傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 55 [ 2007年5月 ]


Henry, Thomas and friends
Photo by Y

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2007年5月6日(日曜日)

普段は閉店日のロザでSOBのDVDとCDの収録。

キャリー・ベルの逝去をユダヤ人ハーピストのマシュー・スカラーがビリーに告げて会場でアナウンスされる。具合が悪いのは聞いてたから、残念だけど驚かなかった。ルリーもマシューに連れられて来店していた。お悔やみを言っても普段と変わりのないのが救い。

ブルフェスまでひと月、まだ誰からも出演依頼や条件の話がないのでマネージャーに連絡する。もしサポートが必要なら何人ほど雇えるのか、またソロなら一時間の演目を考えねばならない。

『あの、ブルフェスのオレの名前での出演の件、その後何か連絡ありましたか?』
『別に前と何も変わりないわ、ギャラは$*#@で時間は8日金曜の午後2時半から一時間のソロよ』

ババぁ、えらい情報増えとるやんけ!


2007年5月9日(水曜日)

ヴァンス・ケリーのキーボードのジョンが遊びに来ていた。ビリーがジョンをステージへ呼んだとき、ヤツがチキン・ウイングを素手で頬張っていたのをオレは知っている。

そしてジョンが去った後の鍵盤は、ヌルヌルと油にまみれていた。


2007年5月14日(月曜日)

それは現実感のない風景だった。

アーティスの演奏までの時間、不定期の月曜日には帽子職人にピアノを教えている。帽子職人といっても、Gの作るモノは高価で、顧客にはハリウッドの著名人やジョンリー・フッカー、バディ・ガイといった有名ブルースマンたちまでがいた。ディカプリオの出演した映画でトム・ハンクスが被っていたソフト帽がそうだ。

102番通りとウエスタン通りの交わるシカゴ市の南端、黒人居住区ではあるが郊外の趣のある落ち着いた商業地域に、ショップを兼ねたGの工房は在る。店の北側駐車場から続いた路地の裏口前に車を停め、キーボードを工房へ運んで彼と立ち話をしていると、大きな窓に影が動くのを感じた。振り返ると、シカゴ市警の制服と防弾チョッキを身に着けた男が、オレの車とその後ろに停められたGのBMWの新車の間を、奥をじっと見据えてゆっくり進んで行くのが見えた。

警官が桟の入ったガラス扉に差し掛かり、こちら側に全身が曝け出される。彼が身体の重心を落として、その一歩一歩に用心しているのが分かった。ピンと伸ばされた両腕は前方斜め下に突き出され、左の掌で包まれた右手には、つや消しされて鈍く光る銀色の拳銃が握られていた。

何も気付かず談笑を続けるGに向かって、『今、警官が横を通ったけど、拳銃を持っていたぞ』と告げると、彼は慌てて扉に駆け寄り鍵を掛け、『表のドアの鍵も掛けて!』とオレに指示する。『今まで、この辺りで事件らしい事件なんてなかった』と、顔を強(こわ)ばらせて一人言のように何度も呟(つぶや)き、狭い店内を行ったり来たりして動揺を隠さない。月に何度も来ないオレと違い、閉店後もひとりで作業をする彼としては当然である。

その間にも、数人の警官がオレたちの車と建物の隙間を通り抜けて行く。銃口が指す方向に、相当の武器を携えた賊が潜んでいるに違いないことは瞬時に理解できる。知りたかったのは、追われている者の凶悪性も含め、どれほどの緊迫した情況にオレたちが置かれているのかということだった。近過ぎて見えないのだ。

路地側の扉を下手に開けて顔を覗かせるような真似はできない。それどころか銃撃戦にでもなれば、外から見えるところに居て、流れ弾に当たらぬとも限らない。一瞬「人質」という言葉が過(よぎ)ったが、既に警官が到着して奥へ向かったので可能性は薄い。オレは冷静に『銃撃や逮捕時の乱闘で車に傷を付けないでくれよ』とだけ願っていたが、ふと思い付き表のドアへと向かった。 

店の前は大通りで、何人かの野次馬が向かい側からこちらの様子を窺っている。彼らに緊張した様子はなく、何となく事の終わっている予感がした。部屋の隅で考え事をしているGの脇を抜け、裏口のガラス扉から奥を見ると、十数メートル離れたところで任務を終えた体(てい)の警官が立っている。外へ出たオレが右手をかざすように前へ出すと、彼は頷きながら両手を前へ広げて一度振り、片のついたことを示した。

警官から事情を訊いた近所の人の話では、拳銃を持ってどこかを襲った強盗は、GのBMWと工房の裏手の陰に逃げ込んでいたらしい。どうやらオレが到着する直前か、キーボードを運び込んだ直ぐあとのようだった。もしもばったり出くわしていたら、賊はどうしただろう。結果論として、発見されたとき大した抵抗もなく直ぐに逮捕されたことを考えると、オレと鉢合わせても相手が逆に怖がって逃げたかも知れない。

