2005年12月1日(木曜日) ときどきロザへセッションをしにやってくる白人の親子がいる。息子がギターと唄で母親がドラム。 小柄で少し猫背の息子はアル中らしく手をプルプルさせているが、リズムは振れてもギターのフレーズはしっかりしていて、昔はちゃんとしたギター弾きだったのだろう。結構な資産家らしく、乗ってくる車や着ている服、ギターなどは高価なものにもかかわらず、彼が貧相に見えるのは、きっと放蕩の結果に違いない。自嘲の歌もその結果に違いない。まだ50才代前半のはずなのに、連れてきた女性と最初は夫婦かと見間違えてしまった。 その母親は上品でかくしゃくとしていて、黙って座っていると好々爺としか映らない。ところが口を開けると"Hey Man ! Your sound's gooood ! " と男言葉を使う。彼女の見た目と息子の年齢を考えると、鬼籍に入っていてもおかしくない歳であろうが、ドラムの前に座ると目をカッと見開きそれなりの演奏をするから、彼女も昔は相当ならした腕前だったのであろうと拝察してしまう。 この親子の紡(つむ)ぐリズムは、これまた相当なもので、アップテンポで始めたものが終わり頃には立派なスローの曲になっていたり、一斉にブレイクするところで半テンポずれて裏返しになるものだから、おつき合いさせて頂くオレやベーシストは、演奏を一時中断してしまうことさえある。そんなときはいつも、老人ホームの慰問を思い出したり、リハビリの施設の看護師を思い浮かべたりするのだが、シカゴでも名の知れたクラブのひとつである「ローザズ・ラウンジ」が、老人介護の施設であろうはずもなく、かといって清い気持ちをわざわざ穢れさせるわけにもいかず、複雑な精神で介護師の態度は続くのである。 『アリヨ、これ、あんたにプレゼントよ』 老母のシャーロットが笑顔でそう言って、小さな本をオレに渡した。ぺラっとページをめくってみると、表紙裏に彼ら親子の名前を添えて「ユーステへ メリー・クリスマス」と黒字で記されている。ユーステ?・・・その横には書き足したように青字で「and オレオ」とある。ははぁ、先々週までシカゴに滞在していた東京からのギタリストの名前は「ゆーすけ」で、この親子とは親しかった。彼らはゆーすけ君が帰国してしまったとも知らず、クリスマス・プレゼントに本を持ってきたが、事情を理解して急遽オレに宛名を変えのだ。 それでもなんとなく嬉しかったので、最高の笑顔と中くらいの喜びの声色で礼を述べ、改めて表紙を眺めた。"A Little Treasury of HAIKU" 英文の「俳句入門書」・・・オレ、大学で国文学専攻だったんですけど・・・。 2005年12月3日(土曜日) 集客数250人、50センチ以上の高さのりっぱなステージを持つ「チェッカーボード・ラウンジ」で、デロリス・スコットを代役にSOBのビリー抜きのライブ。西海岸で療養しているビリーのお母さんの具合が悪く、彼は急遽すべてをキャンセルして出掛けている。 移転して新しくなったチェッカーボード・ラウンジは、元の場所と同じサウスサイドでも名門シカゴ大学の側(そば)で、南地区きっての高級街、ハイドパークのお洒落なモールの中に建つ。目の前の広い駐車場のパーキング・メーターは24時間稼動していて、25セントで15分とダウンタウン並の料金である。身なりの立派そうな客が多く、半数以上を白人が占めていた。 42番街に在った頃とはエライ違いだ。昔はチェッカーボードで仕事があると憂鬱になった。ギャラが安いだけではなく地域環境が劣悪で、機材搬出入時だけではなく、駐車中の車の心配までしなければならなかったからだ。オレの出演経験は知れているので、幸い禍いに遇うことはなかったが、タイヤを盗まれた話を良く聞いた。 