2010年9月1日(水曜日) 腰の患部の痛みが退かぬまま、結局8月は22本の内8本もトバしてしまった。金属疲労の如く、重い機材の長年の搬出入で、体はボロボロに違いない。 昨日、領事館からメールが届いていた。 「7月もシカゴ市内では221件の銃器発砲事件が発生し,303人が撃たれ,1歳から72歳までの少なくとも33人が死亡」 サウス・サイドやウエスト・サイドが赤丸で埋まっている地図を奥さんと眺めながら、「ウチの近所では6ブロック先(バス停二つ分)に一件だけやな。安心安心」と、有吉家でのこの話題は終了。 一昨日もアーティスで店のセキュリティに、「今朝2ブロック先で子供が撃たれてたな」というと、「ああ、ここはサウス・サイド(黒人街)や、いつものことやな」のひと言で終わった。そしてオレもこの件は忘れてしまう。 治安の良い日本に生まれ育ったオレも、延べ15年のアメリカ生活で危険に対する「心のバランス」はそれなりに取れていると思う。身近で銃の撃ち合 いが起こらない限り、ほとんどのアメリカ市民にとって現実感が乏しいのだ。故国の「銃砲刀剣類所持等取締法」違反のニュースが懐かしい。 2010年9月3日(金曜日) ワイオミング州のララミーまでSOBの出張。 デンバーの空港には、スリーパー付きの豪華リムジンバスが出迎えた。冷蔵庫には飲み物と食べ物が揃っており、ララミーまでの数時間を最後尾のラウ ンジで寛ぐ。まるで芸能番組で垣間みるロック・スター並みの待遇ということで、日本のロック・スターのベスト盤をiPodで聴く。 ボーカルのHとは、90年代にはよく遊んだが、オレがこっちへ来て疎遠になってしまった。以前は「ウィキペディア」のHの項に、関連人物としてオ レの名前があり、ジャズピアニストと記されていた。今は名前ごと削除されて、関連項目のリンク先に移行している。そのオレの名前をクリックする と、 『「有吉須美人」を編集中』という妙なページへ飛ばされ、「ウィキペディアには現在この名前の項目はありません」という行き止まりの表示を目にすることとなる。「ほならなんでクリックできるんじゃ!」という寂しい怒りが滲み出るものの、一体どういう人らがウィキペディアを編集しているのかと不思議に感じ、やがて、有名人の脇に名前が載るだけでもありがたいことですと、もやもやは鎮静していく。 Hとは今も活動を続ける、Mの書いた曲が好きだった。「ブラウン管の向こう側、カッコつけた騎兵隊が、インディアンを撃ち倒した・・・」。 ここワイオミングはカウボーイの州。異郷の大地に広がる荒野を眺めながら、こんな親父の年になってまで、年下の演奏に心を振るわせられる自分が愛おしい。このバンドはいつ聴いても懐かしく、悲しく、とても切なくなる。そして、オレをそんな気分にさせるHらが恨めしかった。 2010年9月5日(日曜日) ララミー、ララミー(上の日記参照)・・・年配の方には懐かしい米テレビ番組の「ララミー牧場」。そのロケ現場はどこか知らないが、広いロディオ 会場に、"Snowy Range Music Festival"の野外ステージが3つ、大・中・小と設けられていた。 この週末3日間のフェスのそれぞれのトリが、メイヴィス・ステイプルズ、ロス・ロボス、ビッグ・ヘッド・トッド&ザ・モンスターズ。地元でブイブイいわせているオレたちも、この規模の催しではさすがに出番が早い。西日に照らされる土曜日の夕方に大ステージで汗を掻き、夜には小ステージで寒 さ(摂氏5度)に震えた。 ここへ到着した金曜日にメイヴィスと江口弘史(元メイヴィスのベース)話で、昨日の本番後にはダーティ・ダーズン・ブラスバンドのメンバーらと山岸さん(ニューオリンズ在住)話で小盛り上がりする。 そしてコの字の座席の縦部分が長く、進行方向に対しては横向き座りである。最後尾の前向きの二人と、逆向きだが最前部のひとりはましだが、道中の3時間近くを、おっさん5人全員が寛げるはずもなく。 運転手はびっくりするほど均整のとれた肢体の持ち主で、超ミニのワンピースを纏(まと)う金髪のお・ば・さ・ん・・・ひょっとしてオレより年上? 内装といい、運転手といい、何や、何が目的なんや、このリムジンは。 「違うぞっ!」と頭で理解していても、その女性の歩くたびに揺れる裾元へ瞳は吸い寄せられ、パブロフの犬と化してしまう。 そして伸びやかな足の付け根に脂肪痕を認めては、「うっ、またやられた」と自己嫌悪に嘖(さいな)まれ、己(おの)が目の玉に爪楊枝をツンツンし たくなるのであった。 