「せめて、俺のショーを見ている間は、すべてを忘れて楽しんで欲しいんだよ」

ボビー・ラッシュ・インタヴュー


Copyright(C) by Makoto Takahashi

1999年12月12日新宿ワシントン・ホテルにて
インタヴュワー:高橋 "Teacher" 誠


 このインタヴューは、ブルースマーケット誌2000年3/4月号に掲載されたボビー・ラッシュ・インタヴューの全文です。Blues Market誌のご理解とご協力により、ここに発表できるはこびとなりました。編集長の妹尾美恵さんには、改めてお礼を申し上げます。


プロローグ

 パーク・タワー・ブルース・フェスティヴァルの最終日、会場に入るとすぐそこに、ボビー・ラッシュ!だれかれとなく親しそうに話してはサインをしている。ふとスタンディングのお客さんたちを見て、「ああ、この人達にも椅子があればいいのになあ。」
 ショーで人を楽しませるために生まれてきたようなボビー・ラッシュ。ギターのヴァスタイ・ジャクスンが中心のタイトでファンキーなリズム隊と、2人のダンサー、そして、「ハンディー・マン」「ユー・ユー・ユー」「ヘン・ペックト」など、独自のフォーク・ファンク・サウンドと、ルイ・ジョーダンの「レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール」「キャルドニア」などを歌いまくり、しゃべりまくり、ハープを吹きまくるボビー・ラッシュ。
 観客の楽しそうな表情、そしてアンコールに加わった太郎くん、エリック・ビブ、バナード・アリスンたちの嬉しそうだったこと...ショーが終わってからも観客と握手をしながらロビーへ出て、太郎くんにボビー・ラッシュたこ踊りを教えていた。

 そんなボビー・ラッシュとのおしゃべり、お楽しみ下さい!


Bobbyと太郎くん
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俺のこと、どのくらい知ってるの?

(メンフィスの伝説のブルース・クラブ、クラブ・ハンディーを経営していたサンビーム・ミッチェルがつくった)クラブ・パラダイスであなたのショーを何度か見ましたよ。ダンサーが6人いましたよね。
 そう、日本には2人しか連れてこれなかったど、アメリカでは普通もっと多いんだ
よ。俺はアメリカではビッグ・アーティストだからね。日本でもビッグになるよ。(妹尾さんに)俺のショーを見たのは昨夜がはじめて?良かった?

妹尾:はじめて。とても良かった!
 へへへへ。

専属の名物MCもいましたよね、独特の言い回しで、ボビーーーーー・ラッシューーーーって言う。この人も連れてきましたか?
 それは俺の末の息子なんだ。43才になるよ。連れて来なかったけどね。

はじめてあなたのレコードを聴いたのは、ティーニー・ホッジスとポプラトゥーン・レコーズに行ったときですよ。
 ティーニー!ギタープレイヤーの!?

ティーニーは私のメンフィスでの灯台みたいな人なんですよ。彼はあの時ロバート・ジョンスンのLPを買っていて、何かオススメのレコードある?ってきいたら、「ボビー・ラッシュが良いよ。おもしろいぞ!」その時からあなたが大好きなんですよ。
 いままで180枚のレコードを出してるんだよ。ずっと昔、48年前に小さなレーベルから出してからね。年を取っちゃったよ。(ラッシュは65才!)
 俺のショーが、ここで気に入ってもらえるかどうかを心配する理由はね、他のアーティスト達、バーナード・アリスンとか、彼らは良いと思うよ。でも俺のショーは彼らとは全然違うでしょう?ほとんどのエンターテイナーは、ミュージシャンなんだよ。違うところはね、俺はエンターテイナーなんだよ。俺はミュージシャンでもあるけれど、エンターテイナーなんだ。エルヴィス・プレスリー、レイ・チャールズ、リトル・リチャード、エルトン・ジョンと並ぶようなエンターテイナー。普通のミュージシャンとしてくくらないでほしいんだ。ミュージシャンが良くないって言うんじゃないよ。でも、同じカテゴリーにくくらないで欲しいんだ。なぜかというと、俺を普通のブルース・シンガーとして宣伝する人たちがいるんだ。でもそんなことはしてほしくない。間違った分類だよ。俺はBBキングや、ティナ・ターナー、エリック・クラプトンなどと並べて語って欲しいんだよ。

はじめて「スー」を聴いたとき、とても楽しくて、次はどうなるんだ!って思いながら聴きましたよ。
 そうだろう!わっはははは。ダーティー・オールド・マン!(Dirty old man:おまえもエッチなヤツだなあ)昨日のショーもそんな感じだったね。昨日わかったことが一つあるんだよ。人々って言うのは、だいたい一般にみな同じことが好きなんだ。みんな楽しみたいんだ、楽しませてもらいたいんだ。昨夜はみんな本当に俺に集中して夢中になってくれたよ。きっと俺の真剣さが通じたんだと思うよ。俺は真剣で、懸命にがんばって喜ばせようと望み、観客は俺がする事を見て気に入ってくれたんだ。


Sue (La Jam-0001)

それは、他の人にはない、独自のスタイルを持っているって言うことなんですね。
 そう。俺には独自のスタイルがあるんだ。俺が歌うのを見たら、他の誰のまねでもないって言うことがわかるはずだよ。マディー・ウォーターズを見てごらんよ、誰のまねでもないんだ。BBキングを見てごらんよ、他のだれのまねでもないんだ。でも、ほとんどの黒人のエンターテイナーは、誰かのまねをしているんだ。ほとんどの黒人のエンターテイナーは、白人がこういうのを聞きたいだろうなあっていうものを演奏するんだ。俺は、俺が感じることを演奏するんだよ、そしてそれをあなたたちが気に入ってくれればいいと望んでいるんだよ。
 俺はトルコで25日間の興行をしてきて2週間前に帰ってきたところだよ。トルコの人たちは、きっとブルースは気に入らないだろうっていう人がいたよ。でも、トルコの人たちは、おそらくこの40年間に彼らが受け入れた誰よりも俺を受け入れてくれたと思うよ。最初の2日ぐらいのあと、ニュースが行き渡ると、後の15日は、すべて満員御礼で、会場に入れなかった人が1日に千人に達したんだ。

観客の層はどうだったんですか?男性がほとんど?女性?それとも半々ぐらい?
 半々ぐらいだったよ。でも若年層だったよ。35歳以下ぐらいだね。驚くべきことだったね。18才とか20才とか非常に若い人が多かったよ。俺の音楽は、今日の音楽だからね。今度日本に来るときには、日本でもそうなるといいよ。正直に言って、俺にどんなショーを期待していた?

