傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 65 [ 2008年3月 ]



"SOB New Member, Dan Coscarelly. Guitar Vocal."
Photo by Ariyo

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2008年3月1日(土曜日)

日本人の経営する、日本人従業員のみの、客のほとんどがアジア系である某所に若い某アジア人が雇われた。顧客に対する電話の応対で "Who are you ?" と言ってしまった彼を、「英語は堪能だけどビジネス英語に疎いからねぇ」と経営者は嘆く。いや、ビジネス英語以前の問題だと思うとオレが言うと、「いっそ、日本のマクドナルドに修行へ出すか」と経営者は思案する。

日本人の経営する、日本人従業員のみの、客のほとんどが日本人である某所へ電話を入れた。

途中でオレの声と受付嬢の声がかぶり、同時に沈黙してしまった。そして一瞬の後、彼女は「どうぞ」と譲ってくれたが、こんな場合は大抵「はい、何でしょうか?」で、相手から「どうぞ」という一語のみが返ってきたことはなかったので、オレは思わず「えっ?」と訊いてしまっていた。すると、彼女は理由を簡潔に説明する。

「いや、何か言いたそうだったから」

今度は「えっ!?」っと絶句しかけた。アンタはオレのツレか?


2008年3月2日(日曜日)

久し振りに"B.L.U.E.S."にて演奏。元サン・シールズのトランペットでボストン在住の弁護士ダンさんと。

8時半頃店へ到着すると、知った音が流れている。日曜日の"Early Evening"のショウに、バディ・ガイのキーボードである若いマーティ・サモンがコンガとデュオで演奏していた。歌声には好き嫌いもあろうが、マーティの音は洗練されていて、フレーズやリズムにブレがなく聞きやすい。彼は搬入するオレを認めると、マイクを通し何度も「アリヨッ!」と叫んだ。これっ、恥ずかしいではないか、止めい!

一昨日のレジェンズで、ビリーがスロー・ブルースを始めるとやっぱりバディ・ガイが上がって来て、口に人差し指を近づけ、バンドの音を底まで落とさせ、語るように唄い始めると、曲が長くなるからギターやピアノのソロが割愛されて、それでも前みたいにオレのソロ中に上がられるよりは云々と話すと、マーティはバディ・ガイの仕草を真似て大笑いした。

一応挨拶には行くけど、彼とそれ以上の会話を交わしたことがないと言うと、マーティも「ボクでもちゃんと話したことはないんだ」と同意する。名前がガバっと上昇し切った人には、きっとそれなりの「気分」があって、その名前を意識して人前で過ごさねばならないことは時に苦痛だろうし、気を遣うところが常人とは違うのだろう。バディ・ガイから寵愛されているはずのニックが、彼の前で妙に畏まっているのがおかしかった。

「でもね、バディ・ガイはアリヨを気に入ってるんだよ」とマーティが真顔になった。「サニーランド・スリムの雰囲気があるって評価している」。へぇえ、オレの音がサニーランドかどうかは別にして、バディ・ガイがオレを話題にしていたことは意外だった。

人間は単純なものだ。疑心を抱きながらも、ちょっと気分が良くなる。


2008年3月8日(土曜日)

今年に入って、というよりも水曜日のジェネシスを辞めて以来、SOBの週末が少なくなったのも重なって、現場本数が激減している。今月など、一週間のフランス・ツアー(3コンサート)もあるから15本しか入っていない。だから5本ある今週は、以前はそれが普通だったのに、えらい忙しく感じる。しかも5本のうち1本しか同じユニットはないので、それだけ多くのところから仕事を貰って、綱渡り的に凌(しの)いでいるということなのだ。

レジェンズで"The Holmes Brothers"のオープニングを"Morry Sochat & SP20s"で。

今週始めに日本から遊びに来た、京都の同級生Hの生徒だったドラマーのKにキーボードを担がせ(本人の希望)現場入り。彼はHの元ローディなので、さすがにフットワークが軽い。それにしても、22歳と若いせいなのか、少し落ち着きのないところが不安。

ホルムズ兄弟さんたちを間近で観るため、いつもはバー・カウンターの隅で鎮座しているバディ・ガイが、珍しくステージ脇のVIP席に客を伴って現れた。居合わせた人々が一斉に話を止める。いや、そやから、そんなんおかしいんと違う?何でみんな普通にできひんの?そして正規のVIPたちの座席確保のため、友達や家族などバンドの関係者は、店のスタッフによって囲いから追い出されてしまった。ああ、予めKには一般席で観るように言っておいて良かった。

一時間の演奏でオレの出番は終了ぉ。ニコニコ顔のKが身体を揺らせながら登場し、両手の親指を突き出した。へっ!?「いや、アリヨさん、カッコ良かったすヨ!ピアノのソロ後で毎回、客が『ワーッ!』ですもん」。・・・ちゃうやん、確かに他の人のソロよりは拍手が多かったけど、文字で読む程には盛り上がってなかったって。

