clean Cuts)のドラマーとして活躍していたのだ。
最近は、ウイリー・ブラック同様Delmarkのレコーディングに駆り出されることが多いようだ。それにしてもDelmarkはこうしたミュージシャンを捜し出してくるのが得意である。


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