脳裡をかすめた「人質」の件にしても、そういった恐怖心の希薄さは、実際に最後まで賊の姿を見なかったことによる現実感のなさに通じる。銃声はもとより、恫喝や争う気配もなく、この事件のオレにとっての事実は、銃を構えた数人の警官を横から眺めただけだったからだ。

いつかビリーが「治安」について言ったことを思い出していた。マイノリティの中でも少数者であるアジア系に対する、黒人街での侮蔑(差別)に関する一般論について意見を求めたときだ。

『俺がアリヨを助けられることには限りがある。この街が日本のように安全でないことが嫌だったら帰った方が良い。でもアリヨはそれを知っていて、自分で決めてここへ移って来た。俺もそうだが、生き延びなきゃいけないんだ』

論旨からはずれていたが、ビリーの使った「サバイバル」という言葉が印象に残った。

Gは何事もなかったかのように、オレの教えるフレーズのひとつひとつに感嘆の声を出しては、熱心に練習を繰り返している。商売を成功させ生き延びていこうとする強い意思が、あれだけ狼狽(うろた)えていたにもかかわらず、セキュリティの強化の思案の中で恐慌状態を沈静化させたに違いない。

お前も護身用に何か武器を持てと助言する人がいるかも知れない。しかし、特に銃をオレは生涯持たないだろう。他国が軍備を増強しているからと軍拡競争を厭(いと)う思想に反するからだ。 

やがてアーティスで演奏が始まると、キーボードの脇の狭い空間に大男が立って揺れていた。その手に持った瓶から、鍵盤の上へビールがこぼれるかも知れないという恐怖が、今のオレにとっての現実感だった。


2007年5月16日(水曜日)

月曜日の「ひょっとしたら人質になってたかも事件」を、ジェネシスへ遊びに来ていたHに話すと、彼は鼻でフンと嗤った。

『おらぁさぁ、去年の暮れにホールド・アップに遭ったんだ、それも二回!』
『えっ、どこで?』
『ステートと59番通りの辺りさ』
『もう一回は?』
『いや、同じ場所でさ』
『それ同じヤツだったんじゃないの?』

彼は少し考えていたが、何かを思い出したように目を丸くして口をあんぐり開けた。かの界隈では、Hはお得意様だったようである。


2007年5月17日(木曜日)

水曜日から土曜日までの4日間、毎日違うバンドで日替わり弁当。

今晩はハウス・オブ・ブルース(以下HOB)で、ハーモニカのモリー・ソチャット率いるザ・スペシャル20ズって初めてのバンド。ウッドベースと大人しいドラムだったので、全編オーソドックスなブルース(ブギ、スイング、ジェンプを含む)を最後まで楽しんだ。しかし、ピアノがいるのに、ギター2本、ハーモニカ2本の総勢 7人は登場し過ぎ。選曲が面白かっただけにもったいない。

それにしても、モリーのバンドといい、いつものロブ・ストーンや以前一緒に出演したカートといい、HOBのレストラン(バック・ポーチ・ステージと呼ぶらしい)でブッキングされるバンドに黒人はほとんどいない。

マシューもそうだが、ハーモニカ・ボーカルのリーダーには白人が多く、昔の音やフレーズをちゃんと知っているマニアックなサポートの人も非アフリカ系ばかりなので仕方がない。そしてほとんどが州外からの客相手に「ブルースでございます」のショウを観せたい店側は、シカゴブルース隆昌の5.60年代物を重宝する、その中心がハーモニカという分けなのだ。

地元客で賑わう黒人街のクラブは別にして、観光客の少ないローザス・ラウンジ、観光客が半々のキングストン・マインズ、ブルース、観光客の多いブルー・シカゴ、バディ・ガイズ・レジェンズ、観光客しか来ないHOB・バック・ポーチと、北部の店はダウン・タウンからの距離や地域性で客層に特徴がある。

それぞれの店もブッキングに傾向があり、例えばブルー・シカゴはサポートを含めてアフリカ系ミュージシャンを好むし、音楽ジャンルは問わず全国クラスのツアーバンドばかりのHOB・ホールにHOBバック・ポーチは上記の通りで、大音量ギター系のマインズに肌の色関係なくほとんど毎日が異なるバンドのブルース、知名度はなくてもオーナーの好き嫌いが反映されるローザス、週末はお名前でのレジェンズと、主なクラブの住み分けは共存共栄の意識で成り立っているようだ。

オレはサポート・ミュージシャンのひとりに過ぎないが、古典からモダンまで、様々なバンドでそれらの店に出入りさせてもらっているのが嬉しい。ただ、アレサ・フランクリンやアル・グリーンの出る、一番美味しそうなHOB・ホールの果実の味を知らないことが残念である。


2007年5月18日(金曜日)

