傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 73 [ 2008年11月 ]


Halloween
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2008年11月2日(日曜日)

冬時間の始まり。今朝の未明、一時間余分にもらい、つまり午前2時が午前1時となり、日本とシカゴの時差は15時間になりました。ああ、冬が来る、冬が。

でも今日は暖かな摂氏15度あたり。ロブ・ストーンとのハウス・オブ・ブルースの休憩中、川辺でダウン・タウンの夜景を眺めながらタバコをゆらりと燻らせる。明日も明後日もまだ暖かいらしい。


2008年11月3日(月曜日)

大統領選挙投票日前日。アーティスでは、人々はオバマ次期大統領の誕生を確信し、ビリーが煽りまくってお祝いライブとなった。


2008年11月4日(火曜日)

ロブ・ストーンの勤める小中高一貫校、パーカー・スクールでワークショップ。楽器のできる子供たちを集めて、ブルースの体験講座。オレの生徒の17歳の男子ピアニストは、この歳では相当な知識とそれなりの技術で、アリヨ・フレーズをどんどんこなしていった。さすがに年間授業料が数万ドルという私立校の贅沢さ。そして夕食時には帰宅できたのが嬉しい。

夜にはシカゴの、いや、世界の大半の人々が待ち望んだ、オバマ次期大統領が誕生する。歴史の証人となるべく、オレはどこかへ出掛けたくて思案していた。ビリーは自宅でパーティをするから来いと言っていたが、夜遅いし遠い。民主党の勝利集会が催されるダウン・タウンのグラント・パーク周辺は、市当局が「50から100万の人出が予想されるので、入場チケット(限定7万枚)を持ってない人は出来るだけ来ないでね」と宣伝していたから、寄り付くのも憚られる。それでも臨時バスや電車を終日営業させるシカゴ市もエラい。結局、大画面プラズマTVがあるローザス・ラウンジへ向かった。

誰かの誕生会や記念日・プチ集会など、何かにかこつけてはタイトルを付けて客寄せをするトニーは、スケジュールに「オバマ勝利パーティ」と謳(うた)っていた。開票が進み始めた9時過ぎ頃なら、常連客や支持者で少しは賑わっているだろうと読んでいたが、店に着いてみると、僅か7人程がカウンター内の上部に設置されたテレビのCNNを、ぼんやり観ているだけだった。

おいおい、歴史的瞬間を祝う人々はどこへ行った?ドアマンのメルヴィンは、「みんな家でテレビを観てるんじゃない。トニーは、奥さん(マーニ:オバマさんの元同僚弁護士)が集会に参加してるから、家で子守りだと思うよ」。トニーの携帯へ電話したが繋がらなかった。

しかし、今晩のバンドであるピートやメンバーたちは、淡々と演奏準備をしているし、誰も浮ついた表情には見えない。まだ、マケインとの差はそれほど広がっていないから、のんびりとしているのか?意外に結果が出るのは深夜を回るかも知れないと思っていると、トニーから携帯に電話が入った。

「アリヨ、今どこに居るの?」
「店やん、お前何してんねん、ここ誰もおらへんぞ。オバマ祝勝会違うんか!」
「ハハハ、みんなグラント・パークだよ。マーニはVIP席だけど、ボクは一般席。すごい人出だよ。アリヨもおいでよ」
「あんなぁ、チケット持ってない人間に言(ゆ)ーな。昨日ビリーがチケット$1.000でも買いたいって言ってたぞ。大体、周辺の交通規制すごいやないか。今から行っても中途半端になるだけやわ」

はっ!そうなのだ。こんな閑散として茫漠たる所にだらだらと居ては、いつになるか分からない肝心のオバマさんの勝利演説もゆっくりとは拝聴出来まい。彼が勝った「瞬間」の街の表情が、歴史が動く一番の象徴となるはずだから、画面上からでもそれを見逃したくはない。

中継のCNNの、両候補の獲得選挙人数の差は、ロザへ来たときからあまり変わっていないように見えた。「ゴメン、オレ帰るわ」とバンドのメンバーたちに告げると、他人のライブには滅多に顔を見せない評判(忙しいのが理由だと勘違いしてくれている)のオレが来て喜んでいた彼らは残念がる。