妹尾:たくさん噂は聞いていたし、WCハンディー・アウォード・ショーをテレビで見たことがあるから。
 ひどかった?それとも良かった。

妹尾:良かった!それでたくさんの日本の人たちがあなたのショーを見たくなったのよ。
 アー!これ以上いろいろ話を進める前に、2人に感謝するよ。今まででも、俺にとって嬉しいことを言ってくれたよ。そのことに感謝するよ。昨夜のショーに来てくれてありがとう。
 あなたたちが書くことは、人々に俺について、正しく伝える(教育する)っていうことなんだよ。本当だよ、あなた達は、今、歴史を見ているんだよ。サミー・デイヴィス・ジュニアを見ているのと同じようにね。本物のエンターテイナーっていうのはほとんどいないんだよ。ピアノ奏者とかギター奏者とかの意味のエンターテイナーじゃないよ。彼らは彼らで良いんだけれど...。

ルイ・ジョーダンのような本物のエンターテイナー?ルイ・ジョーダンを若い頃聴いたとき、どう思いました?
 ルイ・ジョーダン。俺の人生の中で最高のできごとは、彼の音楽に出会ったことだよ。他の誰よりも俺はルイ・ジョーダンから影響を受けたよ。今夜、ルイ・ジョーダンの曲を君のために演奏しよう。カルドニアをやるよ。

本当に!カルドニア?
 俺はブルース・シンガーで、ハーププレイヤーで、ベースもギターも弾くよ。でも、俺は少しずつ自分の音楽を変えていくエネルギーがあるんだよ。ほとんどの黒人たちは、才能が売り切れになってしまていて、変わっていかないんだ。50年代、60年代、70年代と同じことを今もやってるんだ。俺の音楽は変わってきているんだよ。君が本を書くときだって、25年前と同じことを書くわけにはいかないだろう?本を買って欲しかったら、何か違うことを書かなくてはならない。他のライターたちとわたりあっていかなければならないんだ。だから君も変わっていかなければならないでしょう。ほとんどの場合、ライター達が俺のことを書くのは、俺が他のヤツらとは違うからだよ。
 もし、BBキングとバディー・ガイ、バナード・アリスンを含む5人か6人のギター・プレイヤーが演奏するのを聴いたら、保証するよ、その5人目か6人目で、同じことの繰り返しになっちゃうよ。こんなのは、残念なことだよ。これは、自分を売ってしまったからだよ。マネジメントの言いなりになって、これなら白人に受けるよとか、これをやれば東京で受けるよとか、そういうことをやっているからね。でも、俺を見てみると?

自分が歌いたいものを歌ってる。
 その通り!


BobbyとTeacher
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フォーク・ファンクって言うあなたのスタイルは、どうやって生まれたのですか?
 それは、俺の性格なんだよ。まず最初に、俺はフォーク・ソングを演奏するギター・プレイヤーなんだよ。ひとりでね。だからフォーク。そしてそれをファンキーに演奏するブルーズ・シンガーでもあるわけさ。だから、フォーク・ファンク。そして歌詞の面から言えば、俺はストーリー・テラー。

妹尾:昨日のステージを見た人のひとりが、あなたが(ヴァスタイ・ジャクスンの)ギターと話しているように思えたって。言葉を越えてすごくわかりやすいって。
 そう、そう、そう!よくぞ言ってくれました。

Hen-pecked(雌鶏につつかれてる人=奥さんの尻に敷かれている人)っていう歌がありますよね、ミスター・ヘンペックト・マン!
 ヘンペックトっていうのはね、俺が子供の頃にね、黒人たちの中でね、ある点まで女性を愛したら、その人のためにならなんでもするっていう...。彼女が来いって言ったら来て、行けっていったら行くっていう。そういうのがヘンペックト。でも、現実の人生では、恋をしているっていうこと以外の何ものでもないんだよ。例えば、25才にもなった男がだね、女性をすごく愛しているからって、仕事から帰った後も皿を洗い、掃除をし、料理もみんなやるっていうのは他の男から見たらなんて情けないこと...。

それは俺のこと言ってるんだね?
 何?よく言うよおまえ、ワッハハハハ。本当?本当?本当?いいねえ、俺もそうなんだ。でもね、これが俺の性格なんだよ。だから、こういうコンセプトをひねりだしたりする必要はなくて、ありのままの俺なんだよ。
 俺は走り回ったり、逃げ回ったりするヤツじゃないし、生活が落ち着かないヤツでもない。奔放な部分もあるけれど、同じ相手と40年以上も結婚生活を続けていてね。これ以上のことを欲しがっているわけじゃないんだよ。だから、ヘンペックトという歌を書くのは自然だったよ。共感できることだからね。ほとんど俺が書く歌の内容は、実生活で体験したことばかりじゃ決してないけれど、心で共感できることなんだよ。ありのままの俺の性格なんだよ。ステージに登ったら、ほほえみを作ろうなんて思う必要ないしね。俺はみんなと握手しに観客の中にいつも入っていくのも、俺の性格なんだよ。俺をビッグ・スターのように控え室に閉じこめておこうなんて思ったって、そんなのゴメンだよ。ダイヤモンドの指輪なんかもゴメンだよ。

