Bob Margolin

(2000年11月25日記)


Dave Myers, Carey Bell & Bob Margolin. Chicago 1994.


「マディ・バンドで演奏していた70年代頃は、どこに住んでいたんですか?」と言う僕の質問に、ボブ・マーゴリンさん(注)は「スーツケースにギターだけ。シカゴには住んだ事は無い」とのこと...。
彼は、無口な様でボソボソっと良く喋る人です。時間が許せばもっといろいろな話しが聞けそうでしたが、今夜は少し疲れているように見えましたので程々で切り上げました。14時間かけてサウスカロライナから今夜シカゴに着き、1時間のセットを3回演奏した後だったのです。明日からもウィスコンシン、ペンシルバニヤ、ニューヨークと毎日移動の予定だそうです。
僕にもその大変さが良く解ります。

ボブさんのバンドを観るのは初めてですが、サウスカロライナ近辺やイーストコーストへ演奏に出かけた時には噂はよく聞いていました。なんでも「グレイトフル・デッドのカバーをよく演奏している」とか「音がロックバンドの様にデカイ」とか...。
ブルース・バンドとしては、良からぬ噂でしたが、僕が思うに彼の様な存在は他の白人ブルース・プレイヤーや関係者には面白く無いと思われがちなのでは無いでしょうか。なぜなら、彼のいるところでマディのネタを出せないからです。ほとんどの白人ブルースプレイヤーは、マディとプレイをしたかったのに専属のポジョションには付けなかったからです。またいくら関係者だと言っても、マディと寝起きを一緒にしたメンバーには勝てません。
例えば、ある白人プレイヤーや関係者がマディとの自慢話やエピソードを吹聴したとしても、その横から「それはデタラメだ!コイツは何も知らないのに大きな顔をしている!」とやられる事になるからです。
事実、僕の印象では、こちらの他の白人ブルース・ギター・プレイヤーとは別扱いされている様に見えます。彼ならマディとのキャリアと、この間の実績だけで色々なセッションへの申し入れがあって当然とは思うのですが...。
上手くは言えませんが、分って下さい。これは僕の印象です(笑)。

かき入れ時の金曜日。バディ・ガイの店で彼のギグはありました。バンドは、なんと3ピースバンド。ギターと歌のボブに、ドラムは、ウェス・ジョンソン、そしてハモニカとベースを交互に持ち変え、ギターと歌もこなす、タッド・ウォルター。
彼は、僕がスイスとイタリアでのフェスティバルに出演した際に他のバンドで出演していました。「サウス・カロライナ・オールスターズ」だったかな?

それにしても、噂とは怖いものです。僕には彼の演奏がそんなに悪くは思えませんでした。音もシカゴの他のバンドに比べれば小さい方だし、タッドがハモニカを吹く時は、ドラムはブラシを使います。ギター・ソロも、タッドがベースに持ちかえるまではほとんど無く、渋いギター・ワークに渋い声の歌中心で曲が進むので、よくあるギター・バンドでの長すぎて音のでかいギター・ソロを聴かされるよりは居心地がいいです。これは、自分の気分と好みにもよるのですが...。(笑)
最近観たバンドに、1時間のセットで3曲しかやらなかったのもいました。
シャベリ無しで殆どギターソロでした。誰とはいいませんが。(笑)

意外だったのは、彼がほとんどスライドを使わなかったことです。スライドの曲は2〜3曲だけでした。マディの「マニッシュ・ボーイ」などです。あと、ロックンロール調の曲を結構やっていた事にも驚きました。「ロケット88」などの曲です。しかし西海岸のバンドがやるよりは重くて、ルーズで、遅くて気に入りました。感じとしては、シカゴブルース半分、重めのロックンロール半分というところでしょう。

ボブの新譜をもらったので聴いてみましたが、ライブとはちょっと感じが違いました。タッドのハモニカもライブでは「目が離せない」様なプレイとトーンとタイムが溢れていましたが、新譜では、実力の8割位かな?と言う感じです。
レコーディングでは、お金や思惑が絡んで来ます。プロデューサーや金を出す奴が一番偉いのですから、僕達のようなニ流のハモニカ吹きの言う事には誰も耳を貸しやしません。(笑)

店にはデイブ・マイヤーズさんも来ていましたので「調子はどうですか?」と訊いたら「お前、オレの言った事をまだ続けているか?」と訊かれました。
僕はいつも「All the time, Dad !」と答えます。(笑)
デイブさんは、僕がシカゴに来て以来の知り合いです。
彼はハモニカではルイスさんよりもうるさい人で、今まで一緒に演奏するたびに「こういうのを知っているか?」とハモニカの事を教えてくれます。
「もし、タフなハモニカプレイヤーになりたいなら、こうしろ!」という具合です。

彼はもう長いことクラブでは自分のライブをやっていないと思います。多分、夏のフェスでプレイするぐらいでしょう。でも、何かあるといつも現れては、ギターを弾いて歌っています。今年の春に糖尿病で片足をなくして以来、何となく以前より小さくなった感じです。誰が連れてくるのか、いつも車椅子です。
いつまでも、元気でいてもらいたいものです。

ところで、何かの宣伝にテキサスのガイ・フォーサイスさんが日本のブルース・フェスに出演するとかありましたが、もう終ったのでしょうか?(注2)
彼とは、テキサスのブルース・フェスで同席しましたが、とてもいいトーンでハモニカを吹いていました。半分はギターを弾いていたと思いますが、僕のところへ来て「これは、何だ」と僕のマイクを見に来ていたのを覚えています。
時間のある方は一見(一聴?)の価値ありですよ!


江戸川スリムのお節介注釈

(注1)ボブ・マーゴリン
1949年5月9日、ボストン郊外のマサチューセッツ州ブルックラインの出身。チャック・ベリーに触発されてギターを始めるも、マディのレコードと出逢ってブルースの洗礼を受ける。マディ・バンドの前座などを経験した後、1973年にサミュエル・ローホーンの後釜としてマディ・バンドのギタリストの座に迎え入れられる。理由は「クラシックなシカゴ・スタイルのギターを弾ける」からとのこと。当時の黒人ギタリストは、よりモダンなスタイルを目指しており、古いスタイルのプレイが出来るのはむしろ白人の方が多かった。あ、これは現在も一緒か?
以降7年間に渡ってマディの片腕としてサポートをし続けたが、1980年にバンドを脱退。自己のバンドを結成し、現在までに6枚のアルバムを発表している。
 980年にマディ・バンドで、1998年にはパイントップ・パーキンスと共に来日を果たしている(1998年は身内の不幸のため途中で帰国)。

The Old School
(Powerhouse P-105CD)

Chicago Blues
(Powerhouse POW 4105)

Down in The Alley
(Alligator ALCD-4816)

My Blues & My Guitar
(Alligator ALCD-4835)

Up & In
(Alligator ALCD-4851)

Hold Me to It
(Blind Pig BP-5056)

(注2)ガイ・フォーサイス
 「パークタワー・ブルース・フェスティヴァル2000」に出演予定。


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