車に乗り込んでエンジンをかけ、5分ほど暖めると発進した。10時を数分過ぎている。街は静謐(せいひつ)な空気なのに、息を詰めた重さを含んでいた。商店の灯りは点いているが、営業しているというよりも、店内で仲間がテレビの前に集まっている様子が窺える。人通りはない。やはり自宅でテレビを観ている人がほとんどなのだろう。それぞれに温度差はあろうが、すべての市民が、その瞬間のエネルギーをひっそりと溜めているように映った。そして時の到来の近いことを感じた。

オレはその瞬間を、いや、結果だけを、ひとり家路につく車のラジオであっけなく知る。歴史の聖なる夜が揺れるのを目にすることはなかったが、自分の内で静かな感動が滲み出すのを感じると、市井の人々もきっと、心に染み入る喜びを、明日への期待と不安の混在を越えた「希望」として、いっときの安寧に転化させていくのだろうと思った。

市のお願いが効いたのか、地元テレビ各局は集会周辺の人出を24万人と集計していた。


2008年11月5日(水曜日)

考えが甘かった。歴史的な大統領選挙の翌日の新聞なら、思いっきりの増刷で、どこかに余りは出るはず。午後からでも、ゆっくり買いに出れば良いわとタカをくくっていた。

夕方、愛息子を連れて散歩がてらに近所を回るも、目にするすべてのニュース・スタンドは空っぽ。田舎はいざ知らず、アメリカの都会で定期購読(自宅配達)する人なんてほとんどいない(一部売りが多勢)から、早朝の駅の売店やコンビニなどは、配達された先から売れてなくなっていたらしい。いやそれでも、どこぞのガソリン・スタンドか、人の目に付かない住宅街の、ひっそりと佇む(もうその時点で自販機の意味なし)ニュース・スタンドになら、一部は残っているかも知れないと、今度は車で本格的に探す。

そして一時間半もウロウロして手にしたものは、某所に一部だけ残っていた無料の新聞のみ。バラク・オバマと家族が、昨夜の勝利集会に登場する写真が一面を飾っている。"Arrasa Obama"(オバマ、圧勝)・・・ううう、スペイン語。


2008年11月11日(月曜日)

明日で大統領選から一週間が過ぎる。ノース・サイドではそうでもないが、やはり黒人街では、いまだざわめきは去らず。

アーティスで元シカゴ・サン・タイムスのカメラマンに会ったので、「ねぇねぇ、5日(投票翌日)付の新聞、手に入らない?売店やコンビニはおろか、辺鄙な住宅地にあるニュース・スタンドでさえ、あの日、一部も目にしなかったんよ」とお願いしたら、「うんうん、分かる分かる、本社にも朝から人が殺到してたもんね。2部?いいよ、ちょっと待ってて」と車へ取りに行った。

先週水曜日の各紙は増刷したものの、あまりにも早い売り切れに苦情が殺到し、新たに増刷して6日にも再配布した新聞があったとニュースになっていた。しかし、オレがそれを知ったときは既に遅く、またまた手に入れる事ができなかったのだ。

おお、"Chicago Sun-Times"ロゴ入りビニール袋。昔のレコード屋さんの袋と似てる。何かあっけなく歴史の記念品が手に入ったので、実費に僅かばかり「飲み代」を足して渡すと、「ありがとね。ビリーから7部頼まれていたから、今日は車に一杯積んでたんだ」と、まだまだ出てきそうな勢い・・・オッサンか、新聞買い占めた元凶のひとりは!


2008年11月21日(金曜日)

ポーランド系カメラマン、某さんの"Chicago Blues Exhibition"という写真展へ行って来た。被写体はオレを含め、ほとんどがローカル・クラブの無名に近いミュージシャンたちだったが、大きなパネルとなった白黒写真には雰囲気がある。大阪から来て、まだ一年にも満たない女性サックスのAちゃんの一枚は、絵はがきに使えそうな構図だった。ただ、プレートに印された彼女の名前が"Ariyoko"。発音は遠くないのだが、「アリヨ子」って。


2008年11月22日(土曜日)

ビリーが単独欧州出張の週末、ジェームス・ウイラーとロザ。

最近はスケジュールがゆっくりしているが、この週末からサンクス・ギビングの来週木曜までは休みがない。芸歴と給料や出演料が比例する芸能界(ある程度売れ続けているのを前提)とは違い、オレの生活の基盤は、日雇い、派遣、請け負い、期間労働といった言葉がしっくりする。単純労働ではないのに、横並びの低賃金。結局、回数を稼ぐしかない。