前に、ゴスペル・アルバムを録音するって言っていましたよね。
 録音したよ。

ストレートなゴスペル・アルバムなの?
 そうじゃないんだ。

ワハハッハ、ストレートなゴスペルのわけないと思っていましたよ。話してもらえますか?
 話すよ。何が起こったか話すよ。これは今まで誰にも話したことがないんだ。

エーッ?じゃあ、これスクープですね?楽しみにしていたんですよ、あなたのゴスペル・アルバム。
 スクープだよ。俺はゴスペル・アルバムを録音したんだ。これは個人的な心の問題でね。俺の親父が牧師さんだったしね。だからゴスペル・アルバムを録音して、どんなものができるか試してみようって思ったんだ。
 俺は(神から)恵みを受けてね、アルバムは、良すぎちゃったんだよ。いいかい、良すぎちゃったからね、これを一般の人たちが聞いたら、俺の音楽を聞く人たちは、「どうしちゃったんだ、こいつは何をしようとしているんだ?こいつもしかして教会でお説教をはじめるのか?」っていうことになってしまうから「こりゃだめだ、発表できないよ」っていうことになったんだ。良すぎるから、ラジオ局もみな一斉にかけはじめるだろう、ゴスペルで最高のヒットになるようなものだからね、きっとみんなかけるよ。
 俺はあるヤツに聴かせたんだ。そうしたらそいつが「なんだこれ、すごいな!誰だい?」って聞いてきたんだ。俺は教えなかったよ。「俺にそのテープくれよ、すぐラジオでかけさせてくれよ!」「ダメダメ!」
 これが出せない理由はね、これを出したら、俺の音楽を聞く人たちが、俺がブルースを歌うつもりなのか、ゴスペルの世界に行こうとしているのか、わからなくなってしまうからだよ。俺は、ゴスペルとブルースの両方の世界で認められるような男ではないと思うんだ。オーティス・クレイはこれをやったよね。でも、もしかしたら、向こうの世界(黒人の観客の世界)に戻れない理由はこれじゃないかと思うんだよ。黒人の観客たちは、人が一つ道を進んでいて、もう一つの道に変えたりすると「あいつは偽善者だ。」っていうことになるんだ。わかるかい?だから、このアルバムを出すのが恐ろしくなってしまったんだよ。まずまずの出来だったら、いいや、発表しちゃえって言ったかもしれないよ。でも、ラジオ局がこぞってかけはじめたら、俺に教会で歌って欲しいっていうことになるだろう?でも、俺はブルースを歌うのをやめるなんてできないんだよ。

ジョー・サイモンみたいに、はっきり教会の世界に移り住むことはできないんですね。
 そのとおりさ。

ジョー・サイモンの教会でのお説教を一度聞きましたよ。昔、あんなにブルースを歌っていて、それはそれで良かったのに、もう二度とブルースは歌わない、ブルースは良くないってブルースを否定していましたよ。でも、これは間違っていると思うんですよ、ゴスペルとブルースは、人間の二つの面の現実をそれぞれ表しているわけでしょう?
 わかってくれて嬉しいよ。だから、俺はゴスペル・レコードを出せないんだよ。俺はブルース・シンガーでこれはどうしようもないことなんだよ。人々に俺に対して複雑な感情を抱いて欲しくないしね。バナード・アリスンが何をしようが、オーティス・クレイが何をしようが、それぞれ両方とも良いんだよ。君が大工で、俺が鉄鋼労働者だとしても、俺達は両方とも大切で、ただ職業が違うだけなんだよ。
 ジョー・サイモンは、長年昔やってきたことは、そのまま認めて、そのことはとやかく言うべきじゃないと思うね。だって、男が20年も結婚生活を送り、離婚したとするよ。そこで、公衆の面前で元の奥さんについて悪く言うのはよくないだろう?一度愛したのなら、他のことはすべて胸の中にしまっておくべきなんだよ。

はじめて、「ヘンペックト」を聞いたとき、あなたがゴスペルを歌うと言っていたのを思い出してね、メッセージをね。一年間メンフィスに住んだときに、友人達の家族の中でいつも口論や喧嘩がたえなくて、夫が飛び出していったり、奥さんがお皿をなげたり....
 煮えたぎったグリッツをぶっかけたり、へへへへ。

そういうのが身近に起こっていて、とても悲しくてね、そこであなたのヘンペックトを聞いたときに、こういう人たちの日常生活で共感できる内容で、女性達は夢中になるし、男性達は、「もしかしたら、俺はもっと大人にならなくちゃならないのかもしれないぞ」っていうようなメッセージを受け取るんじゃないかと...。
 一言、言わせてくれよ。こんな楽なインタヴューは初めてだぞ。おまえと俺はこれだけよくわかりあえるっていうことはね。これが俺が歌を作るときに苦労している目標だし、俺のパフォーマンスの目標なんだよ。
 昨夜のショーで、俺が見つめていたのは、人々を楽しませることで、人生の様々な悩みを忘れてもらうことなんだよ。でも、そのためには、楽しくなるような歌を歌わなくちゃね。だから'Oh, my baby left me..'なんていう歌を歌わないんだよ。こういう歌が良くないって言うんじゃないんだよ。でも、俺はそういう歌を土台にしていないんだよ。俺は何か積極的なことを歌いたいんだ。もし君が何か問題をかかえているとしても、今夜だけは、その悩みから自由にしてあげたい、今だけでも。俺のステージの態度も、そういう気持ちからなんだよ。

やっぱり、牧師さんの息子だね。私もそうなんですよ。
 ハハッハハ、牧師の息子。そうさ。君もか?こういうことを話したいし、書いてもらいたいんだよ。
 もう一つ言いたいことは、俺はクロス・オーヴァーしはじめて(黒人の観客だけでなく、白人の観客にも認められるようになって)数年経ったよ、まだクロス・オヴァーしはじめてから、俺はまだ日が浅いんだよ。チトリン・サーキット、黒人のクラブでは俺はビッグだけれど、やっとクロス・オヴァーしはじめたんだ。その功績は俺だけにあるんじゃなくて、ブルースを愛しているライターたちが、俺の所に来て、俺を理解してくれて、書いてくれると、プロモーターがそれを見て、出演契約を結んでくれて、観客の目に触れるようにさせてくれる。
 むかしは、白人のプロモーターたちが、俺をセックス・アピールが強すぎるっていう理由で契約してくれなかったと思うんだよ。俺が黒人だからね、エルヴィス・プレスリーのように一般の目に触れさせたくなかったわけだよ。おそらく、もしかしてひょっとして俺のステージを見た白人の女の子が俺のことを好きになっちゃったら大変だっていうわけなんだけれど、もう今は俺は年を取って、女の子を追いかけたりしないし、俺はただ、懸命に俺のしていることを広げて、新しい観客を得ようとしているだけさ。みんなそのことがわかりはじめているんだと思うんだよ。だから、俺がすることも楽しみはじめているんだね。ステージで踊る女の子達も、誰か相手を捜しているわけじゃないしね。エンターテインメントの手段として自分たちをさらけ出しているだけなんだよ。それに、このショーでやっていることは、20年代にコットン・クラブでやっていたこと以上のことをしているわけじゃないよ。その頃は、男は黒人の女の子が踊るのを見に行ったけれど、奥さんは連れていけなかった。わかるか?今は、男は女の子達を見にクラブに来て、俺をも見て、女の人達は俺を見に来て、男は女の子達を見に来るわけさ、エッヘヘヘヘヘ。

なんてワイルドな人なんだろうね。
 へへへ、わかるだろう?