知り合いの白人ギタリストは、搬入時に怪しげな女性が寄ってきたので用心すると、彼女は汚れた車用バッテリーを$10で買わないかと言ってきた。彼は言下に断わり店へ入る。演奏を終え車に乗り込み、エンジンを掛けようとしても、スターターはウンともスンとも反応しない。ボンネットを開けると、バッテリーは見事に盗まれていた。そこで別の男性がどこからともなく現れ、手にしたバッテリーを売り付けてくる。女性の姿は当然なく、ギタリストは泣く泣く$40を支払ったそうだ。 初めてシカゴへ来た頃、42番街のチェッカーボードでは、ノースサイドのブルースクラブには感じなかった南部の土の香りを嗅いでいだ。今もそんなクラブはあるのだろうが、仕事として演奏する限り、割に合わない店に出入りすることはない。懐かしいチェッカーボード・ラウンジの名前と、白人街のクラブと変わりなくなった様相に、どこかでホッとし、どこかでがっかりしていた。青臭さい郷愁なのだろうが、汚く薄暗い旧チェッカーボードは、ブルースに憧れた気持ちと若い危うさが堆積していたのだ。 ビリー抜きの演奏は少し新鮮だったが、何か物足りぬ夜を過ごす。表へ出ると降り続いていた雪は止み、冴えた空気が逆に寒さを感じさせていた。 2005年12月7日(水曜日) 最高気温マイナス8℃、最低気温マイナス15℃の本日、ビリー・ブランチのご母堂のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。 2005年12月8日(木曜日) 気温が氷点近くまで上がってきたかと思ったら雪は降り続き、目視ではすでに15センチ余り積もっている。こんな日は車を出すのが嫌だと駄々をこね始めていた夕刻、ロザのトニーから電話。積雪5センチで店の前の道には車を駐車できなくなる(除雪のため)から、今日の演奏はなしだと。要はこの雪じゃ商売にならないと。ありがたくもあり、悲しくもある。 2005年12月11日(日曜日) ビリーは母を亡くしても、昨夜のレジェンドの演奏を気丈にこなし、お葬式の準備のため再び西海岸へと向かった。そしてオレは、2時間ほどの仮眠で次の仕事へ向かう。 ハーモニカのロブ・ストーンとの、ハウス・オブ・ブルースでの宴会仕事は、入り時間が午前10時だった。メールに「演奏は11-2 時」とあったので夜だと思っていたが、電話で最終確認したときに午前だと念を押されて冷や汗を掻く。メールをあらためてよく見ると、確かにPMの文字が横たわっている。『午後2時には終了するから楽でいいだろ?』と彼は言うが、今朝の4時頃帰宅した身には辛い。 寒い上にアパート裏の駐車場の雪が凍っていて、車を出すときに時間が掛かる可能性もあったので、9時過ぎに部屋を出るが眠いことこの上ない。10時過ぎにドラム以外のメンバーは揃ったが、ベースのS君など、ミネソタ州での演奏を終えた足で直接現場入りしたため、生気のないやつれた表情をしていた。 10時半になり、いまだドラムのEが姿を見せず連絡も取れないため、ロブは焦り出した。45分になって、一セット目をドラムなしで始める覚悟をオレに告げる。自分が間違えかけたことは言わずに、『きっと夜の部と勘違いしてるぞ』と彼を脅した。ロブは笑っていたが、インディアナ州の自宅で睡眠中のEと連絡が取れたのは一セット後の休憩中で、彼はやっぱり夜と間違えていて、今さら急いでも間に合わない不憫さを呪っている。 ところが、ドラムなしでも何とか乗り切れたと気を良くしたロブは、Eのギャラの取り分を4人で分けるから最後までこのユニットで演ると言い出し、緊急の控えドラムを用意する気は見せなかった。オレにすれば逆で、バンドのリズムにグルーブがないことを恥じ入りたい気持ちで一杯になる。それでも何とか引っ張ろうと賢明に足の踵を踏み鳴らし過ぎ、ただただ疲れてしまった。 