重い機材を運んで、冬は雪に気を使いながら、何歳まで現役で働けるのだろうか。


2008年11月25日(火曜日)

ガソリン代が$2/ガロン(約¥50/リットル)を割り込んできた。もっと下がれ、もっと下がれ。

モリー・ソチャットらとダウン・タウンのオシャレなマティーニ・パークで。今月はスペシャル20ズ("SP20s")のライブが多い。ウッド・ベースの入ったスイングは楽しいけれど、バンドがあまりにも無名で仕事の広がりのないのが難。

今夜もここの駐車場係はオレに預かり証を渡さなかった。正規の値段は$12だが、オヤジがいつも$8にしてくれるのは、ミュージシャン割引があるからではない。それが彼のポケットに直接入るということを知っているが、通りの向かいに在る$9の公営駐車場を利用するよりも便利だし、それでもオレは得になるから、オヤジの内職の手伝いをする。

今週の金曜日に"SP20s"と演奏するハウス・オブ・ブルースは、従業員割引があって$27が$9になる。以前は早い目に現場へ着き、搬入後に辺りをウロウロして路駐場所を探す手間を掛けていたが、最近は面倒で預けるのが常になってしまった。大体が、終演後に再び車を取りに行くことを合わせても、$10 位ならと楽をしてしまう。ダウン・タウンの厳しい駐車事情を考えずに済むだけでも、"Valet Parking"の利用は止められない。


2008年11月26日(水曜日)

ジェームスとローザス・ラウンジ。えっ!?水曜日なのに、ロザ?明日の木曜日は店の公休日(感謝祭)なのと、水曜がレギュラーのレイ・アリスンが休みを取ったので、オレたちが繰り上がった。

最近では飛び抜けて良かった演奏だったのに、誰からも褒められなかったサンクス・ギビング前夜。


2008年11月28日(金曜日)

H.O.B.でSP20's。

妙な酔っぱらいのおばさんが寄って来て、「アンタさぁ。もっと笑顔を見せてよ」と求める。えっ!?厳しい顔してますか?きっと疲れてんでしょ。ちょっとだけ笑ったら、「そうそう、それ素敵だよ」と受けた。何やねん・・・。

終演後、駐車場の受付で料金を支払おうとしていると、かのおばさんが精算機の前で困っていた。「なんでこのカード入らないんだよっ!」と悪態を吐き、何度も差し込み口へ入れ直している受取証を見ると、ポケットかどこかへ乱暴に仕舞っていたらしく、カードの磁気が読み取れない程にグチャグチャと折り曲がっている。「それ、係員に換えてもらわないとダメですよ」と言うと、彼女はフラフラとカウンターへ向かった。

おばさんから「笑顔を見せろ」と言われたことを思い出し、文句を垂れる係員に食って掛かる彼女へ精一杯の笑顔を向けると、「素敵だよ」という言葉はもう返ってこなかった。


2008年11月29日(土曜日)

久し振りに出張教授。

以前からロニー・ベーカー・ブルークスのキーボードのSがレッスンを申し込んでいた。いつまでも現場だけで活動していると思い込みたいので、糊口(ここう)を凌ぐための定期的なレッスンは引き受けないが、ワークショップやセミナーを含め、単発なら自尊心も傷付かずに済むという独り善がりな言い訳を通している。というよりも、えっ!?オレが人にモノを教えるの?それも学位のある日本文学ではなくて音楽で、という戸惑いがあるのも隠せない。レッスンを生業としている人にも申し訳ないし。

それなりに名が知られる若手ギタリストのロニー・ベーカーは、「ブルース・ブラザーズ・2」に出演したグラミー受賞者であるロニー・ブルークスの息子で、月曜日のアーティスにはいつも顔を出す常連である。そのロニーのキーボード奏者にオレがレッスンするのを聞いて、ビリーは"Goooodd!"と笑った。

ビリーを大兄と慕うロニーのキーボードが、ビリーのキーボードの生徒となることは、ある種の優越感になるだろうか。オレとしては、いつかロニーのバックにアリヨ・フレーズの広がることが楽しみでならない。