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お父さんのことを話してもらえますか?
 もちろん、俺の親父はね、オー、俺が一番最初に聞いたブルース・マンは、俺の親父だったんだよ。その頃は、親父と(ナッシュビルの)WLACラジオ局以外、ブルースについては何も知らなかったんだよ。親父はギター・プレイヤーでね、ハープも吹いていたよ。子供の頃は、うまいなあと思っていたけれど、成長するにつれて、そうでもないってわかったけれど、当時はすごいって思っていたんだ。
 6才か7才の時だけれど、親父はポーチにギターを持ってドアを背に座っていてね、俺はその向かい側にドアの中が見えるような感じで座っていてね。おふくろは台所で料理をしていたんだよ。そこで親父は歌ってくれたんだよ、まるで昨日のことのように良く覚えているよ。南部にはシャンキーピンっていう木があるんだよ。ピーカンみたいな木の実がなるんだけどね、小さいからシャンキーピンっていうんだよ。親父は「ジュニア」俺の本名はイメット・エリス・ジュニアだからね「ジュニア、おまえに一曲聞かせたい歌があるんだよ。」っていうんだ。帽子をかぶってね、歌い出したんだよ。

Me and my gal went to shanky-pen huntin'
she fell down and I saw somethin'
-おいらと彼女はシャンキーピン拾いにでかけたよ
彼女はころんで、見えちゃった-

親父は牧師さんなのに、こんな歌を俺に歌ってくれて、ワオー!親父は、「もう一回聞きたいかい?」っていうから「うん!」っていって親父のそばに寄ってね。

Me and my gal went to shanky-pen huntin'
she fell down and I saw somethin'

俺はその場を想像してね、太った女の子が転んでスカートの下は何もはいてない!子供だったからね。ワハハハハ!

ワハハッハ、お父さんは、そこまで言っていないでしょう?
 子供だもんね、夢見ているようなもんだよ。そして、それを俺の親父が歌ってくれたんだよ!その頃にはおふくろがドアの所まで来て「(咳払い)何て言う歌を、この子に歌って聴かせているの!」親父は帽子のツバを下げて顔を隠して笑ってるんだ。
 俺は、これをどう捉えたらいいかわからなくてね。おふくろが行ってしまってすぐ、親父は「おまえのママは行っちゃったか?」っていうから、「うん。」するとまた'Me and my gal went to shanky-pen huntin'...。でも、たまらなかったのはね、親父はその続きを決して歌ってくれなかったんだよ。いつも最後まで歌って欲しくてたまらなかったよ、だってきっとこの歌はdirty-old-man song(エッチな歌)に違いないって思ったからね。ヘッヘヘヘヘヘ。

だから、Sueの歌があんなに続くんだね。
 そうそうそう!その時俺は、早く大きくなって、女の子をシャンキーピン拾いに連れ出して、転ばせて、見てみたいなあ、なんて思っちゃったりしてね、わかるでしょ?