午後のあまり遅くない時間にアパートへ戻り、泥睡し目覚めると8時になっていた。普段は起きてそろそろ出かける仕度をし始める時間だが、今日の仕事はもう終えている。これから明日の仕事まで丸一日もあると思うと、ようやく気分が晴れてきた。 2005年12月12日(月曜日) 今朝の7時頃、アパート前の角の辺から金属のぶつかる音がしたので覗いてみると、やはり車がぶつかっていた。最近は最高気温が氷点を上回ることはなく、先週降り積もった雪も解けようはずはない。スリップしたのか、えんじ色の小型車が一方通行と反対方向に向き斜めに停まっていた。その煽りで、路上に駐車されていた銀色の小型車が後輪を歩道へ乗り上げ、堆(うずたか)く積もった雪の中にお尻を突っ込ませている。えんじ色の車の助手席からは、心配そうに老婦人が出てきて車体の前部を点検した。エンジンは掛かったままのようで、運転している老いた男性は彼女に何やら告げ、タイヤをスリップさせながら、四ツ辻でようやく方向を変えた。そして婦人は再び車へ乗り込み、二人は逃げた・・・おい! 2005年12月14日(水曜日) ジェネシスの駐車場で、ドラムのモーズの友達のハワードとはち合わせる。彼はいきなり『つい一時間前に、強盗に襲われてよぉ』と、笑いながら言った。 『えっ!?強盗?』 車を持っていないモーズを迎えに行く途中、ハワードは知り合いの家へ一旦立ち寄り、車に乗り込むところを襲われたらしい。モーズの自宅から5ブロックほどのところでの災難だ。月曜日のアーティスの帰りは丸山さんがモーズを送るし、オレも彼を送ることがあるので気を付けねばならない。 ハーモニカのクレメンスにその話をすると、彼も一度被害に遭ったと語った。 『昔のことだけど、まだ夜中の12時前、停留所でバスを待っていたら、拳銃を持った二人組の強盗に襲われてさ、他にもバス待ちの人は4-5人居たかな、みんな並んで両手を挙げ、好きなようにされていた。最後に俺の番になって、強盗のひとりがズボンのポケットに手を入れようとしたとき、もうひとりが彼の頭を殴って、取り分全部奪って逃げていった。それで俺だけ何も盗まれなかったんだ。拳銃をもった奴には逆らわず、じっと両手を挙げてなきゃだめだよ』 ギター・ボーカルで、州の現役警官であるTに再び同じ話題を振ると、彼は神妙にアドバイスしてくれた。 『今年は強盗の発生件数が増えてるから、夜のガソリンスタンドや機材の搬出のときなんかは気を付けろよ。俺もそうだがアリヨは戦えるだろう。でも止めておけ、抵抗するな。奴らは人生を捨てているから、僅かの金で危険な目に遭う必要はない。だから最近俺は、私生活でも拳銃を携帯してるんだ』 いやいや、Tさん、オレは戦いませんし、拳銃を持つこともありません。大体、先に拳銃を突き付けられていて、どうやって威嚇できるんですか?ましてや素人の私に迷わず人を撃つことも出来まいし、撃ち合いになることこそ危険が増しませんか? 著名なドラマーのSさんを思い出した。ポケットに入れていた拳銃が暴発して、股間にぶらさがるモノのひとつを消失されたらしい。拳銃は持っているだけで危険が増す。そしてこの国では自衛の権利が過剰に保証されていて、危険を簡単に手に入れることができる。 犯罪件数の減少傾向にある近年のシカゴだが、それでも一日40件以上の強盗があり、毎日一人以上が殺されている。 2005年12月28日(水曜日) キリスト教徒が絶対多数の国のクリスマスは、人々は家族と共に粛々とその日を迎える。そしてオレは仕事にあぶれ、その間(かん)、クリスチャンではない友人たちと三つのパーティに明け暮れていた。 一日目はクリスマスに営業している数少ないレストランで散財し、二日目は某お宅でお好み焼きパーティ。