傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 3 [ 2001年10月 ]


Mose Rutues
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2001年10月2日

今日は1時に起きて韓国人の弁当屋でカリフォルニア巻とサーモン巻を買い($8)、郊外の森で食べたあと、上半身裸になって車の窓を思いっきり綺麗に拭いたった。昼間はめっちゃ暑くて、車もクーラーいれて走ってたから、外気は30°Cくらいあったんちゃうかな。ガス入れて帰りにミツワ (日本食料品店) で買い物。いきおいインスタントが中心になってしまう、いつも通り。

あっ、今TVでジョン・レノンの追悼 (ダスティホフマンとか色んな役者がそれぞれ一曲づつ司会して、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルとか、世界クラスの奴が一曲づつジョンの曲を演奏する。中には人の歌唄ったら下手丸出しのヤツもおる) とNY支援のチャリティみたいなんやってるけど、シンディ・ローパが唄ってるストロベリー・フィールドのキーボード、アジア人っぽいって思ってたんや。目立たんキーボードやのに身体揺らすな、首振るなよ!おいおい、感じ出すようなこと弾いてへんやんけっ。
映ったか映ってへんかぐらいの扱いやのに、なに調子こいてねん!
あっ、お前坂本 . . . . !!

坂本龍一様なら文句はございません。


2001年10月5日

アーカンソー・ヘレナ「キング・ビスケット・ブルース・フェスティバル」。
二日間泊まったのはミシシッピー川沿いのカジノ付きホテル。畑の中にドンっと建っていた。SOBが出演するはずの金曜の午後、雨は降り止まず中止。近くのサニーボーイ・ブルースクラブで振り替え演奏することに。客はパンパン、3バンドが続けて演奏。大盛り上がり!ああ、地方で演奏してるって実感した。地元の人は皆、生演奏に飢えていたから。


2001年10月6日

今日ミシシッピーから戻る途中メンフィスの空港で、テロ警備の武装兵がゾロゾロしているのを眺めながら、仕事仲間の黒人のオッサンに『膝カックン』をして怒られた後、「もしオレがあの兵士の誰かに同じことをしたらどうなるだろうか?」と尋ねたら、「$100やるから、オレにしたことと同じことをしてきてくれ」と言われました。
(もしそれでオレが殺されたら日本にいる両親が悲しむだろうな)と思い悩んでいたら、上司である別の黒人のオッサンが「お前が『膝カックン』を成功させても、こいつはきっと$100を払わないだろう」と言ったので、武装兵に『膝カックン』をしなくて済む言い訳が出来たとホッとしました。


2001年10月13日

(-"-) アホ弁護士!

弁護士からの10ページに及ぶ指示書が届いていた。経歴、伝記 (Biography)、それらを補足する証拠等の書き方が詳細に記されている。日本からコピーして持って来た資料は膨大。

先ず経歴、伝記を日本語でまとめ英文訳にすることから始まる。プロの翻訳家 (母国語が英語の人が絶対条件) を雇っての共同作業。伝記だけでも最低6枚は必要で、自分が如何にこの世界で優秀かを (指示書には "This is not the time to be modest" って書いてある) 述べなければならない。つまり自画自賛!

証拠となる資料は、その中から一番重要なものを録音物・評論記事・ポスターの3種各々15点をピックアップして英訳。これは翻訳の素人でも構わないが、以下の書式に則り署名しなければならない。

Certification by Translator
I, [………] , certify that I am fluent in English and Japanese, and that the
foregoing is accurate translation of the original document entitled[………].
Date:
Translator’s Name:
Transletor’s Signature:___________________________
Address:

つまり、「自分は日英語に堪能で英訳が正確であること」を証明しなければならない。
もちろん本人が署名することなんかできないので、人に頼るしかない。

おまけにこの業界の著名人からの推薦状 (書式に則る) も最低5名分要る。

卒論以来の憂鬱。この "Instructions" に合格する正しい答えを、期日 (今月中) までに提出しないと一時帰国。

アホテロのおかげで移民局は硬直化してるし . . . . . 。

今日久しぶりにニューオリンズの山岸さん (ネイティヴ・インディアンのバンド「ワイルド・マグノリアス」のバンドリーダー山岸潤史) と電話で話したけど、オッサン頑張ってる。12月に日本公演かぁ。永住権持ってる人は自由に渡航できて羨ましい。
ミュージシャンの資格で永住権を取得したのだから、今の自分の立場からは程遠い。

とにかく頑張るぞ


2001年10月14日

今シカゴは夜11時半。窓のブラインドをあげて、外の嵐のような雨模様を眺めながらメールしてます。今日は庭のリスもさすがに見かけませんでしたが、樹木のざわめきが心地よい。時折聞こえる車の音がなければ、森の中かと錯覚します。

戦争の渦中にあっても、毎日見るニュースがなければ街や生活はいたって平静です。
車や家々の窓、軒先きに見かける星条旗も、私にとっては日常の風景に同化してしまいました。

先日仕事で立ち寄った、メンフィスの空港を警備していた武装兵を見ても、どこか現実離れした光景で、きっと自分の置かれた状況に対峙するのが精一杯なのかも知れません。

ビザ問題は今月一杯がヤマです。