新春特別企画、第二弾!

Blues Heaven Foundation's Hope Festival
Chuck Berry

by 細沼忠夫 (ex-Harmonica Hinds Band)

(2001年1月16日記)


Blues Heaven Foundation発行の小冊子(1994年のもの)


ここシカゴでは昨年末の大雪の影響と凍てつく寒さのため、夜の外出が億劫になりがちですが、そこで思い出すのが去年の大雪の日に見たホープフェス2000です。
慈善コンサートということもあってチケットは$50以上したのですが、僕の大のお気に入り、チャックベリーが僕のアパート近くのリビエラシアターで演奏するということもあり、雪の降りしきる中、足を運びました。
チャックベリーを見る機会というのはこちらに住んでいてもなかなか稀です。彼の年齢を考えるとこれがラストチャンスかも知れないということもあり、初めて見る彼への期待は高まりました。
今年で11回目を迎えるこのイベントは、ウィリー・ディクソン・ブルースヘブン・ファウンデーション(ウィリー・ディクソンの愛娘マリー・ディクソンが代表)とシカゴのホームレス救済団体が主催で、第1回目から出演しているボー・ディドリーが音頭をとり、シカゴゆかりのミュージシャンたちを集め毎年恒例のイベントとなっています。

10周年を記念して行われた昨年のこのフェスには、ボー、チャックはもちろん、シュガー・ブルー、ココ・テイラー、ビリー・ブランチなど、そうそうたる顔ぶれがそろいました。僕が会場についたのは9時半を回った頃だったので、既に7時位から演奏していた。ジョン・プライマー、シュガー・ブルー、ロバート・クレイ・バンドなどの演奏は見る事が出来ませんでしたが、500人以上収容できる会場は、人という人でごった返していました。
ホームレス救済の慈善イベントということもあり、バンドを入れ替える時間を利用してステージの上では、ボー・ディドリーが使用していたサイン入りギターや有名ミュージシャンの楽器、小物類などがオークションにかけられ、時には数千ドルといった高値で簡単に落とされていきました。客の大半は白人の若い連中だったけど、金持ちってのは何処にでもいるもんだなぁってビックリしました。
オークションも一段落すると、主催者の一人であるマリー・ディクソンが舞台に現れました。マリーは次に演奏するココを紹介するにあたり、ココが、ブルースに貢献した数々のエピソードを述べ、彼女もマリーの父親ウィリー・ディクソンに対する感謝を表しました。
ステージに登場したココ・テイラーは、いつものように、スパンコール付のきらきら衣装で熱唱していました。バンドはご存知、ブルース・マシーンです。リードギター兼バンドの仕切り役、ビノ・ローデンが観客を盛り上げていく中、ココの18番、「ワング・ダング・ドゥーダル」で、先ほどステージを終えたばかりのケニー・ウェイン・シェパードをステージに引っ張り出しました。ビノはギターバトルをしようと思ったみたいですが、ケニー君はかなり遠慮をしていて、すごく控えめなプレイをしていたのが印象的でした。僕は彼の演奏を聞くのは初めてだったけど、なかなかイイ音を出していましたね。ココは彼のことを知らなかったらしく、彼を紹介する時に間違えて「ジョン・ウェイン・シェパード!ジョン・ウェイン!」なんて呼んでいました(笑)。

次にビリー・ブランチのサンズ・オブ・ブルースの演奏をはさんで、いよいよチャック・ベリーが登場しました。僕の個人的な興味は50年代にチェスに残した録音で聴ける、あのちょっと歪んだベルのようなトーンをどうやって出しているか、ということでした。まぁ、ギターはギブソンのセミアコタイプということはわかるんだけど、「アンプはいったい何を使っているのか?」といつも思っていましたが、なんとギターアンプはフェンダーのデュアルショーマンでした。多分、チェスの録音の時に使ったのは小さなアンプで、つまみをフルにしてあのトーンを出したのだと思いますが、この夜、彼のアンプから出てきた音はまさに「あっ、チャック・ベリーだ」と聴いた瞬間に分かるトーンでした。やっぱ、アルバート(キング)でもマディ(ウォータース)でも昔の人というのはイントロのギターをちょっと聞いただけでも、誰が弾いているのかすぐ分かるもんなぁ。

チェリーレッドのギブソンES345を抱えて出てきたチャックは水色のラメ入りシャツにエンジ色のスラックスを履き、水兵さんの帽子を被って颯爽としていました。思っていたよりぜんぜん元気だったし、よく喋っていました。
彼の映画「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」で誰かが言っていたように、バンドはシカゴで適当に雇ったベース、ドラム、ピアノにチャックの歌とギターという編成でした。即席のメンバーということも有り、演奏の序盤から中盤にかけては、適当に曲を始めて適当に終わるといった感じで全然まとまりがなく、バックバンドの方もついていくのに精一杯という感じでした。「リトル・クイニー」なんか、あのイントロで始まって30秒ぐらいで曲が終わってしまったり、他の曲ではなかなか曲が終わらなかったりとハちゃメちゃでした。
しかし、演奏も後半に入ると、彼自身とバンドも乗ってきたらしく、客席にリクエストすること要求し、「メイビリーン」や「ジョニー B. グッド」などをダッグウォークを交えて披露していました。エキサイトしてステージに上がる女のコを降ろそうとするセキュリティを制止し、彼女達を舞台に上げ一緒になって踊る姿は、さすがキング・オブ・ロックンロールという風格でした。彼が刻むガガ、ガガ、ガガ、ガガというあのエイトビートを聞いていると、得も知れぬ気持ち良さにおそわれてしまいました。あのリフにはなにか凡人には分からない魔力か何かが取りついているのでしょうか。

今年のホープフェス2001は昨年と同じくリビエラシアターで1月18日に行われます。ラインナップは昨年に引き続き、ボー・ディドリー、チャック・ベリー、ビリー・ブランチ、そして新たにドクター・ジョン、チャーリー・マッセルホワイト、シャメキア・コープランドなどが出演予定です。


江戸川スリムのお節介注釈

今回は、注釈を付けるまでもありませんので省略しますm(_ _)m

細沼忠夫さんは、ハモニカ・ハインズさんのバンドでギターを弾いていました。ハインズさんのディスク・ガイドは、彼のレポートが届いたときに載せますが、簡単に紹介だけしておきたいと思います。
カナダ生まれのハインズさんは、ビリー・ブランチと同じようにブルースと出会ったのは比較的遅かったようです。1970年代の初め頃、サウスサイドのクラブでジュニア・ウェルズなどのプレイを見てハモニカを学んだのもビリーと似ています。その後、ビリーはメジャー路線を突っ走るわけですが、ハインズさんは先祖帰りの道を歩み、私がシカゴで見たときはギターのポールKと共にアコースティック・ライブをやっていました。近年は独自のアコースティック・バンド(?)を行う傍ら、デイブ・マイヤース・バンドに参加し、1998年にはデイブと共に来日しました。
余談になりますが、私がハモニカを吹くことに行き詰まった時(今でも?)、わざわざ励ましの手紙をくれたことがありました。そんなエピソードを持つ心温かい人です。

ハインズさんからいただいた手紙。宝物です。

Paul K, Harmonica Hinds and Slim


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