いい人だったんですね。ルイジアナにいたころですか?
 そうだよ、いい人だったよ。まっすぐな人でね。とても親しかったよ。ルイジアナからアーカンソーに移って、そこで教会を持っていたんだ。彼は俺に、ブルースを歌えとは一度も言わなかったし、歌うなとも言わなかったよ。親父は俺(がクラブで歌うの)を見たことはなかった。見たいとは思わなかったんだと思うよ。おふくろも見たことはなかった。でもおふくろは見たかったんだと思うよ。だって、親父がいないときには、みんなに、ウチの息子はエンターテイナーなのよって言っていたからね。親父がいるときや、教会なんかではそのことは一言も言わなかったけれど、いつも「ウチの息子はレコードも出しててテレビにも出ていて...」って言っていたよ。ある面で嬉しかったんだろうね。親父は何も、良いことも悪いことも一度も、(俺がブルースを歌っているということについて)触れたことはないよ。もちろん、俺の職業は知っていたけれどね。
 おふくろは何回か俺にきいたよ。「ねえ、ステージに登るって言うのは、どんな感じ?」ってね。おふくろは、母親として、目を閉じて、俺がどんな感じで歌っているのかを想像していたんだね。きっと、まだ小さい頃に子供を亡くしたお母さんが20年後に、あの子が生きていたらどんなになっているだろうって思うようなものだったろうね。これが、俺の素晴らしいブルースの道のはじまりだよ。
 親父は本の虫で、よく勉強していたし、暖かい人で、自分の子供に何かをやらせようというやつがいると断固として立ち上がってくれた。アーカンソー州シェリルに住んでいた頃、俺と兄さんたち2人が学校に行っていなかった時、そのころは今みたいに1年に9ヶ月学校に通うわけじゃなくて、学校はたった3ヶ月、後は農場で親の仕事を手伝うわけだよ。それで、3人で町に行ったんだよ、午前11時か昼の12時頃だったよ。町までは3マイル(およそ4.8キロ)のところに住んでいたんだ。その頃は、黒人の子供、黒人の大人も同じだったけれど、俺達が月曜日から金曜日に町に行くなんていうことは、ほとんどありえないことだったんだ。だって、その時間は白人のために郊外か農場で働いているはずの時間だからね。
 そこである男が、「おまえたち、一体町で何をやっているんだ?ウィークデイのこんな時間に?」俺達は、「お父さんの使いで、肥料を買いに来たんですよ。」そうしたら「ちゃんと見ているからな。」って言って向こうへ行って、しばらくしたら戻ってきて「俺のところでトラクターを運転しないか?」ってお兄さんにきくんだ。「いいえ、あなたのところでは働きません。」もうひとりの兄に「おまえは俺のところでトラクターを運転するな?」兄も「いいえ、運転しません。」今度は俺を見て、「おまえはどうだ?」俺は弟だったから兄さん達の言うとおりにしていたからね「いいえ。」その町を出て、一時間後に家に着くと、あと400メートルぐらいというところで、田舎だからね、俺の親父とさっきの男が立って話しているのが見えたんだよ。親父は暖かい人でね、それなのに二人はお互いに指を刺しながら、話しているんだ、これは親父らしくないことさ。どんなことを言っていたのかはわからないよ。俺達が親父の所について、荷車から降りると、親父は「こっちに来なさい。」あの男の名前はバジャーっていうんだけど「バジャーさんが、おまえ達に、彼の所で働けって言ったか?」兄さんたちは「はい、いいました。」親父は「おまえは何て答えたんだ?」「私は働きたくありませんっていいました。」もうひとりの兄に「アルヴィン、おまえは何て答えた。」「私は働きたくありませんっていいました。」「ジュニア、おまえは何て答えた?」「私は働きたくありませんっていいました。」そこでその白人の男に親父は言ったんだ。「一言いっておくが、もし俺の息子達を、あんたのところで働かせたかったら、俺と交渉するんだ。子供達とではなく!」そういって俺達を守ってくれたんだよ。もちろん親父の農場では働いたけれど、子供の頃は他の誰のためにも(白人のところで)働かされなくてすんだんだ。もっと大きくなって自分の意志で働くって言うのは別だよ。まだ子供の俺達をよそに働きに出したり、しなかったんだよ。
 1948年にアーカンソーに引っ越したから、1948年のことだよ。1950年に、1948年型のフリースライン・シボレーを買ったんだよ!フリースラインは、外装も内装も白でね。その頃はまだ、黒人の子供達はまだ車を持てなかったんだよ。それなのに何故俺に車が買えたかというと、俺の親父は大きな農場を持っていたからね、後払いで買い物ができたんだよ。今買っても、1年に1回で払えばよかった。2月に買って、9月か10月に払えばよかったんだよ。だから、お店に入っていってこの車を注文したんだ。
 俺はまだ13才か14才のガキでね、まあ10才くらいから免許も持ってて運転はしてたんだよ。でも家に持って帰れなかったんだよ。俺の名前はイメット・エリス・ジュニアで、俺の親父と同じ名前なんだよ。だからイメット・エリスってサインしているときも、店の人たちは、俺が親父の変わりにサインをしていると思いこんだわけだよ。親父の名前で注文したけれど、それは俺の名前でもあるんだからね。俺は、この車をほとんど丸一年隠していたんだよ。親父に2200ドルの請求書が行ったときには「こりゃなんだ、車の請求書が来てるぞ!」俺はとぼけて下を向いていたよ。学校やいろんな所に乗っていって帰ってくると家から1マイルも離れたところに隠してコソコソしてたんだよ。親父に見つかったら殺されちゃうぞってね。でも、結局俺は自分でこの車の代金を払ったんだよ。俺は学校に通っていたけれど、夜にトラクターを運転して稼いでいたんだ。ウィリンハムっていう人がいて、トラクターを夜に運転する仕事をくれてね、一晩3ドルで6時から8時まで運転して、家に帰って、みんなが寝静まったころに家を抜け出して、ウィリンハムのところへ戻って、朝の4時か5時まで働いて、また家に帰って、5時。そして6時か7時に起きて学校へ行ってたんだ。

14才で!
 だけど、困ったことには、一晩中起きて働いているから学校では何も頭に入らないし、覚えられないし、俺は車の代金を払わなくちゃならないし、ギターは買いたいしね。そこで、ジョン・スコット・エリスっていう俺の従兄弟が古いギターをくれて、屋根裏部屋に隠したんだけれど、屋根裏はすごく暑くなるっていうことに気づかなかったから、一週間後にはネックがこんなに反っちゃって、牛に水を飲ませる桶に水を入れて、ギターを沈めて上からベンチを乗せたら、一日で直ったよ。それからは暑くならないベッドの下とかに隠してたよ。その他にも兄弟達が弦を切っちゃったり、子供がすることだからね。
 それは置いておいて、俺は教会の日曜学校で皆勤賞の生徒でね。聖書をしっかり勉強してたよ。親父が牧師だからね。毎週教会に通っていたよ。勉強するために、家にいることもできたけれど、教会には必ず行ったよ。でも午後の1時頃帰ってくるんだ。親父はまた午後も教会に戻るんだけれど、子供達は教会に戻らないんだ。戻りたくなかったんだよ、だって俺のギターが壁に作ってあってね。近所の人たちも午後には教会に戻らなくて、親父は「どうしてみんな教会に俺と一緒に戻ってこないんだ!」実は、親父が教会に戻っていくと、俺が家でブギウギをやってたんだよ。みんな午前中は親父の教会に行って「ハレルヤ!ハレルヤ!」そして午後は俺の所にきてムーンシャイン(コーン・ウィスキー)を飲んで、酔っぱらって、ドレスアップして踊って、ワインを飲んで、ムーンシャイン=コーンリカーで元気いっぱい!

ホワイト・ライトニン!
 そう、ホワイト・ライトニン!親父が帰ってくると砂埃があがるのが見えてね、「ワーンダーンドゥードル」って歌っていたのが急に、「エーイメン、エーイメン」って変わって、ヘヘヘ。親父はヘベレケの俺達をみて、「みんな元気かい?」っていうとみんなが「はい、神を讃美します!」ってね。20才ぐらいのヘベレケの女の子も「はい、神を讃美します!」とか言ってるんだ。酔っぱらってるのにね。一生懸命ムーンシャインのジャグを隠してね、みんな酔っぱらったよ。俺の兄貴達もさ。それにおじいちゃんも。おじいちゃんは俺達のために隠すのを手伝ってくれたよ。そしてその隠し場所を知ってるんだ。だって誰よりもたくさん飲んでいたからね。


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それからシカゴに行ったんですね。
 うん、1951年にシカゴに行ったよ。

