毎度の事なのですが、10月28日には夏時間から冬時間に変わります。何となく「1時間分だけ得をした気分」をその後数日間は楽しめます。しかし、それももうこの頃ではいつの間にか当たり前の事となりました。
「涼しくなった事だし、今週末はどうしようかな...。」と思いながら、先週末に配られた1週間古い「READER」誌を、行き付けのメキシコのデュランゴから移住して来たオヤジさんがやってる散髪屋の椅子に座ってぼんやり眺めていました(このオヤジさんは散髪をたった6ドルで引き受けてくれます。本当に商売がやって行けるのかな?)。大体10年以上この新聞を頼りにあっちこっちに出かけて来た訳ですが、最近では、ぼくをエキサイトさせてくれるような人物の名前を紙面に見つける事が少なくなりました。
そんな中でぼくの目を引いたのは「Fri Nov9 DETOROIT JR.+ARIYO、Sat Nov10 PINETOP
PERKINS+ARIYO」と言う下りでした。久しぶりにその気にさせてくれる名前を見つけたので慌てて今日配られて来たばかりの「READER」を取りに行って来た次第です。
ブルース・ピアノ。ブルース・ピアニスト。ピアノ・ブルース。言葉の響きがいいですね(笑)。何とも言えません。
ぼくがブルースを聴きだした頃に胸を打たれたヘンリー・グレイさんなんて最高です。実際、ヘンリーさん本人とロンドンの100クラブで偶然に演奏をご一緒させて頂くまで、本人の名前と顔が一致しませんでした。それを想い出すと、いつもぼくはこの老練ヘンリー・グレイさんには、随分失礼な真似をしたのではないかと今でも後悔しています。
後日談になりますが、実はこの数ヵ月後に、またヘンリーさんに出くわす事になりました。それはロードの合間でバトン・ルージュ(ルイジアナ)のミシシッピー河に浮かぶカジノ・ボートへ出かけた時でした。隣のオヤジさんが何やらスロット・マシーンに向かってブツブツ言っているので、ぼくはそれとなくそのオヤジさんの横顔を盗み見ると何と!そこには、汚れたベース・ボール・キャップに色の抜けたハワイアン・シャツを着てそれも半ズボン姿....(笑)。スロット・マシーンに野次を飛ばしていたのが、このヘンリーさんだったのです(笑)。
ぼくが最初にお目に掛かったブルース・ピアノ・マンと言えば故サニー・ランド・スリムさんでした。随分長い間、毎週日曜日に「BLUES」のレギュラー・バンドを務めて居られました。ぼくが観に行っていた頃はキレイに禿げ上がった頭にはいつも小粋はハンチング帽を被っていて、どこから見ても優しそうな好々爺と言った雰囲気しか感じませんでした。しかし、彼も若い頃はかなり無茶な事も平気でしたと聞いた事がありますが、未だに信じられません。
バンドはスティーブ・フラウンドさんがギターでロバート・コビングトンさんがドラム、ボブ・ストロージャーさんがベースだったのではないでしょうか。それにホーンが入ると言う編成でした。
当時、彼の他に活躍していたシカゴのピアノ・マンはと言えば、先ず思い浮かぶのはパイントップ・パーキンスさんですね。それからデトロイト・ジュニアさんにアーウィン・ヘルファーさんとバレルハウス・チャックさんです。しかしどうした事か、ぼくは何故か彼らのバンド・メンバーについては何も思い出せません。と言うより考えて見ると、彼らには固定バンド・メンバーなるものが必要なかったのかもしれませんね。それが、もう10年も前の話です。
それでは現在ではどうか?ぼくなど若手ブルース・ミュージシャンについては勉強不足もいいとこですが、やはりこの4人以外の名前はどうしても浮かんで来ません。と言う事は10年前から今現在までこの上のメンバー以外にブルース・ピアノ・プレイヤーと言われるピアニストが若い世代の中から排出されていないと言う現実も伺えます。