バディ・ガイがそこに居るぞと言うと、「えっ、どこどこ」とキョロキョロしてははしゃぎ、この人はね、これこれのバンドの誰某と紹介すると、飛び跳ねんばかりの大仰さで驚く。憧れのシカゴへ着いて間なしだから、見るものすべてが嬉しく、楽しく、幸せなのだろう。

搬出を終え車に乗り込むと、メインも観ていくというKが両手を大きく振りながら見送っていた。Kの落ち着きのなさは天然なのかも知れない。


2008年3月10日(月曜日)

知らぬ間にオレのローディもどきをしているKは、川崎から来ている21歳のギターのYと仲良く遊んでいる。そのYは、Kよりもひとつ年下なのに落ち着いていた。ところが平静を装ってはいるが、宿の前で黒人のオヤジにたかられて$10を渡してしまい、少しへこんでいたらしい。

二人をアーティスへ連れて行く道中、Yは盛んに「有吉サンは危ない目に遭ったことないですか?」とか、「この辺りは危険な雰囲気が一杯ですね」とか話し掛けてくる。彼らを迷わせるつもりはないが、こっちで楽しく生きていくためには、情報のみに頼らず、自分たちの生理的な感覚を信じて、冒険し過ぎず、恐がり過ぎずと助言するしかない。

いつもの駐車位置に向けてアーティスの角を曲がったとき、反対側の角で立ち話をしている二人の黒人が目に入った。思わずYが「怖そう」と口走る。・・・あの人ら、ウチのドラムのモーズと、店のセキュリティのラベルなんですけど。

若い二人には、この旅行を通して逞しく成長して欲しいと、心から願った。


2008年3月11日(火曜日)

明日から一週間、SOBのおふらんす。

ツアー前日の休みは、旅の支度をしながらゆっくりと。それは気分としても大切なこと。ようやく暖かくなって雪も解けたし、家族でドライブ(近所だけど)。

今晩の夕食は何にしましょうかと、巨大アジアン(実はほとんどが韓国系)食料品店のHへ向かっていた夕方、携帯電話が鳴った。

「おう、アリヨ、ロブ・ストーンだよ」
「おう、こんちわ」
「訊きたいんだけど?」
「何?」
「今日、仕事?」
「いや」
「ハウス・オブ・ブルースだけど、出来る?10時から」
「はい」

「今日仕事?」「ない」「出来る(はずだよね)?」と間髪おかず、畳み掛けるようにこられて、思わず「はい」と応えていた。これが、「今晩何してるの?」と問われれば「何で?」と一旦訊ねて、「何処何処で、幾ら幾らの仕事頼みたいんだけど」に対して少し考える余裕も生まれるが、「オレは今日仕事がない」と最初に答えてしまっているので、間が空くと妙な空気が流れてしまう。考えたところで、やっぱり断らなかったのだろうけど。

バックミラーで後部座席を覗くと、スヤスヤとお眠りになっているお子様と奥様の周辺には、「ツアー前日なのに」という、別の妙な空気が流れていた。


2008年3月19日(水曜日)

おふらんす出張から帰国。

先週の木曜日の午前中、パリ郊外のホテルに到着し、仮眠から覚めると悪寒に咳が・・・。それはツアー中ずっと続き、同じ症状のギタリストのダン、ドラムのモーズと共に、ツアー・マネージャーが買ってくれた風邪薬を飲み続けるのであった。


2008年3月21日(金曜日)

ハープって唄う歴史教師のロブ・ストーンとハウス・オブ・ブルース。

久し振りに定時の起床時間である午後7時半に起きると、外は一面の雪景色・・・えっ!?雪ィ!いや、天気予報で知ってたがな。気温はマイナス2℃と暖かいものの、積雪は明日までに10-15センチと予想されていた。

風向きの関係か、駐車場の車のお尻付近は約5センチ、アパートの壁に向けられたボンネットやフロント・ガラスには、約20センチほどの雪が積もり、寝相の悪い子供の掛け布団のような有様だった。ああ、屋根付き車庫が欲しい。


2008年3月31日(月曜日)

アパートの北側階段のエントランスに出ると異臭がした。階段の中央を登るスニーカーらしき足跡は、次第に薄くなりながらも三階へと続いている。下から二段目に落ちている茶色の汚物を踏み込んだことが理由なのは一目で分かった。 

重いキーボードを抱えたオレは、それに触れぬよう、股を広げた無様な格好で下りていく。足で操作するサステイン・ペダルを片付けるのは素手なので、慎重にならざるを得ない。汚物は犬のものであろうが、それにしても飼い主の非常識を呪った。

アーティスから戻ると、「3月末をもって管理人は辞めました」というオーナーからの通知が届いていた。親切な働き者の彼が居なくなると、あの犬糞は当分そのままかも知れない。よほど自分に迷惑の掛からない限り、自らは何もしない隣人たちの気質に溶け込んだオレは、明日からは南側の階段を利用しようかと悩み始めていた。