ひとりで?
 もう兄貴がシカゴにいたんだ。でも52年に戻ってきて、1年いた後、またシカゴに向かったんだよ。行ったり来たりしていたよ。
 1953年からアーカンソーに1年半いてボビー・ラッシュ・アンド・ザ・フォー・ジャイヴァーズっていうバンドを作ったんだ。俺のバンドにはエルモア・ジェイムズがいたんだよ。エルモア・ジェイムズはもう成功していたんだけれど、悪い時期を経験していたんだ。それからボイド・ギルモアっていうやつがいて、ボイド・ギルモアはエルモアの従兄弟(ファースト・カズン)で、スライド・ギターを弾いていたよ。ボイド・ギルモアは本当にすごくうまかった。ジェイムズは彼ほどは弾けなくて、ギルモアに教えてもらってたんだよ。ジャック・ラビットっていうクラブで演奏していたよ。
 ボイト・ギルモアとエルモアと俺とムース・ジョーンズ(注:ビッグ・ムース・ウォーカーの事か?)が家を借りてね、ベッドが2つしかなくて、4人の男が1部屋に寝なくちゃならなかった時に、エルモアは、俺は今夜彼女が泊まりに来るんだっていうから、「じゃあ、俺達と一緒にベッドに入ればいいよ。」って言ったんだ。フフ。エルモア彼女を俺との間に寝かせて、一晩中彼女の大事なところを押さえてるんだ。フッフッフ、ヘッヘッヘ。エルモアは酔っぱらっちゃって寝ちゃうと、彼女が俺の肩とかを触って来るんだよ。この女の子は俺が好きだったんだな。それで俺もさわろうとするとそれがエルモアの手だったりして、ヘッヘヘッヘ。
 エルモアは、本当に良い友だちだった。いつも俺をスティーラー(泥棒)って呼んでいたよ。「ヘイ、スティーラーってね。」エルモアは俺がその女の子を盗ったって思ってたんだよ。彼女が俺のことを好きだったんだよ。まだ20才かそのぐらいの女の子さ。ムース・ジョーンズも女の子を連れてきたよ。でも俺のことをよくわかってるから「ボビー・ラッシュ、彼女(さっきの女の子)は、おまえ達と同じベッドで寝るのはかまわないけれど、おまえは俺達のベッドには寝かしてやらないぞ。」だって、ヘッヘッヘッヘ。その後シガゴに移って、フレディー・キングが加わり、その後は、ルーサー・アリスンが入ってきたよ。

マジック・サムは?
 マジック・サムはよく同じショーで演奏したけれど、俺のバンドにいたわけじゃないよ。でも、俺はマジック・サムのレコードを録音したことはあるよ。彼が死ぬ前の最後のレコードは俺がプロデュースしたんだ。良い友だちだった。幾晩か一緒に演奏しに来たことはあるけれど、俺のステディーなバンドに入っていたわけじゃないよ。
 マディー・ウォーターズにはよく、一緒にヨーロッパへ来てくれよって誘われたよ。その頃は...。今にして思えば行けば良かったと思うよ。そうしたら今よりもっと人気が出ていたかも知れないからね。でもまだ遅くはないよ。次の2〜3年は、もっと外国で演奏したいと思っているよ。君たちやいろいろな雑誌が取り上げてくれているから、そうなる日も近いと思うよ。今はとても記事に恵まれているんだ。他の誰よりもたくさん記事にしてもらっていると思うよ。それは俺がひと味もふた味も違うからだと思うよ。

7〜8年前に、あなたが収監されたっていう話を聞いて心配していたのですが、それは事実なのですか?
 収監されたっていうのは事実じゃないよ。でも、そのできごとは、事実だよ。彼らは俺をワナにかけたんだ。

ハイウェイでヴァンを止められて、警察犬がマリワナか何かを見つけたっていう?ミシシッピでですか?
 そう。テキサスでね。テキサスで、それで保護観察になったんだよ。販売目的所持っていう罪状さ。コミュニティー・サーヴィスの仕事を6ヶ月しなければならなかった
よ。
 俺はいつもこれだけ成功していたわけじゃないし、今のような(精神)状態でいたわけではないよ。でも、してきたことを後悔してはいない。でも、こういう(苦労の)ことは話さないことにしているんだ。精神の問題(宗教的なこと)についても話さないし、精神のことにとても熱心だったので、ジェイル・ミニスター(刑務所牧師)にもついてもらっていたんだけれど、そのことについても話さないよ。宗教オタクみたいに見られたくないからね。俺はただの普通の、正しいことができるようになった男、他の人を敬うことができるようになった男、自分がだれだかがわかっている男、自分のすることは自分で決めることができる男なんだよ。人生の中では間違いもおかすけれど、それを咀嚼して学び取るんだよ。俺は聖書を勉強する者だから、俺のまわりには(目に見えない)防護壁を持っていて、しっかりと立ち、神を俺の人生の中心に持って、神に焦点を合わせて生きているから、誰も俺を止めたり葬り去ることはできないんだ。

