仲村哲也 and Buddy Guy

(2001年7月8日記)


そろそろバンドマンにとっての稼ぎ時でもあるサマー・ツアーのシーズンです。アメリカでは、夏のツアー収入だけで1年間の生活を賄うミュージシャンも多いので、ぼくの宿敵もそろそろ連絡をよこす頃だろうと思っていると、やっぱり(笑)。ボイスメールにあの聞きなれた声でメッセージが入っていました。
「今、シカゴに着いた。ここはダウン・タウンの近くだと思うんだけど?知ってる?XXXホテル?今、チェック・インしたから、住所はそっちで調べてくれ、ルーム・ナンバーはXXXXだから...」
彼の所属するバンドがシカゴ近辺にツアーでやって来る時は、いつもこんな調子です。それも大抵がコンサート日の当日に連絡して来て、「元気だったかい?8ボールやろうぜ!前回はどっちが取ったんだ?」と、お互いのスケジュールを合せるのにいつも右往左往する始末です(笑)。
その親愛なるビリヤードの宿敵でもあり、ハモニカ・プレイヤーとしては、ぼくの先輩でもあるTEX・仲村さん(注1)は、あのハモニカ・プレイヤーとして世界的にも有名なリー・オスカーのWAR脱退後、その後任にとWARのシンガー & ソング・ライター兼バンド・リーダーであるキーボード・プレイヤーのロニー・ジョーダンに見出されました。WARの正式ハモニカ・プレイヤーとしてバンドに迎え入れられたのが95年頃で、以来仲村さんは6年間もの間WARで活動しています。WARは70年代にアメリカで大ヒットした「シスコ・キッド」「ワールド・イズ・ア・ゲットー」「スリッピング・イントゥー・ダークネス」等のヒット曲で有名なバンドです、ぼく個人ではWARの「WAR」と言うレコードは昔よく聴きました。偶然ですがWARでTV(アメリカ)の音楽番組やバラエティー・ショウに出演している仲村さんを何度か観ていますが、その事を当の本人に訊いて見ると「エッ!ホント!何で、マネージャーや他の皆はその事を俺に知らせてくれなかったんだろう?」とリアクションはこれだけでした。のん気なものです(笑)。

今夜、仲村さんが招待してくれたのはシカゴの郊外にある「ラビニア」と言う美しい森?公園の中にある広大な野外音楽堂でした。これまでにも仲村さんはぼくをいろいろなビック・ステージの楽屋に招待してくれました。そこで知り合う音楽関係者は、普段ぼくのように小さなブルース・クラブ回りしか知らない人間ではなかなか挨拶すら出来ないようなタイプの人達ばかりですが、仲村さんは、まるでぼくに自分のルーム・メイトを紹介しているような気軽さで分け隔てなく紹介してくれたものです。しかし、今回のステージは今まで招待して頂いたどのコンサート・ホールと比べても桁違いに大きく、素晴らしいシアターでした。以前招待された「ハウス・オブ・ブルース」や「リバー・ウェスト」、「スター・プラザ」と言った、シカゴ・エリアで行われるトップ・クラスのミュージシャンのためのコンサート・ホールの中でも、この「ラビニア」はもっとも権威のあるステージの一つではないでしょうか?

ぼくはこの「ラビニア」にはシカゴ・シンフォニー・オーケストラを聴きに来た位で、WARのような大衆音楽的なバンドの演奏がここで行われるとは知りませんでした。実際、出演者の多くはクラシカル音楽からのプレイヤーやJAZZプレイヤーの有名人ばかりでチェロ奏者のヨーヨー・マさんやJAZZのジョージ・ベンソン、ラムゼイ・ルイス、ウェイン・ショーター等の大物達です。間違ってもエアロ・スミスやローリング・ストーンズ(超大物ですが...)のようなタイプのバンドはブックされないでしょうね(笑)。

仲村さんによると、今夜はWARとバディ・ガイさんのジョイント・コンサートと言う事です。何とか都合を付けて、ぼくが「ラビニア」に着いたのは9時過ぎでした。やっとの思いでゲスト用のパーキング・エリアに車を入れて厳重なセキュリティーを幾つも通り抜けて何とかバック・ステージに辿り着いた頃には残念ながらWARの演奏は終わっていました。
しかし、ぼくが驚いたのは今夜の主役は実はバディ・ガイさんだったと言う事でした。
ぼくが、バック・ステージで仲村さんやWARの他のメンバー達と雑談している頃はバンドの機材や何かの入れ替えの合間であった事もあり、コンサート関係者や地元政治家(?)やWARやバディ・ガイ・バンドのメンバーでごっちゃまぜの忙しさでした。
それで「ところでバディ・ガイさんとはもう話したのですか?」と言うぼくの問いに「挨拶だけはね。バディさんの関係者達のセキュリティー・チェックが厳しくてなかなか、皆、彼には会えないようだ」と言う事でした、その時、通路の大きなドアが開いてバック・ステージのあちこちから歓声が聞こえてきました、狭い通路のざわめきが一段落するとバディ・ガイさんが関係者に囲まれるようにしてバック・ステージから広々としたステージに続く短い通路をゆっくりと歩いていきます。そうバディ・ガイさんの登場です。