シカゴ・ブルーズ・ピアノ・レジェンズと題された今夜のライブはお馴染「ROSA'S」ラウンジで開かれました。11時頃にぼくが店に着いた頃には、ブルース・ピアノのあの打楽器にも似た強烈な左手と繊細かつ大胆な右手を駆使したブルース・ピアノを一目観ようと集まったブルース・ファンで大賑わいで、観客の中にはパイントップ・パーキンスさんも姿を見せていました。地元ミュージシャンもチラホラと目に付きましたが、珍しいとこでは去年の秋頃からココ・テイラー&ブルース・マシーンやネリー・トラビス嬢とのユニットでも大活躍中のギター・プレイヤー菊田俊介さんもお見えでした。何といっても日米激突シカゴ・ブルース・ピアノ・セッションとなれば好きものには堪りません。
久しぶりにお目にかかるデトロイト・ジュニアさん(注1)は愛嬌たっぷりで真っ赤なシャツに真っ黒なベスト、それに黒でツバの広いフェルト帽と言う衣装がなかなかお似合いでした。
デトロイトさんの演奏曲は「ブルーズ・アフター・アワーズ」「ドライビング・ウィール」「キリング・フロアー」「ファイブ・ロング・イヤーズ」などトラディショナル・シカゴ・ブルースのナンバーが中心でした。実際、こう言ったタイプの曲をその当人から弾いて聴かせて貰えるなんて、現在のシカゴ・ブルース・シーンの現状から言えばかなり珍しい事です、ぼくとしては時代がどう移ろうがデトロイトさんのようなプレイヤーにはいつまでも現役で変わらぬ演奏活動を続けて貰いたいと願っています。
その後ステージの上からデトロイトさんが「Come on ARIYO !」と今夜のスペシャル・ゲストの有吉 "アリヨ"
須美人さんをステージに呼び上げ、バトンタッチとなりました。サポート・メンバー達は毎週木曜日に行われるジャム・セッションでのハウス・バンドのメンバー達で、ギターにエディ・テイラー
Jr.、エレキ・ベースに江口ヒロシさん、ドラムにはオーナー兼プレイヤーのトニーさんと言う編成でした。
デトロイトさんが杖をピアノの脇から取り上げ静かに立ち上がる姿が痛々しいく見えましたが、どうも右足の調子がいつまでも良くないようです。彼に会うのは今年の夏のアジアン・アメリカン・ジャズ・フェスのファンド・レイズ・パーティーの時以来です。右足が悪いと言うのに、わざわざぼく達の演奏後、ぼくの傍らに来て「お前、どうやってそれ(ハモニカ)を覚えたんだ!ナイス・グルーブだ!」と声を掛けてくれたのをよく覚えています。
デトロイトさんと入れ替わった有吉さんと、それに飛び入りしたシュガー・ブルーさんがバンド・スタンドに立ちました。シュガーさんが足元も危なげにフラフラしながら「ザッツ・オーライ」「ヘルプ・ミー」などのシカゴ・ブルースを演奏しました。
面白いのは、シュガーさんの鋭角的なハモニカ・ソロとは対照的な有吉さんの好サポート振りと、緩急自在でボリューム・コントロールの巧みなピアノ・ソロが好対象で、個人的にはとても興味深い演奏でした。
後半はエディ・テイラー Jr.が「シェイク・ユア・マネー・メイカー」や「モジョ・ウォーキン」などのアップ・テンポなブルース・ナンバーを選曲して、有吉さんのピアノ・ソロを大きくフューチャーしました。有吉さんが、ブルース・ピアノの真骨頂を待ち望んで集まったブルース・ファンの期待を裏切る筈も無く、観客を大いに盛り上げた事は言うまでも無いでしょう。
演奏後の有吉さんとの会話については多くを語るつもりはありません。しかし、ぼくには、有吉さんのこの一言がとても印象的でした。
「俺がシカゴにいた当時(80年代)、最初に見たブルース・マン(ピアノ)は、サニー・ランド・スリムやった。でも俺に最初にピアノを弾かせてくれたのは、あの人(デトロイト・ジュニア)やったんや...。」
江戸川スリムのお節介注釈
(注1)Detroit Jr.