あなたの友だちについて話していただけませんか?例えばリトル・ハウリン・ウルフ、彼のためにレコーディングをしてあげたのでしょう?
 リトル・ハウリン・ウルフには、曲を書いて、アルバムをプロデュースしてあげたことがあるよ。1枚だけだよ。その頃は彼もミシシッピ州ジャクスンに住んでいてね、今はテネシー州メンフィスに住んでるよ。もう1年ぐらいあってないなあ。長い間シカゴに住んでいたんだよ、以前は。
 アー、でもあいつはハウリン・ウルフじゃないよ。ジェシー・サンダーズっていう名前だと思うよ。あいつはオリジナルじゃない。だから、そのことは話したくないよ。チック・ウィリスみたいなもんでね、2〜3人いるだろう?同じ名前のやつが。(注:チャック・ウィリスとチック・ウィリスはいるけれど、他にはいないとおもうなあ。)ヤツはオリジナルじゃない。リトル・ハウリン・ウルフなんていうもんじゃない。ヤツはウルフの姪と結婚してるから、自分でそう名乗ってるんだよ。でも、他にも2〜3人同じ様なことをしているヤツはいるよ。
 俺には、自分をしっかり保つっていうことで、もう充分な悩みを抱えているよ。だって、多くの場合、人々は人の汚れた部分についてききたがるだろう?そのようなことは話さないことにしているんだ。良いことを言えないときは、俺は何も言わない。でも、ある問題について、話さなければならないような状況に置かれることは、誰にでもあるよ。俺がそのことを話すことによって、(誰かの)益にならないようなことは話さないんだ。その人が何をする、あるいはしてきたとしても、その人は、家族を養ったり、生活を立てたりするためにするんだからね。
 (オリジナルの)ハウリン・ウルフの奥さんは40年以上にわたる、俺の個人的な友人で、1年に数回は話をするよ。毎年7月4日には、彼女のために「ハウリン・ウルフ・デイ」をやってあげるんだ。これはシカゴだよ。彼女の「ハウリン・ウルフ・デイ」は2つあって、もう一つは彼の生まれたミシシッピ州コロンバスだよ。「バーネット・デイ」ってよんでいるけれど、それはハウリン・ウルフを記念して行うんだよ。今度の夏には、そこでも出演する予定でいるんだ。とてもいい人だよ。これが、人生で、人生はずっと続くんだよ。どんな仕事でもそうだけれど、より多く学び取れば学び取るほど、よくやっていけるんだ。これは、聖書の研究の本から学んだんだよ。もう一つ俺の人生でわかったことは、学べば学ぶほど、どんなに自分が何もわかってないかっていうことがわかるんだ。
 ティーニー(ホッジス)のことを考えているんだけれど、彼はいい人だよ。他にもいい人はたくさんいるけれどね。時に、どう言っていいかわからない場合、自分がわかっていることを話す人は、長くは話さないんだ。だって自分がわかっていないっていうことをわかっているからね。わかるか?俺の勉強の中で、最後にイエスの弟子に加えられたのはマタイで、彼は「私はあなたに従います」って言ってイエスに従ったけれど、思い出して欲しいのは、彼は税金の取り立て人だったんだよ。罪人で、評判の悪い人だったんだよ。他の人たちはイエスに、「どうして罪人と一緒に食事をするんだ?」って言うと、イエスは「助けを必要としているのは病人で、健康な人ではない」って答えたんだよ。だから、俺達はみんな病んだ心や、病んだ時期っていうものを持っているんだ。今俺が君にこのことを話しているのは、俺には助けが必要で、俺は飽き飽きしている(sick)2つのことがあるんだ。一つはほとんどの人が得るお金よりも少ないお金を得るために懸命に働くのにはもう飽き飽きだよ。そして、飽き飽きするのに飽き飽きなんだ。

ティーニーもいつもそう言っていましたよ。
 そうさ。いい人だよ。ティーニーも日本に来たことある?

一番最近来たのはアルバート・コリンズとだけれど、OVライトやオーティス・クレイとも来ましたよ。
 ティーニーは良いギター・プレイヤーだよ。オーティスとは何回?

ティーニーは1回。だけど、オーティスは何回か来ていて、数ヶ月前にも来たよ。
 オーティスは日本で人気あるの?

とても人気がありますよ。日本でのライブ・レコーディングが2枚ありますよ。
 聴衆はどうだった?良く入った?

良く入りましたよ。はじめてオーティスを聞く人たちもとても喜んでいましたよ。
オーティスの歌はとても良かった。バンド、特にドラマーがオーティスのサインがわからなくて、でかい音で叩き続けたり、いろいろあって、オーティスには、気の毒な感じで、その点残念でした。

 アル・グリーンや、そして俺もその中に入れてもらえると思うけれど、そしてジョニー・テイラーなどの他、地球のこちら側に来て演奏することができた黒人は少ししかいないよ。(注:実際はジョニー・テイラーはまだ来日していない)
 でも、こうした中で、すごい!って思える人たちの中で、特にすごくない人だっているんだ。そこで、本物のブルース・マンが立ち上がったら(わかるんだよ)。ギターがうまいなあって思うやつがいても、本当にスゴイヤツがきたら、あれ?(この間のはたいしたことないのか)って思うんだ。そういうこともあるんだよ。
 アルバート・コリンズやオーティス・クレイが来ていたことは知っていたよ。俺は、彼らの対抗馬なんだよ。(注:ライバル意識を燃やしているらしい。)俺が言いたいことは、こう言ったらわかるかな?「盲人の家にいる片目の人はとても重要」。でも、俺がやっているようなことは、あまり競争が激しくないんだよ。他に俺がやっているような音楽をやっている人はいないからね。俺と同じことをする人が増えてくれば、競争が激しくなるよ。いいかい、言っておくけれど、あと5〜6年もしてごらんよ。たくさんの人が、ステージで女の人を踊らせるようになるよ。俺がその潮流をつくり出すからね。


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いつもバンドをタイトに保っていますよね。あなたが訓練しているんですか?
 タイトではあるけれど、君が思うほどじゃないよ。俺は神から与えられた才能に恵まれているから、バンドがタイトじゃなくても、何も、誰も俺が持っているものをぶち壊すことはできないよ。俺は神に守られているんだからね。
 時々、バンドがへたに演奏することだってあるよ。でも、大丈夫だよ。オーティスのバンドのことだって、君がいっていたようなことわすれなくちゃね。他のアングルから見なくちゃ。君が書くことが、どんなに人に影響するか知っておく必要があるよ。俺にひどいインタヴューをしたからといって、そいつがダメなライターだっていうことにはならないだろう?だから、本人が、このバンドのメンバーに対してどれだけ努力したかってことなんだよ。だから(オーティスの場合)ドラマーが、音を落とさないで、でっかい音で叩き続けたからって、ドラマーに非があるんじゃなくて、矢面に立たされるのは、フロントに立つやつなんだよ。リーダーにならなきゃならないっていうのは大変なことだよ。子の親になるっていうことだよね。残念ながら、子供は人間で(間違いをおかすけれど)、父親はきみなんだよ。責任があるわけだよ。今回新しいベース・マンを連れてきたんだよ。だから、今夜は俺はヤツの音は聞かないんだ。良くなくても、聞かなかったことにするんだ。良かったら聞か...っへへへ。ただ何があったって先に進むしかないんだよ。

お父さんから受け継いだ魂だね。それはベース・マンにとっても良い教育になりますね。
 そうだと思うよ。

今日はお話しできてとても嬉しかったですよ。
 良かったよ。だからね、俺はあの逮捕のことについて話したくないんだよ。「俺じゃない、あいつが悪いんだ」とも言えたよ。そしてまた「わかったよ、(麻薬が見つかったのは)俺のヴァンだから、誰も何にも言わないなら、俺と一緒に墓場行きだぞ」とも言えたよ。俺はタバコも吸わないし、酒も飲まないし、(麻薬で)ハイになったりしないよ。そして、政府はそのことをわかってるんだよ。で、もしまだ「じゃあ、おまえがやらなかったんだったら、誰がやったんだよ」政府も、あのできごとでは、俺がどんな麻薬にも手を出していないことをわかっているんだけれど、俺に「..(さっき仮定したようなことを)..」て言わせようとしたんだ。

