Japan Blues Festival 2005


2005年浪岡会場での熱演

本稿は、Blues and Soul Records誌No.65(2005年9月)に掲載された記事に加筆訂正しました。


青森でジャパン・ブルース・フェスティバルが行われていることを知っている読者はどれ位いるのだろう。
今年で3回目を数え、一昨年はデルマーク・オールスターズ、昨年はウイリー・ケントとボニー・リー。
そして今年はビリー・ブランチ&サンズ・オブ・ブルースを迎え大きな盛り上がりを見せた。

地方都市の過疎化は深刻な社会問題となっている。
青森市も例外ではなく、自治体はもとより地域経済を担う企業にとっても街の活性化が大きな課題となっている。そんな中で青森商工会議所青年部(以下青年部)のメンバーの中から音楽で街おこしが出来ないものかとアイディアが出た。
ジャズ・フェスティバルは既に多くの街で行われている。ロックで人を呼ぶのも苦しい。そこで思い付いたのがブルースであった。
「青森の青、淡谷のり子の出身地、シカゴと同じ北緯41度に位置する」という“安易な発想”(青年部高森公嗣氏談)ではあったが、行動は素早かった。2002年にはメンバー30名がニューヨークとシカゴを視察。特にシカゴのブルース・クラブでの体験には心が震えたという。単なる街おこしの道具から、日本を代表するブルースの拠点として魅力ある街作りをしたいという想いに変わった瞬間だ。

今回、青年部の高森公嗣氏と伊藤匡氏にお話を伺ったが、その情熱と行動力はハンパではなかった。様々なイベントを行うことで街の再生を果たしたシカゴ市の手腕を参考にしながら、青森独自のカラーを出そうという意欲がヒシヒシと伝わってきた。インタビューの間にも来年以降に向けたアイディアがポンポン飛び出し、私もインタビュアーの立場を忘れ一緒に議論に参加してしまった。


2005年青森会場

フェスティバルの形式はシカゴと同様に入場無料である(ただし浪岡会場は入場料1,500円、青森会場に用意した指定300席は1,000円。2006年は指定席を設けずに全席無料)。
賛同する飲食店が会場に出店し、チケット制で飲み食いが出来る。ビールに地酒、海産物にバーベキュー。しかも余ったチケットは地元の商店街でも使えるというのだから徹底している。

驚いたのは観客動員数だ。地元の皆さんには失礼だが、初日(7月21日)の浪岡(旧南津軽郡浪岡町。今年4月青森市と合併)は山間の寒村という風情。こんなところに人が集まるのかと心配するほどだった。しかし道の駅の駐車場に作られた特設ステージ前の椅子は全て埋まり、立ち見の人もどんどん増えて主催者発表で800人もの人が集まったという。

ステージが進むにつれ会場はヒートアップ。恐らくブルースは初めて聴くであろう観客を前に、熱気に後押しされたビリー・ブランチはアンコールを含め2時間近い熱演を見せてくれた。「会場が盛り上がっていたのでついついノっちゃって時間を忘れたよ」とはビリーの談。


会場を練り歩くビリー・ブランチ

翌22日は青森市内の青い海公園内の特設ステージ。こちらには3,000人近い人が集まった。無料で入れるにも関わらず、300席が発売間もなく完売したというのも驚きだ。ライブの模様はケーブルTVで生中継をされているが、それを見ていた人が会場に来ることもあるという。全国各地から集まったブルース・ファンの姿もチラホラ見受けられたが、ほとんどの人はお祭りを楽しみに来た人ばかり。飲む人、食べる人、踊る人。アンコールでは会場全体が総立ちとなりステージと客席が一体となった素晴らしいライブであった。


会場もヒートアップ!


中央の白い帽子はビリー・ブランチ!他のライブでは考えられない距離感!踊る踊る!

今年は、ビリーが主催するBlues In School(ブルースの歴史とハーモニカの奏法を子供達に教えるブルース教室)が日本で初めて開催されるなど新たな取り組みも行われた。初めて10穴ハープに触れる人達が、最後には全員で12小節のブルースを演奏する姿は感動的であった。
浪岡会場では、お父さんに抱っこされた男の子が目をキラキラと輝かせてステージを見つめていた。本当に素晴らしいフェスティバルだと心が温かくなった。

既に来年に向けて青年部は動き出している。いや、来年どころか10年20年先を見据えている。今年もオープニング・アクトに地元のブルース・バンドが出演したが、将来的には全国からブルース・バンドを集め、街のあちらこちらでブルースが流れるフェスティバルにしたいと夢は大きい。“やるべ志”は青年部の合い言葉。柔軟な発想と抜群の行動力で、青森が日本のブルースの中心地となる日は近いと確信した2日間であった。


ステージと会場が一体化した瞬間