2010年9月22日(水曜日) はぁい、みなさん、お元気ですかぁ? 暑い日が続きますね。 今月初めに出張で訪れたワイオミングは、私らがシカゴに戻った翌日、マイナス3度だったそうです。演奏中もTシャツを重ね着して、ドレスシャツにジャケットでも震えてましたから、別に驚きはしませんがね。「ああ、アメリカって広いなぁ」なんて、小学生みたいな感想は書きませんよ。そんな作文読まされると、頭きますもんね。 日記ですか?「三ヶ月近く、お前はいったい何をしていたんだ」というお叱りの声は聞こえてきませんが、下書きは溜ってます。相変わらず、毎日アホ らしいことが起こりますから。 確か去年も同じ頃一気に忙しくなって、メモを仕上げる気が一気に失せていき、ぽっかりと穴が空いてますね。掲示板を設けず一方通行なので、誹謗・ 中傷を耳にせず済んでいる替わりに、励ましのお便りもないからでしょうか、自分を奮い立たせるのが難しいってことです。 ホワイト・ソックスの球場で演奏して、私の名前入りユニフォームなどを頂いたことや、自動取り締まりカメラで信号無視を撮られながら、聴聞で弁舌 振るって違反なしを勝ち取ったことなど、伝えたいことは一杯あったのに残念です。この日記は未来の自分への手紙ですから、抜けているところも、いずれ埋めるのでしょうが、原稿料を頂いていついつまでにってこともないので、「昔のはいいんだよっ!今を書けっ、今を!」って強迫観念から、過去 を書くより今日を書こうとして、再び挫けてました。こんな雑記を楽しみにしていても、これだけ更新しないと、戻ってこない方が大勢いらっしゃるかも知れません。「よしなしごと」大丈夫でしょうか。 そして、ごく一部の方はご存知のように、まだ「腰、いわせて」ます。機材運びとセッティングに、色んな方のお世話になってます。もう、二ヶ月近く経つのにですよ。本当はずっと寝ていて楽したいのに、それじゃ生活できないんで、多少は無理しているんですが・・・私、大丈夫でしょうか。 * 今月の写真、自分の顔が嫌だったのでトリミングしました。撮影者のラミューンさんは、チェス・スタジオの花形エンジニアだったマルクスさんの未亡人です 2010年9月23日(木曜日) ビリーらとマインズ、つまりロザはお休みしてSOBの仕事を優先。暑さのせいか界隈の人出は賑やかで、斜向いの店"B.L.U.E.S."も週末 のように混んでいた。 演奏中に背後からオレの脇腹を突く奴がいる。振り向くと、人懐っこい笑顔が歪んでいた。いつもの夢見るような双眸に、相変わらず光は見えない。ブルース業界で一番影響力を持ったひとりであろう、Dの息子のB。 それにしても、Bには腹が立つ。同じ鍵盤奏者だから、尚のことかも知れない。十年一日の如くとまではいわないが、初めて出会った84年からほとんど進歩していない。この四半世紀何してたと一喝したいが、想像はつく。ただ、浸っていたのだ。 親の七光りは、所詮「コネ」でしかない。職業として演る以上、仕事のできるレベルに達しないと続くはずもない。 Bは会うたびに、「サンタナとさ、今度一緒に映画の仕事でね・・・」「ストーンズの誰某とさ、今度・・・」などと放言する。確かにお前の親父が書 いた曲を、ストーンズやクラプトン、エアロ・スミスなど、数知れないミュージシャンたちがカバーしているし、Dの息子というだけでちやほやするお 上りさんは与(くみ)し易いだろうが、それとて見透かされればお仕舞いだ。 ルリー・ベルやロニー・ベーカー・ブルークス、エディ・テイラーJr.は、中身を磨いて親(の名前)から立派に自立している。Bが少しでもピアノの演奏技術を向上させていたら、ストーンズのゲストで登場しても驚かないし、人として少しでも成長していたら、Bのプロモーション・ビデオが MTVに流れていても応援しただろう。 だから、貧乏人のオレにタカるな! そしてオレはタバコ一本と数ドル、ビリーも幾ばくかをBに陰で渡していた。 噂では、Dファミリーのひとり一人には、印税の分け前の八万ドルが9ヶ月ごとに振り込まれているらしい。浸るなっ! 2010年9月24日(金曜日) 2010年9月3日付け日記を更新しました 2010年9月26日(日曜日) 2010年9月5日付け日記を更新しました
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