妹尾:やっぱり不良的なイメージとかあったけど、ステージで感じたのはやっぱり、愛とか。
 俺のショーをどう思ったってさっき言っただろう?俺のことでいろいろ聞いていたことはだね、俺を貶(おとし)めようという計画で流された情報なんだよ。だって、俺がやっていることは、俺自身の人種の人々にとってとても助けになるし、役に立っているからなんだよ。そして、俺がやっていることを破壊しようとすることも人々にはできるんだ。 俺にとって大切なことは人を助けること、愛、幸福...。そのことをわかってるんだよ。こういうことがあっても、先へ進んでいかなければならないんだよ。
 俺達は、もっと先に進めて行かなくちゃダメなんだよ。このインタヴューだってそうさ、おまえはどんどん先に進んで行ってるだろう?普通のインタヴューは、どこで生まれたの?奥さんはいるの?どこに住んでる?どんなレコード出してるの?でも、このインタヴューは先へ掘り下げていっているでしょう。それから、ほとんどの人は汚い物を掘り起こしたようなものを話したがるんだ。そういうことを話したいならそれでいいさ。
 でも、俺は他の人たちの助けになるようなことを話したいんだ。生まれてこの方、この両足の靴をしっかり履いて、よく生きてきたとは言えない。でも、これ以上ないほど悪かったわけでもないんだよ。話せて良かったよ。

最後に私の大切な友人がメンフィスにいて、彼は2年前に亡くなったのですが、彼の名前は、オリー・ナイティンゲイル。彼について話してくれませんか?
 オリーは俺と一緒に働いていたのは知ってるでしょう?オリーは1983年にすごく落ち込んで、どうしようもなくなって俺のところへ来てね、涙を流して言ったよ、「ボビー・ラッシュ、俺を一緒にロードに連れていってくれよ。」ってね。その頃彼もミシシッピ州ジャクスンに住んでいたんだ。それから4年間、俺の行くところにはどこに
でもオリーを連れていったよ、彼の生活が自立できるようになるまでね。食べ物と、家賃の他はほとんど欲しがらなかった。いい男だよ、心が細やかでね、いいシンガーだった。

彼も素晴らしいストーリー・テラーでしたよ。
 そう、いいストーリー・テラーだった。寝起きも何もかも共にしたよ。そして、メンフィスに帰っていったんだ。オリーが亡くなる1年ぐらい前から病気が結構重いっていうことは知っていたよ。そして、彼が亡くなる3週間前に、最後に一緒に仕事をしたのも俺なんだ。そう、クラブ・パラダイスでね。

電話で話したとき、そのことを言っていましたよ。
 電話したの?そうなんだ。いい人だったよ。

彼のBig fat woman好きだったなあ。(チック・ウィリスが作ったBig Fat Womanの詞を、ずっとユーモラスに変えて歌っていた。残念ながら彼はこれを録音していない。ボビー・ラッシュがこのコンセプトに目をつけ、ジョー・テックスの同名異曲をちょっと変えてやったのをからかっているのが、オリーのCDに入っているBig Fat Womanで、かなりやけくそ気味。)
 彼がやったのは、ブーガ・ベアーと同じで、俺のレコードから取ったんだよ。(事実はその逆)俺達は事前に話し合っていたよ。だからちゃんとわかっていたんだ。だから、オリーは、アンサー・ソングとしてこれらの歌を歌ったんだよ。彼と俺とはいい関係だったんだよ。オリーが、「ボビー・ラッシュ、これやりたんだよ」「いいさ、やれよ、オリー」ってね。

彼は、あの独特の話し方で、「ボビー・ラッシュ」っていうのが好きだったよ。
 エッヘヘヘヘヘヘ。彼は俺のことをとても愛してくれていたよ。彼のレコードのタイトルの多くは俺から取ったんだけれど、かまわないさ。友人というのはそういうものさ。彼は長い間のつきあいなんだよ。俺と一緒に演奏旅行をし、眠り、食事をし、楽しんだ仲間さ。
 次の段階では、BBキングやバディー・ガイともっと一緒の仕事ができるといいと思うんだ。

ボビー・ブランドのショーでのあなたは良かったですよ!
 ボビー・ブランドは、こんないい人に出会ってみたいと望む最高の人のひとりだね。正直に言って、俺に本当に良くしてくれたよ。ボビー・ブランドはいろんな人たちに、俺のショーのことを話してくれたよ。いろんなところで「いいかい、よく聞いてくれよ、いいショーを見たいなら、ボビー・ラッシュを呼んだらいいよ。」ボビー・ブランドは、こういうことをしてくれる人だよ。リトル・ミルトンはしっかりした人だよ。尊敬している人たちはたくさんいるけれど、ボビー・ブランドはまさに最高だよ。そして、この音楽業界で、ビジネスの面で俺が敬服しているのは、ケニー・ギャンブルとリオン・ハフだよ。

ああ、ここに彼らがプロデュースしたあなたのLPを持っていますよ。
 「ラッシュ・アワー!」俺はそれ持ってないんだよ。でも、2週間前にCDでリイッシューされたんだよ。ケニー・ギャンブルとリオン・ハフは、親しい友人なんだ。今度彼らと作った新しいCDでは、二人の真ん中に俺が座った写真が使われるんだよ。この二人の社長が俺を真ん中に座らせて写真を撮りたがってね。そのぐらい親しいんだよ。そういうことをしてくれる人に、敬意を表するね。このアルバムは、7月ごろに出せると良いと思っているんだ。良いアルバムだよ。


Rush Hour...plus (P-VINE PCD-3541)


エピローグ

 エンターテインメントの権化、ボビー・ラッシュ!
彼は率直に多くをさらけ出して1時間半近くにわたって話し続けてくれた。中盤で麻薬で逮捕された問題を聞いてから後、しばらくは、何を話してもこの問題にもどってきてしまったのは、それだけ彼がこのことで悩んできた、怒ってきたと言うことだろう。「そのことは話さない」といいながら、ほとんど話してくれたと言っていい。
 ボビー・ラッシュに感謝。これからも、是非個性的な歌を歌い続けて欲しい。


Home South Bound Train 高橋 誠

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