一日置いた昨日は再び別某お宅のお好み焼きパーティで屋台のオヤジを演じた。二日間でお好み焼き10枚、広島焼きソバ入り5枚、ネギ焼き1枚をオレひとりが焼く。 そして今晩のジェネシスからチキンウイングを持ち帰ったにもかかわらず、午前3時頃には屋台のオヤジに注文して、一瞬でそのオヤジに変装したオレは自分のために「特製広島焼きソバなし」を作り始めていた。 2005年12月29日(木曜日) かの黒人のオッサンはすでに一番前の席で鎮座していた。本来ならロザで生ピアノと遊んでいる時間だが、ビリーの仕事優先で、キングストン・マインズへ機材を搬入していてオッサンに気付く。まだ9時になっていないのに、もう乗り込んできている。 オッサンは自称B.B.キングの落胤(らくいん:正妻以外に産ませた子)らしいが、王様の面影は風貌にも演奏にもなく、ミュージシャンやクラブの関係者は嫌っている。オッサンが嫌われているというよりも、オッサンの唄とギターを嫌っているのだが、オッサンは自分が当然ステージへ呼ばれるものと思い込んでいるから、いつ呼ばれても良いように常にスタンバイしているのだ。そしてほとんど場合、呼び出されることはなかった。この日記にも何度か登場したが、いつのことだったか忘れてしまった。それほど久しぶりにオッサンが顔を見せていたのだ。 オッサンの方からオレに挨拶することはなく、タバコをせがむときだけ近寄ってくる。その態度が、時に卑屈であり、時に横柄なので、残りの本数と相談し、断わるときもあれば差し出すときもあった。そして今晩も機材をセッティングしているオレを呼び止めたので、もうこれだけしかないからと丁重に断わると、オッサンは『自分だけで楽しんでくれ』と捨て台詞を宙に放つ。オレはオッサンと連れタバコして一緒に楽しむ気など毛頭なく、貴重なタバコを一時(いっとき)の気の迷いで失わずに良かったと思った。 次にオッサンが向かった相手はビリーだった。大将はさすがに人ができていて、一瞬困った顔を見せたが断わらなかったようだ。オッサンはその一本を当然のように受け取ると自席へ戻り、グラスの横へ無造作に置いた。しばらくしてオッサンがテーブルを離れたとき、元ビリーのタバコはまだ吸わずに置かれているのが見えたが、オッサンがぞんざいに扱ったのか、少し曲がって皺が寄っている。他人がやったタバコなのに、オレは何故か腹が立った。 オッサンの忍耐は相当なもので、2バンド6セットの最終セットまで粘っていた。ついに最後のステージとなり、ビリーがゲストを呼び出し始める。オレはオッサンが呼ばれないことを確信しており、オッサンは呼ばれることを確信していたようだ。久し振りに顔を見せていたギターのシュンをモーズがアナウンスすると、オッサンはのっそりとステージへと向かった。モーズが再び『シュンです』と連呼する。オッサンは自分がシュンだと動じていない。ステージ脇に控えていたマインズのMC兼キーボードのフランクが首を横に振り、無言で悲鳴の表情を見せていた。オッサンがステージへの階段に足を乗せようとしたとき、『あんたを呼んだんじゃない』とようやくビリーが説明する。そして『今日はもう時間がないから、あんたを上げることはできない』と付け加えた。 誰かがオッサンにハッキリと説明しなければいけない。大切そうに手元へギターケースを置き、6時間も待たされて『時間がない』という言い訳は納得しないだろう。オッサンはタバコの恩義のあるビリーに対してさえ、やはり何かの捨て台詞を吐いたようだった。やがてシュンが上がり、オレもフランクを上げ、ベースも代わってビッグタイム・サラが唄い始めると、オッサンはすごすごと帰っていった。その後ろ姿を見て、タバコの一本を惜しんだ今日のオレの気分を賎(いや)しいと恥じていた。
|