2008年5月3日(土曜日) SOBでロザ。このところウチの動員が好調。今日も大入り満員で、大将からはおひねりが出た。 ところで今年のシカゴ・ブルース・フェスティバルはオレの出番がないと思っていたのに、7日土曜日の午後6時から、"Mississippi Juke Joint"で"Rosa's AllStar Jam Band"の一員として演奏することになっているらしい。何のことはない、毎週木曜日にロザで演ってるブルースジャムのフェス版。ただし、午後8時からビリーらとレジェンズが入っているので、ギリギリまでしか楽しめない。 2008年5月5日(月曜日) アーティスでの機材搬出中に、生涯4度目のぎっくり腰。子供の日(実際は日付の明けた6日未明)なのに・・・って関係ないが、何となくそう言いたくなってしまう。イチローや松阪のように、身体をケアする専属のトレーナーが欲しい。 2008年5月10日(土曜日) 連日のキングストン・マインズでSOB。 フランスツアーから戻って以来、新メンバーのダンも慣れてきて、エネルギッシュなステージが続いて楽しい。ただし、ダン以外が若くないので、2セット目以降は息切れするのが悲しい。 2008年5月20日(火曜日) 予約係のおばさんから「健康保険はどこなの?」と訊かれ「自腹」と答えると、彼女は正価$3.000の胃カメラ代を$1.600にしてくれた。日本ではあれほど苦痛だった検査が、完全麻酔にて、マウスピースをくわえ横たわったと思ったら目覚めて終わっていた。担当医から「胃炎」との所見を告げられる。 胃の痛みは治まれど、懐の痛み悪化す。 2008年5月22日(木曜日) 胃カメラの検査結果を受け、I医師より処方された薬を求めて薬局へ。 「保険は?」 若い薬剤師がパソコンのキーを叩きながら画面を覗き込む。固唾をのんで見守った。 「・・・$403.・・・」 小数点以下は耳に入らない。時代劇のドラマで、「おとっつぁんの薬代がぁ高くてぇ手にはいらねぇんだぁ」と嘆く町人の台詞が宙を飛び交う。 「ちょっといくらなんでも自腹では大変よねぇ、クリニックに電話して、先生にジェネリック(同じ効果の後発医薬品)を訊いてあげるわ」 ギックリの後遺症の残る腰が一段と低くなる。そして善意のI医師は応えてくれたが、それでも$150ちょっとの薬代。 日本の近未来と予言する人有り。 2008年5月23日(金曜日) 昼の1時過ぎに家を出発。 突然逝ってしまったアンプを持って楽器屋へ寄り、3時にはサウスサイドのビリー宅へ。彼が所有するPA用アンプをお借りし、しばし雑談の後、ダウンタウンから西へと向かい「ブルース・シンポジウム(詳細はBSR誌にて、オレゴン大学のI氏が寄稿の予定と聞く)」の催されているドミニカン大学へ。機材の搬出入路の長いこと。6時から8時までジェームス・ウィラーさんと演奏。機材搬出をI氏に助けられながらも、再びダウンタウンへ戻ってバディ・ガイのお店。そこでようやく一時間程の休憩。レジェンズで初めて食べ物を注文(BBQチキンサンド)し、誰もいない二階の楽屋で黙々と食す。ミュージシャン5割引の特典があることも初めて知った。SOBでの11時からのステージの終演は午前2時前、帰宅が午前3時。 金曜日のダウンタウン周辺は呆れる程混むのに、今日一日で3回も通過した。総走行距離は100km余なのに、車を運転していた時間は延べ4時間以上。それは奇しくも総演奏時間と重なった。 機会があるたびに書いているが、こんな生活を週5で送っている日本の働く人々よ、尊敬致します。 2008年5月24日(土曜日) 昨日に続きジェームス・ウィラーとハーレム・アヴェニュー・ラウンジで演奏。フィリピン人のおじさんがオレの演奏に、異様なほど盛り上がっていた。 休憩でタバコを吸いに外へ出ると、おじさんが話し掛けてきた。 「アンタ上手だね、ワシそこでタバコ屋やってるんだけど、アンタにパーティの仕事頼むと幾らかな?」 多少酔っているのか、おじさんの身体は左右に揺れている。オレは適当に相手をして切り上げるため、それこそバンドに依っては数百ドルで済む話を大袈裟にしていた。 「アンタ一人で$2.000かね?」 「そうかい」と言ったまま、彼はしばらく宙を見つめていた。時にはただのBGMに過ぎないような、「営業の仕事」を断るほど恵まれている分けではないが、怪しい話は真に受けない方が良いし、おじさんは確かに酔っていた。それでも彼が目尻を垂らせてオレに笑顔を向けると気の毒になり、思わず口から言葉が出ていた。 「ちなみに、どういった音楽を望まれているんですか?」 まぁそれくらいのことなら、人の良さそうなおじさんの顔を立てても、オレが嫌な思いをすることはないだろう。 「時間は?」
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