昨日に引き続きHOB・レストラン側で、ハーモニカのロブ・ストーンと夕刻6時よりパーティ演奏。そして宴会お開きの後、レストラン営業終了の午前1時半まで通常演奏の2本立てと長丁場だが、機材を置いて来ているから「入り」は楽ちん。

搬入口のエレベーターで爆音ドラムのリックと一緒になる。えっ、ロブとこいつが一緒!?と訝しがると、『おっ、アリヨっ!今日はレストランかい、誰と?』とリックから訊いてきた。ははぁ、お前はホールの方でエエ仕事かいな。『そうだよ、ジャイルズのバンドで "Grayboys Allstars" のオープニングなんだ』

ジャイルズはSOBのお助けギタリストの高順位者だが、自分の仕事を優先するから一昨日のジェネシスにも来なかった。前座でも何でも、憧れのホールの方へ出演できるんやったらエエがな。

世界の"TOYOTA"の販売店のパーティが盛り上がっているのかどうなのかは分からない。オレたちの演奏に客が楽しんでいるのかどうかも分からない。一時間の唄なしBGM演奏が終わると、ロブはメンバーに『次は9時半からだよ』と告げた。2時間半の休憩・・・。

HOB・レストランのサービスの評判は悪くても、キッチンの評価は高い。早くからの仕事にはシャワー付きの立派な楽屋があてがわれ、その従業員用のバフェー(バイキング)にもありつける。夕飯を済ませて来たオレは、持ち帰り用の箱にラザニアやサラダ、鶏肉などを詰め込んでおく。

オペラ劇場にある様な個室のバルコニーからジャイルズのバンドを見学。ベースに、タイロン・デイヴィスやオーティス・クレイのバックだった若いジュワンがいて羨ましい。ブルージーなロックやファンクがおしゃれで、確かに爆音ドラムが似合っている。管楽器も2本入って、SOBでは控えめなジャイルズが豪華な音を並べて動き回っていた。

楽屋へつながる通路に入ると、ペットボトルの水やジュースの瓶などを抱えた某と出くわす。そりゃ、楽屋の冷蔵庫の中身は無料でしょうが、何もそんなに持ち出さなくても・・・だいたいアンタ休憩ごとに持ち出してないかい?そして「まかない」を一杯食べて、持ち帰り用に二箱入れて、その上キッチン(出演者は$15相当がタダ)にもオーダーしている。「意地汚い」という言葉が思い浮かんだ。

終演して引き払うとき、ふと冷蔵庫の扉を開けた。コーラ類、ジュース類、ビール類などが30本ほど、水ペットボトルが20本ほど入っていたと思ったが、ダイエットペプシ数本にペットボトル2本が寂しく置かれていた。そしてオレは気が付くと、ペットボトル2本を掴んで「意地汚い」仲間入りを果たしていた。


2007年5月19日(土曜日)

日替わりユニット最終日。北の郊外スコーキーの小さな劇場で、ドラムのロバート・某(なにがし)さん率いる "Chicago Blues All Stars" の一員として参加。メイン歌手にはサミー・フェンダーとトミー・マクマクリン・・・私も含めてオール・スターズですか。

自宅から車で10数分の劇場にはヤマハの高級グランドピアノS4が設置されており、機材を運ぶ面倒もなく午後8時から2時間余で終演。これなら毎日でも通いたいほど楽な仕事でした。特にサミーさんもトミーさんも語りが多く、ソロ振りも少なく、お笑い演芸会の如き、かといって吉本系ではなく、松竹か浅草演芸場系列の、年配向けのショウがなんとも微笑ましく、途中休憩もなかったのに、あっという間のフィナーレでした。

お二人とも普段は目立った活躍をされているとはいえず、どちらかといえば小さなクラブや冷たいお客さんを相手にすることが多いのですが、今晩は満席に近いお客さんの反応が素晴らしく、往年の日々、そんな日があったかどうかは分かりませんが、ご両人とも大スターの気分で舞台を退かれました。ただね、あまりに舞い上がられたのか、手持ちCDの宣伝・販売を忘れて楽屋でも興奮していたために、気が付かれたときには、お客さんのほとんどは会場を後にされていたようです。

帰り支度を終えたオレが駐車場へ向かうと、出て行こうとする車を止めては、CDを売りつける某の姿があった。


2007年5月25日(金曜日)

ダウンタウンの摩天楼の26階にある"Tavern Club"でSOBが演奏。

およそナイトクラブの響きの店の名とチケット代(ひとり$60)に日当を期待するも、入ってみれば田舎のダンスホールにも似た場末の雰囲気と、数少ない入場者数に気持ちは萎える。唯一、20畳はあろうかというテラスからの眺望のみ、その名に相応しい。但し床を見れば、何かの欠片ともいうべき瓦礫状の小さな物がそこここに散らばっており、流行らないデパートの屋上にあるビアガーデンの如し。

ミシガン通りを隔てて建つ高級アパートメント、そのペントハウスのベッドルームから続くシャレたテラスが見えている。オレは飛び移りたい衝動を必死で抑えていた。