バディ・ガイさんは黒人さん特有のアフロ・ヘアーを肩に掛かる位まで伸ばして、髪には整髪剤をたっぷり付けていました。通路を歩くバディさんの顔はうつむき加減でほんの少し微笑が浮かんでいました。彼は生涯を通して大小の数え切れないステージをこなしてきた訳ですが、こう言うのを余裕とでも言うのでしょうか?今まで何度と無く彼の演奏を観て来た筈のぼくですが、バディ・ガイ・レジェンドで見かける彼とは根本的にどこか違うように見えます。やはりこの雰囲気がそう思わせるのかもしれません。彼は決して大男とは言えませんが身長170cm弱の細身でとても長い両手が特に印象的でした。ブルーのシャツにやはり同じ生地と色のズボン。ギターは黒のフェンダー・ストラトに大きな白の水玉模様が入った特注です。ここ何年かでは彼のトレード・マークにもなっているカラー・リングだと思います。ぼくはステージの袖から観ていたのですが、写真撮影が禁止されていたのが残念です。

この大きな空間は全席禁煙(野外なのに)で指定席(1チケット=$50〜$200)以外の観客は蝋燭持参で手弁当を広げてワインやビールを楽しんでいます。又、あちこちにある芝生の上には寝転んだり本を読んだりしている人も沢山いて、皆てんでバラバラな事をやっています。まぁ、気持ちは分かりますがね。指定席(3000席?)に座らない限り演奏者の顔すらよく見えませんから。しかし、この夜は全席ソールド・アウトだったそうです。一体、どれ位の動員数なのか?想像も付きません。しかし、大したものです。

ブルース・プレイヤーでコンサート・ホール(アメリカ)を中心に活動できるプレイヤーと言えば、ぼくが知る限り、今も昔もB.B. キングただ一人です。殆どの場合、ブルース・プレイヤーには動員力が欠けるので、もともと人が集まるフェスティバルへの出演が唯一のビッグ・オーディエンスの場となります。又、支払われるギャラもフェスティバルで演奏した方がクラブで演奏するよりも、ずっと高額なのでプレイヤーはありがたがる訳です。
それでいつの間にか、ブルース・プレイヤーとしての最終目標が「アメリカ各地、世界中で開かれるフェスティバルを中心にして演奏活動をして行く」と言うのがブルース・プレイヤーの一番の高みと言われています。しかし、そこまで行くのも殆どの人の場合、一生掛かかってもどうなるか知れたものではありません。
ぼくは、州外でのバディ・ガイさんの活躍、活動については、それ程は知りませんが今回の「ラビニア」での成功はバディさんのこれからのコンサート・ホールを中心にした活動を考えるととても大事なコンサートだったと思います。それを、ソールド・アウトにしたと言うのは景気付けとしては、これ位効果的な宣伝はないでしょう。ぼくが知る限りこのシカゴ・エリアでは、今夜がバディ・ガイさんの始めてのコンサート・ホール・デビューだったのではないでしょうか?

バディさんのバンドは入れ替わりが激しいと話には聞きますが、ぼくが見知っているプレイヤーと言えば、ドラムのジェリー・ポーターさんとオルガンのトニー・Zさん位で今夜の面子でベース、サイド・ギター、ホーン・セクションのミュージシャン達はぼくの知らない若いプレイヤー達ばかりでした。ぼくはいままでのバディ・ガイ・バンドにもそれほど気を付けて観ていた事が無いので残念ながら以前のプレイヤーの名前すら覚えていません(笑)。恐らくこちらで言うピック・アップ・バンドと言うやつではないでしょうか?
バンドについての感想を一言で言えば「何となく頼りない」と思ったのが正直な所でした。しかし、バディさんのパフォーマンスはいつもと変わらずショウマン・マン・シップが溢れる自由に飛び交うギター。伸びやかでダイナミックな歌。ぼくは、バディさんのこれからの活躍を感じずにはいられませんでした。

今夜のバディさんはたっぷり1時間半のショウをこなし、後半ではアコースティク・ギター(水玉模様)を持ち出しての弾き語りまで披露する程の大サービス振りでした。今夜の演奏曲はもう何年も前にバディさんの前座でのバンドで演奏に行った時についでに観た感じとは随分違っていたように思いました。というのも、その夜はかなりギターを前面に出したジミー・ヘンドリックスを意識したようなプレイだったように思ったものでしたが、今夜の選曲ではかなりブルースっぽいと言うよりもダウン・ホーム・ブルースを意識したようなプレイが目立っていました。又、7割位は古いブルースのカバーでしたから聞き覚えがある曲も多かったように思いました。
例えばジョン・リー・フッカーの「Boon Boon」だったりギター・スリムの「Things I Use To Do」だったり...。いい感じでリラックスしたいいプレイでした。