本名エメリー・ウィリアムス・ジュニア。1931年10月26日、アーカンソー州生まれ。イリノイ州の南部で育った後にデトロイトに移り、ここでデトロイト・ジュニアの名前を名乗ることになる。1950年代の中頃にシカゴに移り、レフティ・ディズやリトル・マック・シモンズなどと共演をしていた。
初録音は1960年にBea & Babyから発売された"Money Tree/So Unhappy"。これは、「Bea
& Baby Records Presents : The Best Of Chicago Blues Voi.3」
(WOLF 12.295 CD)に収録されている。
その後、チェス、フォクシー、パロス、CJに録音した後に、1965年から66年にかけて、USAに録音し、3枚のシングルを発売した。その中の1曲に、今やスタンダードと言える"Call
My Job"が含まれている。
1969年頃からハウリン・ウルフのピアニストとして活動したことでも有名である。ウルフ亡き後は、そのままバンドを引き継ぎ、ウルフ・ギャングという名前で活動を続けていた。
1991年代に入ってBlue Suitから2枚のアルバムを発売し、元気なところを見せている。
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V.A.
Bea & Baby Records Presents : The Best Of Chicago Blues Voi.3
(WOLF 12.295 CD) |
V.A.
Blues City, USA : Chicago Modern Blues 1960's
(P-VINE PCD-24095) |
V.A.
Chicago Blues Piano Hitters! : The Cobra/JOB Recordings 1950's
(P-VINE PCD-24076) |
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Howlin' Wolf
The Back Door Wolf
(ユニバーサルMVCM-22083) |
Detroit Junior
Turn Up The Heat
(BLUE SUIT BS-105D) |
Detroit Junior
Take out the Time
(BLUE SUIT BS-109D) |
(注2)有吉須美人
1957年京都府出身。アリヨの呼び名で親しまれるピアニスト。野毛ヨーコさんの「ヨーコ・ブルース・バンド」に在籍中の1983年に渡米。初めはしばらく滞在して帰国の予定だったが、ギグを重ねるうちにジミー・ロジャースに見いだされレギュラー・メンバーになってしまう。1985年にはロバート・ロックウッド・ジュニアのピアニストとして「来日」。86年からは当時新進気鋭のシンガーだったヴァレリー・ウェリントンのバンドに移籍。彼女の人気が高まると同時にアリヨに対する評価も高まり「シカゴ一のピアニスト」として、まさに引っ張りだこであった。
1988年に帰国した後も、自己のバンドの「アリヨズ・シャッフル」での活動を中心に多くのセッションに参加。1998年にはソロ作「Piano
Blue」(P-VINE PCD-5757)を発表する。
現在は再びシカゴに渡り、ビリー・ブランチのSOBsの一員として活動する傍ら、多くのミュージシャンとのギグをこなし、既にシカゴには無くてはならない存在となっている
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V.A.
The New Bluebloods
(Alligator ALCD-7707) |
Robert Covington
Blues In The Night
(EVIDENCE ECD-26074) |
Robert Jr. Lockwood
Annie's Boogie
(P-VINE VIDEO PVH-03) |
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Ariyo's Shuffle
Shuffle
(UK Project UKCP-1014) |
Kimura Atsuki & The Blues Gang
The Blues Gang Live
(EDOYA RECORDS EDCR-711) |
有吉須美人
Piano Blue
(P-VINE PCD-5757) |
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V.A.
We're Standing at the Cross Road -Tribute to ROBERT JOHNSON
(P-VINE PCD-5807) |
V.A.
PV JAZZ
(P-VINE PVCP-8195) |
Rico McFarland
Tired Of Being Alone
(EVIDENCE ECD 26113-2) |
その他に、Sony Playstation用ゲームソフト「ビストロ」(シスコムジャパン)のBGMとエンディング音楽を担当している。
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