以前、冬の寒い夜にバディ・ガイ・レジェンドで演奏した時、表は大雪でした。偶然バディ・ガイさんが店にいて、当時ぼくが所属していたラリー・ガーナー・バンドの連中は皆、バディさんの出身地のバトンルージュ・ルイジアナだった事から「雪の降る、凍るハイ・ウェイをどうやれば上手く走れるか?」と言う質問をバディさんにして、雪の話題で盛り上がった事がありました。それゃそうですよ、ルイジアナで生まれて育った奴にすれば雪道は地獄の綱渡りのようなものですからね(笑)。未だにバトンルージュに住んでいるバディさんのお兄さんのサム・ガイさんなんて、車を運転してシカゴへ行くと言ってたら「冬のシカゴへ車で行く?なんで春まで待てないんだ?」と真剣な顔で言っていましたから(笑)。因みにサムさんは音楽は全くやらないそうですが、腕のいいルイジアナの料理人で顔もそうですが、声がバディ・ガイさんとそっくりなんです。
それで、バディさん曰く「ようし、良く聞くんだ、お前ら。一番危ないのは雪は溶けてシャーベットのようになっている時だが、とにかく大事な事は雪のハイ・ウェイでは絶対にブレーキは踏んじゃダメだ。俺は昔、マディ・ウォータースのバンドでギターを弾いてた事があるんだが、ある日マディから電話かかかって来て“今、ニューヨークに来てる、仕事があるからニューヨークへ来い”って言うんだ。それも今日のような日だった。俺は雪の為に指定された時間よりほんの少しだけ遅れて着いたんだ。仕事には少し遅れたが仕事は順調に終わった。しかし、マディは俺が仕事に遅れてやって来た事を咎めて俺に金は払わなかった。その時、マディが言った事が“とにかく、大事な事は雪のハイ・ウェイでは絶対にブレーキは踏んじゃダメだ”と言ったんだよ(笑)」これは、ジョークだったとは思いますが、ちょっと笑えませんか?


江戸川スリムのお節介注釈

(注1)TEX仲村
本名仲村哲也。「ウィーピング・ウィロウ」の名でも知られるハーピスト。
1980年代始めまで、自己のバンドでエレクトリック・ベースを担当していたが、1950年代のサウンドに取り憑かれ、アップライト・ベースに転向。
1983年に、FENから流れてきたJ ガイルズ・バンドの「ワーマージャマー」に衝撃を受けハモニカを手にする。妹尾隆一郎氏に師事し基礎のテクニックを収得。その後は、「F.I.H.ハモニカコンテスト」入賞、アポロシアターのアマチュアナイト・チャンピオンシップに出演(日本人初)するなど、数年の間にトップクラスのハーピストとして活躍する。
日本国内で自己のバンドでの活動と、スタジオ・ミュージシャンとして数多くのレコーディングに参加していたが、1992年に渡米。L.A.のローカル・バンドでライブ活動に専念する。
1993年、リー・オスカー脱退に伴いWARのハーピストとして招聘され、1994年発売のアルバム「Peace Sign」の録音に参加することにより、正式メンバーとして迎えられる。
現在、WARのメンバーとして、年間130本にも及ぶワールド・ツアーを行うかたわら、TV出演や大物アーティストとの共演の他、8つものバンドに掛け持ち参加するなど、まさに引っ張りだこの活躍振りである。
現在、自己のソロ・プロジェクトを企画中とのことで、これからの活動からも目が離せない。


Tetsuya Nakamura and James Waldman
"Down By The Riverside-Blues To Grow On Songs To Live By"

  1. Down by the Riverside
  2. Delta Memories
  3. The Livin' End
  4. I Think it's Going to Work Out Fine
  5. Troublin' Mind
  6. Heart of Lead
  7. Big Road Blues
  8. Walk On
  9. That'll Never Happen No More
  10. Baby Let Me Hold Your Hand
  11. Lemon Mann

WAR
"Peace Sign"

Leika & The Waiters
Lady Madonna

Leika & The Waiters
Let It Be

Leika & The Waiters
Little Bird

Peple Of Spirits 2
バルセロナ

Miss Mickey Champion
I Am Your Living Legend !

Roy Gaines
Lucille Work For Me

Yolanda
Creole Woman

Alex "Spiderman" White
Don't Start Me To Talkin

S. Wilson, S.S. Slim, C. Tillman
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